《じっくり解説》聖書写本とは?

聖書写本とは?

聖書写本…

1.古代文書の筆写材料.<復> 粘土,石,陶片,木材,パピルス,獣皮などが用いられた.粘土は古代メソポタミヤを中心とする地方で楔形文字を記すのに粘土板として広く用いられた.石は碑文に用いられたが,特に石材の豊富なエジプトで多く使われた.聖書で十戒(十のことば)が記されたのは石の板にであり(出エジプト34:1),エバル山頂で律法の写しが記されたのは,石灰を塗った石であった(申命27:1‐4,ヨシュア8:32).石は粘土よりはるかに強固であるが,再利用が利くため,石に刻まれた文書のほうが粘土板に記された文書よりも保存率がかえって悪くなっている.陶片は安価で容易に入手できたため,日常生活の出納の記録や手紙などに特にパレスチナ等でよく用いられた.筆記用の陶片はオストラコン(複数形オストラカ)と呼ばれ,サマリヤやラキシュで出土したものなどが知られている.また表面を石膏や蝋(ろう)でおおった木の板も筆記用に用いられた.エジプトやメソポタミヤでの発掘で幾つか発見されており,1953年のニムロデでの発掘の際にも,16個の象牙の筆記用板とともに木製のものが井戸の中に投げ込まれていたのが発見されている.ハバクク2:2,イザヤ8:1,30:8などに見られる板は恐らくこうした木製の板であったと想像される.象牙の場合は言うまでもないが,木も中近東では貴重品であった.表面に石膏や蝋をかぶせたのは字の書きやすさのためであっただろうが,再利用も考えてのことだったに違いない.<復> 古代の筆写材料のうち最も優れたものの一つがパピルスで,その名は原料であるナイル河の岸辺に群生する葦の一種パピルスに由来する.現存する最古のものはエジプト第5王朝時代(前2494—2345年)のものだと思われるが,それよりもずっと以前からパピルスが用いられていたことは,ひざにパピルスを置いた第3王朝時代(前2686—2613年)の書記の像により推定できる.<復> パピルスと同様に重要な筆写材料が獣皮,特にやぎや羊の皮である.ギリシヤの歴史家へロドトス(前5世紀)の伝えるところによると,イオニヤではその昔パピルスの代りにやぎや羊の皮を使っていたそうで,当時でも獣皮を筆写材料にしている異民族は少なくなかったとのことである(「歴史」5:58).もしそうであるなら,獣皮の筆写材料としての起源も相当古いと言えるであろう.前200年頃に鞣皮(なめしがわ)の技術が生れ,紀元4世紀以後,鞣皮が書物の主要な素材となった.この鞣皮はパーチメントと呼ばれる.<復> 以上の筆写材料のうち,聖書の写本にかかわりのあるのは,パピルスと獣皮である.旧約聖書写本の場合はクムランやムラバアトで発見された少数の断片などを除き,そのほとんどが羊皮かパーチメントである.パウロはテモテに,ローマに来る時は羊皮紙の書物(恐らく旧約聖書の巻物)を持って来るように頼んでいる(Ⅱテモテ4:13).それに対して新約聖書の写本の場合は,3世紀頃まではパピルスが主流を占めていた.特に新約記者たちは,比較的質の良くない安価なパピルスを使っていたようである.ユダヤ教の書記たちが聖書を神聖視し,それを丁重に末長く保存しようとして高価な羊皮紙を使ったのに対し,新約の書記たちはひっ迫した時代にあって聖書の外的な体裁にはあまり関心がなく,メッセージそのものを迅速に的確に伝えようとしたのではないだろうか.その後4世紀になって新約聖書の場合にもパーチメントが普通に使われるようになった.<復> 2.書物の形態.<復> パピルスや獣皮を使った書物の形態は,古くは巻物であった.現存する最長の巻物は大英博物館の保有するハリス・パピルスで,長さ約40メートル,高さ43センチのものであるが,こうした巻物は決して実用的なものではなく,儀式用,あるいは死人とともに葬る葬儀用のものであったと思われる.普通の実用的な巻物は長くとも10メートルばかりのもので,例えばルカの福音書などは,こうした巻物の一巻に収められたと考えられる.普通は巻物の内側(recto〔レクトー〕,「表面」.パピルスの場合は繊維が水平に並ぶ面)にのみ書かれたが,ある場合には外側(verso〔ヴェルソー〕,「裏面」.パピルスの場合は繊維が縦に並ぶ面)にも記された.このような巻物をオピストグラフ(opisthograph)と呼ぶ.