《じっくり解説》霊性とは?

霊性とは?

霊性…

1.定義の周辺.<復> 霊性([英語]Spirituality)ということばは聖書の中にはないが,いろいろな観点から様々に説明されている.純然たる非物質性,霊的存在を意識したりそれに反応する人間の基本的特質,人々の生活を活かし超感覚的実在に至るのを助ける態度・信仰・実践,各人の世界観がかくあれかしと願うところから派生する信仰的特質,神との深い交わりの状態,各人の歴史的コンテキストの中で最も理想に近付けると思われる宗教・哲学・倫理学的分野での考え方や生き方,などである.福音派諸教会では,宗教的感情や熱心さと関連してとらえられることが多い.<復> 2.キリスト者の霊性.<復> キリスト者の霊性は,イエスの約束通り,聖霊によって新生することから始まる(ヨハネ1:12,13).それゆえ,神の国に入った者(ヨハネ3:5),いのちの原理として聖霊を持つ者(ローマ8:2),神の子とされた者の特質である(ローマ8:14,16).その起源は神御自身である.それはイエスに似るものとなり,神の御性格に限りなく似ようとする特質である(ローマ8:29).そういう人は御霊の実を結ぶ(ガラテヤ5章).また,神を知る知識,神と人への愛において成長する(エペソ4章).心は神の国に向かい,また,その実現に向かう(エペソ1:14).それは,単なる道徳的覚醒や深まりではない.かと言って,人間の通常の諸機能から切り離されているものでもない.意志も感情も用いられるのである.経験の面では,神を愛する者にキリストが内住することや,神への愛,人への愛を経験したり,実感したり,確信したりする.また,罪責からの解放,御霊による自由,イエスをあかしすること,神の愛の自覚を経験する.隣人との関係においては,互いに親切であり,優しく,赦し合うことによって御霊を喜ばせる.善を行うに飽きず,力と愛と慎みの霊を経験するようになる.<復> 3.パウロ的理解.<復> パウロの理解によれば,霊性は物質やからだと対立するものではなく,肉的特質と対立するものとして理解される.それゆえ,対立は物質と非物質の間にあるのではなく,二つの生き方,すなわち,聖霊に導かれる生き方と,聖霊の導きや働きかけに反発したり従わない生き方の間にある(ガラテヤ3:3,5:13,16‐25,Ⅰコリント3:1‐3,ローマ7,8章).<復> 4.霊性の意味の変遷.<復> 霊性という語の用法は流動的であり,多様である.パウロ的意味で,ニュッサのグレゴリオス(330年以降—394年)やリエのファウストゥス(405/410年—490/500年)等5世紀前後におもに使われていた.9世紀から13世紀までもパウロ的意味の用法が見られる.しかし,9世紀にはまだまれであったが,12世紀にははっきりとした形で現れたのが,からだや物質に対する意味での霊性である.すなわち,パウロの生き方あるいは道徳性の意味に,心理的意味での霊性が取って代るようになったのである.トマス・アクィナス(1225年頃—74年)はこの語をパウロ的な意味でも使っているが,この新しい意味をかなり用いている.そうこうするうちに15,16世紀,霊性はさらに新しい意味を持ち始める.世俗の司法権に対する教会の司法権の意味である.そこからまた教会の財産という意味が,王侯貴族の財産という意味に対して出てき,教会の教職者,収入を意味することにもなった.17世紀以降にはフランスやイギリスの哲学者(デカルト,スペンサー)も使ったが,やはり物質性に対する意味での霊性である.同じ頃ヴォルテールが軽蔑したのは,ギュイヨン(1648—1717年)らの神秘主義的霊性であった.18,19世紀における霊性の用例は少ない.19世紀後半から20世紀初期にかけても用例は少ないが,同じように熱狂的神秘主義の意味で使われている.なお徐々に,西洋の物質主義に対する東洋的宗教の精神的優越性を表すのに用いられるようになった.<復> 5.霊性の範囲.<復> 霊性の範囲は広く,実に多様である.心理的傾向,時代の風潮,生活様式,教理,建造物,音楽,儀式,仕事,共同体,遊び,家族等,すべてがその人自身や集団の霊性を映し出す.霊性の範囲はその人の全存在であり,全生活である.内なる人,内面的いのちのみならず,からだ,隣人,社会,自然をも含む.それゆえ,人類学的,宗教学的,心理学的,歴史学的,社会学的,哲学的,言語学的,芸術的,経済的,そして自然科学的等,トータルコンテキストを範囲とする.