《じっくり解説》社会倫理とは?

社会倫理とは?

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社会倫理…

社会とは何らかの共通のきずなでその成員がまとめられ組織されたものを指す.きずなを国境とすると,ある国境内に住む者が,例えば「日本社会」を形成する.きずなを国籍とすると,「日本社会」は日本国籍を持つ人から成るものとなる.きずなを民族に絞ると,「日本社会」はより限定されたものになる(同時に,この定義は倫理的に疑問を感じさせよう).<復> 普通に「社会」と言う時,その背後にはいろいろなことが暗に含意される.様々な伝統や文化や宗教が,特にしばしば念頭に置かれる.そして社会は,このいずれかによって特徴付けられる.その場合,成員のすべてがこれら特定の伝統,文化,宗教を奉じて立つ必要はない.このいずれかにその社会を特徴付ける程度の勢力があればよいのである.政治や国民性についても同じことが言える.<復> 1950年代以降は「開かれた社会と閉ざされた社会」について,70年代以降は「多元社会」についての論考が多数発表された.キリスト教は,一方で超国家的・超民族的存在であったが,他方で小分派やアナバプテスト及び分離派を別にすると(多くの場合,それらを含め),長年にわたり何らかの教会政治の一形態に順応することを求める,単元社会を指向する傾向を身に着けてきた.<復> しかし,キリスト教が単元社会を目指すと見るのは,二つの観点からして必ずしも正しくない.第1に,目指されていたのは単元的教会の支配だったからである.19世紀から20世紀にかけて福音が世界的広がりを見せた時も,この教会指向性は見失われなかった.ただし結局は,新しい「土地の教会」が,それをなし崩しにした.恐らくこの動きは,〈日本の教会〉をもって最初とするのではないか.1872年に創設された日本基督公会は,白人以外には自治権を認めまいとしていた白人教会の方針にのっとり,形式上は宣教師を「副牧師」にいただいたが,実質上は米本国教会の意向を徴することなく,日本人教会として機能し始めたからである.こうして奇妙なことに,欧米の教会は外国伝道に携わった結果,教会全体としては単元教会と単元社会指向性を喪失したのであった.<復> 第2に,目指されていたのは単元社会というより,個人倫理の確立であった.19世紀末まで,カトリックとプロテスタントとを問わず追究されていたのは,個人主義的倫理である.それを支えるのは,当時の哲学的倫理の根幹をなすカントの志操倫理(Gesinnungsethik)であった.ここでは,個人としての人間の倫理的意向が注目を浴びるだけで,人間の共同生活の持つ意義はほとんど顧みられなかった.神学的倫理の観点からすると,ルター派で特にその傾向が強く,J・W・ヘルマンの倫理学もその例外とは言えない.19世紀末から20世紀初頭にかけ,哲学的倫理と神学的倫理のいずれにおいても人間の共同生活はようやく日の目を見るに至った.K・H・マルクスの挑戦がその必要に目覚めさせたことは言うまでもない.哲学的倫理における社会倫理に対するこの関心の変化は,E・トレルチュの倫理における善理解(Gu¨terlehre)の再興を待って,N・ハルトマンとM・シェーラーによる新しい価値倫理を生んだ.キリスト教界は,特にL・O・J・セーデルブルームの始めた世界教会運動以来,社会的・倫理的問題に意欲的に取り組んだ.第2次大戦後は,同義反復にすぎないとして,「社会」倫理と呼ぶことすらなくなった.社会倫理以外の倫理は倫理にあらずと考えられたからである.<復> こうした急激な変化を促した人物の一人はE・H・ブルンナーであろう.若い頃アメリカで行った英語の講演「危機の神学」で,彼はこう述べた.「あなたと私がこの世の現実の中でいかに生き得るかと問うことは,あなたと私はどうすれば共に生き得るか,私たちの交わりはどう規定され得るかと問うのと同じである」「人間にとっての現実は,他者とともに生きることにある」.従って,私的な要素はすべて,人に,人々と神とから身を引かせ,離し,逆らわせるものとなる.「人間の生は交わりである」.このようなブルンナーの問題意識は家庭で受け継いだものと第1次大戦の経験に由来したが,彼の読者の多くはそれを19世紀までの個人主義的倫理への反発を極端にまで押し進める手掛かりと見た.