《じっくり解説》文学とキリスト教とは?

文学とキリスト教とは?

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文学とキリスト教…

日本において「文学」という語は多義にわたって用いられる.古来は,武術に対して歴史,詩文などの学芸を指した.現在では,文章によって書かれたものをすべて対象として,自然科学及び政治学,経済学,法律学以外の,語学,修辞学,論理学,歴史学,哲学,心理学,宗教学,教育学などにわたる人文科学の総称を言う.一般的には,文章によって表現された詩歌,小説,戯曲,批評などの文芸作品,またはそれらを対象とする学問そのものを指す.歴史的には,大宝令制で経書(四書五経などの,古代中国の聖賢の教えを記した書)を親王に講ずる職制を指し,また江戸時代では諸藩の儒者を指すこともあった.今日使われる「文学」は,西周が「百学連環」(1871—73)の中でliteratureの訳語として用いたのが始まりである.<復> 英語においてもliteratureの意味は多岐にわたる.文芸作品そのもの,文字で記された学問・知識のすべて,あるいは,それらを研究対象とする学問・研究者・文献等を指して用いられる.洋の東西を問わず,「文学」(literature)は学問的には極めて広範で,あいまいな概念であったと言うことができよう.<復> 本間久雄は『文学概論』(1926)の中で,「文学は作者の『想像』『感情』を通して読者の想像,感情に訴えるといふこと,従って読者を動かすことが第1の条件,第2の条件としては,専門的形式でなく,一般の人に容易に解り易いことが必要である.それからそれを読む者に美的満足という快楽を与へることが第3の条件である」と定義する.「無論,文字で書かれた表現であることを根本条件に」である.この美的な条件に,「私は人間としていかに生きるべきであるか」という倫理的課題と「私は何者であって,どこから来てどこへ行くのか」という存在論的課題を持つことを条件に加えるなら,今日われわれが文芸作品として呼ぶところの「文学」の概念を,ほぼおおうことができる.<復> 今,「文学」を芸術の一つとしてとらえ,その本質を学問的に解明しようという立場がある.自然美に対して精神性を有するがゆえに,芸術美をより高次のものとして,美学に哲学的基礎を与えたのはヘーゲル(1770—1831年)である.その観念論の流れを汲むドイツにおいて19世紀半ば以降,精神科学の独立に端を発する文芸の学が起った.言語を用いて表現された芸術の一分野を文芸([ドイツ語]Literatur)とし,その作品が有する文芸史的意義や様式([ドイツ語]Stil),美的意味の本質・構造を明らかにする学問を文芸学([ドイツ語]Literaturwissenschaft)と名付け,ここに方法的・体系的認識が始まったのである.文芸史研究とは,従来のように広義の文学を雑多に,政治史,経済史に従属させて取り扱うのではなく,芸術性を本質とする作品を対象に,文芸思潮が理念的にどのように展開されていったかを探求するものである.様式とは,作品形成あるいは表現方式の類型分化に関する記述概念である.創作者が人生の時期ごとにいかに個人様式を展開していったか,一つの文化圏が時代ごとにいかに様式を変遷させたか,あるいは民族によっていかに特徴的な様式を帯びているかなどを探る歴史的様式([ドイツ語]Historische Stil)の研究のほか,表現手段や媒材,技巧などによって規定されるジャンル様式([ドイツ語]Gattungs Stil)の研究,芸術体験の根本構造に基づく根本様式([ドイツ語]Grund Stil)の研究がある.武田庄三郎は文芸学の方法論として成立したものとして,次の八つを挙げる.発達心理学,構造心理学,S・フロイトやC・G・ユングなどの無意識心理学を援用する心理学的方法.種族・土地・民族・文化を重視する種族・民族論的方向.比較文学史的方向.精神史的方向.E・シュタイガーなどの様式論的方向.作品に表明された人間存在の実存を解明する実存論的方向.言語の創造的諸力の面から作品の具体的全体をとらえるW・カイザーなどの解釈学的方向.M・ヴェーバーやE・トレルチュの歴史観の上に立つ社会・経済学的方向である.諸学の学問的成果が集約的に援用されているのが看取されよう.<復> 日本において文芸学を確立したのは,岡崎義恵(1892—1982年)である.