《じっくり解説》信仰の告白とは?

信仰の告白とは?

信仰の告白…

[ラテン語]Confessio fidei,[英語]Confession of Faith.一般的用法では,宗教上の確信が持つ教理内容に関して個人ないしは集団が行う簡明で,形式化された公的声明を言う.キリスト教においては,御父,御子イエス・キリスト,聖霊である三位一体の神の性質と働きを認知し,また賛美するところの声明である.しかし,キリスト教神学における伝統的な用語としては,しばしば限定的に,宗教改革以降プロテスタントないしはその教会が自らの信仰を明白なことばをもって成文化したものを意味する.この場合,「信条」(Creeds)と呼ばれる古代教会の公同信条(使徒信条,ニカイア信条,カルケドン信条,アタナシオス信条)との区別において「信仰告白」と言われる.<復> 1.信条と信仰告白.<復> 今日の信条学においては,信条ということばは古代教会の公同信条から,ローマ・カトリック教会の公会議による決議公文書やプロテスタント教会の信仰告白等までを総称するものとして用いられている.元来,このことばがラテン語の「私は信じる」(Credo)に由来することからも明らかなように,信条の基本型は「信仰告白」である.この意味において,公同信条は「私は信じる」,「私たちは信じる」と三位一体の神と二性一人格のキリストに対する信仰を告白し,プロテスタントの信仰告白は,信仰の内容を組織的,総括的に表明したものにほかならない.さらに,信仰告白はその他の表現形式をも採用し得る.例えば,教育的配慮から信仰告白を簡明で記憶しやすい問答形式に配置したものは信仰問答(catechism),特定の教理を明らかにするものは声明(manifest, profession)ないしは宣言(declaration),教会内の一致や調和を目的とするものは一致条項・形式(consensus, formula)ないしは誓約(covenant),教理の正統性にとっての試金石としての規準(standard),など多様な形態を取り得る.さて,このようなプロテスタント信仰告白の諸形態において,公同信条は重要な構成要素である.ちなみに,最初期の信仰告白の一つであるアウグスブルク信仰告白(1530年)は,第1部第1条においてニカイア信条を引用して三位一体論の古典的表現を継承しており,ルターの大・小教理問答(1529年)は使徒信条の解説を行っている.これは,カトリック教会に対しプロテスタント教会が自らを古代教会の正統信仰の継承者と見なし,信条と信仰告白との一体性を強調したからである.とは言え,これはプロテスタントが古代教会の信条的伝統を無批判に受け入れたからではなく,独自の確信,すなわち宗教改革の形式原理と言われる「ただ聖書のみ」からその信条的伝統を聖書的と判断して継承したからであった.すなわち,聖書を「信条にとっての規範」(norma normans)とし,信条を「聖書という規範によって規範を与えられて,教会の規範となるもの」(norma normata)と見なした.また,同じ確信に基づき中世カトリック教会の信条的伝統の多くを非聖書的と見なして退けたのであった.<復> 2.宗教改革と信仰告白.<復> キリスト教の歴史においても最も多くの信条を生み出した時代が宗教改革時代であった.ルター,ツヴィングリ,カルヴァンその他の宗教改革者が多くの著作をもって神,救い,教会,社会を論じる中で,彼らの新しい信仰を明白な,権威ある文章によって宣明する必要が生じた.また,教会改革が具体的に進展する中で,一般の信仰者にも理解され得る簡潔な神学要領が要求された.聖書の究極的権威,万人祭司,聖霊の内的照明,新約時代の純粋な教会の復興についての教えが唱えられる中で,カトリック教会を改革する具体策が論じられなければならなかった.このような時代の要請が多くの信仰告白を形成することとなった.その結果,それらの信仰告白は古代公同信条の伝統に新しい要素を加えた.それは,宗教改革の核心が福音の再発見であったことを反映して,公同信条の三位一体論やキリスト論といった信仰の対象から,信仰告白が救いを巡っての主体的関心に焦点を移したことであった.同様に,中世カトリック教会の公会議信条が教会の教導権,教皇や教会会議の不可謬性といった理念に支えられていたことに対して,信仰告白は信仰者の主体的確信に基づく福音の宣明であった.このように,信仰告白はバラエティーに富み,ダイナミックであり,人格的な親しさを特長とするものとなった.<復> しかしながら,このような一般的特長を持つプロテスタントの信仰告白も,三つの主要な系列に分類され得る.その第1は,閉鎖信条主義と呼べるもので,ルター派教会に見られたように過去及び同時代の一定数の信条に対しての忠誠が要求される立場である.