だがブルンナー自身は,人格性と創造の秩序論による社会倫理をDas Gebot und die Ordnungen (1932), Der Mensch im Widerspruch(1937),及びGerechtigkeit (1943)で展開した.<復> 今一人社会倫理の構築に寄与したのは,アメリカのラインホールド・ニーバーである.個人の道徳的・社会的行為と,国籍・民族・社会経済的に背景を同じくする人間集団の道徳的・社会的行為とは,峻別されるべきであるとした彼の初期のMoral Man and Immoral Society (1932)における主張は,特に,それ以後の社会倫理の形成に大きく寄与した.それは,第1に,総体としての教会に社会的福音への決別を促した.第2に,彼のキリスト教的リアリズムにより,教会と政治のかかわりを規定した.第3に,その結果としての政界・政治学への影響を手掛かりに,世界共同体実現の方向付けをした.第4に,様々の機会をとらえ,従来の教派神学の意義の問い直しを迫った.彼自身はルター派であったが,改革派的倫理意識で社会正義を追求したあたりに,ニーバーの姿勢がうかがえる.<復> 今や社会倫理は,キリスト教神学の中で十分にその位置を重要な一部門として形成するに至ったと言えるかのようだが,それでも1951年P・ティリヒが18年間ユニオン神学校で教鞭をとった後でなお,バルトに賛同して,「便宜上,キリスト教倫理の講座の存続は認められてよい」と考える程度であった.教派を異にする欧米の福音派も,幾つかのキリスト教政党並びに労働組合を擁するオランダ改革派教会を除くと,ほぼ似た状況にあった.それを憂慮したC・F・H・ヘンリは,いち早くThe Uneasy Conscience of Modern Fundamentalism (1947)で,福音派の社会倫理との取り組みの遅れに注意を促した.また自ら,明らかにニーバーの挑戦を受けて立ち,ワシントンと労働組合に大きく影響されるアメリカ社会を,倫理的観点から問題にした(Aspects of Christian Social Ethics, 1964).しかし,教会はなお「家庭及び職業における召命観に応える責任をすべてに優先する」とし,この面における真の貢献を,イギリス,オランダ,フランスの福音派の手に譲った.<復> ある意味では,福音派に限らず,ほとんどの主要教派もヘンリと大差のない考え方をしたが,1948年世界教会協議会(WCC)の発足をしおに,折から関心を集めつつあったキリスト教社会倫理は一挙に,世紀半ばの世界の諸問題との取り組みに走った.「核戦争」「第三世界」「人種と都市の生活」「環境と資源」「企業と労働」「高度技術と人間」「婦人問題」等が,そのおもなテーマである.1966年にはその成果がWCCの手でChristian Social Ethics in Changing World, Responsible Government in a Revolutionary Age, Economic Growth in World Perspective, Man in Communityの4冊にまとめられた.<復> 他方,出遅れた福音派も次第に優れた成果を発表し始めた.いとぐちはイギリスの学生伝道団体IVF‐UCCFの卒業生会の中に設けられた一研究会である.当時のイギリス労働組合委員長のF・キャサーウッド(その後,経済貿易企画協議会長官を経て,現在はEEC議会議員)が中心となり,イギリス企業・官界・学会の若手管理職が同会会員として顔をそろえ,月1回の研究会を継続的に開いた.成果はテーマごと,年に何回か発表され,数年後そのすべてはキャサーウッドによりChristians in Industrial Society (1972)として書き直された.このグループはその後,より現実的な諸問題と取り組むため,Shaftesbury Projectという財団に組織替えされ,必要に応じて救済活動に当るTEAR FUND,特定問題を巡る研究をモノグラフにして発行するGrove Ethical Studies,キリスト教の主張を立法府に反映させる根拠を研究するJubelee Centerなどを興してきたが,今はJ・R・ストットのLondon Institute of Contemporary Christianityと合体,Christian Impactとなっている.<復> これらの活動を支える福音主義的社会倫理の枠付けをここで概説しておきたい.