《5分で分かる》アハブとは?

アハブとは?

アハブ…

([ヘブル語]’ah’āb) 「父の兄弟」という意味.⒈オムリの子で,その後を継いだ.北王国イスラエルの第7代の王として22年間(前874―853年)王位にあった(Ⅰ列16:29).彼はアシュタロテの祭司であるシドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚した(Ⅰ列16:31).アハブはイスラエルにいくつかの町を建て(Ⅰ列16:34,22:39),父オムリによって着手された首都サマリヤの建設を続行した(Ⅰ列16:24,32).彼の宮殿は象牙で建てられ,その富と力を誇示した(Ⅰ列22:39.参照アモ3:15).彼の治世を通じて,アラム(シリヤ)との戦争が頻発したらしい(参照Ⅰ列22:1).彼がイゼベルとの結婚でフェニキヤと同盟を結んだのも,対アラム政策のためであった.アラムの王ベン・ハダデが同盟軍と共に大軍をもってサマリヤを包囲したが,アハブはこれを撃退して彼らに大損害を与えた(Ⅰ列20:1‐21).その後,再び攻めてきたベン・ハダデの大軍とアフェクで戦って大勝したが,アハブはベン・ハダデの生命を助けた.その代償として,サマリヤでアラムの商人に与えられているのと同様の特権をダマスコでイスラエルの商人に与えることを承認させ,休戦の契約を結んだ(Ⅰ列20:26‐34).このように経済的利益を優先させるアハブの姿勢は預言者の非難を買った(Ⅰ列20:35‐43).アッシリヤの年代記によると,前853年,オロンテス川に面したカルカルの戦闘において,アハブは戦車2千,歩兵1万の援軍をもってベン・ハダデを助け,アッシリヤ王シャルマヌエセル3世の南下を阻止することに成功したようである.このアハブの対アッシリヤ戦介入が,後にイスラエルがアッシリヤの侵攻を受ける理由の一つになった.イスラエルがアラムとの戦いに追われている間に,アハブに隷属していたモアブの王メシャが反旗を翻した.アハブは晩年に,ユダの王ヨシャパテと同盟して,またもアラムと対戦した(Ⅰ列22:3).この戦いでアハブは預言者ミカヤの警告を無視してラモテ・ギルアデの戦場に赴き,流れ矢に当たって深手を負い,それがもとで死んだ(Ⅰ列22:5‐35).アハブの死体はサマリヤに運ばれて葬られ,その子アハズヤが王位を継いだ(Ⅰ列22:37‐40).アハブの治世の代表的預言者はエリヤであった.アハブは妻イゼベルの影響でサマリヤにバアル礼拝のための神殿を建てることを許し,そこにアシェラ像まで造らせた(Ⅰ列16:32‐33).イゼベルは主の預言者たちを殺したが,100人の預言者がアハブに仕える主のしもべオバデヤによってかくまわれた(Ⅰ列18:3‐4).エリヤはカルメル山でバアルの預言者たちと対決し,勝利を得た(Ⅰ列18:19‐46).アハブがイスラエルの法と公義を踏みにじった例は,イゼベルがイズレエルにある彼の宮殿に隣接するぶどう畑を所有していたナボテを欺き,殺してしまった事件に見られる(Ⅰ列21:1‐16).エリヤはアハブの不正を激しく責め,彼とその妻と彼の王朝の末路を預言した(Ⅰ列21:20‐24).偶像礼拝とイゼベルの悪影響に彩られたアハブの治世は(Ⅰ列21:25‐26),後々まで覚えられ,預言者ミカ(ミカ6:16)の非難を受けている.
⒉コラヤの子アハブ.エレミヤから偽りの預言者として非難された2人の預言者の一人.彼はバビロン王の手で火に焼かれると,エレミヤは預言した(エレ29:21‐22).

(出典:村瀬俊夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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