《じっくり解説》福音主義とは?

福音主義とは?

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福音主義…

[英語]Evangelicalism.<復> 1.名称.<復> Evangelicalismという呼称の究極的なルーツは,「喜ばしい知らせ」あるいは「福音」([英語]Gospel—中世英語godspelに由来)を意味するギリシヤ語の「ユーアンゲリオン」(euaggelion)にまでさかのぼる.歴史的に見ると,「福音主義」とか「福音派」(evangelicus, evangelici)という呼称は宗教改革時代に誕生した(エラスムス『ストラスブールの偽福音派を駁す』;石原謙『基督教史』1937).だが,福音主義という呼称の実際の使われ方を教会史的かつ神学的に考察すると,そこにかなりの多様性が存在していることに気付かされる.<復> (1) 所属する教派・伝統に関係なく,聖書の福音を忠実に受容・継承し,それを熱烈に宣べ伝える信仰の立場を指す場合(Webber, R., Common Roots, 1978 ; Packer, J., Fundamentalism and the Word of God—Some Evangelical Principles, 1958.日本の福音派の間では「聖書信仰」と互換的に用いられている.日本福音同盟『はばたく日本の福音派』1978).<復> (2) 16世紀宗教改革の根本精神と信仰的伝統を指す場合(新教出版社編『宗教改革研究』1968).<復> (3) ヨーロッパやラテンアメリカで見られるもので,ローマ・カトリックではなくプロテスタントの代名詞.ドイツ語のevangelischはKatholisch(カトリック)に対するプロテスタントを意味している(例:1945年バルメン宣言を中心として設立されたEvangelische Kirche in Deutschland,ヘルマン・ザッセ『み言に立つ教会』1961).<復> (4) ヨーロッパ大陸の敬虔主義,英国教会内の低教会派(ロー・チャーチ),英国の分離派とピューリタンたち,18世紀以降今日に至る敬虔主義的・信仰復興的なキリスト教の流れ(18世紀イギリスのメソジスト運動,19世紀ドイツの大覚醒,フィニからムーディを経て,ビリー・グラハムに至るリバイバリズムや信仰覚醒運動)に対する名称(佐藤敏夫『日本のキリスト教と神学』1968).<復> (5) フランスでは,リベラル派に対する正統派・保守派を「エバンジェリック」(evange´lique)と呼んでいる(R・メール,F・デルテイユ,D・ロベール,G・リシャール・モラール『プロテスタント—過去と未来』1979).<復> (6) 日本の多くの教会,教職者の間では,古リベラリズムを拒否して登場したバルト神学において表明されているようなキリスト教理解を福音主義と呼んでいる.また,しばしば,いわゆる純福音派や聖霊派,あるいはいわゆるファンダメンタリズムの流れを指す名称として使われている(佐藤敏夫「前掲書」;K・バルト『福音主義神学入門』1962).<復> 2.福音主義の中心をなすもの.<復> (1) 原点としての使徒的キリスト教.<復> 福音主義の根幹をつかむに当って,最も根本的なことは神のことばとしての聖書に立つことであるが,具体的には,まず,初代の使徒たちが,旧約における神の啓示を受け止めつつ宣べ伝えた福音の根本と,使徒たちがあかしした意識と献身的なライフ・スタイルとをはっきりと受け止めることから始めるのが妥当と思われる.<復> 使徒的福音の根本を成していた要素について,J・ストットは次の5点を挙げている(Christian Mission in the Modern World, 1975).①神のひとり子であるイエス・キリストが,十字架で死に,3日目に復活したという福音の歴史的根源的事実(ルカ1:1,24:14,18;Ⅱコリント15:3‐5).②この福音(ケリュグマ)の枠を規定し,その信憑性を保証している二つの証言の存在.一つは神のことばとしての旧約聖書であり(Ⅰコリント15:3,4,使徒2:25以下),もう一つは救済の出来事を実際に目撃した証人たちのあかしである(ルカ24:48,使徒5:32,10:38,39).