《じっくり解説》聖書翻訳とは?

聖書翻訳とは?

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聖書翻訳…

聖書翻訳の歴史は聖書そのものの歴史と同じく古く,聖書翻訳の長い歴史には次のような四つの画期的な時期があったと言われる.(1)第1期.前3世紀頃.エジプト及び西アジヤに散在するユダヤ人が旧約聖書を翻訳した時代で,70人訳とアラム語訳(タルグム)を生んだ.(2)第2期.紀元4世紀頃まで.初期のキリスト教の発展に伴って,宣教地の諸国語に聖書が翻訳されていった時代.古ラテン語訳(紀元2世紀頃),シリヤ語訳(2世紀頃),その他,エジプト語訳(4世紀頃),エチオピヤ語訳(4—5世紀),ゴート語訳(4世紀後半)等があったが,特にヒエローニュムスによって「ウルガタ」が完成した(5世紀初頭).(3)第3期.16世紀の宗教改革時代.ルターによる宗教改革は,聖書翻訳に大きな刺激を与えた.この時期に,ルターによってドイツ語訳(新約1522年,旧約1534年)が完成した.イギリスでも数々の翻訳がなされたが,その集大成のような形で「英欽定訳聖書」(AV)が1611年に出版された.(4)第4期.19世紀以降.19世紀初頭の海外宣教活動のリバイバルに端を発し,英国聖書協会の創立(1804年)以来の時期で,世界各国語の聖書翻訳が活発になされた.部分訳等も含めて,今までに聖書の翻訳がなされた言語は,約1938語(1989年聖書協会世界連盟〔UBS〕資料による)あると言われる.以上の四つの時期は,いずれもキリスト教会の福音宣教の拡大の時期に一致していることは興味深い.<復> 1.第1期(前3世紀以降).<復> (1) 70人訳(セプチュアギンタ.ギリシヤ語訳旧約聖書).この書の名前は次のような伝説に由来している.エジプトの王プトレマイオス2世フィラデルフォス(前283/前282—246年在位)の宮廷吏であったアリステアスという人物がその弟フィロクラテスにあてて書いた手紙だと言われている「アリステアスの手紙」という文書がある.この文書は前100年頃に書かれた偽典であるが,これによると,プトレマイオス王がアレキサンドリヤに世界中の貴重な本を集めた王立図書館を建設したが,ユダヤの律法が納められていなかった.王立図書館長ファレロンのデメトリオスがこのことを王に告げたので,王はエルサレムの大祭司エレアザルのもとに多くの金銀を持たせて使者を遣わし,訓練された翻訳者をアレキサンドリヤに送ってくれるよう要請した.大祭司エレアザルは12部族の中からそれぞれ6人の長老を選び,律法の書の写しを持たせて,エジプトに遣わした.王は長老たちと会見し,多くの質問をしたが,王の質問に答えられない者は1人もいなかったと言う.その後,長老たちはファロス島で一室ずつをあてがわれ,翻訳にとりかかったが,ちょうど72日目に全員が翻訳を完了した.これら72の訳本が全部一字一句たがわず,同じギリシヤ語に翻訳されていたと言うのである.この伝説をもとに70人訳という名称がつけられた.これは,ユダヤ人の知恵が異教国エジプトの王に勝ることを誇示し,さらには,この翻訳が権威あるものだということを示すための後世の創作である.では真相はどうであったのか.アレクサンドロス大王がエジプトのアレキサンドリヤを創設したのは前332年のことで,当初よりユダヤ人は数多くこの地に移住し,商業,文化両面にわたって活躍していた.アレキサンドリヤでは公用語としてギリシヤ語を用いていたので,この地に移住したユダヤ人たちは次第に母国語であるヘブル語を忘れ,ギリシヤ語しか理解できなくなっていた.こうしたアレキサンドリヤ生れのユダヤ人たちが自分たちの宗教の経典である旧約聖書,特に律法を,自分たちにも理解できるギリシヤ語に翻訳しようとしたことは当然のなりゆきである.最初にモーセの律法が翻訳され,これが70人訳と呼ばれていたが,次に預言書,そして最後に諸書という順で長い年月にわたって翻訳され,後にこれらを全部含めて70人訳と呼びならわすようになった.70人訳の中にはヘブル語旧約聖書の中にはない外典が入っているが,これはマラキの時代からイエス誕生までの期間(これを中間時代と言う)に書かれた文書である.