《じっくり解説》バルト神学とは?

バルト神学とは?

バルト神学…

[英語]Theology of K. Barth.バルト神学とは,スイスのプロテスタント神学者K・バルト(1886年5月10日—1968年12月10日)によって形成された,今世紀において最大の影響力を持つ神学である.主著『教会教義学』([ドイツ語]Kirchliche Dogmatik)は神学史上の記念碑的作品であり,バルト神学の集大成である.<復> 1.バルト神学の成立と展開.<復> (1) 前史.バルトは,ベルン,ベルリン,テュービンゲン,マールブルクの各大学で学び,ベルリンではA・ハルナック,マールブルクではW・ヘルマンの教えに親しく接し,19世紀自由主義近代神学(以後,「近代神学」という用語は,この意味で用いる)の洗礼を全身に受けて〈近代神学の子〉として成長した.<復> (2) 出発点.バルトはジュネーブのドイツ語を使用する改革派教会で2年間牧師補として奉仕した.その後,1911年にスイスの片田舎ザーフェンヴィルの牧師となり,そこで「説教という牧師特有の問題」に深刻に直面した.この問題と取り組むうちに,自らが育てられてきた近代神学に対する問が生じ,それについての根本的再検討を迫られるに至った.特に決定的であったのは,1914年の夏に第1次世界大戦が勃発し,ハルナックをはじめとする近代神学の著名な教師たちが時の皇帝ヴィルヘルム2世の戦争政策に加担して「知識人の宣言」に署名した事実である.その事実はバルトにとって近代神学の本質の暴露を意味した.近代神学は今や決別の対象となったのである.バルト神学の産みの苦しみのこの時代に,彼はラガッツやクッターの宗教社会主義,ブルームハルト父子の神の国の終末論,オヴァベクの近代キリスト教批判,プラトーンやカント,キェルケゴールやドストエーフスキイなどに触れて様々な形で影響を受けた.しかし,何よりもまさってバルトの全神経は説教の問題に向けられ,神の言葉そのものに集中した.厳密で徹底的な聖書研究の中から,ついに「発見者の喜び」にあふれて『ロマ書』(1919年第1版,1922年第2版・第1版の全面改訂版)を世に問うこととなった.この『ロマ書』こそ当時のキリスト教界に一大衝撃を与えたものである.同時にそれは,バルト神学の誕生の産声であり,彼の神学の出発点を意味するものとなった.<復> バルトは,『ロマ書』において人間の中にある何物かを根拠として神に接近する試みを,どのような形態のものであろうと拒否した.そのような接近の試みこそ近代神学の本質であり,根源的に排除されねばならないものであったからである.バルトにとって重要なことは,「神と人間の無限の質的差異」であり,「神は天にあって人は地にある」という事実である.神はあくまで→神/・←なのである.人間から神への道はなく,神から人間への道しかない.絶対他者としての神とその永遠的世界が垂直的に迫り,「接線が円に触れる」ような仕方で人間とその時間的世界に突入してくる.それは人間とその世界を死とさばきの下に置く.→神の/・・←啓示は,人間とその世界にとってまさしく〈危機〉となる.この意味において,バルト神学は「危機神学」と呼ばれた.問題はこのような→神の啓示の事態/・・・・・・・←をどのような神学的方法で言い表すことができるのかという点である.「接線が円に触れる」「一つの数学的点」「闇にひらめく稲妻」のような神の啓示の事態はそれ自体弁証法的事態であり,→然り/・・←から→否/・←へ,→否/・←から→然り/・・←へという弁証法的方法においてしか言い表すことができない.この意味において,バルト神学は「弁証法神学」とも呼ばれたのである.<復> (3) 形成.バルトはザーフェンヴィルでの12年間にわたる牧会生活を終え,1921年にゲッティンゲン大学の改革派神学のための教授職に招かれて就任した.以後ドイツにおいてはミュンスター(1925年—),ボン(1930年—)の各大学で神学教授として活動した.