<復> 多くの場合,霊性は,その人やグループの実践,祈り方,宗教的体験,成長についての知識や教えに重きを置く傾向がある.そのこと自体は自然であり,悪いことではない.しかし危険なのは,生き方,道徳的実践を含む霊性が,聖書的教理や神学から分離してしまうことである.特に神秘主義と禁欲主義にはこの傾向が顕著である.霊性をみことばの教理や神学から切り離してはならない.<復> 6.霊性の描写.<復> 霊性を2方向から描写することができる.静的面と動的面である.霊性は,神の子とされた者が御霊によって生れたゆえにすでに持っているものである(ヨハネ3:5,6,ローマ8:9‐11).しかし一方,聖霊に導かれ,育てられ,戦い,築き,完成を目指して進むものでもある(ローマ8:12‐14).すでにあるものであると同時に,創り続けていくものでもある.すでにある実であり(ガラテヤ5章),これからも結び続ける実である.霊性は実によって見られる.<復> 健全な霊性は,禁欲主義を支持しない.神が造られた物質世界に対する軽蔑の思いはそこにはない.神は御自分が造られたものをよしとされ,祝福された.罪の影響を受けている世界であるが,基本的には良きものであり,祝福である以上,卑しめる必要はない.感謝して受け,それらを用いて神の栄光を現すように努めるべきである(ローマ14章,Ⅰテモテ4:1‐4).<復> 霊性はまた,人間の知性を尊んで,退けることをしない.この点で理性を軽んじる神秘主義とは異なる(Ⅱペテロ3:16‐18).<復> 霊性は,キリスト者の生涯にわたる神の恵みである.神のみことばに立ち,キリストを中心とし,三位一体の神にある生活である.すなわち御子の贖いのゆえに罪の赦しと義認をいただき,御父の子とされ,聖霊によるそれらの実現と聖化と栄化に至る.言うなれば,人に働く神の恵みの結果であり,回心に始まり,キリストの再臨による完成を目指す.<復> 霊性は普段の生活において具体的に現れる.キリストに似た者となりたいという動機が与えられる.神とその臨在を意識する.永遠という見地から物事を見るようになる.共同体における交わり,祈り,仕え合って互いを強めること等における成長と成熟が見られる.愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制(ガラテヤ5:22,23)という,イエスの御霊の実を結ぶ.それゆえ,「御霊に満たされなさい」(エペソ5:18),「御霊を消してはなりません」(Ⅰテサロニケ5:19),「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)と勧められている.この世に対する神の御旨を理解し,その成就に向かって参与する思いを持つことができるのも,キリスト者の霊性の特長の一つであり,特権でもある.<復> キリスト者の霊性は,クリスマスの時だけというような一過性のものではない.クリスマスツリーやローソクやクリスマスキャロルやケーキなどは誰にでも簡単に伝染し得るが,クリスマスが終ってしまえば,多くの人には何も残らない.また,信仰的なことばや賛美歌や教会の建物のようなもののムードに浸ることでもない.キリスト者の場合,むしろ,哲学を学ぶ者が厳しい自己訓練,学究生活の末に,考え方ばかりか行い,態度まで尊敬する昔の哲学者に似てき,性格までもそれらしくなるのにむしろ近い.哲学を学ぶ者とキリスト者は,両者とも著作によって著者を知る点でも似ているが,キリスト者の生活にはもう一つ,神の臨在があり,神と直接交わることができるという点で大きく異なる.しかもこれは決定的な違いである.<復> 7.霊性の歴史.<復> 霊性の歴史はキリスト者の財産である.使徒後の正統派の霊性は,アレキサンドリア学派に見るごとく,知的,思索的霊性であった.大きな影響を与えたフィローンは,ユダヤ教とプラトン哲学の統合を試み,物質と霊の二元論的見方をしている.それゆえ,プラトン哲学とキリスト教の統合は必然的発展であり,比喩的解釈法はその懸け橋であった.また,アレキサンドリア学派のクレーメンス(140/150年頃—211/215年頃)の霊性は際立っている.彼は,ギリシヤ哲学にも真理が含まれており,人々を救いに導くに当り,旧約聖書と同等の価値があると評価しつつ,キリスト教の真理性と優位性を弁証し,聖化の前進による神との神秘的合一である神化を強調した.しかし,アウグスティーヌス(354—430年)の明確な神学的霊性にこの時代の霊性は頂点を迎える.