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《じっくり解説》神学研究の歴史とは?

神学研究の歴史とは?

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神学研究の歴史…

神学という概念(用語)は,古代キリスト教が,ギリシヤ人から受け取ったもので,ギリシヤ人の場合,神話と神々の系譜についての哲学的解釈を表していた.キリスト教会で用いたのは,アタナシオスが最初であったが,そこでは神論に限定して用いられていた.中世になって初めて,教義学の全領域に広げられ,組織神学を意味するようになった.そして,17世紀の終りから初めて,聖書学や教会史が加わり,さらに,19世紀になって実践神学が加わることになる.とは言っても,神学は,パウロの神学とか,ヨハネの神学とか言われるように,ほとんど信仰,ないしは教理と同じ意味で用いられることもしばしばあり,広く宗教史全般を含む場合もあって,かなり広義の概念として用いられるようになっている. 神学が,原理論として成立したのは,オーリゲネースをもって嚆矢(こうし)とすると言われることが多いが,だからと言って,それ以前に神学的に見るべき成果がなかったということではない.すでに,2世紀の使徒教父の神学の中に,後のカトリック教会に決定的影響を与えている理念を見ることができるし,護教家の思想の中に,後の神学思想の代表的な類型を見ることができる.神学については,プロテスタントの神学者によってしばしば引用される,トマス・アクィナスの美しい定義がある.「神学とは,神によって教えられ,神について教え,神へと導くものである」(Theologia a Deo docetur, Deum docet, et ad Deum ducit).まさしく,神学は,神についての学である.キリスト教神学については,父・子・聖霊なる神と,そのみわざについての神御自身の啓示の学であると言うことができよう. 「真理の柱,真理の土台」として立てられた教会(Ⅰテモテ3:15)は,発端から,真理を告白し(ホモロギア),弁明し(アポロギア),証言する(マルチュリア)という神学的課題を担い続けてきている.神学なくして教会の存在もなかった.神学研究の歴史とは,教会が,その課題をいかに果してきたかを歴史的にたどることである.これを神学史と言ってよい.神学史の系譜は,大きく三つの流れに分けることができる.第1に,理性の役割を強調する合理主義,主知主義の流れであり,自然神学の系譜である.第2に,信仰体験を強調する非合理主義の流れであり,神秘主義の流れである.第3には,合理主義とも,非合理主義とも距離を保ち,啓示を強調する立場である. 2—3世紀の神学史において,理性の立場を強調した神学者として,護教家のユスティノス,アレキサンドリア学派のクレーメンス,オーリゲネースを,信仰体験を強調した立場に立つ者として,北アフリカ学派のテルトゥリアーヌスとキュプリアーヌス,さらに,啓示を強調した正統主義の立場に立つ者としては,小アジヤ学派のエイレーナイオスとヒッポリュトスをそれぞれ挙げることができる.ニーグレンは,第1の系譜をエロース類型,第2の系譜をノモス類型,第3の系譜をアガペス類型と分類する.モチーフのとらえ方を異にするとはいえ,三つの系譜に分類することはできよう. ユスティノス(100年頃—165年頃)は,パレスチナ出身のギリシヤ人.哲学諸学派を遍歴するが満足することができず,たまたまキリスト者の老人との対話を通して改宗,後,マールクス・アウレーリウス皇帝下のローマで殉教の死を遂げた.そのため殉教者ユスティノスと呼ばれる.彼の『弁証論』(アポロギア)は,当時の最も優れた著作である.彼は,キリスト教は普遍の真理であり,従って真の哲学にほかならないと考える.それは,プラトーン,アリストテレースの哲学と本質的に異なるものではなく,彼らは,モーセや預言者たちから真理を借りてきたものである,旧約聖書を通して,ロゴスの一部分に触れ,その真理を盗用しているにすぎないものである,と考えた.人となりたもうたロゴスに基づくキリスト教こそ真の哲学なのである.ユスティノスの神学は,異教の哲学とキリスト教との連続性を前提としている合理主義の立場にほかならない. オーリゲネース(185年頃—254年頃)は,ユスティノスと異なり,キリスト教徒の家庭に生れた.18歳で,その師クレーメンスの後を継いでアレキサンドリア教校の校長を務めた天才であり,その著作は2千冊に上ると言われている.