上述の実験は第1に,そのものが伝統的イギリスの経験主義にのっとっていることをうかがわせる.それは,R・ホーイカースが『宗教と近代科学の勃興』で解明したように,意識的に受け止められる時には極めて聖書的な方法論であり得た.第2に,この立場で,現実の社会に生きるクリスチャンの信仰を彼らの実際的思索を含め社会倫理的関心の対象に据えると,現代における社会問題とその解決に資する,諸価値と諸原則の把握を十分可能にした.第3に,社会倫理は教会のために,教会が現代社会をどう判断し,その中で教会としてどう行動すべきかを示唆するものとなり得ることを明らかにした.<復> 教会がこのようにして試みる社会倫理的行動には三つの側面がある.第1は,取り組む社会問題を,可能な限り十分に理解する必要である.キリスト教共同体は,当該問題を巡る十分な情報と評価を慎重に査定した上で活用しない限り,妥当な判断を下せない.好ましい社会倫理は,こうした情報と評価の査定に,非常に大きな努力を傾注する.第2は,絶えずキリスト教の伝統に立ち戻る必要である.この面では,当該問題に関連のある聖書モデルの確認がまず行われよう.例えば戦争が問題であれば,最近ではC・クレイギが『戦争と聖書』で試みたように,「戦いの主」「万軍の主」の理解を,古代オリエントやユダヤ教内各派の立場においてのみならず,イスラム及びキリスト教の歴史,またクラウゼヴィッツ以来の現代戦争論に照らし,さらに,聖書の戦争に関連する他の主題を聖書全体の光に照らして考証しなくてはならないであろう.しかも神学的社会倫理確立のためには,事を聖書テキストを巡る考察ですますわけにいかない.聖書の信仰と,信仰がクリスチャンにどういう価値観を抱かせるかを,聖書の主要教理の一つ一つに照らして解明しなくてはならないのである.神学はそうすることにより,信仰を生き生きした均衡のとれたものにすることができる.例えば,世界とその歴史はその起源を神に持つというのは,重要な一視点である.人間の罪で世界とその歴史がゆがめられたという点も見逃せない.神がイエス・キリストにより,この世界と歴史の回復をはかっておられることも,様々な問題に微妙にかかわってくる.また未来は,このゆえに,希望のあるもの,すなわち,世界は神及び人間相互と,イエス・キリストにより,和解可能なものとなるのである.以上の神学的考察は,歴史において教会が社会問題をどう受け止めてきたかと結び付けられる時,その意義を一層強く感じ取らせるものとなる.<復> 社会倫理の第3の側面は,問題の一つ一つを巡り,クリスチャンの姿勢と思想の形成に寄与することである.キリスト教社会倫理は,現代の社会秩序の中で生起することを,福音により活力を与えられた生活に連係させることにより,この世でキリスト教会を通し人々に,人種・貧富・性別など問題のいかんを問わず,その時代で最も好ましいと実感できる経験をあかしできるようにすることなのである.<復> 教会は前述したように,この課題と様々な形で取り組んできた.その幾つかは,福音を直接社会の現実的秩序に結び付けることについて疑問を投げかけている.キリスト教倫理はそのような観点を認める一方で,キリストの地上生涯における先例をもとに,様々の価値を区別するとともにその関係の解明に努め,価値と価値の橋渡しの役割も担う.ローマ・カトリックは,長年,自然法をその役割を担うものと見,詰るところ信仰が社会の秩序を方向付けるとしてきた.社会の主要な自然的秩序は,社会が神に許容される範囲で機能するためには,確かに認められざるを得まい.ルター派二国論に基づく考察も今なお真剣に続けられているが,前述したニーバー以後の改革派的影響が時とともに濃くなっている.それと一線を画し,伝統的改革派神学を擁する人たちの中では,現代の諸問題に直面してA・ストーキー(A Christian Social Perspective, 1979)やJ・R・ストットのようなアナバプテスト的ビジョンを同時に尊重する人も増えている.オランダの領域主権論を擁立する神学は,理論上は一貫した姿勢を保持しているが,実際上はI. HexhamがThe Irony of Apartheid (1982)その他で指摘するように,人種問題でオランダと南アフリカとの違い,経済政策でオランダのハウツワルドとイギリスのB・グリフィスとの違いなどを生み出し始め,再検討を余儀なくされていると言えよう.