《じっくり解説》根本主義とは?

根本主義とは?

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根本主義…

[英語]Fundamentalism.一般には英語名「ファンダメンタリズム」で知られ,実際の用いられ方にはかなりの多様性が見られるが,教会史的には,19世紀末から20世紀の最初の四半紀のアメリカにおいて,自由主義神学,ドイツの聖書批評学,ダーウィンの進化論,近代化に伴って起ってきた世俗化とそれに伴う倫理的弛緩を危険視し,それらに対抗して正統的キリスト教を再確認するとともに,それを一層強力に宣揚する目的をもって起った運動である.だが,1930年代から今日までに,この運動の焦点と性格,この名称の意味するところ,この運動を信奉する教会・団体と人々の層は種々変化していった.<復> 1.名称.<復> ファンダメンタリズムとかファンダメンタリスト(根本主義者)という名称の起源は,アメリカのキリスト教界に見出される.19世紀末から20世紀の初頭において,自由主義(Liberalism)とか近代主義(Modernism)と呼ばれる近代思想に順応したキリスト教が次第に広まっていった.この傾向に対して,多くのプロテスタント諸教会内の保守的・福音的グループが,伝統的な歴史的キリスト教の信仰理解を保持しようとして行動を起した.例えば,1895年,「ナイアガラ聖書修養会」(Niagara Bible Conference)運動は,聖書の根本真理を広める目的をもって,三位一体,アダムによる人間の堕落,終末時の審判の教理を初めとする14項から成る「信仰声明」を公布した.世紀が明けて1910年,北長老教会の大会は,キリスト教にとってファンダメンタル(根本的)なものとして,特に聖書の霊感と無謬性,キリストの処女降誕,キリストの身代りの贖罪,キリストのからだの復活,奇蹟の真実性の5項目(前掲の「信仰声明」の中で表明された)を強調した.また,1910年から15年にかけて,歴史的キリスト教の弁証と宣揚とを目的としてThe Fundamentalsと呼ばれる12巻の論文と評論を内容とする文書が刊行された.そのような状況を背景に,アメリカ・プロテスタント教界の間では,キリスト教信仰のファンダメンタルなものを表現し,それなしにはキリスト教はもはやキリスト教ではなくなってしまう最小限のものを重視する傾向が生じた.やがて1920年には,北バプテスト連盟の総会を前にして,バッファローで同連盟の福音的なグループの集会が開かれた.その席上,当時The Watchman Examiner誌の編集者であったカーティス・ローズは,聖書のファンダメンタルズ(根本的教え)のために忠実に戦うキリスト者たちを「ファンダメンタリスト」と呼んだ.これがファンダメンタリストとかファンダメンタリズムという名称の起りと考えられている.この名称が20年代にはすでにかなり広く使われるようになっていたことは,バプテスト派のジョン・ストラトンが発行していた新聞The Faith—Fundamentalist(別名The American Fundamentalist)や,ハリー・E・フォズディクの論争を呼んだ説教「ファンダメンタリストは勝つだろうか」(New Knowledge,1922)などによって知ることができる.<復> ファンダメンタリズムという名称のそもそもの起源・由来は以上のようであるが,実際には種々な使われ方をしてきている.例えば,「イスラム原理(根本)主義者」の場合のように,宗教上の反近代主義者を指す呼称として使われている.リベラル神学の背景を持つ人たちは,伝統的な福音主義や正統主義キリスト教を信奉する人たちを総称してファンダメンタリストと呼んでいる.時には神学上の″反動形成″の代名詞として使われている場合もある(熊野義孝『基督教概論』1947).アメリカでは,南部の「聖書地帯」(Bible‐belt)に住む福音的なリバイバル運動系の素朴な(しばしば反知性的と描写される)クリスチャンたちをファンダメンタリストと呼ぶ伝統が存在している.英国では,聖書の霊感と権威を初め,伝統的なキリスト教理解を強調する保守的福音的な流れのすべてを総称してファンダメンタリズムと呼ぶ場合が多い(Barr, J., Fundamentalism, 1977).<復> 2.アメリカ特有の現象としての根本主義.