最初の組織神学と言われる『原理論』(ペリ・アルコーン,218年?)を書いている.この書物で,教会的信仰に,ギリシヤ的思弁哲学を援用することで神学的認識の理論的基礎を置いた.この書物の表題から理解されるように,真理を原理論として組織的体系的に提示し,当時の哲学者,知識人に受容されるような形でキリスト教を提示したのである.彼にとって,信仰とは,やがて知識にまで発展する宗教の低次の状態であった.これもまた,合理主義の立場にほかならない. テルトゥリアーヌス(150/160—220年以降)は,カルタゴ出身,40歳頃改宗したと言われる.法律家であり,反グノーシス教父を代表する神学者であった.彼は,ユスティノスやオーリゲネースと全く対照的に,哲学とキリスト教とを峻別した.法律家出身であることを反映し,人間を神の律法に無条件に服従すべきものとして提示し,信仰規準(Regula fidei)を重んじた.この意味では,啓示重視の立場をとっている.彼は,キリスト教について,合理的であるから信じるのではなく,不合理なるがゆえに信じる(credo, quia absurdum est)という言葉を標語とした.「規準に反しては何事も知り得ないことが一切を知ることである」とか,「アテネとエルサレム,アカデメイアと教会とは何のかかわりがあるか」という言葉が彼の立場をよく表現している.後に,モンタノス主義に加わったことからも明らかなように,非合理主義の立場に立つ. エイレーナイオス(130年頃—200年頃).小アジヤ出身,リヨンの司教,『異端反駁論』(アドヴェルス・ハエレーセス)が主著.エイレーナイオスは,哲学的思弁を退ける.神は啓示によって認識されるべきお方であり,聖書のみことばの近くにとどまり,信仰規準から離れるべきではないと主張し,聖書主義,使徒伝承を重視した.キリストは,神の啓示であり,また,救済者である.第1のアダムがなし得なかったことを,第2のアダムとしてのキリストが全うされ,それによって人間を死滅性から解放し,永遠のいのちを与える.これが彼の神学を特徴付けている再統合(Recapitulation)の思想である.彼は『異端反駁論』において,グノーシス主義,モンタノス主義に見られる神秘主義にも反対した.ツァーンは,「エイレーナイオスは,使徒後時代,初めて神学者の名に値する著作家」と評価するが,何より,聖書的,キリスト中心的であることが,見落されてはならない.4世紀から8世紀,第1回から第7回の教会総会議(第1回325年ニカイア,第2回381年コンスタンティノポリス,第3回431年エペソ,第4回451年カルケドン,第5回553年第2コンスタンティノポリス,第6回680年第3コンスタンティノポリス,第7回783年第2ニカイア)が開催され,教会は,三位一体論争,キリスト論論争,人間論論争(救済論論争とも言われる)を経て,歴史的キリスト教の根幹をなすドグマを確定した.それ以前と異なり,ローマ帝国がキリスト教国となるという大変革を経ており,キリスト教会が,異教と対決するという形で神学活動を迫られた時代から,キリスト教会の内部統一のために異端排除のための神学活動に集中する時代へと移行する.この時期に成立を見た公同信条と呼ばれているニカイア信条,コンスタンティノポリス信条,アタナシオス信条,カルケドン信条は,公同的ドグマの成立を示すものであり,強調しすぎることのない意義を持つ神学的成果であった.この時期を,エキュメニカル・カトリック時代とか,古カトリック時代と呼んでいる.この時期に確立された公同的教理(信仰)についてレラーンスのヴィンケンティウスが示した規準について触れなければならない.彼は,アウグスティーヌスの予定論を批判した半ペラギウス主義者であったが,キリスト教の真理は,聖書であり,教会の権威は聖書の正しい解釈によってのみ保証されると言っている.そして,公同の教会の真理は,「どこでも,いつでも,だれによっても信じられる」(Quod ubique, quod semper, quod ad omnibus creditum est)ものでなければならないと規定した.教理の公同性,正統性の規準を示す言葉として知られる. この時期に,中世以降の神学に決定的とも言える影響を与えた偉大なキリスト教思想家の出現を見た.