《じっくり解説》進化論とは?

進化論とは?

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進化論…

進化論とは,1859年にC・ダーウィン(1809—82年)によって著された『種の起原』以来,一般に広まった生物学上の理論である.当時の進歩主義思想の流行の中で,社会理論としても広く応用されていった.キリスト教は18世紀の啓蒙主義によってすでに大きな痛手を受けていたが,進化論の出現によってその打撃は決定的なものとなった.進歩主義思想そのものは現代ではかなり色あせたものになっているとはいえ,進化論の持つ擬似科学的要素が及ぼす影響は少しも減じていない.<復> 1.生物学理論としての進化論.<復> ダーウィニズムはもともと,生物に多様な種類が存在するのはどうしてなのか,つまり種の起原の問題に対して科学的な答を与えようとしたものであるが,現在では種の起原のみならず生命の起原をも含めて,存在一般を説明するような形而上学理論としての役割を担った一つの思想になっている.<復> 今,進化を次のように定義する.「生物はある種から別の種に変化することができ,最初に出現した単純な生物が35億年間に次々と枝分れして,より複雑で高等な生物が出て来た.そして現在,系統樹の枝の先にいる種の数は全部で150万種にも上る」.問題は,このような科学上の仮説がいかにして検証されるのかということである.これについて結論を先に言えば,現在もこの仮説は検証されていない,いや,むしろ,検証され得ない科学理論以前の前提(パラダイム)だ,ということになろう.<復> まず,ダーウィン自身は上の仮説を検証するための原理として「変異」と「自然淘汰」の二つを挙げた.これは,現代の分子生物学上の知見を踏まえて提起されているネオ・ダーウィニズムでも原則的には変っていない。<復> 変異の多くは突然変異であり,偶然な,すなわちランダムな現象である.ほとんどの場合に突然変異は個体の生存に不利な方向に働き,その個体は死滅してしまう.突然変異によって種の間を乗り越えるほど大きな変化(大進化)は今まで観察されていない.また,偶然のみによって単純な段階から複雑な段階へと移行することは,物理学法則(エントロピー増大の法則)に反する.もう一方の自然淘汰は,「有利な変異の保存と有害な変異の棄却」を意味し,「適者は生存する」という命題に帰着する.しかしこの命題自体は「生存者は生存する」という同義反復の命題であって,当り前のことを述べているだけであり,何ら有意義な主張をしてはいない.従って自然淘汰によっては,ある種が別の種に移行するメカニズムを説明することはできない.<復> 以上のように,観察事実と理論的説明の両方において,進化論は全く検証されていない理論である.ダーウィンはすでに『種の起原』の中で,自分の学説の難点として次の4点を挙げている.<復> (1)無数の移行型が見つからないのはなぜか.(2)自然淘汰によって目のような精巧な器官ができるのはなぜか.(3)本能が自然淘汰によって獲得され変化させられ得るのはなぜか.(4)種の交雑によって生殖機能が失われていくのに種が変化するのはなぜか.<復> しかし,これらの困難に対していまだに満足のいく回答は与えられていない.<復> 2.思想や神学との関係.<復> 進化論は科学上の理論としては何ら検証され得ない.それはむしろ偶然の積み重ねであるが,世界一般の起原を説明するための形而上学的理論として作用することのほうが多い.そのような意味での進化主義は,人間や世界の物の見方,哲学的前提であって,生物進化の仮説を意図的に拡大解釈して人間の歴史に適用したものである。歴史や文化は偶然の要因により絶えず変化し,進歩し,発展する,と説く思想体系である.進化主義は18世紀後半,無神論的啓蒙主義の楽天的な進歩史観にその萌芽を見せ,19世紀にはっきりした形をとった.<復> A・コーント(1798—1857年)は実証哲学を提起し,人間の知的進歩は神学的,形而上学的,実証的の3段階を経験すると主張した.原始的段階の人間は宗教的であるが,やがて最後の実証科学の時代になると数学,天文学,物理学,化学,生物学,社会学の順序で展開するとした.<復> 19世紀は自然科学の発展期でもあり,ダーウィンの進化論は自然科学に依拠する自然主義一元論の世界観の基礎を与えることになった.これは社会思想にも影響し,K・マルクス(1818—83年)の史的唯物論やH・スペンサー(1820—1903年)やE・ヘッケル(1834—1919年)らの社会ダーウィニズムが登場した.社会ダーウィニズムは,当時の資本主義下の競争原理を「適者生存」「優勝劣敗」のもとに是認する風潮に拍車をかけた.