使徒たちは,神から派遣された者として,旧約聖書が教え,彼らに啓示されかつ彼らが目撃したままのイエスのみを宣べ伝え,それ以外の自由も権利も与えられていなかった.③使徒たちは,聖霊の主権的な働きのもとに,救い主を″生きた現実″(the contemporary Christ)として確信をもって宣べ伝えた(使徒10:36,Ⅰコリント12:3).④使徒的福音は,イエスを信じる者には二つの約束,すなわち罪の赦しと聖霊による新しいいのちが与えられることを含んでいた(使徒2:38).⑤使徒たちは,悔い改め(使徒3:19,17:30),イエスを救い主として信じること(使徒10:43),バプテスマ(使徒2:38)を,福音の要求事項として明らかにした.<復> 初代の使徒たちは以上の信仰の骨格とともに,「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに,いっさいのことを損と思っています」(ピリピ3:8)と公言しているように,人生観と価値観におけるラディカルな転換を経験し,「もし福音を宣べ伝えなかったら,私はわざわいに会います」(Ⅰコリント9:16)と叫びながら,燃えるような宣教の情熱をあかししたのである.福音主義の根幹を成すものは,以上のような使徒的福音とライフ・スタイルと宣教のパトスであると言える.<復> (2) 古代教会の正統信仰.<復> 「キリスト教は神秘主義的宗教ではなく,最初からその信仰を神と人とにあかしするところの信仰告白的宗教である」(岡田稔『キリスト教』1967;O・クルマン『原始教会の信仰告白』1972;Skilton, J. (ed.), Scripture and Confession,1973)と言われるように,特に2世紀頃から信仰告白というものが発達していった.特に活発化する異端説に対して正しい教理の表明は一層重要性を帯びてくる.古代教会における信仰告白の結晶とも言うべきものが,使徒信条,ニカイア・コンスタンティノポリス信条,カルケドン信条,アタナシオス信条の四信仰告白から成る「公同信条」(symbola oecumenica)である.中でも次の使徒信条は,古代教会における公同の信仰の基本的要約であると言える.<復> 「我は天地の造り主,全能の父なる神を信ず.<復> 我はその独り子,我らの主,イエス・キリストを信ず.<復> 主は聖霊によりてやどり,処女(おとめ)マリヤより生れ,<復> ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け,<復> 十字架につけられ,<復> 死にて葬られ,陰府(よみ)にくだり,<復> 三日目に死人のうちよりよみがえり,<復> 天に昇り,<復> 全能の父なる神の右に座したまえり,<復> かしこより来りて,生ける者と死ねる者とを審きたまわん.<復> 我は聖霊を信ず.<復> 聖なる公同の教会,聖徒の交わり,<復> 罪の赦し,<復> 身体のよみがえり,<復> 永遠の生命を信ず」.<復> 三つの根本的特色に注目すべきである.第1は,三位一体の神の告白である.第2は,主部を占めるもので,イエス・キリストの神・人なる本性,生涯の歴史的出来事,贖罪のわざの強調である.第3は,「我は聖霊を信ず」との密接な関連において,教会を「聖徒の交わり」と規定している点である.古代教会において多くの論争・曲折を経て,「あらゆるところで,常に,すべてによって信じられてきた」(レラーンスのヴィンケンティウス)正統信仰の根幹が確立されていった(Runia, K., I Believe in God—Current Questions and the Creeds, 1963;J・パッカー『使徒信条』1990).<復> (3) 福音主義の歴史的表明としての16世紀宗教改革.<復> プロテスタント宗教改革は,「なぜカトリックでないのか」を明らかにすることを通して,もう一度聖書の信仰の中心をなす福音主義の本質を世界に立証した(Berkouwer, G.C., Conflict with Rome, 1958).