ローマ・カトリック教会はこれを第2正典として受け入れるが,プロテスタントはこれを外典と呼び正典の中には数えない.<復> その他のギリシヤ語訳としてアクィラ訳,テオドティオーン訳,シュンマコス訳,オーリゲネースの「6欄聖書」(ヘクサプラ.ヘブル語本文,ギリシヤ語音訳,アクィラ訳,シュンマコス訳,70人訳,テオドティオーン訳を並列して書いたもの),ルキアノス訳,ヘシュキオス訳等があるが,初代キリスト教会で70人訳ほど用いられたものはない.<復> (2) アラム語訳(タルグム).バビロニヤに捕囚となっていたユダヤ人たちは,ペルシヤ時代,クロス王の寛大な宗教政策によって帰国を許されたが,彼らはバビロニヤで用いられていたアラム語を使用していた.ユダヤ人の会堂(シナゴーグ)で聖書が朗読される時には,必ずアラム語の通訳を必要とした.それが長い間に文書化されたものがタルグムである.<復> 2.第2期(4世紀頃まで).<復> 同時代のギリシヤ語訳については70人訳との関連で1.に入れたが,初代キリスト教の発展拡大に伴って,宣教地での翻訳が盛んに行われたのがこの時代である.<復> (1) シリヤ語訳.シリヤのアンテオケ地方ではギリシヤ語も通用したが,内陸部のシリヤ地方ではギリシヤ語は通用しなかった.シリヤのクリスチャンたちは早くからシリヤ語の翻訳を目指していたようである.タティアノスという一人のシリヤ人がローマに行き,キリスト教に回心した.彼は四つの福音書の写本を持ち帰った.ラテン語のものだったという説もあるが,多分ギリシヤ語の写本であっただろう.彼はこの四つの福音書の調和をはかり「ディアテッサロン」を作ったが,後にタティアノスは異端の宣告を受けて,彼の訳はみな廃棄されてしまった.<復> シリヤ語新約聖書が完成したのは紀元431年頃で,これを「ペシッタ」(「日常の」という意味)と言う.多くのペシッタの写本が存在するが,完全なペシッタ新約聖書が印刷出版されたのは,1920年のことである.ペシッタは今日でも南インドとシリヤの教会で用いられている.南インドとシリヤとは4世紀ないしは6世紀に接触があったと解されている.<復> (2) エジプト語訳.シリヤ語の場合と同様に,ギリシヤ語はアフリカの北部,海岸地方では広く用いられていたが,内陸部に入ると通用せず,エジプト人は聖書を自分たちのことばに翻訳する必要を感じていた.一般的にはコプト語が用いられていたが,多くの方言があった.そのうちでも最も重要なのは,北部アフリカのボハイル語と南アフリカのサヒド語である.これらのことばは古エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)を用いずに,ギリシヤ文字を用いて書かれている.3世紀頃のことである.<復> (3) ゴート語訳.「ゴート人の使徒」と呼ばれたウルフィラ(311年頃—383年)が,今日のブルガリア地方のゴート人のために,ギリシヤ語からゴート語に聖書を翻訳した.彼はゴート・アルファベットを作り,話しことばを書きことばに換えた.伝説によると,ウルフィラは,ゴート人のような好戦的な民族にはよくないという理由で列王記は翻訳しなかったと言う.<復> (4) アルメニヤ語訳.古代のアルメニヤは今日のトルコ及びソビエト連邦の南の地方を指し,この地方にも多くのアルメニヤ人クリスチャンが居住していた.5世紀頃の翻訳になるこのアルメニヤ語訳は,古代の聖書翻訳の中で最も美しく,かつ正確であると目され,「聖書翻訳の女王」とすら呼ばれた.このアルメニヤ語訳にも,このために特別に考案されたアルファベット文字が使用されている.ギリシヤ語から訳したものか,シリヤ語からの訳かは定かでない.<復> (5) スラブ語訳.キュリロス(827年頃—869年)の訳によるもので,彼は兄弟のメトディオスとともに,今日のチェコスロバキアに当るモラビアの宣教師として派遣された.