<復> 社会倫理で上述したアプローチの多様性を生むのは,詰るところ神学的基礎がまだ模索段階にあるからではないだろうか.模索は様々に行われたが,最近注目を浴びているのは神の社会性についての研究である.かくいう神論で常に堅持されたのは,神の唯一性と御子の神性と聖霊の人格性である.アタナシオス,アウグスティーヌス以来,この3点の保持は正統性のあかしとされてきた.しかし,A・ハルナックが言ったように「アウグスティーヌスは,様態論者でありたくないというだけで様態論者ではないと,辛くも認められる」程度の三一論しか提示できなかったし,他の神学者も同様である.20世紀になって神の社会性に関心が向けられる(K・バルト,L・ホッジスン,C・ウェルチら)のは,まことにゆえなしとしない.しかし,これらも前述した個人主義的人間観に立っての研究であることには,いささかの変りもない.バルトは特に三位の神を一つの人格の三つの様態または役割としたので,そのアガペー倫理にもかかわらず,社会倫理には否定的にならざるを得なかった.三位の神が様態にすぎないのであれば,人格間の愛など考えるべくもないからである.とはいえ,三一神の社会性に彼が注意を促したことは大いに評価されてよい.<復> ここでは三一神の社会性を巡る議論を跡付ける暇はない.ただこの議論も前述した倫理学における傾向と軌を一にして,個人主義的観点から追究されていることは見逃せない.神論も,自分を思惟の座標軸に据えて,個人主義にのっとって追究される時には,神の社会性に注目するにしても回り道を余儀なくされざるを得ない.聖書は,「初めに,神」(創世1:1)を据える.そして,第1に,この神を最初から,単一の存在としてでなく,複数の存在として啓示する.創世1章のみでなく,旧約聖書の全体でも,一貫して示されるのは単数の存在[ヘブル語]エールではなく,複数の存在だったエローヒームである.これを教会が個人主義に都合のよいような理解をしたのだが,それは新約聖書にくると神がギリシヤ語で単数で表現されたからである.しかし,次の点は重要である.<復> 実は,新約聖書の神論でも,旧約聖書に見出せるのと全く同じことが言われているのである.ヨハネ1:1の「初めに,ことばがあった」はそれを示している.これはヘブル的思惟に従えば,出エジプト3:14が明らかにしたような〈ことばはあってある者である〉(参照文語訳)の単純な繰り返しである.ここでギリシヤ語のロゴスを神格に結び付ける努力がしばしば行われるが,それは全く無用なのである.「初めに,ことばがあった」だけで,「ことば」が〈エローヒームなる「神」〉の一位格を指すことは明らかなはずであった.しかし,ギリシヤ語しか解さない読者のためには,確かに解説が必要だった.ヨハネ1:1bとcはこの必要に応える補足である.そして,その補足は極めて適切であった.「ことばは神とともにあった」の〈ともに〉は,普通ならば[ギリシャ語]メタかシュンかパラのどれかで表現されるところであるが,ここではプロスが当てられているからである.従って,ギリシヤ語の感覚ではこれで〈ことばは永遠に神と顔と顔を向き合せていた〉こと,すなわち,ことばが神と対等の神格を所有するだけでなく,神とともに神的社会を形成することも,十分にうかがい知り得たのである.<復> もっとも,この〈ことば〉と〈神〉は人間が考案したものでない以上,人間が知り尽すことは不可能である.ただ,神に創造されたものとして人間は,神の不可知悉性にまで立ち入れないとしても,なお可能な範囲で神と人との関係を追究せずにいられない.ヨハネの福音書は人間のこの衝動を神の社会性の概念により,正しく方向付けようとしていたのである.例えばヨハネ1:3は,創造を指さしながら,神格間で互いに顔と顔を向き合せているという関係にもかかわらず,その社会性がことばを神の内側だけでなく,神の外に万物を造るわざに向かわせたと言う.1:4では,今度はことばと〈いのち〉と呼ばれる第三位格の間に,内に向かうだけでなく,外に向かわせるプロスの力,つまりアガペーが働いていたことも明らかになる.ヨハネ14:10にくると,「わたしが父の内におり,父がわたしの内におられる」(新共同訳)と言って,神の社会性のもう一つの特徴が示される.これは,父は父,子は子でありながら,互いに混同することなく,互いを共有し,互いに内在し,互いの力で循環することを指して,ダマスコのヨーアンネースが[ラテン語]perichoresisと呼んだもののことである.