<復> 適者生存という言葉を造った英国のスペンサーは,個人の自由放任に基づく競争を重視し,国家が国民生活に介入すべきではないと主張した.スペンサー主義はアメリカで資本主義形成期に大きな影響を及ぼし,それが次第に優生思想や人種差別と結び付いていった.その具体例は1924年に成立した絶対移民制限法である.それは非北欧系の″劣性人種″の移民の増大に歯止めをかけ,アメリカ社会全体の血が″劣化″するのを防ごうとしたものである.<復> ドイツではヘッケルがダーウィニズムの普及に大きな役割を果した.彼はキリスト教を敵視し,自然科学にのみ立脚した,物質と精神の一元論的な生成発展を説き,「一元論者同盟」という組織をつくった.彼と彼の後継者たちは,歴史の進歩は優秀な人種が隣接の人種を圧倒していくことで達成されるとし,第1次大戦を熱烈に支持した.大戦敗北後も「一元論者同盟」は,ドイツ民族の優秀性を強調することにより,やがてナチスのイデオロギー出現に一役買っていく.<復> 欧米における進化論の発展期と日本の明治維新による開国期が重なったため,日本の近代思想は進化思想の影響を色濃く受けることとなった.日本に本格的に進化論を紹介したのは,1877(明治10)年に来日したアメリカの動物学者E・S・モースである.この生物学上の新理論はモースの講演と,彼の講演をまとめた石川千代松の『動物進化論』(明治16年)によって日本中に広く紹介された.この時期の日本には生物学はおろか,科学と言えるものは何もなく,また欧米のようなキリスト教の基盤もなかったため,進化論は″科学的真理″として一挙に広まっていった.<復> さらに進化論は社会理論として紹介され,スペンサーの著作の邦訳は1877(明治10)年から88(明治21)年までの間に20冊も出版された.この間に生物進化についての邦訳は4冊のみであり,しかもダーウィンの『種の起原』の邦訳が出版されたのは1896(明治29)年になってからである.社会ダーウィニズムは富国強兵を正当化し,資本主義を育成していく競争原理ともなったので大いにもてはやされた.加藤弘之(1836—1916年)は,初期の頃に『国体新論』などを著し,すべての人間には天与の権利があるとする天賦人権論に立っていたが,ヘッケルなどの著作から進化論を知るに及んで,それまでの著書を絶版にし,『人権新説』(1882年)を書いた.ここでは,天賦人権論は全く虚妄であり,人間社会において生存闘争と自然淘汰による優勝劣敗は必然であるとし,国民の中にも優者と劣者があることを挙げて普通選挙法に反対した.彼はまた,キリスト教を日本国体に合わないとして激しく攻撃したが,その国体自体が伊勢神宮参拝のようなアニミズム的宗教と結び付いている点には全く目をつぶるといった矛盾を犯している.<復> ところが,一方で加藤に反対して天賦人権論を唱えた自由民権論者も,他方でやはりスペンサーの進化思想を反論のための武器にしていた.そういう意味で,近代日本は保守派も進歩派もともに進化思想によって大きな影響を受けたのである.<復> 現代においても,分子生物学の発展と相まって社会ダーウィニズムや優生思想は根強く残存しており,今後の生命科学とそこから波及する生命倫理にも大きな影響を及ぼすと見られる.<復> 次に神学の対応を見てみよう.すでにW・ペイリ(1743—1805年)は,「時計には造り主がいるのに,時計よりも精巧にできた生物に造り主がいないはずはない」といった論法を駆使した「自然神学」を提起していた(1802年).進化論の出現の後,ペイリ流の自然神学(→本辞典「科学とキリスト教」の項)は有神論と進化論の折衷に使われた.つまり「神は自然淘汰を使って生物の多様性を生み出した」とする,いわゆる有神論的進化論がそれである.<復> また進化論は宗教にも適用され,そこでは宗教は低級なものから高級なものへと進化していくと説く.人類学者E・D・タイラー(1832—1917年)は,原始人を実在と神話的なものの区別がまだできない人類と見なし,彼らの宗教は自然物(海,山,川,木など)に霊魂([ラテン語]アニマ)の存在を認めるアニミズムであるとした.そして宗教はアニミズムから多神教,さらに一神教へと次第に進化していく,と見る.こういう考え方は宗教史学派と呼ばれる神学に影響した.例えば旧約学者J・ヴェルハウゼン(1844—1918年)は,進化論をヘブル人の宗教へ応用した.まずヘブル人たちが遊牧生活をしている時期はアニミズムの段階にあり,モーセによって単一神教(つまりイスラエルは一神を選んだが,他の神々も拒否はしない状態にあったとする)に発展させられ,最後にカナンの諸宗教との接触の中で唯一神教へと成長する.