<復> 19世紀のアメリカ・プロテスタント史を振り返ってみると,それに関して次のような指摘がなされている.ロバート・ベアードは,Religion in America(1843)の中で,福音主義の方陣はほとんどすべてのプロテスタント教派(聖公会,会衆派,バプテスト派,長老派,メソジスト派.教理上の問題はカルヴァン主義かアルミニウス主義かであると指摘)を含んでおり,福音主義キリスト教は依然アメリカの文化形成における中心的要素となっていると記している.アメリカ教会史を専門とするマーティン・マーティはRighteous Empire(1970)の中で,南北戦争(1861—65年)までは,プロテスタンティズムと福音主義は交換可能なものであったと述べている.また,最近のアメリカ福音主義の研究家たちは,1870年(ムーディを中心とする第3次信仰復興始動の年)頃を転換点と見なし,それまでのプロテスタントの主流は福音主義であったと判断している(Hatch, N./Noll, M./Woodbridge, J., The Gospel in America, 1979 ; Marsden, G., Fundamentalism and American Culture—The Shaping of Twentieth Century Evangelicalism : 1870—1925, 1980).<復> しかし,1870年から第1次世界大戦(1914—18年)までの時期に,アメリカ社会とプロテスタント教界は徐々に大きく変化していった.(1)19世紀後半に,中欧,東欧,南欧,アジア系を主力とするユダヤ人,カトリック,ルター派及び非教会人から成る「新移民」(1880年代を境としてそれ以前の移民を「旧移民」と呼ぶ.1880年からの30年間に1790万人近くが入国)の到来と,産業社会への移行は,多元化,都市化,非人間化などの問題を結果すると同時に,南北戦争以前のような固定した価値観と倫理観を持った社会を次第に過去のものにしていった.酒産業への投資が1860年に2900万ドルであったのが,1880年には一挙に1億9000万ドルにはね上がっていった傾向も,多くのファンダメンタリストの間で強調される″絶対禁酒″(Total abstinence)と無縁ではない.(2)チャールズ・ダーウィン(1809—82年)の『種の起源』(1859)の影響に象徴される近代科学の攻勢と,たゆみない合理化の追求は,次第に正統信仰の牙城を揺り動かしていった.(3)ドイツの聖書批評学及びドイツ観念論哲学に深く規制された自由主義神学(シュライアマハー,リッチュルなどの神学)の影響のもとにアメリカにおいても「新神学」(New Theology)の動きが次第に顕著になっていた.フォズディクをリベラルな立場に転向させたと言われている当時のコルゲート大学教授ウィリアム・N・クラーク(An Outline of Christian Theology,1894の著者),チャールズ・ブリッグス(ドイツから聖書の歴史・文献批評を持ち帰り,1891年ニューヨーク・ユニオン神学校教授就任の際に聖書の信憑性を否定し,論争の学者となった.The Authority of Holy Scripture,1891参照),ウォールター・ラウシェンブシュ(自由主義神学の一類型である「社会的福音」の主唱者),ウィリアム・ハーパー(シカゴ大学の創立者)などが新神学の推進者となった.(4)1885年に設立されたアメリカのEvangelical Alliance(「福音主義同盟」,1846年ロンドンで創立)は,「社会的福音」に賛同した総主事ジョウサイア・ストロング(1886—98年総主事)のもとで次第にリベラル化し,他の福音的な諸運動も徐々にリベラル化していった.こうした状況の中で,福音主義キリスト教は,民衆の間ではまだ根強く存在していたが,大局的には分散・後退の一途をたどることを余儀なくされていった.<復> こうした深まりゆくリベラル化と世俗化の傾向と相並行して,アメリカのプロテスタント内部に歴史的キリスト教の正統信仰の回復と宣揚を目的とした諸種の動きが登場したことは決して不思議ではない.時同じくして,英国では,スパージョン(スポルジョン)や70年代に誕生を見たケズィック運動などによって同様な行動が起された.<復> アメリカの場合の具体的な動きの一つは,「聖書修養会」(Bible conference)運動及び「聖書学校」(Bible school)運動である.