第2は,公開信条主義と呼べるもので,教会の「現在」の必要に応じて信条を作成し得る立場であり,これはリフォームド教会に見られた.第3は,非規範信条主義とも呼べるもので,信条を人間の作り上げた形式的文章とし,良心を拘束する規範であることを否定する立場で,再洗礼派を含む,今日では急進派宗教改革と呼ばれる運動に見られた.<復> 3.ルター派教会の信仰告白.<復> P・シャッフによれば,プロテスタントの信仰告白に見られる神学的特長は公同信条的,アウグスティーヌス的,救済論中心的の三つである.すなわち,公同信条の神論・キリスト論を継承したこと,アウグスティーヌスの神学に見られた恩恵の絶対性の主張・福音による救いを中心テーマとして神学を構成したことである.これらの特長が最も顕著に表されているのがルター派教会の信仰告白と言えよう.ルター派教会の基本信条であるアウグスブルク信仰告白(1530年)発行50周年に当る1580年に,使徒,ニカイア,アタナシオスの3公同信条を含む10の信条から成る『和協(一致)信条書』が出版された.それ以降もルター派教会は信条を作成しているが,今日でもこれが唯一規範的信仰告白として位置付けられ,閉鎖信条主義の立場を保っている.このうち,大・小教理問答(1529年)とシュマルカルデン条項(1537年)の3作がルター自身の手に成るものである.中でも最も影響力があり,また重要なものは小教理問答であった.これは,1528年のザクセン教会巡察の結果,彼が宗教的知識の驚くべき貧困という事実を直視して,信徒を対象として書いたもので,教職向きには大教理問答が書かれた.いずれも十戒(十のことば),使徒信条,主の祈りの解説と洗礼(バプテスマ),悔い改め,聖餐の意義をもって構成されている.シュマルカルデン条項(1537年)は,ローマ教皇パウルス3世が公会議の開催を提唱したことに対応してルターが作成したもので,ルター派の信仰告白の中でも最も鋭くカトリック教会の教理と実践を攻撃したものである.また,聖餐におけるキリストの現在を巡る理解のように,プロテスタント陣営内に異説があることを認めた信条でもある.メランヒトンの手に成る三つの信条の中でも代表的なものはアウグスブルク信仰告白である.神聖ローマ皇帝カール5世臨席のアウグスブルク帝国議会にプロテスタント諸侯により提出されたこの信条は,温厚で中庸主義の作者の性格を反映して控え目で伝統的な表現を採用している.作者の意図するところは,ルターとローマとの間の論争を古代教会の教理の伝統という光の中で見直し,ルター派教会の公同性を明らかにすることであった.それ以来,ルター派教会の基本信条とされ,カトリック教会との対話を進めている今日ではカトリック教会により「カトリック(公同)的」と公認される可能性が取り沙汰されているほどである.和協(一致)信条(1577年)は,1546年のルターの死後,ルター神学の解釈を巡ってルター派教会内に生じた一連の論争を終結させるため,また,新たに台頭したカルヴァン主義やカトリックのトリエント公会議の立場に対しルター派信仰を明確にするため作成された.M・ケムニツの影響の下で,公式ドイツ語版編集者となったJ・アンドレーエの手になるこの信条は,スコラ主義的方法論や用語を用いてではあるが,ルター派信仰の最も神学的に精巧な表現と言われる.<復> 4.リフォームド教会の信仰告白.<復> 公開信条主義をとるリフォームド教会は,ルター派教会におけるアウグスブルク信仰告白のような規範的信条を持たない.その理由は,「みことばにより改革された」と自負するリフォームド教会が,聖書が唯一の規範であり,それに並び得る信条を持つことは信条崇拝の危険があることを強調したからである.また,神学的にはカルヴァンが律法の規範的用法を重視したので,聖書が教会の教理と実践にとっての規範・法となるため,規範的信条が不要となると言われる.それゆえ,所与の時と場において教会が信仰を告白することの意義が認められ,時代と国を異にする多様な信仰告白が生れた.この点はリフォームド信条に公開性と国際性という特長を与えるものともなった.さらに,多くのリフォームド信条が「為政者について」などと題した項目を含むものであることからもわかるように,「教会と国家」というテーマに深い関心を示している.ルターがその二王国説により教会と国家をそれぞれ「神の右手の統治」と「神の左手の統治」と区別することを重視したのに対し,カルヴァンらはキリスト王国論に基づき,キリストの主権の下に教会と国家を総合しようとした.ここに,リフォームド信条におけるキリストの主権性の強調という特長が由来する.