彼はキリル文字を発明し,翻訳に用いたが,この文字は今日のソビエト連邦でも用いられているものである.<復> (6) ラテン語訳.ヨーロッパで一番影響力のあった聖書はラテン語訳で,中でもヒエローニュムスの訳したウルガタは千年以上にもわたって用いられている.ローマ帝国の領土が広がるにつれて,ローマのことばであったラテン語もまた広がっていった.最初の2世紀くらいはローマ帝国内の若い教会ではギリシヤ語聖書を用いていた.というのはイタリア半島内の文化,言語はまだギリシヤの影響が強く,一般にはギリシヤ語が通用していたからである.キリスト教がアフリカの地(今日のチュニジア,モロッコ,アルジェリア)にまで広まった時に初めて,ラテン語の翻訳が必要になってきた.これらの地方の教育の高い階層の人々がラテン語を使用していたからである.聖書の一部分のラテン語訳は2世紀の終り頃までになされた形跡があり,聖書全巻のラテン語訳も3世紀のものが存在している.その間ラテン語の種々の翻訳がなされ,それらが互いに混じり合って混乱が生じるようになった.4世紀の中頃にその混乱が頂点に達したので,時の教皇ダマススの勅令(382年)によって,教皇書記官ヒエローニュムスは,ラテン語の通用する帝国の教会が共通して用いることのできる「公認」聖書の校訂にとりかかった.ヒエローニュムスは現存する多くの福音書の古ラテン語訳をギリシヤ語本文と比較,校訂し,383年に一つのラテン語訳福音書を編纂した.<復> 386年,ヒエローニュムスはベツレヘムに行き,残りの生涯をその地で修道士として過した.彼はそこで70人訳からの旧約聖書のラテン語訳にとりかかったが,ヘブル語本文からの翻訳がよりよいことに気付き,ユダヤ人のラビに付いてヘブル語の勉強を始め,ついにヘブル語からのラテン語訳が誕生した.これが一般に言われる「ウルガタ」(ラテン語で「一般の」という意味)である.ヒエローニュムスのウルガタは70人訳からの翻訳ではなかったため,最初教会では古ラテン語訳に愛着を感じていた人々からはあまり高い評価を受けなかった.後に,教皇クレーメンス8世が1592年,入手できる限りのヒエローニュムスのウルガタ写本を収集し,校訂,編集して一つのウルガタ本文を作り,これを公認本文とした.
3.第3期(16世紀宗教改革時代).<復> 中世期を通じてヨーロッパではヒエローニュムスのウルガタが圧倒的な権威を持ち,他の言語の翻訳は続けられてはいたが,その数は少なかった.その後,印刷機械の発明とともに,宗教改革の進展に伴い,聖書翻訳の世界でも大きな変革があった.当時ラテン語を理解することができるのは,特別な教育を受けた学者か上流階級の人々だけであった.一般民衆にとって,ラテン語の聖書は,理解できないばかりかあまりにも高価すぎて手に入れることのできるものではなかった.ところが15世紀中葉の,宗教改革が起る以前に,ヨーロッパでヨハネス・グーテンベルクが印刷機を発明し,書物は人々の手に入りやすいものとなった.ギリシヤ・ローマの古典文学・芸術・科学に対する関心が高まり,今まで知られていなかったギリシヤ語,ヘブル語の聖書や初代教会の文書などが発見された.宗教改革者たちは,人々が聖書を自分の国語で自由に読むことができるようになることに関心を持っていた.これらのことがみないっぺんに作用して,16世紀の聖書翻訳の導火線となったのである.<復> (1) ドイツ語訳.ドイツ語に聖書を翻訳しようという試みは中世にまでさかのぼることができる.その写本の数は数千にも及ぶと言われるが,後世まで残ったものはわずか200余である.そのほとんどは,聖書の一部か,またはキリストの生涯を詩にした文学であった.<復> グーテンベルクによって一番初めに印刷された聖書はラテン語の聖書であった(1455年).ドイツ語の聖書で最初に印刷刊行されたものは,1466年のメンテル聖書である.シュトラスブルク(ストラスブール)の印刷業者メンテルが印刷したので,そう呼ばれている.その後,ルターが1522年に新約聖書を翻訳するまでに,高地ドイツ語14種,低地ドイツ語4種の印刷聖書が公刊されている.