教会史家で,「福音主義同盟」(1846年)のもう一人の創立発起人でもあったフィリプ・シャッフは,「聖書のみ」「信仰義認」「聖徒の交わりとしての教会」の3点をプロテスタンティズムの三大原理と見ている(Theological Propaedeutic, 1894).<復> a.聖書のみ.信仰の規範問題は,信仰全体を左右する根本問題であるが,この問題についてカトリックは,三つの特異な教理に立っている.第1に,神の啓示的真理と生活規範は書き記された聖書と書き記されなかった伝承(traditio)の両方に含まれているとして,その伝承を聖書と同等の位置に置いている(トリエント公会議第4総会,1546年4月8日.H・デンツィンガー編/シェーンメッツァー増補改訂『カトリック教会文書資料集』1982).この立場には聖書の完全性と十分性の否定という重大な問題がある.第2に,ローマ教会は,プロテスタントが霊感されたものとは認めていない「外典」(トビト,ユデト,第1・第2マカベア書など)を,「正典」としているという問題である.トリエント公会議第4総会は,外典を「聖なる正典として,カトリック教会において普通読まれているラテン語訳,ブルガタ版に従って,全部を残らず受け入れなかったり,知りながら故意に上に説明した伝承を軽視したりする者は排斥(アナテマ)される」と宣言している.外典について,プロテスタントは,①歴史的な矛盾,信仰上の迷信,道徳上の不正虚偽といった内容から,②歴史的に,ユダヤ教会とキリスト教会において外典はもともと正典の一部ではなかったという認識から,カトリックの立場を否定してきた(「ウェストミンスター信仰告白」1:3).第3に,ローマ教会は,人々に聖書を信じさせ,聖書の正しい解釈と意味とを定めるものとして,神は無謬の教皇を中心とする「教える教会」を制定したと主張している.これに対して,宗教改革者のカルヴァンは,聖書はそれ自身で神のことば,神の真理であることをあかしし(autopistos.『キリスト教綱要』1:7:5),それを究極的に確信させるために,神は私たちの心の中で証言する聖霊の内的みわざ(同1:7:4)を備えておられると応酬した.<復> b.信仰義認.キリスト教における根本的な問題は,罪人はいかにして神の前に義と認められ,神との正しい関係に入ることができるかということである.これに対する聖書の一貫した答は,「ただ,神の恵みにより,キリスト・イエスによる贖いのゆえに,価なしに義と認められる」(ローマ3:24)である.これに対し,トリエント公会議第6総会は,「義化についての規定」9,11,12条と「教会」第10章の中でこの信仰義認の教理を異端視しアナテマを宣言した.<復> c.聖徒の交わりとしての教会.カトリック教会観の中心を成しているものは,無謬の教皇を頂点とする聖職位階制度(ヒエラルキア)である(ローランド・ベイントン『宗教改革史』1966).宗教改革者たちは,教皇を「反キリスト」と見なし,教会を聖書に沿って基本的に,キリストを頭と仰ぐ「聖徒の交わり」「キリスト者の会衆」(「ベルギー信条」27条,「アウグスブルク信仰告白」8条,「ハイデルベルク信仰問答」55問)であることを再確認した.<復> (4) 16,17世紀の福音主義.<復> a.近世における四つの流れとアルミニウス主義.16世紀のプロテスタント宗教改革は,その発展過程の中で,①ルター派,②カルヴァン派,③アナバプテスト派,④英国のプロテスタントの四つの主要な流れを生み出した.これら四大潮流は,それぞれ固有の強調点やエートスを発展させていったが,聖書の信仰の根本の理解においては基本的な一致が存在していた.ルター派とカルヴァン派は,共にローマ教会の否定と,「聖書のみ」「信仰義認」「聖徒の交わりとしての教会」を中心とする信仰の大枠において相互に一致していた.また,アナバプテスト(C・ノーマン・クラウス『伝道,福音派,福音主義』1983)も,英国教会の場合(1563年の「39箇条」)も,大枠において前二者と基本的な共通点を持っていた.<復> もしも,神学上の新しい問題があったとすれば,それはアルミニウス主義の台頭の問題であった.