前者は,1878年(The First International Prophecy Conference)から1901年まで続いたもので,歴史的には「ナイアガラ聖書修養会」とか「預言聖会」(Prophetic Conference)の名で知られている一種の聖書信仰運動である.この運動には,ルター,長老,聖公会,バプテスト,メソジスト,改革監督,単立の諸教会から教職・信徒の有志が参加し,聖書の根本教理を固守しつつ,特に神学・伝道・海外宣教・クリスチャン生活における聖書預言の意義を重視し,合せて南北戦争までは支持者が少なかった千年期前キリスト再臨説(Premillennialism)を強調するところにその特色が見られる.また,1862年から77年にかけて,七度アメリカに講演旅行を行った英国のジョン・ダービによる「ディスペンセーション主義」(Dispensationalism)との強い結び付きも注目すべき点である.この聖書修養会運動は,1895年には,前述の「信仰声明」を出して聖書的信仰の立証に努めた.<復> 神学校(Seminary)のリベラル化の進行に対する対抗措置として,この聖書修養会運動はロンドンのスポルジョン・カレッジに刺激されて新しいタイプ(ある意味では聖書と生活訓練を中心とした植民地時代の教育形態の再導入とも言える)の伝道者養成機関として数々の聖書学校を創設した.ムーディによるノースフィールド聖書学校(1879年),A・B・シンプスンによるアライアンス聖書学校(1883年),ムーディによるシカゴ伝道協会(1886年.現在のムーディ聖書学院の前身),A・J・ゴードンによるボストン宣教訓練学校(1889年.現在のゴードン大学と神学校の前身)などが初期のそれである.<復> 一方,主要教派内でも正統信仰を宣揚するための種々の動きが活発化してきた.まず,北長老教会においては,1870年から聖書批評学を認めて聖書の無謬性を否定する「新派」に対して,「旧派」を代表する「プリンストン神学」による正統信仰の立場の弁証が,チャールズ・ホッジ,ベンジャミン・B・ウォーフィールド,ロバート・スピアなどを中心に盛んに行われた.そして,同教会の1910年総会は,前述の5項目を正統信仰のファンダメンタルズとして再確認したのである.メソジスト派からはジョン・マイリやジョン・フォークナー,バプテスト派からはサウザン・バプテスト神学校のエドガー・Y・マリンズやジョン・サンピーなどが同様に正統神学の弁証と宣揚に努めた.<復> 20世紀を迎えると,プロテスタント教界内に伝統的福音的な流れとリベラルな流れの存在が一層顕在化してきた.1908年には現在のアメリカ教会協議会(NCC)の前身である連邦教会協議会(Federal Council of Churches)が設立されたが,全体としてリベラル色の強いものであった.そのような状況の中で,根本主義運動を理解する上で非常に重要な文書が出版された.それが12巻から成るThe Fundamentals(1905—10)である.これは副題が示しているように聖書の根本真理の立証を目的としたもので,執筆には64人の英米の保守的な神学者(ウォーフィールド,マリンズなど),聖書学者(D・ベーグ,M・カイル,J・オア,H・C・G・モール,G・トーマスなど),牧師,エバンジェリスト,指導的働きをしていた信徒有志が当り,300万セット印刷された.収録されている83篇は,(1)神,啓示,聖書の霊感と権威,キリストの神性,受肉,贖罪,復活,聖霊,再臨などキリスト教の根本教理の弁証,(2)ドイツの聖書批評の方法に対する批判と聖書の信憑性の擁護,(3)カトリシズム,モルモン教,エホバの証人,セブンスデー・アドベンティズム,近代合理主義思想,進化論,共産主義などの批判,(4)伝道と海外宣教の推進,(5)個人的な信仰のあかし,に関するものである.(1)と(2)が主部を成している.全体として,節度やバランスもとれており,内容もしっかりしている.また,執筆者の顔ぶれも改革,長老,聖公会,バプテスト,メソジスト,単立の多くの教派にわたっており,ある意味で″福音的なエキュメニズム″(Evangelical ecumenism)を立証するものであったと言える.<復> 1919年には,前述した聖書修養会運動の主導のもとに,千年王国前再臨説をとる同運動,バプテスト,単立の有志たちが結集してキリスト教根本主義世界協議会(The World’s Christian Fundamentals Association)を設立した.