『文芸学概論』(1951)の中で岡崎は学問を二分して,自然科学・精神文化学とする.その精神文化学の基礎学としての哲学の中に美学を認める.そして,美学原理により経験的な芸術現象あるいは芸術体験を研究する科学として芸術学を立て,その中に一般芸術学とともに造形美術学・音楽学・演劇学・舞踊学などと並んで,文芸学を存在させることを提唱した.つまり,言語表象を表現媒材とする美的創造を文芸と規定し,それを対象とする学を文芸学としたのである.美学を基礎とし,言語学・解釈学・文献学を補助の学問として,文芸の本質である美の解明を目指すものである.直観(観照)と想像によって具象性が付与された言語が文芸であり,形象の有・無によって文芸性と非文芸性が明らかとされる.以下,岡崎の所説に従って文芸を概観する.<復> 文芸はその言語音によって,韻文([ドイツ語]Verse,[英語]poetry)と散文([ドイツ語]Prosa,[英語]prose)の二つの様式に大分される.西洋や中国では韻文が発達している.例えば中国では,音数によって四言・五言・六言・七言等の別があり,複雑な平仄(ひょうそく)・押韻の規則の上に,行数によって律詩(8行),絶句(4行)などの区別がある.<復> 「国破山河在/城春草木深/感時花濺涙/恨別鳥驚心/烽火連三月/家書抵万金/白頭掻更短/渾欲不勝簪」.杜甫(712—770年)の五言律詩「春望」では深(シム),心(シム),金(キム),簪(シム)とmで終る憂欝の韻を踏む(吉川幸次郎).<復> 西洋では,音脚(歩律,[英語]foot)から成る律格([英語]metre)の構造と,頭韻([英語]alliteration)・尾韻(脚韻,[英語]end rhyme)から成る押韻([英語]rhyme)の法則とがある.それに音の強弱,すなわち[英語]stressの配列が加わる.強(´)弱(×)で表すと,[英語]Iambus×´,[英語]Trochee´×,[英語]Anapaest××´,[英語]Dactyl´××の4種の基本的音脚に分けられる.弱強律を上昇律([英語]rising metre),強弱律を下降律([英語]falling metre)と言う.その音脚が何個で1行を成すかによって,1音脚([英語]monometre)から8音脚([英語]octametre)まで種類が分れる.さらに行と行の組合せにより,連([英語]Stanza)が成立し,そこから2行連([英語]Couplet),3行連([英語]Triplet),4行連([英語]Quatrain),7行連([英語]Rime Royal),8行連([英語]Eight‐line stanza),9行連([英語]Spenserian stanza),14行連([英語]Fourteen‐line stanza,[フランス語]sonnet)などの種々の詩形が生じる.<復> ちなみにミルトンの“SONG OF MAY MORNING”は,Iambusの5・4音脚である.<復> 「Now the bright morning Star, Day’s harbinger,/Comes dancing from the East, and leads with her/The flowery May, who from her green lap throws/The yellow cow slip, and the pale primrose./Hail bouteous May that dost inspire/Mirth and youth and warm desire,/Woods and groves are of thy blessing./Thus we salute thee with our early song,/And welcome thee, and wish thee long」.音楽的な韻律のあることがわかる.<復> 日本では,母音の多い特性を持つ音韻構造によるためか,頭韻が若干あるばかりで,五七調・七五調などの音数律や句位律しかない.「淑(よ)き人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見」(「万葉集」1・27)は頭韻の例である.音数律の組合せで,長歌(五七,五七,五七…七+五七五七七),短歌(五七五七七),旋頭歌(五七七,五七七),発句(五七五)などの詩形が生じた.<復> 「淡海の海夕浪千鳥汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにし)へ思ほゆ」(「万葉集」3・266,柿本人麻呂,短歌).