いずれも,ラテン語聖書からの重訳であり,ドイツ語としてあまりよい翻訳ではなかった.<復> マルティーン・ルターは1483年アイスレーベンで鉱夫の息子として生れた.エルフルト大学で学び,アウグスティヌス派の修道士となり,1512年ヴィッテンベルク大学の教授となった.彼はローマ・カトリック教会の誤りに対して厳しい批判をしたため,教会から破門された(1521年)が,ザクセン選帝侯フリードリヒが彼をヴァルトブルクの城にかくまった.この間に,ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳した.ルターは,よい翻訳とは,原語からの翻訳であること,しかも誰もが理解することができる翻訳であることを理想とした.このようにして,彼のドイツ語訳新約聖書は1522年9月に第1版が出版され,改訂の手を加えて同年12月には第2版を出版した.旧約聖書はそれから10年かかって逐次翻訳出版され,1534年新旧両約聖書が出版された.このルター訳ドイツ語聖書は他のドイツ語訳をしのいで,ドイツ語の統一に大いに貢献した.<復> ルターの旧約聖書の翻訳に先駆けて旧約の預言書の翻訳を完成させ,彼の翻訳に大きな影響を与えた者たちがいる.アナバプテスト(再洗礼派)のハンス・デンクとルートヴィヒ・ヘツァーによって,預言書が原典から翻訳され,1527年に初版が出た.ルターの預言書の翻訳はこの2人の翻訳の影響を強く受けていることが今日知られている.<復> (2) フランス語訳.フランス語訳で現存する最も古いものは12世紀の写本である.ワルドー派の人々によって聖書の一部が南フランスのプロヴァンス語に訳された.これが最古のフランス語訳聖書で,1170年頃のものである.<復> 聖書全巻のフランス語訳の最初のものは,1226年から1250年の間にパリ大学で訳されている.印刷された最古のものは1487年頃パリでシャルル8世の命令で発行された「大聖書」である.さらに近代フランス語訳聖書を始めたのは,ジャーク・ルフェーヴル・デタープル(ローマ・カトリックの司祭)で,彼は宗教改革者に同情的であり,カトリック教会内部での改革を望んでいた.ルフェーヴルの翻訳は新約が1523年にパリで,旧約聖書は1530年に1巻としてベルギーのアントワープで出版された.それはルフェーヴルが宗教改革者たちに好意的なのを見たローマ・カトリック側からの追及が厳しくなっていたからである.<復> スイスでは,ピエール・ロベール・オリヴェタンがプロテスタントとしての翻訳に当った.彼の翻訳は1535年スイスのヌーシャテルで出版され,カルヴァンもこの改訂に加わったと言われる.<復> (3) 英語訳.聖書が全部英語に翻訳されるのは14世紀も終り頃になってからであるが,それよりもずっと前に,聖書の一部がイギリスの各方言に訳されたことがある.7世紀のウィトビーの修道士カイドモン(カドモン)は,聖句をもとにして,アングロ・サクソン語の詩を書いた.ベーダ・ヴェネラービリス(ジャローの修道院長)は735年,死の直前にヨハネの福音書を英語に翻訳した.またアルフレッド大王が聖書の部分訳を試みたという話が伝えられているが,それは今のところ世界のどこにも現存していない.<復> こうした前史があるものの,英語がイギリスにおける公用語となったのは14世紀のことである.ジョン・ウィクリフ(1320/31—84年)が聖書全巻を英語に訳した最初の人物であるが,彼はラテン語の聖書から英訳をしている.今日でも170種くらいの写本が現存する.1415年ウィクリフは異端の宣告を受けて1428年にその墓は掘り返され,彼の骨は焼かれ,灰はスウィフト川に流され,ウィクリフ訳の聖書もその時すべて没収され焼却されたはずであった.ウィリアム・ティンダル(1491年頃—1536年)が,ドイツのヴォルムスで新約聖書をギリシヤ語から英語に翻訳出版した時(1525年)も,一般には英語の聖書を所持することは禁じられていた.