アウレーリウス・アウグスティーヌス(354—430年)である.彼のキリスト教への改宗の経緯については,著書『告白』に詳しく述べられている.彼の思想が後世に及ぼした影響は測り知れないほど大きなものがある.カトリック教会の思想だけでなく,プロテスタントの思想に,さらには,近代思想にも影響を与えている.石原謙は,「彼なしに神学と敬虔は,中世と近世とを通じて,恐らく力ある存在となることは出来なかったであろう」(『神学史』)と述べている. アウグスティーヌスは,多作の神学者であるが,『信仰,希望,愛』の表題で知られている『エンキリディオン』が彼の神学を知るには最適の書物である.彼は,キリスト教教理を厳格に神学的観点から解釈することを願っており,全世界,全宇宙を,神に用いられるものとするために,万物の存在の根元でありたもう神の永遠の視点から見る(sub specie aeternitatis).アウグスティーヌスは,熱烈な合理主義者と言われる(ウォーフィールド).しかし,ユスティノス,オーリゲネースと同じ意味で合理主義者と言うことはできない.彼の理解を示す標語は「知ることができるように,信じなさい」(Crede ut intelligas)である.これはイザヤ7:9に基づいて語られている.知解は信仰の報いである.信じるために知るのではなく,知ることができるように信じるのである.彼はこのように信仰の優位性を強調するが,知性を排除するのではなく,真実の知識の門口に立つ信仰の役割を強調する.しかし,その知解には,聖霊による真理の照明と,再生によって回復された知性を前提している.再生なき知性は無能力である.それは恩恵によってのみ回復される.彼は,聖書的な罪と恩恵の教理を鮮明にすることで,後の改革者たちの神学に他の誰よりも大きな貢献を果した. 9世紀以降15世紀までは,スコラ神学の時代である.この時期には,教理的発展は,サクラメント論を除いて見ることはできなかったが,神学の論理化,体系化という面では輝かしい成果を見た時代である.中世の神学は,サラセンの学問,特にアラビア哲学に見られるアリストテレス論理学の回復を見落しては理解できない.スコラ神学の煩雑とも思われる論理化は,イスラム主義に対する弁証的意図を持っていた.宗教と哲学を和解させようとしたサラセン哲学は,消極的にも,積極的にも,中世キリスト教哲学に大きな影響を与えた. しかし,なお,スコラ神学にアベラルドゥスに代表される合理主義,ボナヴェントゥーラに代表される神秘主義,合理主義と神秘主義を克服しようと努めた立場を代表するアンセルムスと,トマス・アクィナスの三つの系譜を見ることができる.神学は,常に,合理主義と非合理主義の狭間に,信仰の姿勢を貫く営みを続けてきた. アベラルドゥス(1079—1142年).パリを舞台に活躍した神学者.彼の立場は合理主義と言えるが,聖書の権威を問題にするような合理主義ではなかった.彼によれば,神学者の任務は,懐疑から探究へ,探究によって真理へと到達することであった.「信じることができるように知る」(Intelligo ut credam)が彼の標語であった.理性の課題は,でき得る限り教理を支持することである.彼は,キリスト教弁証のために,大胆に弁証法を用いた.信仰の対象は,理性的に認識することが必要であり,それが可能であるとの信念に立つことであった. ボナヴェントゥーラ(1221—74年)は,イタリア出身の神学者.フランシスコ修道会を代表する神学者でもある.その立場は,照明と主意主義と実証主義で知られる.それらを総括して言えば,神についての神秘的瞑想,知性のキリストへの服従を通して神を喜ぶことであった. 中世スコラ学者に見られる神秘主義を代表する神学者である. アンセルムス(1033—1109年).イタリア出身の神学者.カンタベリ大主教を長らく務めた.体系的神学書は残していないが,『プロスロギオン』『モノロギオン』『クール・デウス・ホモ』の三部作は,中世スコラ神学において注目に値する著作である.特に『プロスロギオン』は,バルトをして,「模範とすべき神学作品」と呼ばせた神学的洞察に満ちた著作である.この書で,その後,今日に至るまで,神学史を通して問題とされてきている「神存在の証明」を取り上げた.彼は,信仰と知識を結び付ける立場に立ち,それを示す標語は,「信仰は知解を求める」(Fides quaereus intellectum)である.