「愁ひつつ丘にのぼれば花いばら」(与謝蕪村,発句).また,賛美歌が日本文芸に与えた影響は,その歌詩の清新さ,神の愛の無償性・神聖性の主題にあることは周知の通りであるが,それとともに韻律の新しい試みも抒情に変革をもたらしたことを指摘できる.1931(昭和6)年版『讃美歌』20番(1931〔昭和6〕年初版の現行『讃美歌』では38番)「わが,霊(たま)のひかり/すくひ主イエスよ」は八八調,同21番(現行39番)「日くれて四方(よも)はくらく/わが霊(たま)はいとさびし」は十十調,297番(現行319番)「わずらはしき世を/しばしのがれ/たそがれしずかに/ひとりいのらん」は八六調,そのほかにも八七調,七七調と多彩である.七五調は少なく,わずかに180番(現行199番)「わがきみイエスよ/つみの身は」,211番(現行217番)「あまつましみず/ながれきて」などに見られるのみである.七五調は仏教の和讃(七五七五七五七五)に用いられてきており,その寂滅の韻律を避けたものと思われる.<復> 文芸の基本的様式は,発生と進化によって内容的方面から普通,叙事詩([ドイツ語]Epik),抒情詩([ドイツ語]Lyrik),戯曲([ドイツ語]Drama)の三つに分類される.岡崎義恵は普遍的様式と歴史的様式を勘案して,抒情的様式,叙事的様式,劇的様式とした.また實方清は『日本文芸の世界』(1970)の中で,抒情文芸,叙事文芸,劇文芸に加え,日記・随筆・紀行などの自照文芸を別に立てている.<復> E・シュタイガー(1908—87年)は『詩学の根本概念』で,〈抒情的なるもの〉の中の「私」([ドイツ語]ich)とは,常に同一性として意識される「我」([フランス語]moi)ではなくて,永続せず,存在の各瞬間に消え失せていく「わたし」([フランス語]je)なのであって,抒情の本質は主体と客体の間の距離がなくなり,その中に解消していくことから,「透入する」([ドイツ語]erinnern)にあるとした.それに対し叙事の本質は,何ものかを指向し,指示する「表象」([ドイツ語]Vorstellung)にあるとした.叙事詩人は,抒情詩人のように透入しながら過去の中に沈潜していくのではなくて,過去を「回想」([ドイツ語]gedenken)しており,この回想によって,時間的,空間的距離が維持されるのである.また,劇的様式の本質を,持続する存在に対して反逆,前進する「パトス」([ギリシャ語][英語]pathos)と前に投げ出されたものを苦悩のうちに問う「問題性」とから成る「緊張」([ドイツ語]Spannung)にあるとした.劇的なる精神とは,対象に溶け込んだり,新奇なものに心奪われたり,さすらったりする代りに,問題の保証もしくは明確化として事物を受け取ることを言う.従って,悲劇的なるものが生じるのは,予見されていたにもかかわらず,自らの理念の中に首尾一貫して立ち続け,そのために人間存在がそれによって立つ基底であるものが,破壊された時である.逆に,喜劇的なものとは,ある世界の枠からはずれて,枠の外において,自明な,疑いのないあり方で存在するものを言う.<復> 哲学の立場から悲劇的な知の解明を目指したものに,K・ヤスパース『悲劇論』がある.悲劇の本質が,最も深い心の奥底で意欲された否定の実現にあることを省察したものにG・ジンメル『断章』がある.笑いの考察に優れたものにH・ベルクソン『笑い』がある.現在考えられる文学研究方法をすべて網羅し,整理,系統立てた労作に長谷川泉『文学鑑賞80則』がある.近代日本文芸作品を対象に,実際の適用例を明示している.<復> A・ダンテ(1265—1321年)の『神曲』は,懐疑に悩むダンテが最初はウェルギリウスと,最後はベアトリーチェと1週間の彼岸の世界旅行に出かけるという設定で,真善美の兼ね備わった「愛」の能力がいかに人間の魂の救済に役立つかをうたった作品である(野上素一).J・ミルトン(1608—74年)の『失楽園』は,旧約聖書「創世記」におけるアダムとエバの原罪とキリストの贖いの預言「原福音」を主題とした叙事詩である.J・バニャン(1628—88年)の『天路歴程』(正編・続編)は,クリスチャンとその妻や子がそれぞれ種々の困難や世俗の誘惑に打ち勝って天国に至るまでを描いた寓話物語である.これらは,キリスト教の信仰やそれに裏付けられた人生観,自然観によって初めて成立した.