《じっくり解説》国家と教会とは?

国家と教会とは?

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国家と教会…

超越的唯一神を信ずる宗教においては,この唯一神に源を持つ真の権威が,この地上の権威,ことにその典型的な,しかも現代においてますます強大化しつつある国家及び権威と,どのようなかかわりを持つかが大きな課題となる.これはまた,個々のキリスト者にも向けられる問である.教会に生きる信仰者としての忠誠と,一つの国家に生きる国民としての義務が,時として衝突する場合,どちらの権威に対しどのような義務を尽すべきかが,信仰者にとって大きな信仰的課題となってくるのである.<復> 中世の,神聖ローマ帝国における教会と国家との関係を見てみると,国家は神の絶対的権威の下にあり,従って現実的にも教会の支配権の中に置かれ,国家は教会の下でゆだねられた地上の権能を行使する,という関係にあった.<復> 他方,今日の世俗国家,例えば社会主義社会における最終的権威は,国民から権威を委託された国家が保持することになり,当然,教会は国家の権威に服し,その下で信仰的な領域を持つ,ということになる.神学的にも,16世紀にハイデルベルクでカルヴァン主義の長老制度に抵抗し破門されたトーマス・エラストゥスは,死後の1589年に出版された著書『破門の最重要な問題の解説』で教会の破門宣告権を否定し論議を巻き起したのである.<復> エラストゥス自身は,教会が国家の下に支配されることを支持したのではないが,以来,エラストゥス主義は国家権力の下に教会が支配される神学的立場として残っている.<復> キリスト者は,古くから反キリスト的悪霊に対して闘うとともに,2000年間の歴史を通して反キリスト的国家の,誤った権威に繰り返し直面し信仰的な姿勢の決断を迫られてきた.<復> すなわち,地上の権威の代表例としての国家と神の国の権威が現実の世界において衝突する時,信仰者はこの二つの団体に所属する者として,相反する二つの権威をどのように考え整理し,現実の課題に答えていくかが,常に問われてきたのである.<復> 1.聖書における教会と国家.<復> (1) この課題に対し,旧約聖書はどのような解答を持っているだろうか.<復> これは大変明瞭である.すなわち,イスラエルは王国の形態を預言者サムエルの時代に許されて採用して以来,この,ユダヤ民族の旧約の歴史における国家は,一口で言えば神政政治を本質とする国家であった.確かに,背信的な王の出現によって,この神政国家は神の権威と意思から逸脱し,しばしば預言者が警告を繰り返したように神のさばきが下されはした.しかし,そうした現実のあり方はともかくとして,その理念としての国家の本質は神の下にある国家なのであって,神の国と地上の国家は一元的に解されていたのである.このことに対しては,いささかも疑問をさしはさむ余地はなかった.従って,旧約においては政教分離の原則の要もなければ,信教の自由といった,近代憲法における基本的人権の内容もなかったのである.それは,一貫して神政政治に根差していたからである.<復> (2) 福音書における教会と国家.<復> イエスが神の子としてユダヤの地に誕生した当時,ユダの地はローマ帝国の支配の下に置かれていた.ローマ帝国はユダヤ教を公認宗教として扱っていたので,ユダヤ人はローマ帝国内において合法的かつ寛大に扱われており,これはローマ帝国の植民地政策でもあった.<復> このユダヤの地に生れ出たキリスト教は,その初期においてはローマ帝国と衝突するということはなかった.まだ,それほどの勢力ではなかったからだ,とも言える.<復> しかし,ユダヤ教とは,イエスもパウロも激しい衝突を繰り返すことになる.特に当時のユダヤ教の中でユダヤ社会の指導的役割を演じていたサドカイ派やヘロデ党,さらに信仰的指導者としてのパリサイ派やエッセネ派,また,反ローマ帝国派としての熱心党の下で,イエスがどのように教会と国家を考え語っていたかは大いに注目されるところである.<復> このことを意識して福音書を見ていく時に,この課題に対してのイエスの発言が非常に少ないことに気付く.量的に見て,語られた教えの総量に対し,国家との関係を述べている割合は極めて少ない.イエスの教えと行いの中心的内容は人間の魂の事柄であり,従って基本的には神の国と人間のかかわりに関するものがすべてであったからであると言えよう.