オランダにおけるレモンストラント派,ウィリアム・ロードを中心としての英国教会内でのアルミニウス主義の広がり,メソジスト運動によるアルミニウス主義の継承(後にアメリカにおいてホーリネス,ナザレン,アライアンス,フリー・メソジスト,ペンテコステ派などを生んだ)などによる論争,分裂の動きはあったが,当時,カルヴァン主義系の諸教会もアルミニウス主義系の諸教会も共にキリスト教会の歴史的信仰の伝統を継承しようとしていたのである(Ramm, B., The Evangelical Heritage, 1973).<復> b.17世紀プロテスタント正統主義.今日,16,17世紀におけるプロテスタント信仰の根本を知ろうとする際に,3種類の重要な文書資料がある.第1は16世紀の宗教改革者たちが書き残した文書(『宗教改革著作集』1983— ),第2は両世紀の時期に生み出された多数の信仰告白文書(Schaff, P., The Creeds of Christendom, 3Vols, 1877),第3は17世紀のプロテスタント正統主義成立の過程の中で生み出された多くの神学的著作(Schmid, H., Doctrinal Theology of the Evangelical Lutheran Church, 1961 ; Heppe, H., Reformed Dogmatics, 1950 ; Muller, R., Post‐Reformation Reformed Dogmatics, Ⅰ, 1987)である.<復> 特に,今日,プロテスタント正統主義の評価は,リベラル派の否定的見解と保守派の肯定的な見解とに真二つに分れているのが実情である.しかし,正統主義神学者たちが,①教会史上,歴史的意義を持つ重要な文書資料はすべて当り,②宗教改革者たちに最も近くあった者たちとして,改革者たちの語ったことを保存するとともに,それらをできる限り正確に再生復元しようと努め,③驚くべき熱心さと徹底さとをもって聖書そのものを調べた上で,プロテスタント・キリスト教の組織的な解説の″オリジナル版″を提供している事実は否定することはできない.<復> c.敬虔主義・信仰復興運動.1675年,当時ルター派のフィーリプ・シュペーナーは『真の福音主義教会を神のみこころにそって改善したいという敬虔なる願望』を出して,教会の霊的刷新と実践的信仰の確立を訴えた.ドナルド・ブローシュも指摘しているように,「宗教改革後の運動である敬虔主義やピューリタン運動は,宗教改革そのものよりももっと明瞭に,信仰の訓練された生活の必要性を感じとった.そしてまさしくこれらの運動こそが,福音主義的な霊的生活の開化をもたらすことになったのである」(『教会の改革的形成』1982).<復> 近世の敬虔主義や数々の信仰復興運動(フランケ,ツィンツェンドルフ,ウェスレー,エドワーズなど)が,福音主義の確立に寄与したもう一つの点は,世界宣教のビジョンの宣揚とその具体的実行であった(Lovelace, R., Dynamics of Spiritual Life, 1979).<復> (5) 啓蒙主義・自由主義・「福音主義同盟」.<復> a.啓蒙主義.プロテスタント神学は,前述した17世紀の正統主義において一つの完結に達したと見られているが,18世紀に入ると強力な嵐に見舞われた.それが「啓蒙思想」である.この啓蒙思想は,自律的理性の立場に立って(カント『啓蒙とは何か』1784),全体として理念では科学的自然主義(唯物論または実証論)をとり,倫理においては相対主義的な理性道徳ないしは功利主義をとり,宗教については,伝統的な教会の啓示宗教に反対して理性宗教(カント『たんなる理性の限界内における宗教』1793,増補2版1794)ないしは無神論をとり,歴史については進歩(サン・ピエール『普遍的理性の進歩に関する考察』1737)を確信していた.<復> b.自由主義.やがてキリスト教の内部に,この啓蒙思想に対し″適応・適合″の態度をとる流れが登場してきた.それが近代主義(Modernism)とか自由主義(Liberalism)と呼ばれている潮流である.主要なものとしては,ジョン・トーランドの『神秘的でないキリスト教』(1696)によって代表される英国の理神論,啓示内容を理性的真理に限定し,原罪,永遠の刑罰,悪魔,神の御子キリストといった伝統的教理を否認するドイツのネオロギー,リッチュル,ハルナック,シュライアマハー(シュライエルマッハー)などによって代表される19世紀の自由主義神学がある.