教会史とは?
教会史…
[英語]Church History,[ドイツ語]Kirchengeschichte.<復> 1.教会史の課題と方法.<復> 一般的に,「教会史」より「キリスト教史」や「キリスト教思想史」のほうが概念用語として用いられやすい.後者がキリスト教の宗教史的,文化史的,精神史的考察を含むゆえであろう.しかし,「教会を主たる中心課題として見る慣わしが養われないで,教会なきキリスト教を問題の主題として見る傾向が広く行われるに至った」(石原謙)という指摘がある.今後の教会形成と教会観の確立のために,「教会史」という観点を保持することが必要である.<復> (1) 教会史の定義.<復> ① ローマ・カトリックにおける定義.教会史の神学的学問としての確立に貢献したJ・ロルツ(Lortz)は,「教会はこの地上にキリストの遺業を継続するためキリストによって建てられたもので,それは贖罪の御業を世の終りまで続けるようにとつくられ組織された救世主の神秘体である」と述べ,「教会史は,すべての歴史学と類似し同じ批判原則に従うが,それと全く同じ程度に,単なる自然の科学とその本質を異にしており,啓示から導き出された独自の原理によって学ばれる」と定義している.K・ビールマイアー(Bihlmeyer),H・テュヒレ(Tu¨chle)の『教会史』では,「人類の救いのためにキリストによって建てられた制度(組織)の外的及び内的発展に関する明白で,知的で科学的な解明をなす」学問,と教会史を定義する.K・バウス(Baus)は,「教会史は,時間と空間においての,キリストによって建てられた教会の成長を取り扱っている」学問であり,信仰に根差し神学の一部門である点で,いわゆるキリスト教史とは異なるとする.しかし,最近のH・イェディーン(Jedin)らは,教会史の諸現象を,上述のように固定した教会観から先験的に考察することを批判し,教会史は神学の一部門であるが,同時に,一般史学の実証科学的方法を駆使しながら教会の生命活動を研究する神学部門である,と定義する.<復> ② プロテスタントにおける定義.学者たちの定義は,その教会観や神学的立場を反映する.F・C・バウア(Baur)は,教会史を一概念の弁証法的展開の歴史と見てヘーゲルの歴史的観念を反映した.W・フォン・レーヴェニヒ(Loewenich)は「御言葉の教会が進展する歴史」と,H・ボルンカム(Bornkamm)は「世界における福音とその感化の歴史」と見た.G・エーベリング(Ebeling)は教会史を「聖書解釈の歴史」として考察し,W・エーラト(Elert)は,思想における総合と反発の動きを思想史的にとらえることにより,多くの教会史的労作を残した.K・D・シュミット(Schmidt)の「教会史とは,この世界において,継続的に活動を続けておられるキリストの歴史以外の何ものでもない」とは,生ける主と救いの歴史とを視座に据えた優れた一般的定義と言える.<復> ③ 教会史とは何か.キリスト教は歴史的な宗教である.創造主による人類と世界の創造から,救い主の来臨,受難,贖罪,復活,聖霊降臨,教会の創成,キリストの再臨による完成までにかかわる宗教である.その救いは哲学的思考や神話とではなく,歴史的な出来事,特に「ポントゥス・ピラトゥスのもとに苦しみを受け,死んで葬られ,…3日目に死人の中からよみがえられた」救い主による,救いの歴史の形成とかかわっている.歴史は救済論的に,終末論的に,またその一回性において意義付けられる.聖霊降臨とともに創成された教会は「救われた罪人の集団」であるが,同時に「父なる神の教会」「御子,主イエス・キリストをかしらとするそのからだなる教会」「聖霊の神殿」として,三一の神の教会である.教会はかしらなる生ける主御自身にあってのみ,混乱と無知,秩序と英知が相打つ現実のただ中にあって,キリストの日を目指して福音信仰に堅く立ち,福音宣教に邁進(まいしん)し得る.教会史は,罪のおぞましさと個人や集団の様々な問題と限界を示す歴史であるが,同時に,生ける主イエス・キリストと聖霊なる神の継続的な生命躍動の歴史であり,教会形成の歴史である.<復> (2) 教会史研究の意義.