<復> 数少ないイエスの発言の中でも,マルコ12:13‐17の内容は有名である.ローマ政府への納税を巡って,この納税に肯定的なヘロデ党と信仰的に批判的なパリサイ派が仕掛けた巧妙なわなに対し,イエスは答えられた.「カイザルのものはカイザルに返しなさい.そして神のものは神に返しなさい」.<復> このことばの解釈は,必ずしも単純ではない.この発言は,国家と神への服従が同時に可能であることを認めている,とする理解から,ローマ皇帝及び国家の神格化の拒否宣言である,とするものまで様々である.<復> ただここでは,イエスのこの発言から国家と教会に対するイエスの態度を見る時,イエスの神の国は地上的な国家と同一なものではなく終末的に実現するものであり,信仰者はその時に向かって生きる過程において,地上の世界で神の座に位置しようとする相対的な権力に対し,批判・抵抗することを認めている,と見ることができる.その抵抗の内容や形態はこの箇所だけからは汲み取れないにしても,地上の権力の神格化を肯定することは信仰者に許されていない,と言える.<復> 次に,イエスの昇天後に誕生した初期のキリスト教会の,国家に対する姿勢はどうであったろう.<復> この点については,パウロの記したローマ13章が一つの参考になる.<復> パウロが伝道者としてローマ帝国内を駆け巡っていた頃,ローマ政府とユダヤ人の関係はしばしば険悪なものになり反乱が繰り返されていた.もっともキリスト教は,公認宗教であったユダヤ教とはいまだ区別されておらず,その分派ぐらいに見られていた.<復> パウロはこうした状況の下で生れ出たキリスト者に対し,次の3点を示している.(1)国家の権威の設定者は神であること.(2)国家に権威が与えられている目的は,国民の安全と福祉であること.(3)国家の権威は人間の良心の領域には介入できず,その権威には限界があること.<復> パウロの,国家に対する態度は保守的であり,服従の倫理であるとされるが,終末的な様相を呈する当時の状況の中で,国家が信仰生活の明瞭な敵対者として登場していないという現実において限定的に,熱心党の論理を否定して,社会と国家の下での生活を尊重していくことが勧められているのである.<復> キリスト教会は,ネロ皇帝(54—68年在位)の迫害期を経て,ドミティアーヌス帝(81—96年在位)の治世に入る.この皇帝は権力欲の強い人であったと言われるが,ローマ帝国一帯に皇帝崇拝を広め,その礼拝式への参加の義務を帝国内の人々に課した.従って,皇帝を「神」として礼拝することを拒否したキリスト者には,厳しい迫害が加えられることになる.<復> この,キリスト教会が国家権力の下に厳しい迫害を受けることになった時代に生き残って記した使徒ヨハネの「黙示録」は,パウロの勧める態度とは異なっている.それは,国家大の規模による迫害が現実に,目前に迫っている状況下で語られているからである.<復> ヨハネは,黙示録13章において,国家権力が自己を絶対化し神格化する時,本来の,神の下において委託された国家の本質から逸脱し悪魔的なものに変質してしまう,と語っていると考えられる.すなわち国家そのものが,現実の悪魔的な性格と実態をもって地上の世界にその巨大な悪の姿をさらけ出すのである.<復> こうした悪魔的な国家に対してキリスト教会はどうすべきか.ヨハネは,以下の内容を黙示的な表現で述べるのである.(1)悪魔的国家は必ず滅ぼされる.(2)この,終末的な展望の下で,教会は現在の嵐に対し,祈りつつ闘うべきである,と.<復> すなわち,ヨハネの説くあり方は,明らかに信仰の本質が国家権力によって脅かされる場合には,殉教の覚悟で信仰を貫くことである.こうした悪魔化した国家も迫害も決して長く継続されるものではなく,神の絶対的なさばきの下で歴史的に消えていくのだ,と語るのである.<復> 2.キリスト教史における国家と教会.<復> (1) 古代における教会と国家.<復> 激しい迫害の中で,キリスト教はローマ帝国内に伝播し信徒の数は増えていった.<復> 2—3世紀における国家の教会に対する態度は,皇帝によって「寛大」から「攻撃」の間を揺れ動いたのであるが,結局は教会の勝利に終った.