ティンダルがヘブル語の旧約聖書のうちモーセ五書とヨナ書を訳し終った時,彼は捕えられ,1536年異端の宣告を受けてベルギーのフィフォードで火刑に処せられた.<復> 英語の聖書で旧約新約全巻そろって翻訳印刷されたのは,マイルズ・カヴァデイルのものである(1535年出版).<復> 1537年トマス・マシューによって翻訳された英訳聖書があるが,この翻訳は,五書と新約聖書はウィリアム・ティンダルのもの,エズラ記からマラキ書まではカヴァデイルのもの,ヨシュア記から歴代誌第2までは誰の訳を用いたかわからないと言われている.後に,彼はメアリ1世によるプロテスタント迫害の折に火刑に処せられた(1555年).<復> カヴァデイルはトマス・クランマーによって,マシュー聖書の校訂を委任された.この校訂本を「大聖書」(The Great Bible)と言い,1539年にヘンリ8世の祝福のもとに出版された.この「大聖書」は非常に高価なものであったので,盗難を恐れ鎖が付けられていたことから「鎖付き聖書」(Chained Bible)とも呼ばれた.<復> メアリ1世の治世下ではプロテスタントは異端として迫害され,多くのプロテスタントの信徒は,ジュネーブに逃れた.その中にウィリアム・ホウィッティンジャムがいて,1557年に新約聖書の英語訳を作った.さらに1560年ホウィッティンジャムその他の者たちの手によって外典を除いた旧約聖書全部が出版された.この「ジュネーブ聖書」は章,節,段落などを分けた最初の英訳である.<復> エリーザベス1世の時代にカンタベリの大主教マシュー・パーカーのもとで翻訳された聖書がある.これは「主教聖書」(The Bishop’s Bible)と呼ばれ,1568年に出版され何回も版を重ねたが,前記の「ジュネーブ聖書」のようには大衆に流布しなかった.<復> 1604年に主教たちとピューリタンたちがハンプトン宮殿に会し,新しい聖書翻訳の企画が持ち出され,ジェイムズ1世の認可を受けた.47名の翻訳者が決められ,六つのグループに分けられて,それぞれのグループが,与えられたテキストについての翻訳の責任を持つことになった.彼らはできるだけ「主教聖書」に沿って翻訳をし,それを訂正していった.これは1611年に完成した.ジェイムズ1世が認可した聖書であるので「キング・ジェイムズ訳」(KJV)とか「英欽定訳」(AV)と呼ばれているが,教会や国王がこの聖書を公認し,権威付けを行ったという事実はない.この聖書は今日に至るまで英語圏世界では大きな影響力を持っている.
ローマ・カトリック教会もまた自分たちの聖書をラテン語のウルガタをもとにして翻訳した.グレゴリ・マーティン及びその他の学者によって,新約聖書がフランスのランスで英語に翻訳され(1582年),さらに旧約聖書はフランスのドゥエで翻訳された(1610年).両方を合せてランス・ドゥエ訳と言い,長い間ローマ・カトリック教会の標準的な聖書となってきた.1750年にはリチャード・チャロナーによって改訂され,今日でも広く用いられている.<復> 4.第4期(19世紀以降).<復> 聖書翻訳をドイツのグーテンベルクの印刷機発明(15世紀)以来今日まで,その翻訳言語数の統計をもって見ると,15世紀から18世紀までの3世紀かかって,68言語の翻訳がなされたのに対して,19,20世紀の2世紀には世界各国語の96%近くの1938言語(1989年UBS資料による)もの翻訳がなされている.最近2世紀間の聖書翻訳に対する熱意には目を見張るものがある.<復> 19世紀の中頃になって,英欽定訳が用いたテキストよりもずっと古い聖書写本が数多く発見された.その結果,こうした聖書学の発展に伴い,最近では言語学(比較言語学も含めて)の進歩とあいまって,翻訳が盛んになっている.それだけでなく,15—18世紀に翻訳された68言語のうち,実に73%もの50言語がヨーロッパ諸言語(ラテン語,ドイツ語,イタリア語,スペイン語,フランス語,チェコスロバキア語,オランダ語,スラブ語,ポルトガル語,デンマーク語,英語,スウェーデン語,ハンガリー語,フィンランド語等)で占められていて,アジア諸地域の言語は11%にすぎず,ヨーロッパ中心の宣教であったことがわかる.