これは神的社会性が人間として計り知り得ない側面を持つ一方,人間社会を規定することもうかがわせる.ここには,人間に分与されない事柄もあるが,人間に分与される特徴もあることが暗示される.こうしてヨハネが様々な角度から三位の神のやりとりに光を当てたのを見ると,「知識」「信頼」「尊敬」が際立ってくる.ラザロを復活させる直前のイエスの祈り,「父よ.わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします.わたしは,あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました」(ヨハネ11:41,42)は,やはり上記の3点を見事に表明している.この三つで注目に値するのは,この三つの内的関係である.つまり,正しい人格的知識は相手を信頼させ,信頼された相手をただ信頼に応える者にするだけでなく,多くの場合信頼された以上のことをして信頼した者の期待に報いる者にするので,信頼した者は相手のことを信頼する前よりさらに高く評価し尊敬するに至るというperichoresisの関係である.明らかに,これは人にも分与される社会性の基本的特徴であるが,そこに注目するだけでも確かに父・子・聖霊の間には,真の和合・調和・一体性があることが否めなくなる.聖書の三一神論はこのように,社会的神の啓示に始まり,人間社会を規定する神的社会性をまず旧約全体で,次いで新約聖書においてさらに詳細に展開してみせるのである.<復> これは人が神を慕い求める時,総体としての人類に倫理的主体性を確立させるためであることは改めて言うまでもない.聖書は,人間各個にそれを行わせるだけでなく,社会を構成する者すべてにそれを求める.そのために聖書は,人間を第1に集合名詞で叙述する.つまり,創世1:26‐28は人間を個人として造られたものと記してはいない.まず1:26で,人間は創造の計画段階ですでに〈われわれ〉性を持つものとされ,1:27の創造の実現段階では事実「男と女とに」(「男と女〈を〉」でないことは注目に値する)造られ,1:28で使命を与えられる時も「神は〈彼ら〉を祝福し,〈彼ら〉に言われた」(直訳)とあるように,神と被造物の全体とに対し,男女平等に,男女に共通する責任を,男女で共に負うものとされた,と表明する.創世2章も同様である.ここでも神は,人が神のかたちであることをまず明らかにし(2:8),次いで「園」が人間の身体的必要に応えることを示し(2:9),エデンから「出て」(2:10)四方に目を向けさせ(2:11‐14)根拠地で農耕に携わることにより労働とその成果を享受させる(2:15)などをした後,改めて倫理の基本(2:17)と共同責任(2:18)に注意を促し,この共同責任の最も有効な道として,男女を結婚に導き(2:18‐23),この共同責任の遂行に当るものを〈一体〉と宣言した(2:24)のである.神はその後も人を共同体と見なし続けるが,人が罪を犯した時,個人として罪を犯した当事者でなく,誘惑された者とともに原初の共同責任を担おうとしなかった者のほうを,初めて個人名で呼び(創世3:17),その際,罪も個人的性格のものであるよりも,本来は社会的性格のものであることを明示された.この点は,キリストが〈第二の人〉と呼ばれ(Ⅰコリント15:47),キリストの死ですべての人のいのちが約束されるとする(ローマ5:12‐21)新約聖書の教えに,さらにつながっていく.<復> ここでは,最後に,〈一体〉を宣言された共同責任を持つ倫理主体としては,結婚を単位とするものと他の集団が区別される必要があること,さらに,この区別を踏まえ神御自身が,先に創世2章の概要として指摘したように,身体の必要,環境の管理,労働とその果実(富)の保護,宗教の位置,文化の発達にそれぞれ価値を付されたことに注意を促しておきたい.現代における社会倫理は,聖書が構造的に示唆するこれら現実の諸側面に注目する時,正しい方向付けを与えられるだけでなく,これまで教派神学によって性格付けられてきたゆがみを生む社会倫理を束縛から解き放ち,人類と時代の必要に真に応え得るものにするのではないだろうか.→キリスト者の社会的責任,社会的福音,キリスト教倫理.(有賀 寿)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社