エゼキエル2:10や黙示録5:1に出てくる巻物はオピストグラフである.<復> しかし巻物には二つの大きな欠点がある.一つは,巻物の中のある箇所を即座に見ることが難しいこと.その二は,一つの巻物にイザヤやルカなどのような大きな書物であれば,せいぜい一つしか収められないことである.この欠点を克服したのが現代の本の形をしたコーデックスと呼ばれる綴じ本である.コーデックスなら必要な箇所が簡単に開ける上に,パーチメントのものであれば旧新両約聖書全巻をも一つのコーデックスに収めることができるようになった.ローマでは,前述の記述用木板を数枚重ねて綴じ合せたものをノートとして使っていたようであるが,コーデックスはこれにヒントを得て,恐らく紀元1世紀に発明された.それ以後,2世紀3世紀と,特にキリスト教徒の間で多く用いられるようになり,4世紀になると,通常の書物の形状として一般に広く用いられるようになる.ユダヤ教のほうでは旧約聖書を巻物に,特に五書の場合には上質のパーチメントの巻物に書き写すのが習わしであったが,それでも徐々に便利なコーデックスを採用するようになる.6世紀になると,礼拝式に用いる特別な五書の巻物やエステル記の巻物は例外として,ユダヤ人の用いる旧約聖書もほとんどコーデックスになった.<復> 3.旧約聖書の主要な写本.<復> (1) 死海写本.1947年に死海北端の西岸にあるキルベト・クムランの近くの洞穴で偶然に発見されたイザヤ書の巻物を契機に,付近一帯の洞穴の調査が行われ,11の洞穴からキルベト・クムランに住んでいた宗団の文書が多数発見された.そのうちに聖書の写本が200近く含まれており,エステル記以外のすべての書物が確認された.最も数の多かったのが五書で70(創世15,出エジプト15,レビ9,民数6,申命25),そのほか後預言書は36(イザヤ18,エレミヤ4,エゼキエル6,小預言書8),詩篇は27の写本が判別された.これら200近い写本のうち最も有名なのが,第1洞穴で最初に羊飼いの少年により発見された七つの巻物の一つ,イザヤ書の巻物(1QIsaa)である.所々に破損した箇所があるもののほぼ完全なイザヤの写本で,17枚の羊皮を綴り合せた長さ7.34メートル,幅26センチの巻物に記されている.このほか,七つの巻物のうちには断片的であるがイザヤのもう一つの巻物(1QIsab)やハバクク書の注解が含まれていた.最も収穫の多かったのは第4の洞穴で,100以上の写本が発見されたが,その中には,死海写本のうちで最古のものの一つと考えられる前200年頃のサムエル記の断片(4QSamb)がある.また死海写本のうちには捕囚期以前に使われていた古代ヘブル文字を用いた擬古書体の写本も幾つか含まれている.死海写本の年代についてはキルベト・クムランの破壊が紀元68年なので,それ以前であり,古い場合は前200年頃までさかのぼれるのではないかと考えられる.<復> なおユダの荒野の調査で,キルベト・クムランの死海写本以外にワディ・ムラバアトで発見された小預言書の写本(紀元2世紀),マサダの砦の跡で発見された14の巻物(紀元73年以前)などが注目されている.<復> (2) ナッシュ・パピルス.十戒(出エジプト20:2‐17,申命5:6‐21)とシェマ(申命6:4,5)を恐らく礼拝用に書き記したもので,聖書の巻物の一部分ではないと言われる.年代は学者によってマカベア時代(前165—前137年)のものだと言われたり,紀元70年のエルサレムの神殿破壊のものとされたりする.十戒の部分は第6戒と第7戒の順序が逆になっており,シェマの部分は70人訳のテキストに同型.<復> (3) カイロ・ゲニザ.ゲニザとはアラム語で「貯蔵庫」という意味.ユダヤ教では使い古したり書き損じたりした神聖な文書は,適切な宗教儀式を経て地中に埋めた.俗人の目にさらして神聖な神の名を汚すことを恐れたためであろう.儀式を済ませていない文書は一時的に会堂内のゲニザに秘蔵された.カイロの聖ミカエル・コプト教会の跡に建てられたユダヤ教のエズラ会堂のゲニザには,古くから蓄えられたこうした使用できない写本が納められていたが,いつの間にかその部屋が密封され忘れ去られてしまった.19世紀の後半にこのゲニザが発見され,そこから20万にも及ぶ宗教文書の断片が出てきた.その中に紀元5—9世紀にかけての多くの聖書写本の断片が含まれていた.