これに対して,19—20世紀に入ると,ヨーロッパ諸言語以外のアジア,アフリカ諸国の言語への翻訳が多くを占めてくる.こうした宣教地の全世界的な拡大が,今日の聖書翻訳に拍車をかける結果となっている.20世紀の初め以来,多くの聖書翻訳が試みられ,英語のものだけでも130以上を数えることができる.1903年にはリチャード・ウェイマスが日常英語で聖書を翻訳出版.ジェイムズ・モファットは1926年に全聖書を現代英語に翻訳し,多くの版を重ねた.アメリカでは,エドガー・J・グッドスピードが新約聖書を翻訳し,1923年に出版した.ロンドンの英国国教会の牧師J・B・フィリップスは英欽定訳聖書を現代語に訳し,『若い諸教会への手紙』を1947年に,新約聖書全体を1957年に出版した.アメリカのケネス・テイラーのパラフレーズ訳は「リビング・バイブル」と呼ばれ,1971年に,新約旧約全部が出版された.<復> イギリスではローマ・カトリックのロナルド・A・ノックスが聖書の現代語訳を目指し,1956年に出版した.アメリカではローマ・カトリックの学者たちがチャロナー訳聖書の改訂にとりかかり,1941年に新約聖書が出版され,旧約聖書の大部分は1952—61年の間に出版された.これが普通,Confraternity Versionと呼ばれているものである.さらに,1970年にローマ・カトリック訳として「新米国聖書」(NAB)が出版された.ラテン語からの翻訳ではなく,ヘブル語,ギリシヤ語原典からの翻訳がなされ,ローマ・カトリックの公的な聖書として出版されたのが1955年の「エルサレム聖書」で,その後,それは(緒論や注等)そのまま英語,ドイツ語,スペイン語,イタリア語等に翻訳され,同じく「エルサレム聖書」と呼ばれている.1946年スコットランド教会の大会で,現代語訳の聖書翻訳の案が提出され,教会の代表とケンブリッジ,オックスフォード大学と聖書協会が協力して,外典をも含めた翻訳を作成した.これが「新英訳聖書」(NEB)で,新約は1961年に,旧約は1970年にそれぞれ出版された.さらに,「現代英語聖書」(Today’s English Version)という現代語訳が米国聖書協会から発行された(新約1966,旧約1976).<復> 1611年の英欽定訳の翻訳以来,19世紀になってから,より古い写本の発見が相次ぎ,考古学的な発掘によって今までわからなかったことが明確になり,また比較言語学等の発達によって意味不明のことばが明らかにされるようになってきた.そこで,英欽定訳聖書の改訂委員会が発足し(1870年),新約は1881年に,旧約は1885年に完成した.これを「英改訂訳聖書」(ERV)と言う.この英国側の改訂版に対してアメリカ側の委員が手を加え,表現も米語らしく直して出版したのが「米標準訳聖書」(ASV)(1901年発行)である.さらにこのASVの改訂が1930年に始められ,新約が1946年に,旧約が1952年に出版された.これが「米改訂標準訳聖書」(RSV)である.さらに,英欽定訳の米標準訳の伝統的解釈に沿い,現代の新しい学問的な成果を取り入れ,聖書信仰の立場に立った「新米標準訳聖書」(NASB)が出版された.新約聖書1963年,旧約聖書1971年出版である.次いで,最近では,改革派,メソジストその他聖書的な立場の教派の学者たちによる翻訳がなされ好評である.これを「新国際訳聖書」(NIV)と言う.新約は1973年,旧約が1978年発行である.<復> 最後に日本語の聖書の翻訳の歴史を簡単に記しておく.日本に初めてキリスト教(カトリック)を伝えたのは,フランシスコ・ハビエル(ザビエル)(1506—52年,スペイン人)で,彼が来日したのは1549(天文18)年のことである.ハビエルが来日する6年前の1543(天文12)年には,ポルトガル船が種子島に来て,鉄砲を伝えている.豊臣の時代から徳川時代に移行するこの頃がキリシタンの全盛時代で,キリシタン大名が多く出た.