彼は,二元論的宇宙観や神化論に反対して,人格的神,神にある生活—神の国,花婿キリストと花嫁なる教会の対話,信者の共同体における成長などを説いた.<復> 中世霊性の父と呼ばれる大グレゴリウス(540年頃—604年)は,強力な組織力をもって教皇の地上支配権を確立し,修道院運動を組織化し,伝道と社会事業を押し進めたが,神を見るための,心の清さと謙遜と実践的奉仕を強調した.彼の思想は,読むこと,瞑想すること,祈ること,実践することへと発展し,暗黒時代の霊的指針となった.証聖者マクシモス(580年頃—662年)の説いた浄化(purgation),照明(illumination),一致(union)は,ローマ・カトリック伝統の「三つの道」のモデルと言える.またケルト教会は,懺悔と苦行に力を注ぎ,霊性を高める努力をした.<復> 中世中期は知性と信仰の衝突を経験した.クレルヴォーのベルナルドゥス(1090年頃—1153年)は知性が信仰の領域を侵すことを退けつつ,愛と知識の統合を試みた神秘主義者である.彼はキリストの謙卑に目を注ぎ,受難を深く思い,その謙虚さ,下位の者への尊敬が温かい霊性として慕われ,後の神秘主義にも影響を与えた.一方,ドミニクス(1170年以降—1221年)は,神学研究と説教に力を入れ,異端や異教徒への伝道に力を注ぐドミニコ会を創設した.研究のためには時として修業を中止することもあったほどで,学的貢献は高く評価される.トマス・アクィナス(1225年頃—74年)は神秘主義を警戒し,信仰の権威を認めつつ,理性を重要視した.霊性の質の改革をはかったアッシジのフランチェスコ(1181—1226年)は,富の蓄積に代表される自己中心性を批判し,小さきものの側に立ち,瞑想による神との交わりを求め,清貧,貞潔,服従の誓約を守る「小さい兄弟たち」とともに,人の嫌がることでも進んで奉仕し,福音を伝え托鉢をし,存在するものすべてに愛情を持つという霊性を培った.フランシスコ会のルルス(1235〔32〕年—1316年)は理性を強調し,最も深い神秘さえ証明できるとし,対話による宣教をアフリカのイスラム教徒に対して行ったが,石打ちに遭って殉教した.彼の神秘主義は聖化の思想であり,神の栄光のために思いと行いを清めることであった.<復> 中世後期は,飢饉,封建制の崩壊,知的不毛,懐疑論などに見られるように,暗く悲観的様相を呈する.そしてそのような傾向と雰囲気を持った神秘主義が盛んになり,いろいろなグループがあちこちに生れた.ドイツにおいてはドミニコ会のエックハルト(1260年頃—1328年)が,魂の中に神のことばが生れるという神秘的体験,神学や教会と切り離した形での神との交わり,魂と神性との合一,歴史的キリストよりロゴスなるキリストを掲げて登場する.タウラー(1300年頃—61年)はエックハルトの神秘思想を受け継いだが,彼のキリストに倣う敬虔さがカトリックの敬虔主義に深く広い影響を与え,ルターにも高く評価された.イギリスでは,ウィクリフ(1320/30年—84年)と彼に倣うロラード派が教会の階級的権威を否定し,真理に立つ者の主権,信仰と生活の唯一の基盤としての聖書を強調し,宗教改革への道を開いた.ノリッジのジューリアン(1342年頃—1413年以降)は,神の愛を思う黙想にすべての問題に対する解決のかぎを見出した.作者不明のイミタティオ・クリスティ(キリストに倣いて)は,中世後期の修道院の高度な内的霊性を表現しており,徹底的な自己批判,ひたすらなまでの純粋性の追及,世俗性への激しい挑戦,キリストとの深い霊的な交わりの重要さを世界に印象付けた.<復> 近代カトリックの霊性は,スペイン人でイエズス会創始者ロヨラのイグナティウス(1491年頃—1556年)を抜きにしては語れない.教皇の命令とあらば,死体のように運ばれ,目の見えない人の杖のように使われることを最高の特権と見なしたその忠誠心,宣教における組織力,神秘的体験の強さは特筆に値する.より厳格な規律を守る新カルメル会を作ったスペイン人アビラのテレサ(1515—82年)は,温かい人間性や不断の快活さを併せ持つ優れた霊性を培っていた.祈りにおいても瞑想,集定,融合,恍惚というように深く,喜びに満ち,神秘的である.イタリアのサヴォナローラ(1452—98年)の預言者的霊性は,堕落したフィレンツェの滅びを言い当てた.彼の指導した神政政治は行き詰ったが,教皇の無謬性を否定し,宗教改革への道備えとなった.