この時期はバルト神学の〈形成期〉にほぼ当てはまる.1922年には「時の間」誌([ドイツ語]Zwischen den Zeiten)を発刊し,これは弁証法神学運動の機関紙としての意味を持った.この運動には,ゴーガルテン,トゥルンアイゼン,G・メルツ,E・ブルンナー,ブルトマンなどが参加した.ミュンスター大学の時代に,バルトは『キリスト教教義学試論』([ドイツ語]Die Christliche Dogmatik in Entwurf,1927)を出版した.『ロマ書』におけるバルトは教義学体系の構築を全く意図せず,むしろ「修正」「傍注」「少量の肉桂」としての神学にとどまろうとした.しかし今や,そこから前進して教義学の体系的叙述に向かったのである.従って,バルト神学は『ロマ書』における〈出発点〉から〈形成〉へと動き始めたと言い得る.バルトは,この最初の教義学において,確かに神学を神の言葉の上に基礎付けようと試みた.しかし,そこにはなおキェルケゴール的実存弁証法への依存が残り,この書は→弁証法神学の教義学/・・・・・・・・・←としての性格を脱することができなかった.<復> 1930年にボン大学に移り,バルトはその最初の学期にアンセルムスの『プロスロギオン』を演習で取り上げた.このアンセルムス研究はやがて『知解を求める信仰—アンセルムスの神存在の証明』(1931)として結実する.本書こそ,『ロマ書』とともに重大な意味を持ち,バルト神学の神学的方法論の確立をもたらしたものである.弁証法神学においては,神は絶対他者としての主体であって認識の客体とはなり得ない.認識の客体となった時,もはや神ではなくなる.従って,神について語るとは,然りと否の絶えざる弁証法的運動においてしかなかった.この弁証法的方法は,近代神学に対する批判には有効であったとしても教義学体系の構築には十分機能しない.バルトはアンセルムス研究においてキリスト教の教説は「排他的に決定的にイエス・キリストの教説—われわれ人間に語りかける生ける神の言葉としてのイエス・キリストの教説である」ことを学んだ.つまり,イエス・キリストにおける→然り/・・←から神学全体を「イエス・キリストにおける恩寵の神学」として組織立てることを学んだのである.〈弁証法的方法〉を離れ,ローマ・カトリシズムの→下からの類比/・・・・・・←としての〈存在の類比〉とは異なる,キリスト論的集中に基づく→上からの類比/・・・・・・←としての〈信仰の類比〉による方法を発見し確立したのである.<復> (4) 本格的確立と深化.1932年にバルトのライフワークとなる『教会教義学』第Ⅰ巻「神の言葉の教説」の第1分冊(Ⅰ/1,以後同様の表記を用いる)が出版された.この『教会教義学』の登場をもって,バルト神学の〈本格的確立と深化の時代〉が始まったと言えよう.バルトは,かつての『キリスト教教義学試論』の中に残存した「哲学体系の殻」を徹底的に排除して,アンセルムス研究において見出したキリスト論的集中に基づく〈信仰の類比〉の方法によって全く新しく教義学を叙述し始めたのである.今や,「→キリスト教/・・・・・←教義学」ではなく,「→教会/・・←教義学」なのである.教義学が「教会の学」として明確に位置付けられた.1935年6月22日に,ヒットラーへの忠誠宣誓を拒否した理由で,バルトはボンから追放された.しかし,ただちにバーゼル大学から招かれ,24日には教授に就任し,1962年までその職にとどまった.バーゼルに移ってからも『教会教義学』は書き続けられた.Ⅰ/1以降の出版は以下の通りである.Ⅰ/21938,第Ⅱ巻「神論」→Ⅱ/11940;Ⅱ/21942,第Ⅲ巻「創造論」→Ⅲ/11945;Ⅲ/21948,Ⅲ/31950;Ⅲ/41951,第Ⅳ巻「和解論」→Ⅳ/11953;Ⅳ/21955;Ⅳ/3−i1959;Ⅳ/3−ii1959;Ⅳ/41967.全部で13冊からなる大著となったが,予定されていた第Ⅴ巻「救済論」は彼の死によって完成を見るに至らなかった.<復> バルトの『教会教義学』は単なる学的作業として世に超然とした態度で書き継がれたものではない.