<復> 現代日本のプロテスタントのキリスト者の中には,文化や芸術は福音と無縁の世俗であるとして,福音伝道や護教のための音楽,文章,絵画のみに関心をせばめていくか,あるいは,全くかかわりのないものとして無批判な享受を続けていく態度の人たちがいる.かと思えば,キリスト教を文化的に洗練させていくことのほうが,福音よりも重要と考える人々もいる.文化否定は内村鑑三,植村正久,高倉徳太郎以来のプロテスタントの伝統となっている.日本古典文学・漢文学の豊かな素養に培われ,偉大なキリスト教文学を受容したはずの教職者が,ことに近代文芸の享受に否定的となったのは,近代文芸思潮のロマン主義の中に,神への離反をかぎとったからである.青年期にプロテスタントのキリスト教の教えを受けた者が,やがてキリスト教もしくは教会からの離反を契機に,文学者として自己定立を果していった例は,島崎藤村,岩野泡鳴,志賀直哉,有島武郎,正宗白鳥など枚挙にいとまがない.逆に「文学界」創始者の一人,星野天知は妻の信仰に励まされ,文学の筆を絶つことで,後年深い信仰の道に悟入した.近代日本プロテスタンティズムにおいては「文学とキリスト教」は厳しい二者択一を迫る課題であった.武士道的エートス,儒教的倫理規範が,ピューリタニズム的厳格主義と結び付き文化主義,芸術主義を退け,性愛の倫理の律法主義化をもたらす結果を招来した.棄教者有島武郎の心中に対する内村鑑三の非難は,キリストの群れを守るためには必要な決断であったが,倫理主義と文化受容に対する狭量さが,文学者に離反をもたらした一側面でもあることに留意すべきであろう.<復> 今,キリスト者に求められるものは,キリストにあって新たに生れた人間にふさわしい文化の再創造である.それは文化受容に対する批判力と再構築のための積極性の神学的根拠を必要とする.<復> 「文化はその有限なる創造の領域にとどまり,文化自身の道で究極的なものに到達することを要求しないならば,宗教と文化の間には衝突はない」.P・ティリヒ(1886—1956年)『文化と宗教』のこの一節は,文化を見直す貴重な提言である.<復> カルヴァンは,キリスト者は現世を軽蔑し,永生を瞑想することによって行動すべきことを主張したが,同時にこれらの財宝(自然美)が神の賜物であって,われわれを満たすためばかりか,喜び,楽しませるために工夫されたものであることを教えている.また,「あなたがたは,よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい」(Ⅰコリント12:31)により,「キリスト者は芸術や学問,音楽や哲学等一切の人間の心の産物を『優れたる霊の賜物』として尊重し,またそれをできるだけ自分自身の役に立てねばならない」(参照『キリスト教綱要』2:2:16)と説いている.しかし,自然美であれ,芸術美であれ,それを通して創造主なる神の栄光をたたえるためのものであって,それ自体にひざまずくことは偶像崇拝であり,決して許されるものではない.カルヴァンも慎重にその誘惑を避けている.<復> 古来,西欧で芸術を職業とする者は,おおむね謙虚な職人意識に支えられ,現実世界のよりよき再配列・再調整として,工芸品・美術品・文芸作品・音楽を作っていたにすぎない.<復> そうした職人意識は,徒弟制度や宗匠制度に若干の違いはあっても,日本でも事情はほぼ同じであった.しかし,ロマン主義以降の文学や美術は人間の可能性を主張するあまり,芸術を過大に評価し,芸術家を神聖視する傾向が顕著になった.つまり,芸術の美が宗教の救済に取って代るべき価値あるものとの期待が生れた.芸術は「創造」と見なされるようになったのである.J・J・ルソー(1712—78年)は『社会契約論』の人民主権説によって,後のフランス革命に思想的根拠を与えたが,『新エロイーズ』『告白』『孤独な散歩者の夢想』によってロマン主義文学の先駆をなした.『エミール』の教育論や宗教論でも明らかなように,原罪を否定し,自己の理性を絶対視する自然宗教がその本質にある.赤裸々に自己の内面と遍歴をつづった『告白』は「自我の解放」という点で,以後多くの追随者を生んだ.しかし,アウグスティーヌス(354—430年)の『告白録』が,回心に至るまでの日々を回顧して,神への不服従,母や妻などへの不誠実に深い悔悟を言い表し,その半生に現されている神のあわれみを賛美しているのに対し,ルソーの告白には自己弁護と自己肯定が一貫している.自然・恋愛の賛美,性愛の肯定,感情・情熱の絶対化,既成宗教・権力の否定.