パレアーリオ(1503—70年)は煉獄の教理を否定し,信仰義認の教理を主張,カルヴァンとも接触があった.フランスにおける対抗宗教改革の霊的指導者,サルのフランソワ(1567—1622年)は,神が造られたものすべてを肯定的に受け取ること,それゆえ世俗の仕事をしつつ献身の生涯を送ることができることを説き,信徒の霊性と献身に焦点を当てた.<復> カトリック的伝承と福音的要素を兼ね備える中間的橋渡しの立場にあるアングリカンの霊性は,その聖公会祈祷書によく表現されている.クランマーの功績とされる第2祈祷書は優れたものであり,儀式的霊性の豊かさを示す.静かな沈黙の祈りと儀式においての声を出す祈りとのバランスも絶妙である.プロテスタント福音派に欠けている要素の一つであろう.<復> ルター(1483—1546年)やカルヴァン(1509—64年)らによる宗教改革は,古典的プロテスタント主義,ピューリタン運動,敬虔主義,メソジスト運動へと道を開いた.ルターは初め,タウラー等神秘主義者の影響を受けはしたが,反対の方向に進んだ.祈りの生活は確固としたものになり,十戒,主の祈り,使徒信条の実践に霊的生活がかかっているとした.ルターの霊性の中心は,愛の純粋性にある.彼にとって福音とは,自分が死の恐怖から救われるため,平安を得るため,すなわち,自分の益のために神を信じるような自己中心的不純な罪人さえも赦し,愛し,救って下さるキリストの愛の発見である.それゆえ,彼の倫理観も愛の純粋性にある.カルヴァンは『キリスト教綱要』においてさらに高度な霊性のガイドを提示し,カトリックの浄化—照明—一致のモデルに代る,義認—聖化—栄化のモデルを主張した.カルヴァンの霊性は二つのテーマに最もよく現されている.すなわち,聖書の権威と神の栄光である.彼は神のことばである聖書のみを土台あるいは中心として,信仰を形成し,教会を確立し,礼拝や聖礼典を執り行い,神学を構築した.また,神の栄光こそその中心テーマであり,予定の教理にその真髄がよく現れている.<復> ピューリタン運動は,16世紀,17世紀にイギリスとニューイングランドで発展を見た.その霊性の特長は,神のことばとその説教,みことばを聞く備えと説教による生活の改革,倫理的指導,神への責任と社会的責任,天の御国への望みなどに見られる.そしてそれらの土台として,聖書の権威についての確固とした神学的理解と,それに裏打ちされた真摯な祈りの生活の強調がある.<復> 17世紀末,ドイツに生れた敬虔主義は,不毛の国教会の神学に対して反教条主義的反応を示した.シュペーナー(1635—1705年)のカルヴァン主義的改革理念は,中世末期からの神秘主義,ピューリタン運動の実践的要素と混じり合った.教義論争の無益さを見た彼は,神学的には厳密でないが,直接神のみことばに聞くこと,敬虔な信仰の内面化,知的であるよりもむしろ実践的な信仰,万人祭司の原理に基づく一般信徒の活発な活動等に強調点を置いて運動を進めた.それゆえ,この運動を敬虔主義というより,献身主義と呼ぶのも一理ある.事実,このグループは宣教への積極的参加のみならず,貧しい人々の学校,身寄りのない子供のための施設,農場,印刷工場等の働きを通して献身の実践を示した.ツィンツェンドルフ(1700—60年)はこの運動を継承し,モラビア兄弟団を発展させ,世界宣教に大きく用いられた.モラビア兄弟団の人々は北はグリーンランド,南はアフリカのジャングルの奥地まで手に職を持ちながら出て行き,地域社会の発展に貢献しつつ宣教した.しかし,このグループに内在していた神秘主義的要素が前面に出てきた時,宣教を推進する力を失った.個人の霊的体験,神秘的経験・解釈に重きを置く傾向が強まるにつれ,他者のために自分を無にして仕える宣教のスピリットは著しく弱まった.ツィンツェンドルフはその弊害に気付き,建て直しに懸命に努力したが,プロテスタント最強の宣教軍団は壊滅的打撃を内部から受けて,十分な回復はもはや不可能であった.<復> メソジスト運動の源流は,ジョン・ウェスリ(1703—91年)である.彼は,理神論に対抗して信仰における感情,意志,実践の大切さを説いたW・ロー(1686—1761年),アビラのテレサ,サルのフランソワ,トマス・ア・ケンピスのような神秘主義者たちの著作やモラビア兄弟団の信仰,実践,態度から学んだ.ウェスリは,愛におけるキリスト者の完全へと恵みによって体験的に到達し,さらに深められる霊性に進むことを強調する.