われわれは単に「資料,情報,見聞知識」を集めるために教会史学を研究するのではない.その上,どの時代について言っても,総括的な史料は乏しい.われわれは何事かが起ったことは知っている.しかしなぜその事実が起ったかを説明することは難しい.ほの暗い明りを手にして進むような限界を負う.時には,一つの語句や信頼に足ると思われる一史料を判断の基準にしなければならない場合さえあり得る.それらの史料から,われわれは史料の著者を問い,著作の意図や動機を探り,著者が同時代の人物か後代の人物か,原資料によっているか第2次資料によっているかなどを突き止めていく.さらに,それらの出来事の「神学的解釈」へと進む.研究者は,神学的訓練を経た眼をもって,出来事にひそむ信仰,意図,動向などを洞察する者でなければならない.神学的洞察力と,より客観的でより正しい歴史解釈力とが常に均衡を保っていることが望ましい.では,このようにして教会の過去の歩みを客観的に研究することの意義はどこにあるのか.それは,歴史全体という展望のもとに,「ある型の理解」を得るためである.その理解とは,①真に聖書的で福音的な教会形成を果し,栄光の輝きの溢れる聖霊の神殿を構成するため,われわれを「啓発し,教化し,薫陶する」ための理解である.過去をさばく立場に立ってはならない.さばきの御座には主のみが座られる.むしろ,なぜその時代の人々がそのように行動したのか,今日,どんな意義をそこに見出し得るかを理解して,多くの啓発を受けることが重要である.深い鋭い温かな史眼が,明日の教会の啓発と展望に必要である.愛情のこもった熱意と真理への冷静な批判を併せ持つことである.②教会史の理解によって,教会は「訂正」を受けることができ,過去の教会の危機を学ぶ.危機は,創造的展開への転機となったし,失敗と誤謬への入口でもあった.教会史研究は,より正しい選択と決断を今日のわれわれに示唆する貴重な導きである.聖書の基準という光の下で,より正しい歴史的展望を得ていくことができるのである.<復> (3) 神学諸科における教会史の位置.F・フォン・シュライアマハー(シュライエルマッハー)(Schleiermacher)の『神学小論』は,神学を哲学的,歴史的,実践的と分け,「歴史神学は,神学的研究本来の体である.それは哲学的神学によって真実の科学と結ばれ,実践的神学によって実際のキリスト教生活に結ばれるべきものである」とした.逆に,神学をあらゆる人間的なもの(それが歴史的研究であっても)の上に建てることに反対したのがK・バルト(Barth)である.彼にとって,教会が宣教する神のみことばについて,教会の存在そのものでありたもうイエス・キリストを基準として自己吟味することが,神学のわざであった.「いわゆる教会史なるものは,神についてのキリスト教的説話に関し独自に問題を掲げてこれに答えることではない…教会史は,釈義神学,教理神学,実践神学の不可欠な補助学である」と位置付けた.神のみを一切の基盤とし,あらゆる人間的な基礎,歴史的事実や解釈によって立つことを拒否するため,彼は教会史を「補助学」としたわけであるが,その位置付けへの賛否は別として,その意図したところは評価したい.彼ほど教会史的考察を綿密に試みた人物も少ないのである.その上,古典との対質は,新しい聖書解釈や神学的試論や牧会的方法を直接的に生み出しはしないが,可能な限り歴史的事実と事実解釈を明示することによって,教会や神学をその独善性から守り,ひいては教会をその真の本質へと近付かせる神学的作業だからである.多くの神学者が同時に優れた教会史学者であることを知る時,聖書解釈史や教理成立史の地道な歴史的研究なしに,教会形成への健全な神学が育成され得ない事実があかしされている.<復> (4) 教会史研究の歴史.教会成立とその後についての資料には,「福音書」や「使徒の働き」のほか,ユダヤ・キリスト教関係史料がある.最初の教会史家として挙げられるのは4世紀のカイザリアのエウセビオス(Eusebius)で,彼の『教会史』10巻は,明確な歴史批評ではないものの,広範で公正な資料収集により,古文書類,例えば散逸した2世紀のヘゲシッポス(Hegesippus)『回顧録』5巻(反グノーシス派文書)などを多く引用し,貴重な史料集ともなっている.5世紀の法律家ソークラテース(Socrates)と教会史家ソーゾメノス(Sozomenus)は,それぞれエウセビオスの続編を編んだ.