後のロマン主義に花開くもののほとんどがルソーに胚胎する.ただ,ロマン主義が生れたのはすべて宗教改革を経験した国々であった.それゆえローマ・カトリック教会の側からは,改革運動こそ一切の混乱の種として指弾されてきた.つまり,宗教改革運動はスコラ学の調和を否定し,感情を解放し,また自国の伝統に着想することを教えたからである,と批判されたのである.改革運動の評価には,当然のことながら論議の余地は残る.宗教改革がロマン主義の成立の一要因であったことは今日では疑い得ないが,それは資本主義の勃興に果したプロテスタンティズムの影響を確定して批判するのと事情を同じくするものであり,否定的側面のみを取り上げ,改革運動に責を求めることはできない.森有正の指摘のように,中世的権威への批判,解放のみならず,すべての人が自明のこととしている幸福の追求に対し「根本的批判精神」を持つことが,近代文化に関してキリスト教の及ぼした影響の最大なものと考えられるからである.<復> 日本のプロテスタントのキリスト教指導者たちが,文化,中でも近代文芸を否定した理由は次の経緯による.キリスト教受容とほぼ時を同じくして流入したのが,明治20年代のバイロン,ハイネ,ゲーテ等のロマン主義,その亜種である30年代から40年代にかけてのゾラ,モパッサン,フローベール等の自然主義であった.ホウィットマン,エマスンの思想やドイツ新神学の影響と相まって,三位一体論の廃棄,原罪観の否定が行われていき,キリスト者としての社会的実践の方途も見えないままに,信仰への懐疑が深まり,棄教がなされていったのである.<復> カルヴィニズムやピューリタニズムやジャンセニスム(ヤンセン主義)における文化否定は,趣味の問題などでなく,信仰の文化に対する徹底的批判性を意味するものであり,あるべき文化への責任性をすべてのキリスト者に問うものと言える.その意味で,祈りをもって小説執筆を始めるという三浦綾子の核心にあるものは,近代文芸の属性である自己絶対化,芸術至上主義との決別にほかならない.<復> 「芥川龍之介と志賀直哉」などを書き,優れた批評家として嘱望されていた井上良雄は,入信とともに一切の文芸批評の筆を絶ち,バルト神学者として今日に至っている.この沈黙の背後には,キリスト者として,文化・文学への深い積極的な断念があると思われる.<復> F・モリヤック(1885—1970年)はカトリック作家として,作品が生ける人間の全体を,その頂点から深淵までをもとらえ,表現しようとする時,情熱が読者の運命の内に反響を呼び起すことに,ためらいを抱いた.人々の魂への配慮である.「また,わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は,むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて,海に投げ込まれたほうがましです」(マルコ9:42).架空の人生を創造することを使命とし,人間を凝視する作家であると同時に,カトリック信仰を持つ一人の人間であることに誠実でありたいと願ったゆえの葛藤である.肉欲の罪に汚れた『テレーズ・デスケルウ』も,恩寵の光が作品内部に差し込んでいるという確信に支えられてこそ描き得た,と彼はあかししている.モリヤックのカトリック文学者の課題を担って,近代日本文芸にひそむ汎神論的精神風土の批判から出発し,信仰の土着,愛,罪,悪を主題として描く作家に遠藤周作がいる.<復> T・S・エリオット(1888—1965年)はあらゆる文学の批評にキリスト教を適用するに当り,まず通弊となっている「宗教文学」を批判する.聖書を「神のことば」を伝えるものとしてでなく,「イギリスの散文の記念碑」として文学的な価値だけで楽しむ寄生虫的な態度や,「宗教」詩とか「信仰」詩とか呼ばれる群小詩の一変種だけを取り扱う詩人や「宣伝」文学.このような作品は,「宗教」と「文学」は無関係であるという意識で作られている.文学を宗教から分離して考える,文学の世俗化が強まっていることを,エリオットは次の3段階に分けて明らかにした.(1)「信仰」を当然のこととして受け入れて人生の描写から省いていたディケンズなどの時代.(2)「信仰」に疑いを持ち,悩み,戦ったG・エリオット,G・メレディス,T・ハーディの時代.(3)キリスト教の信仰をただ時代錯誤としてしか聞いたことのない現代.J・ジョイスを除いたほとんどすべての現代作家がこれに含まれる.