<復> 今,フリードリヒ・シュライアマハー(1768—1834年)の場合を例にとってそのキリスト教理解の特色点を見ると次の通りである.<復> ① 従来の正統主義神学と信条主義的キリスト教理解を否定し,カントの批判主義の哲学の影響を受けて一切の教義を理性批判にさらしながら,時代の思潮と文化との調和を目指しつつ,一種の″文化神学″(Kulturtheologie)の形成を試みた.<復> ② 聖書—シュライアマハーのキリスト教理解の中心には,「絶対依存感情」(schlechthinniges Abha¨ngigkeitsgefu¨hl),「キリスト教的敬虔自己意識」があるが,聖書は教会の教理と同じように,教会の全体的敬虔自己意識の所産,つまり教会が生み出したものである.従って,教会の基礎・規範としての聖書という見解は根本から覆される.そして聖書と他の文書との間には,量的不同性はあるとしても質的相違,質的不同性というものは存在しない.せいぜい聖書の記者たちがキリストに近くいたという点にある種の規範性を認めるにすぎない.直接″キリスト教的″敬虔自己意識を表現していない旧約は事実上聖書から除外される.<復> ③ 神—宇宙とか無限者とか全体と表現されているが,それとわれわれの世界,有限者,部分とは決して二元論的に考えられていない.スピノザ的な一元論的汎神論に立ち,世界の究極原因,つまり神は世界の中に内在するものと考えられている.有限者は,無限者の表現かつ様態にほかならない.<復> ④ 創造—神的因果性と自然的因果性との一致,すなわち神即世界の立場に立つゆえに,世界の時間的発端という意味での創造を考えることは不可能である.<復> ⑤ 宗教の本質—あらゆる対立を超えた無限者(宇宙)から自己が由来し,それに自己が規定されており依存しているという直接的な自己意識もしくは感情にあると定義される.そして,人生の最重要課題は,自己自身の陶冶形成,すなわち,いよいよ本来あるべき自己となっていくことであると言われる.<復> ⑥ 罪—信仰を,「動物的意識」「感性的意識」「絶対依存感情」というように感情の三発達過程という形で理解している上から,罪は神意識の自由な展開が感性的自己意識によって阻止されている状態,つまり低次の自己意識による高次の自己意識の阻止の問題として理解される.<復> ⑦ イエス—神的な助力を与える神的な教師,われわれのキリスト者生活の模範,新しい全体的生の出発点としての人類の原像(Urbild).<復> ⑧ 贖罪—聖書の中心には「十字架のみ」という排他性が見られる.これに対し,シュライアマハーは,彼の青年時代の手紙の中で「私は信じることはできない.自己自身を〈人の子〉とだけ呼んだ人が,永遠のまことの神であったなどとは.私は信じることはできない.彼の死が身代りの贖いであったなどとは」と記している.この見解は終生変らなかった.主著であるDer Christliche Glaube(1830)の中では,キリストの十字架死がわれわれの罪のために神の怒りを負われた刑罰死であることを否定し,キリストの血に言及するすべての贖罪論を「魔術的」(magisch)と呼んでいる.<復> ⑨ 三位一体,キリストの処女降誕,キリストの再臨などは,人々の敬虔自己意識に関係がないとしてすべて退けられている.1924年エーミール・ブルンナーがDie Mystik und das Wortを著し,シュライアマハーのキリスト教理解は,文化主義(ローマン主義)と結び付いたいわゆる世俗化された神秘主義にすぎない,と批判したことは歴史に残る出来事であった.高倉徳太郎『福音的基督教』(1927)もその路線に立つものであった.<復> 以上で素描したシュライアマハーに代表される自由主義キリスト教は,近代理性の攻勢に直面していかにかしてキリスト教の有意義性を確立しようとした努力であったと言えるが,そこに結果したことは「全く別種の宗教」(メイチェン)の提示にほかならなかった.<復> c.「福音主義同盟」.