翻訳に秀でた修道士ルフィーヌス(Rufinus)はエウセビオスをラテン語訳するとともに続編を付けた.教会史家ではないが,ここでアウグスティーヌスに注目すべきであろう.その著作『神の国』は,創造の6日間つまり地の国の時間が,第7日の安息日,つまり永遠の日と対立し抗争しつつも,なお神の国を待望しているという,救済論的歴史観を展開した.目を東方世界に移すと,ビザンチンの著作家ではニケーフォロス・カリストス・クサントプロス(Nicephorus)が7世紀までを18巻に論述し,初期の論争や異端を知る手掛かりを提供した.カッシオドールス(Cassiodorus)の『教会史3部作』は従来のものの統合や要約であるが,中世では教科書として愛用された.その他,グレゴリウス(Gregorius)のフランク教会史,8世紀の厳密な学的著作としての,ベーダ(Beda)の『イギリス教会史』などがある.14世紀のトロメーオ(Tolomeo)の『教会史』24巻は出色のものである.<復> 宗教改革は,教会史叙述に深い関連を持つ.聖書の権威の強調から,諸大学でのカリキュラムは聖書学と聖書語学に集中した.また,ローマ・カトリック教会との論争から,改革の必然性を歴史的に説くことの大切さを悟った.にもかかわらず1556—61年のハイデルベルク大学の歴史学教授は詩学教授の兼任という現状であったと言う.17—18世紀に至ってヨーロッパ諸大学が教会史を開講したが(ストラスブールとバーゼルは比較的早期であったが,ジュネーブでは1697年に,エディンバラでは1694年に至って開講された),オックスフォードやケンブリッジでは19世紀に入ってから開講された.フラーキウス・イリーリクス(Flacius Illyricus)の『教会史』は,宗教改革期における論争的性格が濃厚だが,プロテスタントとカトリックの両陣営に歴史的再検討を迫った書であった.バローニウス(Baronius)はカトリック陣営の代表的な『教会年代記』12巻を記して12世紀までを論述した.ゲッティンゲンのJ・L・フォン・モースハイム(Mosheim)は,教会史を教派間の葛藤から解放し,教義や制度などを歴史学的に確立した手法をもって研究したので「近代教会史の父」と呼ばれている.<復> 19世紀に入ると,調停神学に属するJ・K・L・ギーゼラー(Gieseler)が『教会史教本』5巻をもって,教会史を「敬虔史」ととらえるJ・A・W・ネアンダー(Neander)がその著作をもって世に問う.F・C・バウア(Baur)はテュービンゲン学派の指導者で,ヘーゲルの歴史哲学の影響を受け,ユダヤ的キリスト教と異邦人キリスト教との対立から古カトリック教会の総合へという弁証法的解釈を展開した.さらにその思想はA・B・リッチュル(Ritschl)やA・フォン・ハルナック(Harnack)らによって拡大される.ハルナックの『教理史教本』3巻,『古代キリスト教文学史』3巻,『初期3世紀におけるキリスト教の宣教と伝播』などは古典的名著である.<復> 現代の教会史は,研究の分化による専門的研究を総合的観点といかに統合するかを課題とする.アメリカではP・シャッフ(Schaff)が読み続けられ,W・ウォーカー(Walker)の『教会史』がその後継者たちにより,第4版に至るまで手を加えられ,内容を更新しつつある.K・S・ラトゥアレット(Latourette)の著作やJ・J・ペリカン(Pelikan)『教理史』5巻も長く読まれるだろう.英国ではチャドウィク兄弟(W.O.&H.Chadwick)がオックスフォードやケンブリッジを中心に活躍する.フランスではM・シモン(Simon)やE・レオナール(Le´onard)などに注目したい.フランスのカトリックには,古代教会史のJ・ダニエルー(Danie´lou)らがいる.<復> (5) 教会史学習の具体的方法.