その後,島原,天草の乱(1637—38年)に続いて,1639(寛永16)年キリシタン禁制のおきてが厳しくなり,1873(明治6)年のキリシタン抑圧禁制の高札が撤廃されるまでの約230年間は,キリスト教は日本国内では邪宗門として禁じられていた.ハビエルが来日する前年にインドのポルトガル領ゴアで最初の日本人キリシタンとなった「ヤジロウ」が「サン・マテヨのエワンゼリヨ」(マタイの福音書)を日本文字で書き記したという記録はあるが,現存しない.従って,日本語の最初の聖書翻訳は1837(天保7)年シンガポールで発行したギュツラフのヨハネの福音書であると言って差し支えないだろう.この聖書は世界でも何冊も残っていない貴重なものである.ギュツラフと同じように,海外で聖書を訳し,鎖国が解けしだい日本伝道のためにと願っていてその志を果すことができなかった人にベッテルハイム(1811—70年)がいる.彼が日本伝道の準備のために琉球(現在の沖縄)に来たのは,1846(弘化3)年のことであった.後に1854(安政元)年米艦ペリーの船に乗って琉球を去るまで8年有余,その間営々として琉球語に訳し続けたルカの福音書,ヨハネの福音書,使徒の働き,ローマ人への手紙が,1855(安政2)年香港で出版されている.<復> ギュツラフにしてもベッテルハイムにしても,鎖国のために日本に入国できず,やむなく日本国外で聖書の和訳を試みた人たちである.禁教令のもとにあり,尊王攘夷の声高い時代であったとはいえ,日本国内で最初に和訳聖書を出版するという栄誉を得たのは,宣教師ゴウブル(ゴーブル)(1827—96年)である.彼は1827年ニューヨーク州に生れ,青年時代から日本伝道の志を持ち,ペリー艦隊日本遠征に乗組員として加わった.途中日本人漂流民仙太郎がこの艦隊に加わり,ゴウブルのよき日本語教師となった.後に除隊後彼は1860(万延元)年再び日本に宣教師として派遣され,ついに『摩太福音書』を1871(明治4)年に出版した.そのほか,ヘップバーン(ヘボン),ブラウンなどの宣教師が来日し,それぞれ翻訳を試み,後に聖書翻訳委員会社中を結成,1880(明治13)年に『新約全書』が,続けて,1888(明治21)年に『旧約全書』が完成,さらに1917(大正6)年,新約聖書が翻訳された(大正訳).
日本語聖書翻訳史上においては,第2次世界大戦以降は画期的な時代と言えよう.1954年新約,55年旧約と相次いで日本聖書協会から「口語訳聖書」が出版され,上記の文語訳に代って広く用いられるようになった.さらに1961年に,新改訳聖書刊行会の手によって新改訳聖書の翻訳が開始され,読みやすい現代語訳を目指し,聖書信仰に立った翻訳を目標として,新約聖書は1965年に,旧約聖書は1970年に完成し,日本聖書刊行会によって出版され,なお翻訳の研究が続けられている.その間,日本聖書協会とローマ・カトリック側の委員会合同による「共同訳聖書」の翻訳が進められ,1978年に『新約聖書・共同訳』が出版された.この「共同訳」は,アメリカのナイダ博士提唱による「ダイナミック・エクイバレンス」(動的等価訳)の理論に従って翻訳されている.この理論によると,翻訳とは「ことば」と「ことば」の対応ではなく,「意味」と「意味」の対応を重視したものである.例えば,マタイ5:3は,従来の「心の貧しい者は幸いです」という訳に対して,共同訳では「ただ神により頼む人々は,幸いだ」という訳がなされている.同5:6の「義に飢え渇いている者は幸いです.その人は満ち足りるからです」も「御心にかなう生活に飢え渇いている人々は,幸いだ.神が満たしてくださるから」と訳している.翻訳上,一つの興味ある試みである.これは教会外の人々を対象にすることを強く意識して翻訳されたものである.また,フランシスコ会聖書研究所訳(カトリック)の新約聖書が1冊にまとめられて出版されたのが1979年のことである.共同訳聖書の出版は,教会内外に様々な論議を呼んだ.