それゆえ,すべてのキリスト者は,世俗化した近代文学に対して,批評眼を持つことが要請される.優れた作品を読む時にも,共鳴や感動ばかりでなく,私とは異なる心の持ち主が見た世界という視点を持たねばならない.慰み用の娯楽文学から特に深刻な影響を受けるものであるから,「私たちは何を好むか」ということと「私たちは何を好むべきであるか」を知る誠実さを身につけることが肝要である.あたかもキリスト教徒用の文学と異教的世界の文学があるかのように振舞い,使い分けるのではなく,すべての文学に対して,「世間の人々が使用している批評の基準と標準のほかに,ある一定の批評の基準と標準とを意識的に維持していくことが,すべてのキリスト教徒に与えられた義務である」(エリオット『宗教と文学』).<復> また,C・S・ルーイス(1898—1963年)が説くように「ある虚栄心の強い作家たちは,″創造性がある″と彼らについて言われるのは隠喩にすぎないということを忘れるように奨励されているのではなかろうか…すべての″創造的な″芸術家がよってたかっても,新しい原色,あるいは新しい次元の幻さえ呼び起こしえない.…芸術家たちはまた,彼らのいわゆる被造物に実体すら与えていないのである」(ルーイス「書評」『神学』,1941).苛酷ですらあるが,正鵠(せいこく)を得た評言である.あくまで作家は謙虚に,想像力によって「永遠の美と知恵の何らかの反映を具体化することをのみ,心がけるべきである」(ルーイス「キリスト教と文学」,1967).<復> 日本人によるキリスト教文芸論も,笹淵友一・斎藤和明らの日本キリスト教文学会などの努力によって機関誌「キリスト教文学研究」「キリスト教文学」「キリスト教文芸」などに比較文学・日本文学研究の相互の成果を生かし,実りが与えられつつある.山形和美編『新しきミューズ—キリスト教文学の可能性』はほとんどの課題を網羅しているばかりか,懇切な解題によって展望を与えている.S・R・ポパー編『苦悩する現代文学』は,米国ユダヤ教神学校宗教社会学研究所において「現代文学に反映されている現代の精神上の問題点」と題して開催された講座をもとに,編集されたものである.芸術家と神学者との間の溝を埋めようとする試みである.教職者・神学者でありつつ文学に深い理解,洞察を示したものに,北森嘉蔵の『文学と神』,滝沢克巳の『夏目漱石』,佐古純一郎の『宗教と文学』,米倉充の『近代文学とキリスト教』がある.また,単なるキリスト教の受容史ではなく,作家の実在と意味志向性の中に近・現代文芸の成立を意義づけた,水谷昭夫『近代文芸史の構成』がある.文化を福音の超克すべき接触点としてとらえた批評に,清水氾の『天井と鉤と影—太宰治論』,実証的な方法によって漱石文芸の核心にキリスト教の影響があることを解明した論集に高木文雄『漱石の命根』がある.久山康編『近代日本とキリスト教』(明治篇,大正・昭和篇)はシンポジウムによって,キリスト教が近代文化創出にいかに多く役割を果したかを浮彫にする.森有正『ドストエーフスキー覚書』,柳生望『アメリカ文学と終末の世界』,佐藤泰正『文学 その内なる神』はキリスト教文芸批評のあるべき到達点の一つを示している.青年の文芸読本として編まれた大塚野百合『文学に現われた人間像—生きる意味』は,ニヒリズムのうちにある世界の作家を,自らの問題としてとらえ直す珠玉のアンソロジーである.宮田光雄『信仰への旅立ち—読書のすすめ』は読書指導の深い経験に裏打ちされている.そのほか,「兄弟」(基督教学徒兄弟団)に連載中の北森嘉蔵「聖書と文学」の刊行が待たれる.19世紀以降の主要なキリスト教文学を収めた全集に「キリスト教文学の世界」(主婦の友社)がある.啓発的な評論双書に「英米文学批評双書」(すぐ書房)がある.→日本文学とキリスト教,キリスト教と文化,福音と文化.<復>〔参考文献〕岡崎義恵『文芸学概論』勁草書房,1974;伊東一夫『文芸の理論』蒼丘書林,1987;笹淵友一編『キリスト教と文学』1,2,3集,笠間書院,1975;武田寅雄/辻橋三郎/水谷昭夫/山内祥史編『日本現代文学とキリスト教』(全3巻)桜楓社(1974,1975);長谷川泉/高橋新太郎編『文芸用語の基礎知識』至文堂,1988;P・ミルワード『キリスト教と英文学』中央出版社,1974;久保田暁一『近代日本文学とキリスト教作家』和泉書院,1989.(大田正紀)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社