<復> ① 教会史は,迫害などを含む宣教の歴史から,教会と国家など政治的側面から,礼拝や典礼の歴史から,霊性や敬虔をテーマとする生活史から,神学史や教理史の研究という観点からなど,多方面にわたって考察し得る.<復> ② 文献資料としては,公の文書(教会会議の記録,祈祷書,教会法典,信条書など),個人的な文書(教父や宗教改革者の神学的修徳的著作や書簡類),目撃者と後代の年代記者による記録類,古碑文類.<復> ③ 非文献資料としては,建築物,彫刻や絵画,慣習や儀式などがある.<復> ④ 具体的研究方法.英国の碩学,N・サイクス(Sykes)は以下の研究方法を勧める.(1)優れた校訂版史料集(教父著作集や宗教改革者著作集など)を入手し,史料を吟味する習慣を身につけておく.(2)各著作に付されている参考文献表に留意し,最新の著作や神学雑誌の優れた論文等に接し,史料の背後にある史実に迫る訓練を積んでおく.(3)古典語の研鑽に励み,優れた辞典類をそろえる.(4)定評のある研究書や概説書を精読する.(5)常に自分なりの文献表を作製し整備しておく.(6)古典的名著を精読して学的精密さと学説的鋭さの両方に留意する.(7)教会史研究の補助学(政治史,文化史,法制史,経済史,社会史,宗教史,文学史,社会思想史,哲学史,民族史,地域史,言語学,考古学等)諸部門にも注意を払う.<復> 2.教会史の区分.<復> 旧約聖書に区分形成の源泉を見ることができる.「ひとたびわれわれが頭の中に教会史の場面をうまく思いうかべ,その発展の経路をはっきりつかむと,眼前にきまった一つの境界線が引ける.そしてその限界内でわれわれは個々の事件を秩序づけ組みあわす.そしてその上で,その場面を大局から見渡せば,われわれが一つ一つの事実を広大な発展の光の中に眺めるのに役立つようになる」(ロルツ).歴史区分には,縦断的区分(例えば,敬虔思潮をモンタノス主義—ワルドー派—ブレザレン派—敬虔派—メソジスト主義などと考察する縦断的区分と研究)と横断的区分(例えばドイツの教会史家H・フォン・シューベルト〔Schubert〕は,横断の区分点を「人間の生活を外的内的に変化せしめる新しい力の登場」の2場面に見て,その第1を5—7世紀にかけてローマ帝国とその文明を破壊した民族大移動,第2を宗教改革として横断区分する.ただし同時に,「東方と西方の一貫した流れの相違」にも注目して縦断的要素をも忘れていない)がある.このほか,5—7世紀と15—17世紀に変動期を設け,古代(1—4世紀),中世(8—14世紀),宗教改革期(16世紀),近代(18世紀以降)と分ける便宜的な方法や,主たる宣教の対象地域で区分して,地中海沿岸地域時代,ビザンチン地域からヨーロッパ地域時代,世界拡大時代と分ける方法もある.決定的な区分法がない以上,「中世の過小評価」を戒めつつ,古代,中世,宗教改革期,近代,現代と区分してもよい.<復> 3.各時代の概況.<復> (1) 古代教会の概況.教会はユダヤ教の枠組みの中に誕生した.聖典,組織,宣教方法に連続的な面を見せ,またメシヤ観などに明白な非連続面を持った.ユダヤ・キリスト教会は,北方,北東方,また南方(アフリカ沿岸からコプト地域)へと伸び,関係文書を残した.異邦人キリスト教会も広く地中海全域に伝道した.ローマ世界は,皇帝の存在,祭儀,共通語,交通路の安全などに見られる「一への傾向」と,人種,文化,宗教に見られる「多への傾向」とを混交させている.当初,帝国は,教会を「人類憎悪の的のユダヤ教(公認宗教)」の一派と見ていた.64年頃,ネロ帝の迫害に代表される地域的で散発的な迫害が起りはしたが,「法を遵守するローマ皇帝」の,宗教的寛容を基本とする教会への対策は,比較的柔軟であった.第3世紀に入ると,国の衰運を皇帝礼拝の強化で取り戻そうと試み,これに抵抗する教会をより永続的で全国的に迫害した.迫害は,帝国周辺部の防衛などに妨げられて永続せず,教会の信仰と組織を強化させる結果となった.より大規模で全国的に展開された「大迫害」も結果的には成功しなかった.教会側にも多くの殉教者とさらに多くの棄教者が生れた.後者は迫害後の教会への受け入れ問題と,教会観の対立や民族主義運動を併せ持つ分派問題を派生させた.4世紀初頭,帝国は教会との共存からコンスタンティーヌス帝による「公認宗教化と国家保護化」に発展し,国教化へと進んでいった.