特に第Ⅰ巻「神の言葉の教説」,第Ⅱ巻「神論」の背後にはナチズムとの戦いの問題が深く横たわっていることを忘れてはならない.バルトがミュンスターからボンに移った1930年はナチ党が強力に台頭した年であり,1932年には第一党になり,1933年にはついにナチ党独裁による第三帝国が成立する.このようなナチズムの台頭とともに,教会内部でもそれに呼応してナチス革命の出来事の中に新しい啓示を読み取り,ナチズムに同調する「ドイツ・キリスト者信仰運動」が起った.これに対してバルトは1933年6月25日に「今日の神学的実存」を発表し,続いて1934年5月29日—31日に開かれた全ドイツ福音主義告白教会総会において「バルメン宣言」を起草して断固たる反対を明らかにした.すなわち〈イエス・キリストこそわれわれが聞くべき唯一の神の言葉である〉という命題を決定的に提示し,それによってあらゆる形態の自然神学を拒否したのである.バルトはドイツ・キリスト者信仰運動の根底に→自然神学/・・・・←が潜んでいると洞察したからである.1933年10月の「時の間」誌の廃刊もゴーガルテンのドイツ・キリスト者信仰運動への合流と関連して決断されたことであった.ブルンナーとのいわゆる「自然神学論争」も同様の背景において理解されねばならない.バルトは,1934年のブルンナーの『自然と恩恵—カール・バルトとの対話のために』に対して激烈な回答文書『否! エミール・ブルンナーへの答え』を記した.バルトはブルンナーの主張の中に自然神学への門戸が開かれていることを鋭く読み取り,妥協のない「否!」を突き付けた.それは単なる理論上の神学論争にとどまり得ないものであり,そこには歴史的状況における一つの神学的決断,同時に一つの具体的な政治的決断が深く関与しているのである.バルトの『教会教義学』の初期作品も同様の歴史的状況を背景として登場してきていることに注意しなければならない.『教会教義学』は確かに「イエス・キリストにおける恩寵の神学」の体系的展開の書ではあるが,同時にそれは歴史的状況における一つの神学的決断の書,さらには一つの政治的決断の書としての側面も含み持っていることを明確に覚えなければならないであろう.<復> 同様のことは第2次世界大戦後の『教会教義学』の作品についても言うことができる.それらの作品もまた時代の状況に深く関与している.例えば,1945年以来出版された第Ⅲ巻「創造論」の各書において,敗戦後の荒廃したカオス的世界の状況に対して創造におけるイエス・キリストの圧倒的勝利が力強く語られる.この使信はバルト神学の本質から必然的に沸き上がってくるものであるが,同時に時代の状況を見据えてのものであることも疑いをいれない.1953年以来出版された第Ⅳ巻「和解論」の各書においては,創造論において示された彼の神学思想の展開がより成熟し,深められ,頂点に達していると言えよう.「和解論」が書き継がれていたこの時期で特に注目に値するのは,1956年の『神の人間性』という小著である.この書が注目されるのは,バルトの神学的″転向″宣言の書だからである.しかし,″転向″とは以前の立場の否定や放棄を意味していない.初期バルトにとって重大であったのは→人間から/・・・・←神への道に対する決定的な″否″であり,絶対他者としての神の神性であった.それは当時の状況で語らねばならない言葉であった.しかし,それはバルトの全体的言葉ではなかったのである.→神から/・・・←人への道は,確かに神から→人に/・・←至る道なのである.神の神性の認識は真の人間性の認識を内包する.バルトは,今やこの意味での「神の→人間性/・・・←」を強調するのである.従って,〈転向〉とは,神から人への逆転不可能な一筋の道での″否″から″然り″への→傾斜/・・←を意味している.この″然り″への傾斜は,『教会教義学』の後期の作品すなわち「創造論」以降の戦後の作品により鮮やかに反映している.<復> 2.バルト神学の根本思想.<復> 1.において明らかにしたバルト神学の成立と展開は,バルト神学を理解する上で前提的な知識として重要性を持つ.