この膨大な資料をもとに,テベリヤ学派以前の書記たちの活動状況,特に母音記号の発展状況が推測できるようになった.<復> (4) カイロ・コーデックス.前預言書(ヨシュア,士師,サムエル,列王)と後預言書(イザヤ,エレミヤ,エゼキエル,小預言書)の写本.中世の写本には多くの場合,その最後に書記の名前や写本の完成年代,写本製作の事情などの付記があり,学者たちはこれをコロフォンと呼んでいる.このコーデックスのコロフォンによると,製作年代は紀元895年,テキストを記し母音記号ないしアクセント記号を付けたのはモーセ・ベン・アシェルだということがわかる.ところでこのモーセ・ベン・アシェルは,紀元750—950年頃にユダヤ教学で指導的な地位を占めたテベリヤ学派の中の最も重要な書記の家系に属し,その息子アロン・ベン・モーセ・ベン・アシェルとともに聖書写本製作に関しては最も権威のある人物であった.よく「ベン・アシェル系のテキスト」と呼ばれるのは,これらの人物が直接間接に関与して記された聖書写本を指す.アロン・ベン・アシェルと同時代にテベリヤにはもう一人の権威者ベン・ナフタリがいた.在来,ベン・アシェル系のテキストに対して,ベン・ナフタリのテキストが対峠するものと考えられてきたが,最近の学者たちの研究では,ベン・ナフタリのテキストはアロン・ベン・アシェルのテキストよりもさらに忠実にモーセ・ベン・アシェルのテキストを伝えている,とさえ言われるようになってきた.カイロ・コーデックスがモーセ・ベン・アシェルにより筆写されているにもかかわらずベン・ナフタリのテキストに近いのはこうした事情による,とゴシェン・ゴットシュタインは推測する.<復> (5) オリエンタル4445.大英博物館にある五書の写本(創世39:20‐申命1:33).末尾が失われてコロフォンが欠如しているため写本作成のはっきりした事情は不明だが,所々,欄外に「偉大な教師ベン・アシェル」の権威に訴える注が見られる.ギンスブルクの推定では,紀元820—850年に筆写された現存する最古のベン・アシェルのテキストである.<復> (6) レニングラード預言者コーデックス.1839年にクリミヤのチュフトカレ(Chufutkaleh)のユダヤ教会堂で発見された後預言書の写本.筆写年代916年.母音記号は文字の上に振り付けるバビロニヤ式.(ヘブル語の母音記号は,シリヤ語の母音記号にヒントを得て5世紀頃から8世紀9世紀にかけて発達してきたもので,大きくバビロニヤ式,パレスチナ式,テベリヤ式の三つに分けることができる.バビロニヤ式とパレスチナ式では,文字の上に母音記号を振り付ける.現代使われているのはテベリヤ式のもので,文字の下に振り付けるのが基本.バビロニヤ式母音記号は,この写本の発見により初めて具体的に明らかになった).しかしテキストそのものはむしろテベリヤ系のものだと言われる.<復> (7) アレッポ・コーデックス.旧約聖書全巻の写本であったが,1948年のアレッポでのユダヤ人迫害の折,その4分の1が失われた.コロフォンが失われているため正確な筆写年代は不明だが,9世紀の終りか10世紀の初め(イツハク・ベン・ツビによると遅くとも910年以前)の写本だと推定されている.コロフォンの信頼できる写し(そこには年代は記されていない)によると,この写本は,ソロモン・ベン・ブヤアによって筆写され,アロン・ベン・アシェルによって母音記号並びにアクセント記号が振り付けられ,マソラが付加された.11世紀になってカライ派の司(つかさ)により購入され,エルサレムのカライ派会堂に奉納されたが,恐らくセルジュク・トルコによる1071年のエルサレム略奪の折,戦利品の一つとしてエジプトに持ち去られ,間もなく,カイロのエルサレム出身のユダヤ人会堂に買い戻されたのだろう.このコーデックスは通常の礼拝では用いられず,過越祭,七週の祭,仮庵の祭の時にだけ用いられ,そのほかの時は,学者たちがテキストに関して甲乙をつける必要のある場合にのみ参照することが許された,基準となるモデル・テキストであった.ユダヤ教の大学者マイモーニデスによって最も権威のあるテキストと仰がれたのは,このテキストであったと推測される.この写本は,この後,14世紀の末にアレッポに移されたようである.現代はエルサレムのヘブル大学に保管されており,この写本に基づいた聖書のテキストの出版が進められている.