『クール・デウス・ホモ』では,贖罪の充足説を提示し,『デ・コンコーディア』では,アウグスティーヌスの予定論を取り上げた.神学史上,スコラ神学最大の人物である.しかしながら,中世スコラ神学は,アンセルムスを中心とする同心円として表現することはできない.アンセルムスに加え,もう一つの中心的役割を果しているトマス・アクィナスを加えて,二心を持つ楕円として表現するのが適当である. トマス・アクィナス(1225—74年).中世スコラ神学の代名詞として用いられる人物.それは,トマス主義と呼ばれることもあるほどである.ローマ・カトリック教会公認の神学でもある.彼の主著『神学大全』(Summa Theologica)3巻は,教義学の全分野を包括するものである.神学史を飾る金字塔であることは間違いない.トマスの神学は,自然神学のゆえに広く知られる.この世界は,自然と超自然の二つの領域に分けられる.自然の領域は知性に属し,超自然の領域は信仰に属する.哲学は自然に,神学は超自然に対応するものである.それはまた,国家と教会がそれぞれ対応するものとする.しかし,この二つの領域があることは,二つの真理があることを意味するわけではない.そうではなく,自然の領域が超自然の領域によって,補われ,全うされるのである.自然と超自然は,「自然と恩恵」というシェーマで表現される.この両者の関係について,「恩恵は自然を破壊するものではなく,むしろこれを完成するものである」というトマス自身の言葉によって,最も適切に表現されている.理性と信仰,哲学と神学もまた,この関係において調和が見出されなければならないと言う.
16世紀は宗教改革の時代である.神学研究の歴史を,ここからはプロテスタント神学に限定して述べることにする.改革者たちの神学は,一方において,ヒューマニズムの克服,他方において,アナバプティズムとの絶縁という課題を担って遂行された.前者は,合理主義の系譜に連なり,後者は,非合理主義の系譜に連なる.改革者の神学は,三つの神学的原理に立つものであった.第1は,聖書のみ(Sola Scriptura)で表現されている聖書主義であり,第2は,信仰のみ(Sola Fide)で表現されている恩寵主義である.宗教改革の神学は,形式原理として聖書の権威の教理,実質原理として信仰義認の教理に基づくものである.これに加えて,第3に,社会原理と言われる万人祭司の教理,聖徒の交わりとしての教会論を加える場合もある.宗教改革の神学の大きな流れは,ルター派と改革派であり,時に,アナバプテストを第3の流れとする場合もある.神学の外的原理としてのみことばと,内的原理としての聖霊の関係をどのように理解するかという観点から,ルター派の理解が,みことばを通して(Per verbum)働く御霊として表現されるのに対して,改革派は,みことばとともに(Cum verbo)働く御霊とし,また,アナバプテストは,みことばを通さず(Sine verbo)御霊の直接的働きを主張する.こうした違いに加えて,ルター派神学と改革派神学が比較される場合に次のような類型化が試みられている.シュネッケンブルガーは,ルター派をマリヤ型,改革派をマルタ型と特徴付けた.ヘルツォークは,ルター派は,ローマの律法主義と対決するあまり,グノーシス的となり,改革派は,ローマの異教主義と対決するあまり,ユダヤ教的となったと言う.ヘッペは,ルター派が,実質原理としての信仰義認を強調したのに対し,改革派は形式原理としての聖書の権威を強調したと言う.アレクサンダー・シュヴァイツァーは,ルター派が人間論的分析的特有性を持つものであるのに対して,改革派は神学的総合的特有性を持つものであると言う. 16世紀は,信条の世紀でもあった.ルター派には,ルターの大・小教理問答,アウグスブルク信仰告白,アウグスブルク信仰告白弁証,シュマルカルデン条項,和協信条があり,改革派には,ジュネーブ信仰問答,チューリヒ一致信条,フランス信条,スコットランド信条,ベルギー信条(オランダ信条),第2スイス信条,ハイデルベルク信仰問答があり,こうした諸信条に,ルター派神学と改革派神学の争点も表現されており,両派の神学が,特に聖霊論,キリストの神人二性論,律法と福音との関係,教会と国家の関係,神の一般恩恵を巡る理解において立場を異にしていたことがわかる. ルターは,預言者であり,宗教的天才である.神学史において,ルターの貢献は多岐にわたり,後世に与えた影響は測り知れないものがある.