自由主義が次第に隆盛を極めようとしていた1846年に,ロンドンで「福音主義同盟」(Evangelical Alliance)が設立されたことは,福音主義の理解にとって看過できない出来事である.当時,ヨーロッパは政情不安の中にあり,キリスト教界は自由主義の問題の大きさを感じつつあった.こうした状況の中で,1846年8月19日から23日にかけて,聖書的信仰に基づく国際的一致と協力の必要を感じていた世界の50教派から8百人の代表が集まり,本同盟の設立を決議し次のような信仰規準を採択した(Schaff, P., Creeds of Christendom, Ⅲ, 1877; Schaff, D., “Evangelical Alliance,” Encyclopaedia of Religion and Ethics, Ⅴ).<復> ① 聖書の神的霊感及び神的権威,聖書の十分性.<復> ② 聖書解釈における個人的判断の権利及び義務.<復> ③ 三位一体の神.<復> ④ アダムの堕落の結果としての人間の全的堕落性.<復> ⑤ 神のひとり子の受肉,人類の罪のための彼の贖いのわざ,彼の仲保的とりなしと支配.<復> ⑥ 信仰のみによる罪人の義認.<復> ⑦ 罪人の回心及び聖化における聖霊の働き.<復> ⑧ 霊魂の不滅,肉体の復活,正しい者の永遠の祝福と悪い者の永遠の刑罰を伴う,主イエス・キリストによる世界の審判.<復> ⑨ キリスト教伝道者職の神的制定,洗礼と聖餐の二礼典の義務とその永続性.<復> このような信仰の立場は,カトリック,ユニテリアン派(三位一体とキリストの神性を否定),自由主義を退け,基本的に宗教改革の立場を強調していた19世紀中葉の英国のプロテスタント信仰を反映したものである(多くのリベラル派は不満を感じ,1900年頃,別の組織作りに向かったので,この同盟の活動は停止することになる)が,19世紀後半から20世紀にかけて誕生を見た多くの教派団体(多くは″自由教会″〔フリー・チャーチ〕型の教派)の信仰規準は,これをモデルにしている.1935年に作られ,1981年に一部語句修正を行った英国のThe Universities and Colleges Christian Fellowshipも,同路線に立ちつつ,福音主義信仰を,11箇条にまとめて言い表している(Evangelical Belief, 1988).<復> 一方,『教会の改革的形成』(1982)で知られるアメリカのドナルド・ブロッシュは,①創造者・主権者である神(創世1:1,17:1,黙示録21:22),②聖書の霊感と権威(Ⅱテモテ3:16,17),③人間の全的堕落性と罪性(詩篇51:5,エレミヤ17:9),④キリストの身代りの贖罪(エペソ1:7,ヘブル9:22),⑤神の恩恵のみによる救い(テトス3:5),⑥信仰義認(ローマ1:16,10:10),⑦神のみことばの説教を中心に置く(ローマ10:17,Ⅰコリント1:21),⑧聖霊によるきよい生活と弟子としての犠牲的生活(ヘブル12:14),⑨教会の世界大宣教の使命(マタイ28:19,20,マルコ16:15,使徒1:8),⑩キリストの再臨(ヘブル9:28),の10項目を福音主義の根本特色として挙げている(The Evangelical Renaissance, 1973).総体的に見て,福音主義理解の歴史的コンセンサスは以上のものと見ることができよう.<復> 3.20世紀における福音主義.<復> 1920年代に入ると,それまで自由主義キリスト教が支配的であったヨーロッパのキリスト教界に一大変化が起った.その発端となったのが,カール・バルトを中心とする「弁証法的神学」運動の台頭である.「私はシュライアマハー・リッチュル・トレルチュ・ヘルマンへと伸びる新プロテスタンティズムの発展線上には,自ら喜んで身を置くべきいかなる場所をも見出し得ない」(Die Kirchliche Dogmatik, Ⅰ〓, 1932 ; Der Ro¨merbrief, 1922)と宣言したバルトは,自由主義神学と違った仕方で聖書に対する方向に向かった.つまり,自由主義は,その至聖所に″人間神″を祭った.それは人間理性を権威の座に据え,進歩への信頼の思想に酔いしれながら,福音を一種のヒューマニスティックな倫理か社会改良論にすり替えてしまった.