教会は,外からユダヤ教の攻撃と帝国からの増大する抑圧を受け,内にはグノーシス派などの異端問題を負うた.ヘレニズム世界の共通基盤に立ち,「完成としてのキリスト教」を弁証するのが初期神学者の課題であった.さらに三一神への信仰告白と,イエス・キリストの神性と人性が論点となり,哲学的傾向の強いアリウス派なども現れた.しかし4—6世紀の総会議の諸決定や教父たち(アレキサンドリアとアンテオケの両学派など)の貢献で正統派教会の教義が形成され,「古カトリック(公同的,普遍的)教会の3本柱」,すなわち,正典の結集,信条や「信仰規準」の形成,教職制の確立(司教の使徒的権威など)を見た.エイレーナイオス,テルトゥリアーヌス,アレキサンドリアのクレーメンスとオーリゲネース,アタナシオス,カッパドキアの3教父(バシレイオス,ニュッサのグレゴリオス,ナジアンゾスのグレゴリオス),教皇レオ1世,さらに傑出したアウグスティーヌスらがいた.修道制の勃興に貢献したアントーニオスやパコーミオス以後,6世紀前半のベネディクトゥス派修道会設立に至る霊性の流れは,霊的革新の一源流であろう.<復> (2) ビザンチン教会の概況.ビザンチン教会(東方教会)は,政治や文化の諸方面で西方とは異なる独自の道を歩んで今日に至っている.西方教会のように集権的政治体制ではなく,民族諸教会の相互独立を特色とし,古代教会の教義伝統と古典文化とが独特な手法で融和された.世俗権力による教会支配を「皇帝教皇主義」と呼ぶ場合,ある皇帝たちが優れた神学者でもあった事実に留意したい.東方教会と西方教会との分裂は,権威やイコンを巡る論争,十字軍やトルコ勢力の侵略など,不幸な亀裂が多年にわたって複合したものである.民衆の宗教生活における地盤の深さが,ギリシヤ正教会の宣教地域で実証されつつある.ビザンチン教会との一層の神学的相互理解が望まれる.<復> (3) 中世教会の概況.中世西方教会の特色は,古代教会の伝統と古典古代の流れの調和や,民衆における信仰と習俗との混成に見られる.まず,ゲルマン諸部族のキリスト教化が進んだ.聖書のゴート語訳が例証するように,熱心な宣教活動による部族教会の誕生とともに,独自の文化創造も興った.5世紀末,強大なフランク部族がローマ教会に従ったことは,教皇の権威下の宣教活動を興隆させ,普遍教会成立への契機となった.カール大帝の戴冠は,教皇権と王権との相補強化や「キリスト教世界(corpus christianum)」と「ヨーロッパ」意識を象徴する出来事と映った.7世紀以降,地中海沿岸各地はイスラムの勢力下に収められ,「ジハード」(聖戦)を叫ぶ両陣営本拠地からの号令は,聖地奪還の激突(十字軍運動)となった.教皇庁の改革や抑圧を試みる王権と,俗権による叙任禁止を命じる教皇権との確執が続いた.回勅「ウナム・サンクタム」は,インノケンティウス3世の「太陽と月」の理念上にあるが,教皇の対立抗争と相互破門が,逆にフランス王権下の,いわゆる「教皇のバビロン捕囚」を招いた.反面,教会の底流に,托鉢修道会(フランシスコ会とドミニコ会)運動や古代教会以来,連綿として続いている神秘主義の流れにその例を見るような,霊的諸運動が絶えなかった事実をも覚えたい.中世はまた,カロリング・ルネサンス時代に続き,11—13世紀に至るスコラ学の活動期でもあった.アンセルムス,アベラルドゥス,トマス・アクィナス,ボナヴェントゥーラ,ドゥンス・スコートゥス,ウィリアム・オッカムら碩学を輩出し,学校学問の形成と興隆に寄与した.ヤン・フスら改革の先駆者が活動する中,数度の公会議が開催されたが根本的な改革には至らず,ルネサンス文化の興隆をよそに,教会は霊的無力化と道徳的退廃に悩んだ.「頭から爪先までの改革」を叫ぶ者は多かったが,改革の真意は明らかでなかった.<復> (4) 宗教改革期教会の概況.16世紀の宗教改革運動は,「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」「キリストのみ」「全信徒祭司主義」の原則に立つ.中世末期やその後の「カトリック改革」における内部改革を超えたプロテスト(抗議,告白)運動であった.