すでにそこでバルト神学の内容面について言及したが,ここでは体系的視点からバルト神学の根本的な点を要約的に取り扱うことにする.<復> バルト神学の核心を理解する上で最も重要なことは,バルト自身が〈キリスト論的集中〉と呼ぶ事柄に注目することである.バルトにとって一般的神観念や抽象的啓示真理が問題ではなく,→啓示された神の言葉としてのイエス/・・・・・・・・・・・・・・・・←・→キリストという一つの具体的名/・・・・・・・・・・・・・・←が問題なのである.イエス・キリストは,まことの神であり,まことの人であり,神と人との交わりである契約の現実そのものである.教義学はイエス・キリストというこの一つの具体的名に徹底的に固着し,この名を巡って神学的思惟を展開する.これは,キリスト一元主義を意味するのではなく,〈キリスト論的集中〉なのである.<復> 啓示された神の言葉としてのイエス・キリストを見詰める時,そこで→神と人との契約/・・・・・・・←の現実に直面する.それは,御子の受肉によって事実として起った現実であるが,時間的事柄にとどまるのではなく,三位一体の神の存在のあり方と永遠の選びの行為に永遠の根拠を持っている.神は,御自身の自由な愛のゆえに御自分のほかに交わりの相手として御子を持つことを永遠によしとされた.三位一体の神の〈内なるわざ〉としての聖霊の交わりにおける→父/・←と→子/・←,神御自身の→定立/・・←と→被定立/・・・←という存在の自己規定の中に,御子において人間にかかわる神の決意がすでに秘められている.この神の決意は,御子の犠牲において,御自分には「棄却を,断罪と死を」,人間には「選びを,祝福と生命を」与えるという形で明らかにされた.これは人間に対しては,選びと棄却という二重性ではなく,→一方的に/・・・・←〈恵みの選び〉としてのみ働く.この神の決意はイエス・キリストにおいて契約の現実として生起する.そこで神は→人間とともにある/・・・・・・・・←,→人間のための神/・・・・・・・←,→選びの神/・・・・←として開示される.そこで人間は,永遠における子の父に対する関係に存在の原型があり,→神とともにある/・・・・・・・←,→神のための人間/・・・・・・・←,→選ばれた人間/・・・・・・←として今や開示される.従って,人間は永遠の神の恵みの契約,恵みの選びに基礎付けられた→選ばれた人間として存在論的規定/・・・・・・・・・・・・・・・←を受けることになる.<復> 恵みの契約に基礎付けられた人間の存在論的規定は被造物全体にも妥当する.被造物全体も恵みの契約に存在論的に基礎付けられ規定されている.そこで次のようなバルトの命題が提示されてくることになる.「契約は創造の内的根拠である」,また「創造は契約の外的根拠である」.このように創造がキリスト論的に恩恵に規定されており,創造それ自体が孤立して中立的に扱われることはあり得ない.従って,自然神学が成立する場はどこにもない.さらに,創造が恩恵の決定的規定のうちにある以上,「虚無的なるもの」,つまり罪や悪魔的なものなどが確かに存在はしているが,根拠を持たない,→存在論的には不可能な存在/・・・・・・・・・・・・←として規定される.この意味において,バルトにとって罪は「人間存在の存在論的不可能性」である.恵みの契約を内的根拠とする創造の世界では,すでにそこで大いなる″然り″が,イエス・キリストによる″恵みの勝利″が高らかに宣言されているのである.<復> 人間存在に改めて注目するならば,既述のように人間は選ばれた人間として存在論的規定を受けている.バルトの予定論は人間に対して選びとしてのみ働き,文字通り「福音の総括」である.そこから,バルトは「万人救済主義者」との嫌疑も受けることになる.人間存在に関するこのような理解に立てば,信仰者と未信仰者との差は存在論的次元のものではなく,すでに起っている事態についての知識の有無,認識の次元の問題となる.従って福音宣教の本質は,未信仰者においてもすでに起っている事態を→気付かせること/・・・・・・・←にある.