この最終段階に到達した要因はモーセの律法ではなく,預言者たちが儀式的な神礼拝を激しく攻撃したことにあり,ここに超越的な神概念の誕生を見るというのである.このように神と人間との関係は,国家的なものから普遍的な倫理的なものになり,同時にエルサレムでの神殿礼拝が祭司階級によって儀式化されていった,と考えた.<復> また,組織神学者E・トレルチュ(1865—1923年)は,超自然的啓示宗教としてのキリスト教という伝統的な概念を放棄し,当時の比較宗教学の知識を使い,諸宗教の相互作用による宗教全体の進化を説いた.彼にとってキリスト教とは,世界史の中でも特にヨーロッパ史のある時期に,ユダヤ教やグノーシス主義やストア派哲学の交渉の中で現れた一宗教にすぎず,今後,東洋の諸宗教との交渉により,さらに高い段階の宗教へと発展していく可能性のあるものである.トレルチュは宗教をF・シュライアマハー(シュライエルマッハー)(1768—1834年)に従って,人間の霊魂に刻まれた神聖な感情と知識であると定義し,諸宗教に共通する宗教的ア・プリオリを想定する.世界の諸宗教の存在はこの宗教的ア・プリオリの,特定の文化と環境の中での開花と見なされ,キリスト教は完全に相対化される.キリスト教は西欧人にとっては真理の宗教であったかもしれないが,アジア人には仏教やイスラム教その他の宗教が真理であり,キリスト教は将来,これら高度な他宗教に取って代られるかもしれない.諸宗教はそれぞれ真理性を持っているため,キリスト教の世界宣教ということは意味を持たなくなる.<復> 現代において進化思想とキリスト教とを融合させたカトリック思想家に,P・テヤール・ド・シャルダン(1881—1955年)がいる.古生物学者であった彼は,地球発生後の自然界と人間発生後の進化論とを結び付けた.地球上に素粒子から原子,分子,生命細胞と進化し,やがて生物圏が現れ,次に人間の出現すなわち知力圏が形成される.さらに進化の次の段階として,宇宙全体は神における万物の超人格的かつ統一的な集中点(オメガ点)に到達していくとする.彼にとってこの進化過程の内的原理はキリストであり,キリストはその人格的活動によって地球のすべての霊的現象を自分に集めるという神秘的役割を与えられ,宇宙はもろもろの中心点が統合されているキリストにおいてその力を存分に発揮する,とされる.彼のキリスト教理解は聖書の啓示とは大きく違っており,特に堕落と審判については全く言及されていない.そこには有機的被造物の神格化と,さらにキリスト論の宇宙的神話への変形が見られる.
3.福音主義の立場.<復> 以上のような自由主義神学の流れとは別に,福音主義的な神学者の中には,進化論の持つ形而上学がどうしても聖書的な世界観にそぐわないとして,これに反対した人も多い.その一人に,古プリンストン神学の代表者である組織神学者C・ホッジ(1797—1878年)がいる.彼は「ダーウィニズムとは何か」(1874年)という論文の中で次のように主張している.<復> 聖書の神は実体を持つ人格者であり,自由に行為し,世界を超越しているとともに世界に内在する.また聖書は宇宙の起原と存在を説明し,生物の適応のさまを説明しており,そこには神の目的と計画がある.しかしダーウィンは宇宙の起原について全く説明せず,ただ物質の存在を前提にした上で生物の多様性を,遺伝の法則と変異の法則から説明しようとしているだけである.彼は創造主という言葉をたびたび使うが,その言葉には内容がない.彼が自然淘汰と言う時の自然という言葉は,超自然に対立する言葉であり,宇宙から目的や計画を排除するという意味を持っている.ここにダーウィニズムの最大の危険性があり,有神論とは構造上全く相いれない.<復> 以上はダーウィン直後の神学の反応であるが,聖書学において進化論と関係してくる点は,創世記の解釈である.今日,創造記述の解釈を巡って,福音主義の立場の中に大別して次の四つの考え方がある.すなわち,特殊創造説,断絶説,漸進的創造説,有神論的進化説である.<復> 特殊創造説は,聖書の創造を文字通りにとり,例えばノアの洪水は世界をあまねく浸し,ほとんどの堆積物と化石はその時にできたと考える.また聖書の系図から地球の年代を割り出すので,1万年以下の年齢を示す科学的データを一切受け入れない.神による創造の時点で生物の多様性はすべて与えられたので,いかなる形の進化も認めないし,また,進化論は聖書の創造記述を破壊する無神論からの攻撃以外の何ものでもない.創世記の解釈を進化論と結び付けるすべての試みも,キリスト教信仰にとって有害である,とする.