<復> 教会は迫害の下にあっても国家制度を否定することはなく,悪魔化した国家の,本来のあり方から逸脱した領域において信仰的に服従しなかったのであって,決して無政府主義者ではなく,革命主義者を養成することもなかった.神の秩序の下で,良き市民であろうとしていたのである.<復> 教会は迫害の嵐に耐え,コンスタンティーヌス大帝の下で,313年,キリスト教はローマ帝国によって公認されるとともに,むしろ,ローマ帝国の積極的な庇護を受けることになった.ただこの変化は,コンスタンティーヌス大帝の宗教政策の問題であり,ローマ帝国の統一のためにキリスト教会を利用するという政治的動機と判断によるものではあった.<復> (2) 中世における教会と国家.<復> 教会はこの皇帝の政策を歓迎しその庇護を受け,以来,国家への依存を深めつつ,次第に国家教会の制度を確立していく.この意味で,中世のキリスト教は国家とその制度のすべてを教会の権威の下に置いた時代であった.もとより,個々の現象としては,教会と国家の権力闘争は繰り返し行われるのであるが,全体としては神聖ローマ帝国に見られるように教会の下に国家が置かれるという,キリスト教の理念と制度が確立し継続したのであった.<復> (3) 近代における教会と国家.<復> 「近代社会」の始まりは様々な視点から論じることができるが,教会と国家のかかわりから見る時,宗教改革とは教会の権威の源泉を,ローマ教皇から神のことばとしての聖書に戻した,と言うことができる.<復> 真の,信仰者が服従すべき権威は,ただ聖書にのみある.この聖書の真理に従うことにおいて,教会は教会として存在する.従って,ローマ教皇は絶対的な真理を帯びている神的なものではなく,この聖書の権威の下にあるのだ,ということを確認する改革運動,それが宗教改革であった.<復> プロテスタント教会が誕生した時,国家との関係を中世以来の伝統に基づいて継続し,国家と教会の友好関係を維持しつつ,いわば国家教会の制度を持続したプロテスタント主流の諸教会と,他方,教会の本質を国家と分離した地点に見出すことにより,教会を国家とは関係を持たない状態にする,との理解に立つプロテスタントの諸教会とが出現した.<復> こうして近代のキリスト教史—主としてヨーロッパとアメリカを舞台とする—はまた,この国家教会と国家から分離した教会の,様々な領域における闘いの歴史と見ることもできよう.ヨーロッパ近代史とは,キリスト教社会の崩壊と権力の世俗化という課題を巡って動いた,とも言える.フランス革命もイギリスの名誉革命も,ドイツの領邦教会制度もアメリカの独立宣言も,そうした視点に立って見てみる必要がある.<復> 他方,こうした歴史の所産として,今日の近代憲法における必須条件としての「信教の自由」の権利が保障される制度が確立していく.このことは,国家が一方において世俗的な団体になることを意味しながらも,宗教的にはどの信仰者に対してもその信仰を保障するという意味において,宗教的中立性を表明する,ということにほかならなかったのである.<復> 宗教改革期から約300年に及ぶ,キリスト教内のカトリックとプロテスタントの,そしてプロテスタント内の各教派間の,国家に対するあり方を巡っての抗争と混乱は決して正しい結論が出たとは言えない状態で今日まで尾を引いているが,ともあれ,各国の近代憲法の中に信教の自由とその制度的保障としての政教分離の原則を確立させることには成功したのである.<復> 教会と国家の問題がより深刻に,しかも世界大的な広がりをもって提起されたのは,むしろ20世紀に入ってからである.<復> それは言うまでもなく,人類の歴史において初めて経験した2度に及ぶ世界戦争においてであった.特筆されるのは,第1次大戦における敗戦の影響とも言えるが,ナチス・ドイツの台頭が第2次大戦を引き起したことである.<復> この,ナチス・ドイツの下における国家と教会は,改めて「教会と国家」に対する神学的命題を与えるとともに,教会の国家権力に対する闘いを生んだ.すなわち世俗国家が神格化し,しかもドイツや日本において顕著であったように特定の宗教を帯びることによって国家の神聖性を打ち出し,そのことによって統一的な権力を行使したのである.国家が教会化するという事態が生じたのであった.<復> 多くのキリスト者はこの悪魔的な事態の内容を見抜くことができなかったが,その時代の嵐の意味を洞察し国家の教会化の誤りを見抜き,そのサタン的な権威に抵抗する,という動きがあった.