<復> 選ばれた人間としての存在論的規定においては,人間は決定的に「福音」の下に位置付けられている.「福音」に先行する「律法」の位置はあり得ない.創造論において,恩恵の秩序が自然の秩序に先行するのと同様である.「律法」はむしろ,選ばれた人間が→神とともにある/・・・・・・・←,→神のための人間/・・・・・・・←として生きることを内容とする.「律法」は「福音の必然的形式」である.バルトにとって,「律法と福音」ではなく,あくまで「福音と律法」の秩序が重要なのである.<復> このようなバルトの〈キリスト論的集中〉の神学的思惟は社会倫理の領域でも明確な形をとる.ここでは,特に〈教会と国家〉の関係についての彼の見解を簡単に見ておくことにする.バルトにとって,国家を創造の秩序に位置付けることはできない.国家もキリスト論的に位置付けられねばならない.教会と国家はそれぞれの存在理由と使命を持っているが,同心円を形成している.教会は内円を,国家は外円を形成する.外円を形成する国家は,神の国の比喩,反映,類比としてのみ正当に存在し得る.しかし,国家は神の国の秘義について無知であり,絶えず堕落と崩壊の危険の中にある.そこに神の国の秘義を知る教会の責任が出てくる.教会は,まさに真正な教会であることによって,具体的な政治的可能性の中で神の国の比喩となるものを選び取る決断と行動が求められる.例えば,「神が→人/・←となった」ことにより人間が万物の尺度となったのである.その類比,比喩として政治的領域における→人間性/・・・←の確立という→決断の線と方向/・・・・・・・←が出てくる.このようにして,教会は神の国の秘義を知るものとして,間接的ではあるが,政治的領域での〈神奉仕〉を行うのである.<復> 最後に,聖書論に触れておくことにする.バルトにとって,イエス・キリストにおいて〈出来事〉として一回的,決定的に起った神の啓示こそが問題なのである.この啓示と聖書を直接的に同一視してはならず,→区別/・・←しなければならない.聖書は神の啓示としてのイエス・キリストについての→誤りある人間的証言の書/・・・・・・・・・・・←である.けれども,それが規範性を有するのは,諸々の証言に先立つ聖書証言の預言者的・使徒的第一次性による.他方,啓示と聖書の間には→関係性/・・・←もある.それは間接的関係性である.聖霊が,聖書という誤りある人間的証言を用いて聞き手または読み手に対して自己を開示する.聖霊によって啓示が〈出来事〉となって生起する奇蹟的事態である.バルトにとって「霊感」とは文書としての聖書の霊感された状態を意味せず,聖霊による神のこの啓示→行為/・・←なのである.出来事として生起するこの奇蹟的事態において,「聖書」は「なる」ことにおいて神の言葉「である」と言われる.啓示と聖書の関係性とはこのような関係性であり,同一性とはこのような「なる」ことにおける「である」の同一性なのである.バルトは,聖書論においても,下からではなく,→上から/・・・←の〈恵みの出来事〉としての立場に立つ.バルトにとって,それは宗教改革的″恩恵のみ″([ラテン語]ソーラ・グラティア)の貫徹を意味するのである.<復> 3.バルト神学の問題点.<復> バルト神学に対しては枚挙にいとまがないほどの批判が向けられた.例えば,「新マルキオン主義」(ユーリヒャー),「新マニ教主義」(K・スキルダー),「オッカム主義」(トロムプ),「新近代主義」(C・ヴァン・ティル),「キリスト一元論」(E・ブルンナー,P・アルトハウス)等々と性格付けられ,批判された.多様なバルト批判の中で,ここでは特に福音主義神学の立場からの批判に焦点を絞ることにする.<復> (1) バルト批判に関する方法論.福音主義神学の立場からのバルト批判には主として二つの類型があると思われる.他の様々な類型はその二つの類型の間を揺れ動く変化型と見ることができよう.<復> 第1の類型はC・ヴァン・ティルに見られる.ヴァン・ティルは,福音主義神学陣営の中でも最も早い時期にバルトに対する痛烈な批判書『新近代主義』(1946)を出版した.