その後,ダイナミック・エクイバレンス理論にも反省がなされ,聖書は本来,教会のものであるという見地から,その翻訳方針が再検討され翻訳路線が変更されて,1987年に「共同訳聖書」とは全く異なった翻訳が誕生した.これを「新共同訳聖書」と呼ぶのは,「共同訳聖書」とは全く別個の翻訳であることを示すためである.これには,プロテスタントでは正典とされている旧・新約66巻のほかに,カトリックで「第2正典」と呼ばれる10書と,カトリックでも外典とされている3書を加えている.この「旧約聖書続編」と称する部分が付加されているのが特長である(→本辞典「外典と偽典」の項).<復> 今日,上記のような委員会訳以外に,個人訳が多く出版され,特にキリスト教以外の出版社から出されているのが目立った傾向である.バルバロ訳旧・新約・外典付き『聖書』(講談社,1980),岩波文庫から塚本虎二訳『福音書』(1963),関根正雄訳『創世記』(1956),他,中央公論社から『聖書』(世界の名著12,1968),前田護郎訳『新約聖書』(1983),筑摩書房『聖書』(1974),講談社『聖書の世界』(全6巻・別巻4巻,1970,1974),『図説大聖書』(1981),学習研究社『画集レンブラント聖書』(新約篇1982,旧約篇1984).教会内でも,永井直治訳『新契約聖書』(1928),上沢謙二訳『新約子供聖書』(1933),渡瀬主一郎/武藤富男訳『新約聖書』(キリスト新聞社,1952),片山哲『ショートバイブル新約篇(抄)』(巌松堂書店),『ショートバイブル旧約篇(抄)』(巌松堂書店),『詳訳聖書・新約』(いのちのことば社,1962),『リビングバイブル』(いのちのことば社,1978),尾山令仁訳『聖書・現代訳』(現代訳聖書刊行会,1983),柳生直行訳『新約聖書』(新教出版社,1985)などが出されている.さらに,こうした翻訳が盛んになると同時に,近年,様々なメディアを用いた聖書出版も盛んに行われているのが今日的傾向である.カセット聖書,LD聖書さらに,最近では8センチCDの中に聖書を入れた電子ブックも登場した.コンピュータの普及とともにますますこういった傾向が強まるであろう.1991年の春に『聖書電子ブック版』(新改訳)が日本聖書刊行会より発刊された.<復> 以上のような現象はますます増大するものと思われる.それには,(1)神学的理由,(2)多様化していく社会に対応するため,(3)キリスト教会以外の人々の古典としての聖書に対する興味の増大,(4)ことばの急激な変化,等の理由を挙げることができる.<復> こうした中にあって,何が本当の聖書翻訳であるのかを教会自身いよいよ熱心に研究し,正しい翻訳を目指して進まなければならない.→聖書の言語,聖書写本,聖書本文,聖書の正典.<復>〔参考文献〕門脇清/大柴恒『門脇文庫日本語聖書翻訳史』新教出版社,1983;海老沢有道『日本の聖書—聖書和訳の歴史』日本基督教団出版局,1981;藤原藤男『聖書の和訳と文体論』キリスト新聞社,1974;「聖書和訳」『植村正久と其の時代』第4巻,教文館,1938;春名徹『にっぽん音吉漂流記』昌文社,1979;都田恒太郎『ギュツラフとその周辺』教文館,1978;E・ナイダ『翻訳学序説』開文社出版,1971;榊原康夫『旧約聖書の写本と翻訳』いのちのことば社,1971;F・ケニヨン『聖書の生いたち』山本書店,1959;E・ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』聖文舎,1977;B・M・メツガー『新約聖書の本文研究』聖文舎,1973;Bruce, F. F., The Books and the Parchments (3rd ed.), Pickering & Inglis, 1963 ; Bruce, F. F., The English Bible, 1961 ; The Cambridge History of the Bible, Cambridge, 1973.(本間正巳)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社