この闘いは恐らくどこの国においてもわずかながら見られたであろうが,最も高く評価されているのが,ドイツ教会闘争と言われているものである.<復> ドイツ教会闘争とは,1933年から1945年までの,ナチス,ヒットラーの下での,国家に対する福音主義教会の抵抗の歩みのことを言う.K・バルト,M・ニーメラー,D・ボーンヘファーらの,信仰的神学者・牧師がこの運動と宣言の中核となった.<復> すなわち,ヒットラーの下に国家教会の体制を形成しようとした,ドイツ的キリスト者と帝国教会に対して,真の教会とは主イエス・キリストを告白する者の統一体であって,教会の規準は聖書と教会の告白にのみ存在することを宣言する.こうしてドイツ福音主義教会(告白教会)の信仰的立場が明らかにされたのである.<復> 特に国家との関係について,バルメン宣言(1934年)の第5項は,次のように述べる.<復> 「国家は,教会もその中にあるいまだ救われぬこの世にあって,人間的な洞察と人間的な能力の量に従って,権力の威嚇と行使を為しつつ,正義と平和のために配慮するという課題を,神の定めによって与えられているということを,聖書はわれわれに語る.教会は,このような神の定めの恩恵を,神に対する感謝と畏敬の中に承認する.教会は,神の国を,また神の誡命と義を想起せしめ,そのことによって統治者の責任を想起せしめる.教会は,神がそれによって一切のものを支え給う御言葉の力に信頼し,服従する.<復> 国家がその特別な委託を越えて,人間生活の唯一にして全体的な秩序となり,従って教会の使命をも果すべきであるとか,そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを,われわれは斥ける.<復> 教会がその特別な委託を越えて,国家的性格・国家的課題・国家的価値を獲得し,そのことによって自ら国家の一機関と成るべきであるとか,そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えをわれわれは斥ける」.<復> ここには当時の状況の中で,国家と教会のあるべきかかわり方が明確に打ち出されており,唯一の神の下で,この二つの団体がこの世においてどのようにあるべきかが示されている.<復> 第2次大戦終結後,世界は2度の惨禍を経て平和の道を踏み出したかに見えたが,米ソ両国の対立の激化と冷戦の下で各地に代理戦争が起き,加えて南北の貧富の較差が大きな課題としていよいよ今日的なものになっている.<復> こうした状況の下で第三世界の教会においては,政治の神学・民衆の神学・解放の神学,といった内容をもって,教会がキリストの主権の名において現実社会の,政治・経済レベルの具体的な問題にこそ取り組んでいくべきことが論じられている.<復> 福音派の教会においても,1974年のローザンヌ世界伝道会議において出された,ローザンヌ誓約第5項において,教会の責任の中に社会的・政治的な参与の務めが,伝道の務めとともにあることが確認された.そこでこれを受けて,この,伝道と社会的責任の優先順位及び力点の置き方を巡っての論議が,福音派において活発になされている.<復> いずれにせよ,イエスをこの世界の主キリストと信じ告白する教会は,終末的な展望の下で福音の宣教に励むと同時に,国家の責任と務めをも視野に置いて,祈り監視していくことが求められていると思われる.<復> (4) 日本における教会と国家.<復> 日本の教会が,国家との関係を信仰的な視点に立って本格的に考え論じ,具体的に行動に移したのは,1969年に靖国神社国営化法案が提出されてからである,と言える.<復> もとより個々のキリスト者が,国家の,非信仰的な偶像崇拝を内包する施策に対し,その信仰的良心に基づいて抵抗した歴史は,キリシタンの時以来あり,例えば島原の乱などは,組織的かつ軍事的な抵抗と見ることもできよう.<復> 明治期以後の,プロテスタントの歴史においても有名な,内村鑑三の不敬事件,太平洋戦争中の,ホーリネス教会の教職者・ものみの塔・無教会主義者等による治安維持法に反する抵抗の例は数は少ないとはいえ,信仰の闘いの歴史の中で光を放っている.<復> しかし教会として,信仰告白的に,加えて神学的な闘争として行われたかということになると,上記の例は信仰者の個人的な闘いと言わざるを得ない.