信条の数は60とも80とも言われるほど多数であるが,以下に国ごとの主要な信条について簡単に言及する.<復> リフォームド教会発祥の地,スイスでは,チューリヒのツヴィングリが同市への宗教改革の導入に際し明らかにした67宗教条項(1523年)に端を発し,ベルンの宗教改革との関連でB・ハラーの筆に成るベルン市の10提題(1528年),バーゼルの宗教改革におけるバーゼル信仰告白(1534年),ローザンヌの宗教改革におけるローザンヌ条項(1536年)など,地域への宗教改革の導入と関連する信条がある.また,ジュネーブ宗教改革との関連では,1537年に市当局に提出された信仰告白をもとに,後にカルヴァンが問答形式としたジュネーブ信仰問答(1541年)がある.その第1問答で,人生の最大目標を神を知ることとしたこの信条は,後のハイデルベルク信仰問答(1563年)とウェストミンスター小教理問答(1648年)とともに永く記憶されることになる.また,スイスのリフォームド教会の連帯関係から生れた信条としては,スイスのプロテスタント諸州が一堂に会して採択した第1スイス信条(1536年),ツヴィングリ派のH・ブリンガーとカルヴァンなどカルヴァン派がチューリヒに会して聖餐論に関して見解を統一したチューリヒ一致信条(1549年)などがある.とりわけ注目に値するのは,ブリンガーの作で,後にスイス諸教会に広く受容された第2スイス信条(1566年)であろう.1555年のアウグスブルク講和以来,ドイツではカトリック信仰とルター派信仰が公認されたがリフォームド信仰は不安定な立場に置かれた.1566年のアウグスブルクの帝国議会においてリフォームドの立場が危機を迎えることを恐れ,プファルツ選帝侯フリードリヒ3世がその議会に提出する信仰告白の作成をブリンガーに依頼したことが由来であった.リフォームド信仰がカトリックやルター派に匹敵し得る公同信仰であることを明らかにすると同時に,その構造と内容においてリフォームド信条の特長を備えた信仰告白である.スイス以外でも,ユニークな信条が多く世に送り出されたが,フランスではユグノーのリフォームド教会第1回全国総会(1559年)で採択されたフランス信条は,旧・新約聖書の正典を列記した最初のプロテスタント信条として知られる.J・ノックスらにより起草されたスコットランド信条(1560年),ベルギー信条(1561年),ドイツのハイデルベルク信仰問答,オランダのドルト信仰規準(1619年),そして英国の清教徒が生み出した代表的なリフォームド信条であり,ウェストミンスター信仰規準とも呼ばれる信仰告白と大・小教理問答(1648年)などは,多様に展開されたリフォームド教会運動の信条的結実と言えよう.<復> 5.再洗礼派教会の信仰告白.<復> 先にこの伝統における信条に対する姿勢を非規範信条主義と呼んだ.今日,急進派宗教改革と総称される運動には聖霊主義者や反三位一体論者を含むが,教会形成を主要な目的としたのは再洗礼派(アナバプテスト)のみであったので,彼らの信仰告白の特長についてまず考察する.第1の特長は,ルター派やリフォームドとの明白な対比として,信条を規範としたり,教会の基礎と見なしたりしないことである.第2の特長は,信条の必要性は強く認めるのではあるが,消極的,弁証的意味で信条を利用することである.すなわち,自らの立場を他から分離させたり,他から区別して自らの純粋さを示すための手段としての信条である.それゆえ,信条は本来的に信仰の組織的,総括的提示である必要がない.第3は,信仰告白が持つ個人の主体性という側面をラディカルに強調する点であり,それゆえ,個人の良心の上に立ち,良心を拘束する信条,あるいは教会の自治を拘束する信条を理念上は認めないことである.<復> 以上のような特長を持つ信条の代表例としてシュライトハイム信仰告白(1527年)を挙げることができよう.スイスの初期再洗礼派運動の指導者M・ザットラーが中心となり起草した7条から成る信仰告白は,実際にシュライトハイムの村にひそかに集合した再洗礼主義者により採択され,後に同信者の間に広まった.チューリヒのツヴィングリやブリンガー,ジュネーブのカルヴァンが反論を書いたこともあり,再洗礼派の教会論を知る貴重な資料と見なされてきた.この信条の主眼点は,教会を真に信仰を持つ,確信あるキリスト者の群れとして,その実現にとって不可避のポイントである洗礼,破門,パン裂き(聖餐),分離,剣,宣誓に関する立場を明らかにしていることにある.洗礼に関しては,キリストの十字架から復活への過程を,信仰者の罪に死に信仰に生きる洗礼の過程と二重写しにして,成人洗礼を唯一とし,幼児洗礼を教皇が行う最大の悪としている.破門はキリストの教え(マタイ18:15‐18)に従い,聖霊の法則に従い,聖餐の前に行うことにより教会の交わりの純粋性を守るとする.