この年から進化論を巡るスコウプス裁判が行われた1925年までを,″根本主義と近代主義の対立と論争の時期″と呼ぶことができる.<復> 両派間の対立と論争は,メソジスト,聖公会,南長老派内でも起ったが,最も激化した形で起ったのは北バプテスト連盟(The Northern Baptist Convension)と北長老教会(The Presbyterian Church, U.S.A.)においてである.北バプテスト連盟は,シカゴ大学教授でThe Faith of Modernism(1924)の著者である,シェイラー・マシューズなどの自由主義神学の影響を強く受けつつあった.そこでバプテストの保守派はThe National Federation of the Fundamentalists of the Northern Baptists(1921年),The Fundamentalist Fellowship(同年),The Baptist Bible Union(1923年.カナダのバプテストも参加),リベラル化したシカゴ大学神学院に対抗してノーザン・バプテスト神学校(1913年),同じくクローザー神学校に対抗してイースタン・バプテスト神学校(1925年)などの組織を作って対抗した.一方,北長老教会においては,フォズディクが正統信仰を公然と否認する事件(1922年)や,1300牧師(1万教職中の)が「オーバン声明」を出し,先の大会で決議した5項目を教職按手の条件にすべきではないと抗議する事件などが起り,論争は激化の一途をたどった.こうしたリベラルな動きに対し,プリンストン神学校のグレシャム・メイチェンは,福音派を代弁する形でChristianity and Liberalism(1923)を著し,リベラリズムは聖書の根本教理を否認しているので真正のキリスト教とは認められないと応酬した.そして1929年には,プリンストンの改組(リベラル化)に抗議した福音派は,ウェストミンスター神学校の設立に踏み切った.<復> こうした激動期のさなかに起った一つの裁判事件は,根本主義に暗いイメージを与える結果となった.1925年のこと,何度か大統領候補となったウィリアム・ブライアンの訴えによって,テネシー州デイトンの高校の生物教師J・スコウプスが,禁止されていた進化論を教えたかどで裁判にかけられ有罪となった.この事件は,「奇怪なエピソード」として世界中に報道されたが,スコウプスの弁護に当ったアメリカ市民自由連合に属していたC・ダロウの手口と,マスコミの偏向した報道とによって,″古いアメリカ文化″″古いプロテスタント″を代表していたブライアンは「偏屈者」「非開化論者」「産業社会の邪魔者」の代表として,逆にスコウプスは進歩思想のヒーローとして報道された.この事件は根本主義を無知,非寛容,嘲笑と結び付ける決定的な転換点となり,根本主義後退の引き金となった.<復> 1920年の後半になると,聖書の根本教理のために激しく戦ってきた者たちによる,それぞれの教派団体からの近代主義者の追放の努力と,反進化論運動(Anti‐Evolution League, Bible Crusaders of America,ブライアン大学の設立など多くの試みがなされた)が,共に不成功に終ったことが明らかとなった.<復> 特に1925年頃から40年代にわたって,根本主義運動はアメリカ社会とプロテスタント教界における主流の位置から退くと同時に,新しい段階を迎えた.まず,プロテスタント教界における分布状況を鳥瞰すると,この運動は単立教会を結集したThe Independent Fundamental Churches of America(1930年),The Presbyterian Church of America(1932年.1938年にOrthodox PresbyterianとBible Presbyterianの2派に分れる),The General Association of Regular Baptist(1932年),C・マッキンタイアーなどを中心としたThe American Council of Christian Churches(1941年),The Conservative Baptist Association of America(1947年),Baptist Bible Fellowship(1950年)など多くの新しい教派団体を生み出した.