弁証法的神学は自由主義をこのように厳しく批判しながら,ひたすら神の超越,神の審判,神の恩恵を強調しながら,宗教改革の信仰への復帰を呼びかけた.実は日本のプロテスタント神学は,このバルトを中心とする新しい神学によって強く規定されていると言える.<復> このようにして始まった20世紀の神学は,さらに二つの大きな転換を経験しながら今日に至っている.一つは第2次大戦直後における前述のバルト神学からブルトマンを中心とする実存論的神学への転換であり,もう一つは実存論的神学支配から,現在に至る多様化・混迷の時期(W・ホーダーン『転換期の神学』1969;Erickson, M., Christian Theology, 1986)への転換である.ポスト・ブルトマン学派,救済史学派,解放の神学,世俗的キリスト教,プロセス神学,歴史の神学など,多様な動きが展開されてきている.<復> さて,現代における問題として,福音主義を標榜する場合,大局的に見て2種類の理解が存在している.一つは,「エキュメニカル派」の立場で,前述したバルト及びそれ以降の新しいプロテスタント神学の視点に立った福音主義の主張であり,もう一つは,第2次大戦後に顕著な隆起を示してきた「福音派」(Evangelicals)における福音主義の主張である.前者については今日までに多くの文献資料(例えば日本においては東京神学大学系の神学者たちによるもの)が出ているので,ここでは後者についていささかの言及をして結びたいと思う.<復> 1974年,スイスのローザンヌにおいて「全地に神のみ声を」をテーマに「世界伝道会議」が開かれた.これには世界150か国から3千名を超す改革派から聖霊派までを網羅する「福音派」が参集した.「タイム」誌は「史上最大規模のクリスチャン集会」と評した.会議はその具体的なあかしとして「ローザンヌ誓約」(The Lausanne Covenant.ジョン・ストット『現代の福音的信仰—ローザンヌ誓約』1989)と呼ばれる長文の宣言文を公表した.この文書は″成熟した福音主義″を表明しているとして,世界各国の教会で注目を浴びた.同年8月に開かれたWCC(世界教会協議会)の中央委員会と,その翌年に開かれたWCCナイロビ総会においても取り上げられた(“Confessing Christ Today”と題された文書).総評的に言って,この「ローザンヌ誓約」に示されている信仰の基本理解と宣教観とキリスト者生活観とが,現代福音派の福音主義理解の国際的コンセンサスとなっている.その要点を示すと次の通りである.<復> 誓約の全体は,主文15項,それに序文と結びとから構成されている.初めの3項は,全体の基礎論とも言うべき部分で,三位一体の神,救いに関する神のみ旨,聖書の霊感と権威と力,救い主イエス・キリストの神・人としての独自性と彼の世界性が歴史的キリスト教の正統神学の立場から告白・表明されている.特に,第1項は,しばしば伝道文書に登場しがちな人間主義的功利主義的発想を避け,神中心的な視点を打ち出している.すなわち,三一の神こそ万事万物の始原であり,起点であることを述べ,伝道も近代人が生み出した崇高な理念ではなく,まさに神の一貫した永遠のみ旨であることが強調されている.<復> 第4項において,「伝道とは,イエス・キリストが聖書にしたがって私たちの罪のために死に,かつ死よりよみがえり,現在,主権を持ちたもう主として,悔い改めて信じるすべての者に,罪の赦しとみ霊による解放の恵みを提供しておられるという,よきおとずれを広めることである」と伝道の本質が定義されている.しかし,この歴史的オーソドックスな定義とともに,近年エキュメニカル派の宣教論において強調されてきた「共在」と「対話」が同時に考慮されている.<復> 続く第5項において,本誓約のハイライトとも言うべき「キリスト者の社会的責任」が力説される.この点について,社会・政治変革を中心とする救済論と宣教論を強調したWCCバンコク会議(1972—73年)が一つの刺激剤となっていたことは否定できないが,より根本的なことは,「福音派」内部における意識改革の進展(1969年のホイートン世界教会宣教会議及びアメリカ伝道会議における動き,ラテンアメリカの「福音派」の影響,グラハム自身の軌道修正,ストット,シェーファー,ヘンリ,フォードなどカルヴァン主義者たちの影響など)を挙げなければならない.