<復> 教会としては,むしろ宗教団体法に基づき国家の指導の下で,日本の全教会が統合し日本基督教団を形成して,太平洋戦争の遂行と勝利,といった国策に教会として協力する姿勢を採ったのである.特に,日本軍の侵略下に苦しんだ朝鮮のキリスト教会に対し,日本基督教団の名において神聖天皇崇拝と宮城(皇居)遙拝を勧めたことは,日本の教会史の汚点となっている.<復> こうした反省に立って,少数ではあったが,靖国神社を国営化するという法案に対し,憲法上・信仰上,明らかに国家のあり方から逸脱したものとして,キリスト者は信仰と社会的責任に立って具体的な反対運動を展開したのであった.<復> 1974年まで,6年にわたり5度,法案として国会への提出がなされたが,そのたびごとに激しい反対に遭って,結局,ことごとく廃案になり,以来,現在までのところ提出されていない.<復> とはいえ,この法案の趣旨を実現させようとする政府・自民党は,戦前の,旧体制の復元を図ろうとする諸団体とともに,1975年以後,「英霊にこたえる会」を結成し(1976年6月22日),いわば国民運動のレベルで天皇・首相による靖国神社公式参拝の実現を図ろうとした.<復> 1975年8月15日の,全国戦没者追悼式典はこの年から式場中心の標柱の文字がそれまでの「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」という,より宗教的な表現に変えられ,式典の性格も宗教性を帯びるようになり,11月10日には,天皇在位50年の記念式典が行われ,1979年には元号法が成立するとともに,君が代・日の丸に対する,文部省の指導が強化されるに至る.<復> 1978年には,いわゆる津地鎮祭訴訟事件に対する,最高裁判所の判決が出され,10対5で原告敗訴が確定することになった.<復> この最高裁の判決は目的効果論という法理論に基づいており,この判断はその後の,信教の自由や政教分離の原則を巡る違憲訴訟に援用されて,逆転判決の基盤を提供することになった.<復> この判決の多数意見は地鎮祭を,慣習化した社会的儀礼としての世俗的行事だと見なし,この行事により「参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めるとは考えられず,これにより神道を援助・助長・促進するような効果をもたらすものになるもの」とは認められない,としたのである.<復> この見解は,ある行為が憲法の言う「宗教的活動」に該当するか否かは,その行為の中に宗教的要素や宗教色があるかないか,といった内容が問題とされるのではなく,その行為が特定の宗教を利する意図や効果があるかどうかを客観的に考察することによって判断されるとしているのである.<復> この結果,国や公共団体が宗教性を帯びた行事にかかわる道を開くことになり,もともと日本国憲法が制定された段階で予測されていたような,国家と宗教との厳格な分離が崩されることになってしまったのである.<復> この訴訟において争われた中心的な事柄は,地鎮祭は宗教的活動に当るものかどうか,ということであったが,第1審の津地裁はこれを習俗的行為とし,第2審の名古屋高裁は宗教的活動に当るものとした.そして最高裁は上記の法理論に基づいて,習俗的行為としたのである.<復> 以来,習俗論が大きく登場してくることになる.中曽根首相による靖国神社公式参拝は激しい反対があったにもかかわらず,1985年に行われたが,その根拠とされたのもこの最高裁の判決であり,公式参拝は宗教的活動に当らず習俗的行為である,との考え方を採用した結果なのである.<復> かつて明治政府は,「神社は宗教にあらず」として国家神道への道を備え,明治憲法28条の,信教の自由規定を骨抜きにしてしまった.日本人である限りは,たといどのような宗教を信奉していようとも,それは国家神道の枠内において,という条件が課せられてしまったのである.<復> だから太平洋戦争の最中に,教会は,その意に反して圧倒的な国家権力の下で宮城遙拝をし,戦勝祈願を神社で行い,占領下のキリスト者に向けて神国日本への信仰的従順を呼びかける,といった過ちを犯してしまったのである.<復> そして今また,「神社は宗教にあらず」に代って「神社参拝は宗教にあらず」の論理が登場してきたのである.日本人であれば,どのような宗教を持とうと神社に参拝するのが当然である,という考え方を支える法的根拠を最高裁判所は,信教の自由と政教分離の原則規定にもかかわらず提供してしまったことになる.