また,南バプテスト連盟(1845年設立),南長老教会,ルター派ミズーリ・シノッド,キリスト改革派,福音自由,メノナイト,American Baptist Associationを含むバプテスト諸派においては依然主勢力の位置を保っていた.各論的には,リバイバリスト・タイプの働きに合致したラジオ伝道(1931年,Sunday School Times誌は100以上の番組の存在を伝えている),大衆伝道,聖書学校運動(1930年代だけで26校設立),聖書主義に立った高等教育(ホイートン大学,ボッブ・ジョーンズ大学など),文書出版事業,夏期修養会・キャンプ活動,青少年伝道(Child Evangelism, Youth for Christ, IVCF, Campus Crusadeなど),キリスト教主義の小,中,高校教育,海外宣教などの領域で,独自の活動を展開していった.<復> ところで,この根本主義運動は20年代末頃から次第により特定される運動へと変容していった.現在,アメリカの福音派(エバンジェリカル)には,(1)対決・分離を強調するファンダメンタリズム,(2)ディスペンセーション主義をとるオープン(穏健)・ファンダメンタリズム,(3)第2次大戦後,それまでの特定化されたアメリカ・ファンダメンタリズムを修正しつつ登場した新福音主義,(4)ルター,改革,長老,アングリカン(聖公会),メノナイトなど,歴史の古い教派内に存在する告白主義的福音主義(Confessional Evangelicalism),(5)聖霊派及びカリスマ運動系の福音派,(6)″福音的な社会的福音″を強調する革新的(progressiveあるいはradical)福音派,の六つの流れが認められる.この分類で言うと,20年代末から,根本主義は,主として(1)と(2),そして(5)の一部を主軸とする運動に限定して特定視されるようになった.<復> 主要な特質として次の点が指摘されている.第1に,新しい事柄や新しい思想に対する自己閉鎖的・自己保存的体質と,信仰上の他の立場に対して共存よりも,むしろ分離,そしてそれらに対する戦闘的姿勢.第2に,ディスペンセーション主義や千年期前再臨説を根本主義の品質証明と見る傾向,第3に,アメリカ・リバイバリズムの伝統,すなわち,教会の歴史的伝統から自由になってイエスと初代教会の教えと実践に直接つながろうとする原始主義の傾向,キリスト教の全体的体系的理解よりも単純に聖書のみことばに立つ一種の聖書主義,物事を単純なアンティテーゼで見る傾向など,第4に,アメリカニズム,保守政治,愛国思想との結び付き,第5に,戒律主義的な道徳観(code‐ethics)と文化的タブーとの深い結び付き,などである.<復> 1930年代のアメリカは経済的な大恐慌に見舞われる.前述のように,この時期から根本主義の変容がよりはっきりしてくる一方で,カール・バルトを中心とするヨーロッパの弁証法的神学がアメリカに紹介される.1933年にナチスに追放されて渡米したパウル・ティリヒやアメリカのラインホールド・ニーバーらの活動,エーミール・ブルンナーの客員教授としての訪米(1938—39年)もあいまって,「新正統主義」(Neo‐orthodoxy)の影響が一段と注目されるようになった.<復> しかし,1940年代を迎えると,今まで″日食″あるいは″荒野の時代″にあるとされていた福音派の復興・隆起が起る.米国科学連盟の設立(1941年),米国福音主義同盟の結成(National Association of Evangelicals,1942年),フラー神学校の創立(1947年),グラハムのロサンゼルス・クルセードの大成功(1949年),福音主義神学会の設立(同年)などを背景に,1947年ハロルド・オケンゲは「新福音主義」の台頭を宣言した.以来,アメリカ・プロテスタント教界は,主流が今までのリベラル派から福音派に変るという現象が起って今日に至っている.<復> こうした状況の中で,根本主義は,リベラリズムや新正統主義ばかりでなく,この新福音主義との区別をも主張する特定的な運動となった.根本主義者たちは,聖書的キリスト教へのより明確な忠誠,教会の背教(反リベラリズムと反WCC)・共産主義・道徳的退廃・進化論と近代合理思想に対するより徹底した戦い,社会的・知的地位の獲得欲が誘発する順応と妥協の拒否,反ビリー・グラハム,Christianity Today誌の不買,ホイートン大学やフラー神学校の不支持を強調している.