<復> 第6項においては,教会が主によって選ばれ,この世界に派遣された神の民として定義された上で,そのような教会と伝道の深い関係が明らかにされている.第7,8項では,神の民の真の一致と伝道協力において期待される姿勢が示されている.特に,新時代にふさわしい外国宣教師の位置付けや,貧しい人々への働き,″シンプル・ライフ″の勧めは,極めて今日的な意義を持つ提言である.<復> 第9項は,世界人口の3分の2以上に相当する27億(1974年の時点)の人たちがいまだ福音に接する機会を与えられていないという重大な事実を突き付けながら,世界伝道の緊急性を訴えている.<復> 第10項において伝道と文化の関係,第11項においてはリーダーシップ及び教会成長のための教育・訓練活動のために必要な着目点と方向とが,そして第12,13項において現代の異端など言わゆる誤説や世俗化の問題にからむキリスト者の霊の戦いと,国家と教会の問題が取り上げられている.最後に,誓約は,伝道の真の動力源としての聖霊の力に関する第14項と,キリストの再臨を中心とする第15項の終末論をもって結ばれている(NCC・教文館,Christianity in Japan, 1971—1990, 1991収録の宇田進“Worldwide Evangelicalism”).→福音,根本主義,聖書主義,自由主義神学.<復>〔参考文献〕宇田進『福音主義キリスト教とは何か』いのちのことば社,1984;日本福音同盟『日本の福音派』いのちのことば社発売,1989;古屋安雄『激動するアメリカ教会』ヨルダン社,1978;W・ホーダーン『転換期に立つ神学』新教出版社,1969;K・ルーニア『現代の宗教改革』小峯書店,1971;Bloesh, D., The Evangelical Renaissance, Eerdmans, 1960 ; Bolich, G., Karl Barth and Evangelicalism, IVP, 1980 ; Coleman, R., Issues of Theological Conflict, Eerdmans, 1980 ; Douglas, J.D.(ed.), Let the Earth Hear His Voice—International Congress on World Evangelization, World Wide, 1975 ; Elwell, W.(ed.), Evangelical Dictionary of Theology, Baker, 1984 ; Erickson, M., Christian Theology, Baker, 1986 ; Fergson et al.(eds.), New Dictionary of Theology, IVP, 1988 ; Henry, C.(ed.), Contemporary Evangelical Thought, Channel, 1957, ; Henry, C., Evangelicals in Search of Identity, 1976 ; Hunter, J., Evangelicalism, The Univ. of Chicago, 1987 ; Kelley, D., Why Conservative Churches are Growing?, Harper, 1972 ; Noll, M./Wells, D.(eds.), Christian Faith & Practice in the Modern World, Eerdmans, 1988 ; Ramm, B., The Evangelical Heritage, World, 1973 ; Synan, W., The Holiness—Pentecostal Movement in U.S., Eerdmans, 1971.(宇田 進)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社