<復> 昭和天皇の死去に伴って,いわゆる「天皇の代替り」にかかわる,皇室の神道式伝統にのっとった様々な一連の儀式が行われることになった.この儀式もまた,国家の行事とする動きと現実が見られたが,その根拠とされたものもまた,この習俗論であった.<復> こうした習俗を巡る,憲法の政教分離の原則に関する国家の動きに対し,それでは日本の教会はどのように受け止め,また信仰的課題としてどのように考え,さらに行動しようとしているのだろう.<復> 全体として日本の右傾化に見られる,神道と国家の癒着に向けての上述の動きに対し,キリスト者個々人としては問題を感じ,一市民としてのレベルにおいて今日までの政府・自民党のあり方に対する批判の精神は強いと言える.<復> しかし,それでは教会全体としてこうした問題に取り組もう,というほどには至っていない.つまり個々のキリスト者としては,政治的な領域についても,信仰的な観点からの,関心の幅も深みも持ってはいるものの,教会という舞台においては,こうした政治問題にかかわる事柄を取り上げるということについて消極的である.それはなぜか.<復> 日本の教会及びキリスト者は,日本全体の宗教人口から見れば圧倒的に少数者であり,社会に対する影響力は乏しいと言わなければならない.しかも必ずしもキリスト教界全体が一つに結集して運動を起す,といった態勢にはなっていない.従って政治の領域にかかわるような,数の力で圧力を加えるといったことは極めて不得手である.<復> そして何よりも,日本のキリスト者の信仰的体質は,天皇に関する事柄や政治については,祈ることはあっても,学習や討論の対象にしたり,ましてや信仰の本質に関するものとして考えるべきものを持っていないのではないだろうか.<復> それは,日本のキリスト教会は国家とのかかわりから見ればルター的な体質が強く,肉の領域に関する事柄と霊的な領域に関する事柄を分離して,それぞれを固有に扱う団体として神が国家と教会を建てたとする,二王国論の発想が強いから,と言えよう.そのために,それでは国家がその固有の,神からゆだねられた権能を逸脱した場合には,教会はどうすべきか,といった深刻な課題についてはいまだ体験していないために,どうしても楽観論的になり非行動的になってしまうのではないかと思われる.その歴史において欧米の教会が,キリスト教社会の中で試行錯誤を繰り返しながらたどり着いた,信教の自由や政教分離の原則の命題を,日本の教会は信仰の闘いの体験がないままに,憲法により保障されているのである.<復> 日本の教会は,偶像の問題といった,純粋に聖書の神とその教えに違反する異教の事柄については,教会として闘うことができる.しかし,事柄が政治的なもの,例えば憲法問題や天皇制に関することになると,教会としては議論や対応の仕方が分れてしまうために動きにくいものになってしまうのである.<復> これからの日本の教会の課題は,単に自己の信仰的利益を守るために,とか,国家からひどい目に遭わされないために,といった消極的姿勢ではなく,国家とその権能も神の下にあり,その委託された使命と方策を国家が誤り逸脱する時には,神の下にある教会が祈り発言し,行動するあり方を身に帯びることである.宗教改革時に登場する,国家への抵抗権の問題を,教会は平時にこそ真剣に学習しておく必要がある.それは,神の救いの歴史の中で,教会はキリストの主権性を語り,伝え,生きる共同体としての立場と使命から,国家に対し祈りと支援を送り,時には抵抗のあり方を示すことこそ,教会に課せられた使命の一つであるからである.→信教の自由,政教分離,神政政治,皇帝崇拝,政治とキリスト者,バルメン宣言,天皇制とキリスト者,キリスト者の社会的責任,社会倫理,社会的福音,解放の神学,希望の神学,権威,教会・教会論.<復>〔参考文献〕丸山忠孝『キリスト教会2000年』いのちのことば社,1985;新田一郎『キリスト教とローマ皇帝』教育社,1980;千代崎秀雄/池尻良一/井戸垣彰『国家宗教とクリスチャン』いのちのことば社,1988;日本基督教団靖国神社問題特別委員会編『国家と宗教』日本基督教団出版局,1978.(斎藤篤美)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社