彼のバルト批判の方法は,バルト神学の哲学的前提を問い,まさにその→前提において根底から/・・・・・・・・・・←一挙に批判を敢行するというものである.ヴァン・ティルはその哲学的前提としてカントの批判哲学やキェルケゴールの実存哲学を見出し,バルト神学を近代神学と同根と断じ,「新近代主義」と名付けて批判したのである.第2の類型はG・ベルカウワーの『カール・バルト神学における恩恵の勝利』(1954)に見られる.ベルカウワーは,この書において前提からではなく,→内容そのもの/・・・・・・←に注目し,対話し,その根本モチーフを読み取り,その上で評価と批判を行うという方法をとった.ヴァン・ティルの書は,バルト研究者から「全くグロテスクな批判」(A・バルタザル)と評価され,バルト自身からも「『新近代主義』の書物の中に自分自身を少しも見出せない」と驚きをもって判断された.他方,ベルカウワーの書は,バルト自身からも評価され,バルト研究者の間でも学問的に認知されている.ベルカウワーの方法論は学問的観点からも大切である.バルト神学が〈歴史的作品〉となった今日においては,前提だけの議論ではなく,バルト神学の内容を正確に理解してきめ細かな評価と批判をなすことがより一層求められている.しかし,ベルカウワーがバルトとの対話を通して,年とともにますますバルト神学に傾斜していった事実も見逃すことができない.ベルカウワーのこの変化は福音主義神学に大きな影響を与えている.<復> この点で,ヴァン・ティルの方法論が覚えられるべきであろう.ヴァン・ティルのバルト批判は→その本質において/・・・・・・・・←″グロテスク″であったのだろうか.今日パネンベルクやモルトマンがバルト神学をカントの批判哲学の遺産の下に位置付けて批判しているのを見るならば,ヴァン・ティルは鋭く事柄を見抜いていたと言えよう.バルト神学の評価と批判において,福音主義神学は二つの類型で示された方法を→複眼的視点/・・・・・←で保持しなければならないと思われる.ちょうどローマ・カトリシズムにおけるトマス神学をその前提とともにその内容にも深く聴きつつ,評価と批判がなされなければならないのと同様である.<復> (2) バルト神学の内容的問題点.福音主義神学からのバルト神学の問題点の指摘を次のようにまとめることができるであろう.<復> a.〈聖書〉について.バルトによれば,聖書は神の啓示としてのイエス・キリストに関する→可謬の人間的証言の書/・・・・・・・・・・←である.その規範性は聖書証言の預言者的・使徒的第一次性のみに求められる.聖書の神的権威性は認められていない.しかし,聖書は単なる使徒的証言にとどまらず,→神的権威を有する使徒的証言/・・・・・・・・・・・・・←である(Ⅰテサロニケ2:13).聖霊の働きは聖書を通しての「内的照明」([英語]イルミネーション)の働きとして確かに存在する(バルトはこの働きを霊感と呼ぶ).しかし,それとは区別されて,→文書化された聖書の性質としての/・・・・・・・・・・・・・・・←「→霊感/・・←」([英語]インスピレーション)が認められねばならない.聖書は霊感された誤りなき神の言葉である.<復> b.〈歴史〉について.バルトは「一般史」([ドイツ語]ヒストリエ)と「原歴史」([ドイツ語]ゲシヒテ)とを区別し,両者の関係を弁証法的な〈出来事〉として結び付ける.信仰の根拠は前者ではなく後者に置かれるので,救いはわれわれにとって〈出来事〉としてのみ生起する.これは,聖書論における神の言葉の「なる」における「である」の〈出来事〉概念で例示されたが,バルト神学全体において登場する概念である.この場合には聖書の重んずる〈史実的現実性〉が正当に位置付けられないことになる.<復> c.〈創造〉について.バルトにとって,創造は恵みの契約に内的に根拠付けられており,本質的にすでに救済論的に把握されている.従って,堕落前の創造の状態は考えられないし,堕落の史的事実性も意味を持たない.