<復> 1970年代末から80年代にかけて,根本主義運動は,特にレーガンの大統領選との関連で一層の浮上を果した.彼らは,アメリカの教会,教育,政治,家庭を崩壊させている根本原因は「世俗的ヒューマニズム」であると同定し,アメリカにおける社会的,経済的,道徳的,宗教的危機を救うものは,根本主義キリスト教への復帰以外にないと主張して大きな反響を得ている.著名なリーダーとしてJ・ファルウェル,T・ラヘイ,H・リンゼイ,P・ロバートスンなどがいる.今日,アメリカ人の4人に1人は根本主義者か福音派であると言われている.→福音主義,聖書主義,自由主義神学.<復>〔参考文献〕宇田進『福音主義キリスト教とは何か』いのちのことば社,1984;曽根暁彦『アメリカ教会史』日本基督教団出版局,1974;J・バー『ファンダメンタリズム』ヨルダン社,1982;W・ホーダーン『現代キリスト教神学入門』日本基督教団出版局,1969;S・E・ミード『アメリカの宗教』日本基督教団出版局,1978;J・G・メイチェン『キリスト教とは何か』いのちのことば社,1976;Ahlstrom, S., A Religious History of the American People,Yale Univ., 1972 ; Dollar, G.,A History of Fundamentalism in America,Bob Jones Univ., 1973 ; Falwell, J.(ed.),The Fundamentalist Phenomenon,Doubleday, 1981 ; Gasper, L.,The Fundamentalist Movement : 1930—56, Baker, 1963 ; Gallup, G./Polling, D.,The Search for America’s Faith,Abingdon, 1980 ; Henry, C.,The Uneasy Consceience of Modern Fundamentalism,Eerdmans, 1947 ; Hunter, J.,American Evangelicalism,Rutgers Univ., 1983 ; Johnston, A.,The Battle for World Evangelism,Tyndale, 1978 ; Marsden, G.,Fundamentalism and American Culture,Oxford Univ., 1980 ; Marsden, G.,Reforming Fundamentalism,Eerdmans, 1987 ; Packer, J.,Fundamentalism and the Word of God,Eerdmans, 1958 ; Quebedeaux, R.,The Young Evangelicals,Harper & Row, 1974 ; Ramm, B.,After Fundamentalism,Harper & Row, 1983 ; Reid, D. et al.(eds.),Dictionary of Christianity in America,IVP, 1990 ; Rudnick, M.,Fundamentalism and the Missouri Synod,Concordia, 1966 ; Sandeen, E.,The Roots of Fundamentalism,Chicago Univ., 1970 ; Shelley, B.,Evangelicalism in America, Eerdmans, 1967 ; Smith, T.,Revivalism and Social Reform,Abingdon, 1957 ; Wells, D./Woodbridge, J.(eds.),The Evangelicals,Abingdon, 1975 ; Woodbridge, J./Noll, M./Hatch, N.,The Gospel in America, Zondervan, 1979.(宇田 進)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社