<復> 断絶説では,創造が,創世1:1の第1の創造と1:2以下の第2の創造と2回行われたと考え,その間に長時間をかけて地球上に大激変が起ったとする(この大激変は神のさばきとして行われた).この説では,発見されている初期人類の化石をアダム以前の人類のもの,つまり創世1:1に記された第1の創造の時期のものと見なす.この初期人類は創世1:2以下の創造の時期に滅ぼされて,全く顔を出さない.さらに詳細に,滅ぼされた初期人類は旧石器人,アダムは新石器人,という解釈もある.<復> 漸進的創造説は,神の真理の説明において科学と聖書の間の相補性を認める.もし必要とあれば,現代科学の発見によって聖書が再解釈されていくことも辞さない.従って,圧倒的多数の科学的データが地球の年齢について1万年以上であると支持している限り,創造の1日は24時間ではなく長時間であるととり,しかも聖書の釈義上もこのほうが正しいとする.また進化論に対しては慎重な態度をとり,小進化(同種間の変異による多様性)は受け入れても,大進化(猿から人間へ)は自然淘汰説では説明できないとする.現在の種の多様性は,最初に神が創造した時の原型の間の差異が小進化によって広がった結果,と見る.<復> 有神論的進化論は,聖書と進化論の両方を真理ととる.つまり,神が人間を創造するために生物進化のプロセスを用いたと考える.聖書は神が世界を造られたことは述べているが,いかに造られたかについては何も主張していないので,ここに科学的説明が入る余地があると考える.聖書の説明と科学の説明は敵対するものではなく相補的なものであるという観点から,形而上学的な説明に有神論を,形而下的な説明に進化論を採用するのである.<復> 4.科学と教育.<復> 以上のように,聖書の創世記の解釈と科学との関係については諸説があるが,その適否を論ずるためには,聖書言語の性格と科学言語の性格の違いを把握しておくことが必要である.<復> 科学言語は日常言語とはかなり違い,日常言語からさらに理論化のプロセスを経由して造られていく.そういう意味で科学言語は,人工的な理論言語を含むという特徴を持つ.科学言語はこの理論言語と,さらに直接に事物を見て観察可能な量のみで表現した観察言語の両方から成り立っている.この理論言語と観察言語は全く独立に決められるものではない.つまり,観察とは全く純粋に中立に行われるのではなく,暗黙のうちに理論的枠組みが設定されているのが普通であり,実はこの「観察事実の理論負荷性」が科学者に共有されている.この共有された理論的枠組みのうち最大級のものをパラダイムと呼ぶ.<復> このように,まずパラダイムがあり,パラダイムが固定された後に科学言語は便宜的に観察言語と理論言語とに分けられる,と言ったほうが正確である.そして理論言語は解釈されることによって観察言語と結び付く.この解釈を与える言明は「対応規則」と呼ばれるが,もし解釈された理論言語が観察言語から論理的に演繹可能である時,その理論は検証されたと言い,その逆の場合を反証されたと言う.<復> 例えば「水」は生活必需品として人々が日常的に様々な局面において経験している物質であり,素朴な観察言語としての「水」は誰にも説明がいらない.一方,化学式を学んだ人は水素原子(H)と酸素原子(O)の独特な組合せ(H2O)が化学結合として安定を保つことを知るに違いない.化学式は数学的計算を伴う一種の理論言語である.観察言語と理論言語をつなぐ「対応規則」とは,この場合「水はH2Oである」という言明である.自然の科学的記述とは単なる自然誌ではなく,要素に分けてみれば必ずこのような構造をしている.<復> しかしこのような形での対応規則は,「神の霊は水の上を動いていた」と記した旧約聖書記者にも,「人は,水と御霊によって生まれなければ,神の国にはいることができない」と記した新約聖書記者にも知られていなかった.「水はH2Oである」は科学固有の言語であり,特にその言語を所有しているからといって,水の存在理由がわかるわけではない.水が水素原子二つと酸素原子一つで構成されていることを「検証」したところで,「神の霊は水の上を動いていた」という文章の意味がわかるわけでもない.<復> 科学はこのように,日常言語から抽象化された理論言語をその内に含んでいる.しかもその理論言語は,新しい法則の発見により変り得る.しかし日常言語は前理論的な性格を持っており,それゆえ人間が生きかつ生活を営む限り変らない.例えば17世紀に地動説が確立されて以来,地球のほうが太陽の周りを回っていること,そして地球も自転しているということを現代人はよく知っている.それにもかかわらず人々は,日常会話において依然として「太陽は東から昇り,西に沈む」と天動説的な表現を使うのである.