しかし,彼の著作のほとんどが論争的な性格を持つものであり,それだけに,改革者のパトスは伝わってくるが,彼の神学体系はとらえにくいと言われている.ルター自身も認めていたように,彼の神学思想を体系的に整えたのは,後継者のメランヒトンであった.彼の『ロキ・コンムネス』(1521)は,プロテスタント最初の教義学教本と言われているが,ルターの神学を忠実に体系化したものである.しかし,版を重ねるにつれ,幾つかの点でルターの立場から離れてしまった.後期メランヒトンの神学は,理性と伝承に対する譲歩に特徴付けられ,折衷的色彩を強くしている. ルターと異なって,カルヴァンは,体系化の才能に優れており,その主著である『キリスト教綱要』は,版を重ねて改訂され,加筆されているが,基本的な立場は最初から最後まで一貫している.「綱要」では,教理と倫理が見事に調和しており,全体として均衡のとれた体系を保っており,今なおプロテスタント神学の歴史において,最も優れた神学的業績とされている.「綱要」の意義を不朽のものとしているのは,宗教改革の目指す「聖書的教会」の見取図を明確に示していることである.その意味で「綱要」の教会論の貢献は特に大きい.彼が,みことばの神学者であると同時に,聖霊の神学者であると言われるのはそのためである.改革者たちは,徹底的にみことばに聞き従う姿勢を貫いている.彼らの神学的著作について共通して言えることは,それらを信徒が自ら聖書に近付くための手引書として書き記していることである.改革者の神学は,ヒューマニストの合理主義,アナバプテストの熱狂主義(非合理主義)を排除しながら,ひたすら,神の主権を強調し,みことばに密着して神学した.彼らは神のことばである聖書に,神学の方法論だけでなく,その形態,内容にまで徹底して服従することを求めたところに共通した特有性を見ることができるのであって,改革者たちの神学は,啓示の神学,聖書的神学として特徴付けることが妥当である. 17世紀のプロテスタント神学は,正統主義神学,宗教改革の神学の確立の時代であった.その神学思想は,プロテスタント・スコラ主義と呼ばれている.キリスト教教義を,詳細な点に至るまで論理化し,体系化したために,信仰の主体的面に対する関心が希薄になり,後に「死せる正統主義」と呼ばれることもあった.しかし,聖書を徹底的に調べ,その教えを体系化し,組織化したことの貢献は大きい. 17世紀の神学の舞台は,英国とオランダであり,改革派正統主義の神学は,ウェストミンスター信仰告白(1648年),ドルト信仰規準(1618年)として結実を見た.神学者としては,ウェストミンスター会議では,トウィスが,また,ドルト会議ではゴマールスが中心的役割を果しているが,後世に与えた影響の大きさでは,改革派では,フランソワ・トゥルレッティーニ(1623—87年)の『神学綱要』3巻が大きい.この書物は,後に米国で,チャールズ・ホッジの組織神学を初め,優れた保守主義的組織神学書の底本として用いられた. この世紀,合理主義の神学は,理神論的合理主義が支配的であり,ジョン・ロックの『キリスト教の合理性』(1695),トーランドの『神秘なきキリスト教』(1696)がその立場を代表している.神学から超理性的なものが徹底して排除された. 他方,非合理主義の立場としては,ロバート・バークリ(1648—90年)の「内なる光」の神学があった.彼の体系的著作である『真のキリスト教弁証』(1676)は,クエーカーの神学の古典であり,後に米国のクエーカー神学の基礎をなした.バークリは,聖霊の直接啓示の客観性の論証に努めた. 18,19世紀は,神学研究の中心はドイツに移る.啓蒙主義思想に見られる批判精神に立つ合理主義神学は,18世紀以降,20世紀初頭まで西欧神学界を風靡する.伝統的神学からの自由を標榜する自由主義神学については,本辞典「自由主義神学」の項を参照されたい. この世紀は,同時に,宗教復興の気運を見た世紀でもあり,欧州では信仰復興(Reveille)があり,米国でも大覚醒(Great Awakening)が見られた.この気運は,敬虔主義の台頭と連動していた.フランスのラバディ(1610—74年)の『教会の改革』(1667),シュペーナー(1635—1705年)の『神学研究の障害について』(1690)の中で,神学は哲学と違って理性で学び得るものではないことが強調された.敬虔主義は非合理主義の神学である.