(8) レニングラード・コーデックス(B19A).サムエル・ベン・ヤコブがアロン・ベン・アシェルの修正済み注解付き台本をもとにカイロで多分1008年に筆写を終えた聖書全巻の写本.ビブリア・ヘブライカ(略号BH)の第3版(1937年)以後の底本に用いられている.ビブリア・ヘブライカの第8版に当るビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア(1967年に分冊で刊行し始め1977年に完結.略号BHS.BHSに対して,第7版までをBHKで表す)では,その本文にB19Aをできるだけ忠実に再現しようと努めている.<復> (9) ロイヒリン・コーデックス.1105年にイタリアで筆写された預言書の写本.パウル・カーレによりベン・ナフタリ系のテキストだと言われていたが,現代では否定的.ベン・アシェルのテキストやベン・ナフタリのテキストとは異なった体系のもとに記号が振り付けられていて,例えば長母音と短母音の区別がない.学者たちによって「前マソラ(pre‐Masoretic)」,「後マソラ(post‐Masoretic)」,「非マソラ(non‐Masoretic)」,「テベリヤ反主流派(Tiberian non‐receptus)」などと呼ばれ,その評価は必ずしも一致しない.<復> (10) サマリヤ五書.サマリヤ宗団の伝える五書の写本.正統的なテベリヤ学派によって代表されるマソラのテキストとの間に約6000箇所の相違が認められるが,大半は綴字法(ていじほう)の相違でテキストの意味の変化を来すものではない.6000のうち約1900箇所では70人訳の読みに近い.またサマリヤ宗団の信仰に合せるために本文を変えていると思われるところがある.例えば申命27:4では「エバル山」を「ゲリジム山」に書き換えている.文字はアラムの角文字ではなく,古書体であり,発音はサマリヤ方言によるもの.写本は13世紀以前のものは非常に少ない.ケンブリッジ大学の図書館にあるコーデックスには1149—50年に売られたとの書き込みがある.筆写されたのはそれ以前どの年代にまでさかのぼるのか,相当古いものだと言われる.サマリヤ宗団の本拠地シェケム(現在のナブルス)の会堂にあるアビシュア・スクロール(Ⅰ歴代6:4のアビシュアが記した五書の巻物だと言うのでこう名付けられている)は,幾多の写本の断片をもとに編集して作られたものと推測されている.アビシュア・スクロールの校訂本の編集者ペレズ・カストロによれば,最も古い部分だと思われる民数35章‐申命34章の部分は紀元11世紀のものである.<復> 4.新約聖書の主要な写本.<復> ギリシヤ語を筆記するのに二通りの書体があった.一つは日常の卑近なことのために用いられた草書体で,もう一つは公的な文書や文学作品などに用いられた大文字書体である.この大文字書体がアンシャル体と呼ばれる丸味を帯びた書体に発展し,前3世紀頃から紀元10世紀頃まで用いられた.一方,日常の卑近なことのために用いられた草書体も,より早くより滑らかにより美しく筆記できる小文字書体(ミナスキュル体)に発展し,これが文学作品などにも用いられるようになった.この小文字書体は紀元9世紀の初め頃から用いられるようになり,やがてアンシャル体に取って代った.新約聖書の写本も,初期のものはアンシャル体であるが,後期のものはミナスキュル体である.数の上から言えば,ミナスキュル体のものが圧倒的多数を占めている.<復> (1) パピルス写本.上述の通り,紀元3世紀頃までの新約聖書写本は,ほぼパピルスであった.それ以後もパピルスが用いられることはあったが,一般的にはパピルスに記された写本が最も初期の新約聖書写本群を成していると言える.これを便宜的に「パピルス写本」と呼んでいる.現存するパピルス写本は,1981年の時点で公的な番号が付けられたものが88(p1,p2,…,p88と表記),現在ではこのほかにまだ新しく追加すべきものがあるはずである.88のパピルス写本は,四つの例外(p12,p13,p18,p22)を除き,すべてがコーデックスで,その書体は,初期のものは主としてぞんざいな一種の草書体であるが,時にはアンシャル体のものも見られる.