そう言っても,日常の素朴経験に反しないからである.<復> 聖書はこのような意味の日常言語で書かれている.だからいつの時代にもどのような階層の人々にも,訴える力を持つのである.もし聖書が科学の理論言語で書かれていたならば,その性格上,遠い昔に捨てられた書物となっていたであろう.または将来において必ずや捨てられる書物となるだろう.<復> 以上のように述べたからといって,聖書の自然記述が幻想的物語を意味するということではない.そうではなく,自然記述に関して聖書言語が日常言語であるという意味は,実在との間に,科学言語の所有する対応規則ではないが,やはりある種の対応を持っているということである.この実在との間の対応は時間の中で分岐し,人間に経験し得る局面の総体であり,神の法を付与された法領域を形成する.「聖書における言語と実在との対応」は,真理対応説(素朴実在論)のように直接に無媒介的に対応しているのではなく,神のことばによって生み出された「法」によって制限された領域主権を通して対応するのである.これが聖書的世界観の基礎を成している.<復> また,科学的検証は日常経験から理論化のプロセスを通して得られる.それは,あくまでもパラダイムが固定された後の,そのパラダイム内の「真理の基準」による検証理論である.ところが創世1章の記述は,まさにこのパラダイムが固定される場面であるから,ここで語られている内容は検証とは次元を異にする.「6日間の創造」は,以下の聖書の啓示の根本となる前理論的な創造動因として理解されなければならない.つまり,科学的認識の前提になっている「自然の斉一性」や「因果律」について啓示による知識を人間に提供しているということである.これは実在全体が創造される″時″であって,普通に科学が前提としている「自然の斉一性」や「因果律」などの原理がここには当てはまらない.かえってこれらの原理が生み出される根拠を与えているのであり,実在世界の創造のわざが終った後の聖書の自然記述とは,根本的に異なっている.これを科学的検証の対象にしようとすることは,(1)避け得ない循環論法を生み出すか,または,(2)聖書的でない宗教的なモチーフを前提にした理論によって「検証」するか,のどちらかになってしまうであろう.<復> また,「真理の検証」と「意味の探求」とは区別されなければならない.前者は認識論の問題であり,後者は存在論の問題である.論理実証主義は,意味と真理の検証を精緻な論理学を基礎にして結び付け,「検証できないものは意味なし」とした(意味の検証理論).この存在論と認識論の混同の中に,論理実証主義の最大の問題がひそんでいる.しかし,科学的検証によって神の創造を知り得るとするキリスト者も,認識の構造としては,実は論理実証主義と全く同じ過ちに陥っていることに注意しなければならない.人は聖書の創造の意味を知るために検証にゆだねる必要はないし,逆に創造を検証できたからといって,創造の意味がわかったことにはならないのである.<復> 今日,学校教育において,進化論のみならず科学的創造説をも教えよ,との主張が保守的教派の人々からなされている.特に米国においては,州の法律制度に働きかけたり,裁判に訴えたりするほどに現実的な運動となっている.すでに米国では1925年にテネシー州で,法律によって禁止されていた進化論を教えた高校教師が告訴され,有罪となった「スコウプス事件」が起きている.その時代に比べ今日では,世俗化は著しく進んでおり,進化論は″科学的真理″として教えられている.そのような状況の中で,保守的教派の人々によってなされている運動は,「進化論を教えるならば創造説をも教えよ」との主張に要約できるであろう.進化論が確証された科学的理論ではないのだから,同等の資格で,創造説を教えるべきである,と.このような運動は,無神論の道具としての擬似科学である進化論の危険性を人々に訴えていくためには有効な啓蒙活動ではある.しかし,創造は検証できる,という方法論に訴えている場合には,聖書の啓示の超自然性を自然的なレベルの議論に引き下げてしまう危険性を伴っているので,十分な注意が必要である.→創造の教理,科学とキリスト教.<復>〔参考文献〕稲垣久和『進化論を斬る』いのちのことば社,1981;稲垣久和「創造論とパラダイム論」(「福音主義神学」第20号所収)日本福音主義神学会,1989;Livingstone, D. N., Darwin’s Forgotten Defenders, Eerdmans, 1987.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社