《5分で分かる》アキラとは?

アキラとは?

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アキラ…

(新共同訳)([ギリシャ語]Akulas) ポント生まれのユダヤ人で天幕作りをしていた.妻のプリスカ(プリスキラ)と共に,パウロの忠実な伝道の協力者であった.もともとローマに住んでいたが,クラウディウス帝のユダヤ人追放令が出た時(紀元49年頃),ローマを退去し,コリントにやってきた(使18:2‐3).スエトニウス(『クラウディウス』25:4)によればこの追放令は,キリスト教を巡ってローマのユダヤ人たちの間に起こった騒動をきっかけにして出されたものである.その時までにアクラ夫妻がキリスト教に回心していた可能性は大きい.
コリントでパウロと出会った2人は,彼を自分たちの家に住まわせ,同業者として天幕作りを共にしながら,その伝道を助け,大いに成果をあげた.1年半以上の滞在の後,パウロがシリヤに向けて旅出つと,彼らもそれに同行し,エペソに渡った.そこでパウロは短期間伝道してからエルサレムに向かったが,2人はエペソにとどまり,働きを継続した.そこに雄弁なユダヤ人アポロがやってきた.アポロはイエスのことを正確に語ってはいたが,ヨハネのバプテスマしか知らなかった.そこで彼らはアポロに詳しく「神の道」を説き明かし,激励してアカヤに送り出した(使18:18‐28).彼らの家はキリスト者の集会所として開放され,パウロが再び小アジヤに戻ってきた時には代表的な家の教会となっていた.しかし彼らは,コリントに残してきた仲間たちを忘れてはおらず,その頃パウロがコリントの教会に送った手紙に託して,彼らにあいさつを送っている(Ⅰコリ16:19).パウロは間もなく,銀細工人デメテリオが扇動した騒動に巻き込まれそうになった(使19:23‐41).2人が「自分のいのちの危険を冒して」パウロを守ったと言われている(ロマ16:3‐4)のは,この時のことかもしれないが,騒動の記事に名前が記されているわけではないので,定かではない.
その後エペソにどれくらい滞在したか,明らかではないが,しばらくして彼らはローマに戻った(ロマ16:3).クラウディウス帝の死によって,追放令もしだいに有名無実化していったのであろう.ともかくその頃になると,彼らの教会に対する貢献は,広く異邦人の教会において知られ,感謝されていた.Ⅱテモ4:19によれば,後に再びエペソに渡ったことになるが,その辺の事情は明らかではない.
普通アクラの名は,妻のプリスカの名と共に,しかもその後に出てくる.プリスカが身分の高いローマ人であったため,という説もあるが,単に彼女の方が先に回心し,夫を信仰に導いたためかもしれない.あるいは,教会の働きにおいて,彼女の方がより活動的であったということかもしれない.
ヘブル人への手紙を彼ら(特にプリスカ)の手に帰す説もあるが,決定的な証拠はない.

(出典:内田和彦『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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