このように,キリスト者の全生涯にわたる神の恵みによる完全を目指しての体験的進歩こそウェスリの主張する霊性の基本的テーマである.<復> 8.今日の霊性.<復> 時代により,環境により,その人の個性により,霊的経験は異なるものであり,一律にこうあるべきだとか,こうしなければ霊的ではないとは言いがたい.事実,偉大な霊性の持主たちの神学的強調点,実践における強調点はバラエティーに富んでいる.文化的違い,社会的相違,一言で言うなら,その人のコンテキストの違いが霊性の現れ方に大きな影響を与えていると言える.また,その霊性の現れである実践や行為や態度も,コンテキストによってそれぞれユニークな意味を持っている.それゆえ,偉大な霊性それぞれのコンテキストを理解する努力をしつつ,彼らから十分に学ぶ姿勢が求められる.また,その霊性に見られる要素のすべてをそのままコピーすることには,注意を要する.それらの要素すべてが今日ここでのコンテキストにおいて意味あるものかどうかを吟味する必要があるからである.例えば,パウロは,彼の置かれたコンテキストの枠組みの中で,みことばの真理を実践に移したのである.実践や活動は,そのコンテキストにおいては実に意義深くまた霊的であった.彼のそのような行動はわれわれの大きな模範である.しかし,彼の振舞いや行動は,彼が聖霊によって書いた文書のようには霊感されていないことをわきまえておく必要がある.すなわち,われわれが今パウロと同じことをしても,彼と同じような霊性の現れを自分の周りに示すとは限らず,同じような霊的インパクトをそのコンテキストに与えているとは限らないのである.これはどの時代の偉大な霊性の持主についても言えることである.彼らの霊性は,先人から学びつつも,単なるまねやコピーではなく,自らが置かれたコンテキストの中で,苦しみ,学び,祈り,築き上げていったものである.賀川豊彦(1888—1960年)の貧しい人々とともに住んだ徹底した献身の生活と伝道,農民運動,労働運動,組合運動等に見られる社会的責任の自覚とキリスト者としての愛の実践の徹底的追究,内村鑑三(1861—1930年)の教育勅語に関する不敬事件,日露戦争時の非戦論,他からの援助を求めない独立の精神を主張する信念などは,当時の日本の文化と社会の中で培われた優れた霊性の模範であり,例である.<復> 9.結び.<復> 霊性は実である.御霊によってすでに神の子とされた者に備えられているものである.また同時に,今,造り続けているもの,結び続けている実である.希望,平安,喜び,感謝,あわれみのように感情面にも豊かに現れる実である.クリスチャン生活は,哲学者のそれではない.単なるものの見方の訓練ではない.神との交わりの生活である.神に聞き,神に祈り,神に訓練される.哲学者は著書を通して自己訓練する.キリスト者の場合は,主イエスが生きておられ,聖書を通して御自分の民と交わり,また助けられる.御霊の実はまた忍耐,寛容,親切などの態度,行動にも現れる.キリスト者は御父とキリストに倣うゆえに,神を反映する.態度にも思いにも反映する.忠実,自制などの実も,礼拝の終りの祝祷とともに消え去ってしまう一過性のムードではない.聖霊によるイエスとの結合こそ真の自由に至らせる.また,それによって,不品行,汚れ,情欲,悪い欲,貪りよりも,清いこと,愛すべきこと,真実なこと等を愛し,行うようになる.奇蹟を行う賜物を求めることは,あまり勧められていない.むしろ愛である.このように,霊性はキリスト者の基本的特質である.それは,人がイエスの御霊を持つことである.御霊の内住は,霊的洞察力を高め,神を知る知識,神と人に対する愛においてわれわれを成長させる.主イエスの生涯に見られるように,神の身丈に限りなく近くされる特質である.→人間論.<復>〔参考文献〕F・A・シェーファー『真に霊的であること』いのちのことば社,1976;D・ブローシュ『教会の改革的形成』新教出版社,1982;Bloesch, D., The Crisis of Piety, The Evangelical Renaissance, Eerdmans (1968, 1973) ; Lovelace, R., Dynamics of Spiritual Life, Paternoster, 1979.(日置善一)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社