新約聖書全体の写本はなく,一般に断片的で,まとまったものでもせいぜい2ないし3書を含むにとどまる.年代は2世紀から8世紀にわたるが,その主体は3世紀から4世紀,中でも3世紀のものが一番多い.現在のところ一番古いのがジョン・ライランズ・パピルス(p52.ヨハネ18章の断片)で2世紀前半(C・H・ロバーツによると約125年)のものだと推定される.<復> チェスター・ビーティが1930年頃エジプトの商人から購入したパピルス文書に,旧約聖書のギリシヤ語訳の写本のある部分が七つと新約聖書の写本のある部分が三つ含まれていた.新約部分の一つ,チェスター・ビーティ・パピルス文書第1号(p45)は本来,四福音書と使徒の働きから成っていたが,現存するのは全体の約7分の1にすぎない.3世紀のもの.チェスター・ビーティ・パピルス文書第2号(p46)はパウロ書簡とヘブル書を収録する恐らく104葉のパピルスから成るコーデックスだったと思われるが,現存するのはそのうちの86葉(30葉はミシガン大学所蔵),いずれも完全なシートはなく,多くの場合,頁の下数行が欠けている.紀元200年頃のもの.チェスター・ビーティ・パピルス文書第3号(p47)はヨハネの黙示録の写本であるが,現存するのは黙示録9:10‐17:2だけである.3世紀のもの.チェスター・ビーティ・パピルスの収集の中には旧約全巻のギリシヤ語訳と新約全巻が含まれていたと想像される.<復> このほか,特に注目に値するものとしてボードマー・パピルス第2号(p66),第14—15号(p75),第7—8号(p72)が挙げられる.p66はヨハネの福音書の写本で,そのうち約3分の2が残っており,おおよそ200年頃のものだと推定されている.p75は3世紀の初期の写本で,27葉のほぼ完全なシートが残っており,ルカ3:18‐24:53(途中所々に欠文がある.大きい欠文では18:18‐22:3)とヨハネ1:1‐15:8(途中所々に欠文)を含む.p72は3世紀から4世紀にかけてのコーデックス.Ⅰペテロ,Ⅱペテロ,ユダ書がほぼ完全な形で含まれる.このほか,詩篇33,34篇,その他六つの外典的文書が含まれている.<復> (2) 大文字写本(アンシャル体写本).パーチメントの写本はその書体によって大文字写本(アンシャル体写本)と小文字写本(ミナスキュル体)に分類される.1981年の時点でクルト・アーラントの数えるところによると274の大文字写本が判別されている.そのうち重要なものを幾つか挙げることにしよう.<復> シナイ写本(〓または01で表記).1844年にティッシェンドルフがシナイ山の聖カタリナ修道院で発見した紀元4世紀の聖書写本.本来少なくとも730葉のパーチメントから成るコーデックスであったのだろうが,現存するのは390葉だけである.新約聖書の部分は全巻保存されており,大文字写本では唯一の例.旧約聖書の部分(ギリシヤ語70人訳)は五書から歴史書にかけて大きく欠如.新約外典ではバルナバの手紙とヘルマスの牧者を,旧約外典ではトビト,ユデト,Ⅰマカベア,Ⅳマカベア,エレミヤの手紙,ソロモンの知恵,ベン・シラの知恵(不全)を含む.<復> ヴァチカン写本(Bまたは03).ローマのヴァチカン図書館にある4世紀中葉の聖書写本.本来820葉のパーチメントから成るコーデックスだったと思われるが現存するのは759葉.新約ではⅠテモテ,Ⅱテモテ,テトス,ピレモン,ヘブル9:14以下が欠如.しかし新約聖書の大文字写本では最良の写本だと言われる.旧約70人訳聖書では創世1:1‐46:28,詩篇105:27‐136:6を欠く.外典ではⅠエスドラス,ソロモンの知恵,ベン・シラの知恵,ユデト,トビト,バルク,エレミヤの手紙,アザルヤの祈りと三人の若者の歌,スザンナ,ベルと竜を含む.<復> アレキサンドリア写本(Aまたは02).大英博物館所蔵の5世紀前半の聖書写本.本来820葉のパーチメントから成っていたようだが現存するのは773葉.新約聖書では,マタイ1:1‐25:6,ヨハネ6:50‐8:52,Ⅱコリント4:13‐12:6を欠く.旧約70人訳聖書は全巻そろっている.外典はバルク,エレミヤの手紙,アザルヤの祈りと三人の若者の歌,スザンナ,ベルと竜,トビト,ユデト,Ⅰエスドラス,Ⅰマカベア,Ⅱマカベア,Ⅲマカベア,Ⅳマカベア,ソロモンの知恵,ベン・シラの知恵,ソロモンの詩篇を含む.