聖書講義と「塔の経験」を経つつみことばによる改革を展開したマルティーン・ルターと,後継者メランヒトンらルター派,『みことばの明らかさと確かさ』を説いたチューリヒの改革者ツヴィングリ,ジュネーブでの改革事業や『キリスト教綱要』の著者ジャン・カルヴァンら「改革派」と呼ばれた人々,独自の路線を行くクランマーらのイングランド宗教改革,ピューリタン運動など,17—18世紀に至ってその潮流の影響が顕著となった再洗礼派や聖霊運動派など「急進的改革者」の群れ,イエズス会とトリエント公会議によって体制内改革に乗り出した「カトリック改革」,エラスムスらキリスト教ヒューマニズムの流れ,などが主要な流れであった.ルネサンス文化,地理上の諸発見と地の果てへの航海,資本主義経済の勃興,教会と国家の分離と近代国家体制,科学技術の進展などが,改革によって生じた分裂を助長し,中世的統一を瓦解へと導いていく.<復> (5) 近代教会の概況.ヨーロッパに視点の中心を置いた教会体制時代が,世界教会的な宣教時代へと移った.アメリカ大陸のキリスト教化,アジア,アフリカ,オーストラリアへの宣教が,福音宣教に本来的な「オイクメネー(人が住む地域)運動」(ecumenical movement)を促進した.啓蒙思潮は合理主義,理性主義,自由主義,不信仰の自由をもたらし,その批判主義は後に,聖書への批評の道を際限なくたどらせる動きを生む.「こころの宗教」から,プロテスタント正統主義の教理的固定化を破ろうとする敬虔主義が起り,反面,後の無神論の先駆けとしての理神論も盛んとなった.18—20世紀の政治的諸革命は,非キリスト教化をさらに促進した.他方,教会内には社会的福音運動やユニテリアン運動などのほかに,ウェスリ,エドワーズ,スパージョン,ムーディなどの信仰復興運動の波が相次いで起り,19世紀は「宣教の世紀」と呼ばれた.<復> (6) 現代教会の課題.現代人は,諸宗教の出会い,諸民族やイデオロギーの戦いなど多様な価値観の激突のもと,地球規模の難問題を突き付けられている.人類が今日ほど,生命の尊厳や価値を根底から否定し去る脅威にさらされている時代はない.しかし,それはまた,地球規模,いや宇宙規模での救いを宣べる十字架と復活の福音を,正しく聖書の信仰に立って伝える絶好の機会でもある.真に福音的なキリスト教会が,今日の世界に提供し得る「救いのメッセージ」を聖書に聞き直して,人類を死と滅びから助け出す福音宣教に再献身しなければならない.「人にはできないが,神にはできる」からである.(→図「教会史年表」),→世界の教会と神学,カトリック・カトリック教・カトリック教会,日本の教会史,日本の宣教史,教派,歴史神学,キリスト者の歴史観,教会・教会論.<復>〔参考文献〕E・E・ケァンズ『基督教全史』聖書図書刊行会,1957;丸山忠孝『キリスト教会2000年』いのちのことば社,1985;『カラーキリスト教の歴史』いのちのことば社,1979;R・H・ベイントン『世界キリスト教史物語』教文館,1981;石原謙『キリスト教の源流』『キリスト教の展開』岩波書店,1972;W・フォン・レーヴェニヒ『教会史概論』日本基督教団出版局,1969 ; W・ウォーカー『キリスト教史』全4巻,ヨルダン社,1983—87;上智大学中世思想研究所編訳監修『キリスト教史』全11巻,講談社,1980—82;A Pelican History of the Church, 6Vols., Penguin Books, 1967—72 ; Comby, J., How to read Church History (E.T.), 2Vols., SCM, 1985, 1989 ; Bromiley, G. W., Historical Theology, Eerdmans, 1978 ; Chadwick, H./ Evans, G. R., Atlas of the Christian Church, Macmillan, 1987.(岩本助成)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社