しかし,聖書の使信にとって堕落の史的事実性は決定的意味を持っている.<復> d.〈罪〉について.バルトによれば,創造における恵みの勝利のゆえに,罪や悪魔的なものなどの「虚無的なるもの」は存在論的に不可能とされた存在である.ここから罪について「存在論的不可能性」が語られる.しかし,そのような罪についての規定は聖書のあずかり知らぬところのものである.また,創造における恵みの大いなる″然り″と,″否″に場所を持つ「虚無的なるもの」の二元論的思想傾向が「新マニ教主義」と嫌疑を受けた理由である.<復> e.〈律法と福音〉について.バルトは創造においてすでに見られるような恩恵の存在論的先行性から「福音と律法」の秩序を主張する.確かに契約論的に言えば,「福音と律法」が→本来の秩序/・・・・・←である.しかし,罪のない状態から堕落状態へと存在論的に陥ったわれわれにとっては,律法は今や→さばき/・・・←として働く.この意味において,福音に先行する律法の位置付けがなされなければならない.「福音と律法」の本来的秩序とともに,人間の倒錯した堕落状態の点で「律法と福音」の秩序も存在する.バルトの「律法」に対する「福音」の存在論的優位性のゆえに,「新マルキオン主義」とのバルト批判も出てくるのである.<復> f.〈予定〉について.バルトの予定論は人間存在に対しては一方的に〈選び〉としてのみ働き,人間は存在論的に〈選ばれた人間〉であることをすでに指摘した.その点から,「万人救済主義」への傾向は否定しがたいものとなろう.<復> g.〈福音宣教〉について.選ばれた人間という人間の存在論的規定においては,福音宣教の本質は人間にすでに「起っている現実」の知識の伝達により→無知から認識へ/・・・・・・・←と導くことにある.しかし,聖書は罪の存在論的現実を前提にして,認識だけでなく存在においても聖霊による根源的革新を求めているはずである.<復> 4.結び.<復> バルト神学は以上のような問題点を含んでいる.しかし同時に,バルトの巨大な神学的著作は,教義学,聖書学,歴史神学,実践神学などの各分野に対して→積極的な意味での鋭い問いかけ/・・・・・・・・・・・・・・←をも含んでいることを忘れてはならない.福音主義神学は,すでに指摘した〈複眼的視点〉を保持しつつ,その問いかけに責任ある応答をしなければならないであろう.→バルト,新正統主義.<復>〔参考文献〕バルト自身の著作,邦訳されたもの及び日本語の参考書については,大木英夫『バルト』講談社,1984の巻末文献目録を参照のこと.ここではその目録に出ていないおもな参考書のみ挙げる.大崎節郎『カール・バルトのローマ書研究』新教出版社,1987;E・ブッシュ『カール・バルトの生涯』新教出版社,1989;D・シェロング『バルトと近代市民社会』教文館,1986;Bromiley, G., Introduction to the Theology of Karl Barth, Eerdmans, 1979 ; Van Til, C., The New Modernism, An Appraisal of the Theology of Barth and Brunner, Christianity and Barthianism, Presbyterian and Reformed, 1946, 1965 ; Runia, K., Karl Barth’s Doctorine of Holy Scripture, Eerdmans, 1962 ; Balthasar, H., Karl Barth Darstellung und Deutung seiner Theologie, Hegner, 1951 ; Berkouwer, G., De triomf der genade in de theologie van Karl Barth, Kok, 1954(英訳1956).(牧田吉和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社