<復> エフライム写本(Cまたは04).パリ国立図書館所蔵の5世紀の聖書写本.12世紀になって一部表面が擦り消され,その上にシリヤの教父エフライムの38の説教が記された.こうしたことからこの写本をまた「2度書きエフライム写本」(一度筆写されたものを消してもう一度その上に筆写した写本をパリンプセストpalimpsestと呼ぶ.大文字写本274のうち57がパリンプセスト)と呼ぶ.1843年にティッシェンドルフが特製の酸によって元の字を浮き立たせ判読に成功した.現代では紫外線写真によって,ティッシェンドルフのものよりもより正確に読むことができる.この写本も上述の大文字写本同様,もともと,ギリシヤ語新旧約聖書全巻を含むものだったと推測されるが,現存するのは新約が238葉のうちの145葉,旧約の場合はわずか64葉が残るだけである.<復> ベザ写本(Deaまたは05).ケンブリッジ大学図書館所蔵の福音書と使徒の働きの写本.5世紀のもの.ギリシヤ語とラテン語訳の2言語対照聖書で,左側の頁(羊皮の裏側,verso)にギリシヤ語本文,右側の頁(羊皮の表側,recto)にラテン語訳が記されている.原本は少なくとも510葉であったと思われるが現存するのは415葉.<復> クレルモン写本(Dpまたは06).パリ国立図書館所蔵のパウロ書簡(ヘブル書をも含む)の写本.6世紀のもの.ベザ写本と同様の2言語対照聖書.以前はベザ(ベーズ)の所有だったのでベザ写本とも呼ばれる.現存するのは533葉.ローマ1:1‐7欠如.ローマ1:27‐30とⅠコリント14:13‐22は後世の補充.<復> ワシントン写本(Wまたは032).ワシントン図書館所蔵の福音書の写本.5世紀のもの.現存するのは187葉のみ.マタイ,ヨハネ,ルカ,マルコと西方的な順序になっている.<復> (3) 小文字写本(ミナスキュル体写本).9世紀以後,印刷聖書が普及するようになる15—16世紀までの間に筆写された聖書写本.後代の写本は古い写本ほど信頼できない,とは必ずしも言えないが,小文字写本は後代の書き写しであるため,一般に重要視されない.しかし小文字写本の数は非常に多く,1981年の時点で2795を数えた.かくも多くの写本を評価するのは至難のわざであり,まだその評価が充分になされていないようである.クルト・アーラントの調べたところによると,そのうち10%ばかりの写本は初期の最上級の大文字写本に匹敵する価値を持っているとのことである.→聖書本文,聖書翻訳,聖書批評学.<復>〔参考文献〕榊原康夫『旧約聖書の写本と翻訳』いのちのことば社,1972;名尾耕作「ヘブル語聖書の本文」『聖書・キリスト教辞典』pp.605—7,いのちのことば社,1961;内田和彦「聖書の本文(新約)」『新聖書・キリスト教辞典』pp.728—30,いのちのことば社,1985;E・ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』聖文舎,1977(原著1973);H・シーセン『新約聖書緒論』聖書図書刊行会,1954(原著1952);B・M・メツガー『新約聖書の本文研究』聖文舎,1973;Ben‐Zvi, I., “The Codex of Ben Asher,” Textus, Ⅰ, pp.1—16, Magnus Press, 1960 ; Ginsburg, C. D., Introduction to the Massoretico‐Critical Edition of the Hebrew Bible, Ktav Publishing House, 1966 ; Aland, K./Aland, B., The Text of the New Testament, Eerdmans, 1987 ; Finegan, J., Light from the Ancient Past(2nd ed.), Princeton University Press, 1959(『古代文化の光』岩波書店,増補版1961).(松本任弘)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社