その神学的寛容の精神と,反ドグマ的姿勢は,教理への関心を弱め,無教理主義を助長し,結果的には自由主義神学の素地を作ることとなった. しかし,他方において,敬虔主義は,正統主義神学にも刺激を与え,多くの優れた神学的業績を生み出す力となった.ドイツのフリードリヒ・フィリッピ,オランダのアーブラハーム・カイパー,スコットランドのロバート・キャンドリッシュ,英国のヘンドリー・モール,米国のチャールズ・ホッジ等の業績が目立ち,彼らの神学的貢献は,今世紀に見られた福音主義神学の開花に大きな影響を与えている. 今世紀,長らく欧米神学界を風靡した自由主義神学は,第1次大戦を境に衰退し,バルト神学の台頭を見た.バルト神学が,教義学への関心を再び呼び起し,説教に改善をもたらした貢献は認められなければならないが,伝統的改革派神学の用語を用いながら,その内容は全く新しくされた.その意味で,熊野義孝はバルトを,今日,教理史的位置について語り得る唯一の神学者と言う.神学史の一時期を画する神学者であるバルトは,ローマ・カトリック神学(トマス主義),自由主義神学(合理主義)に加えて,17,18世紀の正統主義(プロテスタント・スコラ主義)を退ける.バルトの神学的方法に見られる弁証法,大胆なパラドックスの導入,神学の体系性の拒否,実存論的解釈の導入は,彼の神学を非合理主義の系譜に位置付けることができよう. 今世紀,バルトとは反対に,神学を哲学と結び付けたのは,バルト同様に広範囲の影響を与えているパウル・ティリヒである.哲学的神学と呼ばれる彼の神学は,″相関関係の方法″の神学として知られる.この方法は,自然神学の方法であり,神学は哲学に吸収される.そこでは,当然,キリスト教の絶対性は意味を持たない.ティリヒ神学は,バルトとは対照的に合理主義の神学の系譜に位置付けることができよう. 第2次大戦後,ブルトマンの非神話化の神学,コックスの世俗化の神学,オールタイザーの神の死の神学,フレッチャーの状況倫理,モルトマンの希望の神学,パネンベルクの歴史の神学,テヤール・ド・シャルダンの進化の神学,オグデンのプロセスの神学,ティリヒの存在の神学と,多種多様な神学が登場した.様々な問題が提起されるが,これらの神学に共通しているのは,理性の自律性を認める立場に立ち,聖書の権威を認めないという点である.換言すれば,宗教改革の神学の再興ではなく,新しい衣をまとってはいるが,原理的には,近代主義神学との連続性は否定できない. 20世紀は,特に後半において,世界的に,福音派の諸教会の成長に伴って,福音主義神学の発展にも著しいものが見られた.各国の福音主義神学会の神学的レベルも高められてきている. 福音主義神学は,自律的理性に基づく神学ではなく,その意味で,合理主義神学ではない.従って近代主義神学の原理を排除する.しかし,同時に,非合理主義神学でもない.非合理であるから信仰に逃避するというのではない.神の真理は,それ自身体系的である.従って,聖書の真理を体系的に把握しようと努める.福音主義神学は,聖書の十全霊感を認める.そのことは,聖書の究極的著者は神であると信じることにほかならない.従って,聖書の統一性を認める.聖書全体に統一ある体系としての真理を探究する.それこそ,神学の課題であり使命であると理解する.神学は聖書的であり,聖書の正しい学びは神学的でなければならない.〔参考文献〕宇田進『福音主義キリスト教とは何か』いのちのことば社,1984;岡田稔『基督教』高志書房,1947;石原謙『神学史』岩波書店,1933;O・W・ハイック『キリスト教思想史』聖文舎,1969;春名純人『哲学と神学』法律文化社,1984;岡田稔『改革派神学概論』聖恵授産所出版部,1985;A・ニーグレン『アガペーとエロース』全3巻,新教出版社(1954,19551963);有賀鉄太郎/魚木忠一『基督教思想史』教文館,1953;Kuyper, A., “The History of Theology,” Principles of Sacred Theology, Chap.5, Eerdmans, 1954 ; Neve, J. E., A History of Christian Thought, Vol.1, 2, Muhlenburg Press, 1946.(橋本龍三)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社
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