パン裂きは真のキリスト者,光の中に歩む,主の食卓にあずかり得る者の特権とされており,教会の一致の象徴と言えよう.分離の条項においては初期再洗礼派の厳格な二元論的世界観を見ることができる.当然,教皇主義のカトリック教会のみならず,「教皇に反対する者」(プロテスタント教会)からの分離も主張されている.牧師に関しては,選んだ会衆に対する牧師の責任,剣(世俗権力)は「キリストの完全さ」の枠外にあるものとして真のキリスト者の関与しないこと(非戦論),宣誓をもって就任する公務・公事への参加は霊の世界にあるキリスト者として避けるべきこと,が強調されている.もう一つの例は,17世紀に入ったメノナイト教会がオランダのドルドレヒトにおいて1632年制定したもので,今日でも再洗礼派の信条の中で最も適切な教理の要約として通用している.18条から成るこの信条は,神・創造論から始まり終末論に至る総括的信条であるが,その中心部分は,バプテスマ論から始まり破門と分離をもって完結する教会論(7—17条)である.<復> 6.近世の反信条主義.<復> 本項は,英国宗教改革が生んだ39箇条の聖公会大綱やプロテスタント宗教改革時代後の正統主義時代の信条,ヨーロッパから舞台を移した北米における信条などについては言及しない.確かに,17世紀から19世紀に至る時代には信条は多く生み出されなかった.プロテスタントの伝統が信仰告白を重視しなかった時代であった.この事態の諸原因を以下で考察するが,とりわけ反信条主義に焦点を当てることにする.まず,17世紀に完成を見たプロテスタント正統主義と,17世紀から18世紀にかけて興隆を見た敬虔主義というプロテスタンティズムの主流にも責任の一端があろう.正統主義は信仰告白の主体である教会あるいは信仰者を生きた実体として理解せず,むしろ正統的教会論や形式的人間論に終始した.ルター派正統主義に関しては,すでに和協信条に見られるように,ルターが現実に形成した教会についてのダイナミックな理解は失われていった.リフォームド正統主義が残した多くの神学書において,教会論は啓示,神,キリスト,救済,聖礼典に関する教理が終った後に,終末論の前に付け足し的に置かれるのを常とした.また,このような正統主義への反動としての敬虔主義が信仰者個人に注目したことは事実である.しかし,信仰の内面化,信仰者の霊性を強調するあまり,その信仰者が外に向かって自らの信仰を公にするという信仰告白が持つ性格を軽視したのではないだろうか.また,教会の交わりや内面性は重視したが,信仰告白を教会の制度的,形式的なあり方に関するものとしたのではないか.次に,17世紀の英国の理神論者や18世紀ドイツの啓蒙主義者は,告白すべき信仰の内容に対し組織的なチャレンジを行った.その結果,キリスト教固有の教理や信仰箇条を迷信的なもの,偏屈な教条主義と見なす反信条主義が培われることとなった.さらに,19世紀に台頭した自由主義神学は,歴史主義神学とも呼ばれるように,教会の起源や発展という歴史的関心を追求した.その結果,自由主義の歴史学者A・ハルナックに見るように,教理や信条を重視する正統主義はヘレニズムの哲学をもって福音を堕落させた形態であり,三位一体説のような教理は「ギリシヤ精神が福音という土壌に播かれて実を結んだもの」とされた.まさに,信仰告白にとっての危機であった.その上,伝統的に信条を重視する教会においても,近代主義的神学の影響が強まる中で,信仰告白を生きたものとしてではなく,古い,聖なる遺物として扱ったり,また,信条は歴史の中で制約されて作られたものであるため,今日の情況には不向きとする傾向がある.同様に,複数信条主義も信仰告白が持つ厳密さを損なう危険はないであろうか.<復> 7.20世紀の信条.<復> 20世紀は古代教会時代,宗教改革時代に次いで教会が多くの信条を生み出す時代となった.その理由としては,例えば,新しい聖書研究によって教会の理解が深まったこと,世界的な教会一致運動の中で,世界大のキリストの教会のリアリティーが認識されたこと,全体主義の台頭や二つの世界大戦の中で教会が迫害を受けたことを通して教会の告白的性格が意識されたことなどであろう.20世紀の信条で特筆すべきものを項目的に挙げれば,第1には,1948年にアムステルダムにおいて結成された,プロテスタント教会を中心とした世界教会協議会(WCC)に関連する宣言や会議公文書がある.世界とキリスト教会に向けた時代の教会が大胆に成した告白と言えよう.ちなみに,結成時の第1回総会では「神の秩序と人間の無秩序」と題した宣言を採択して,世界大戦後の混乱した世界に信仰告白を行った.なお,カトリック教会側でこれに対応するものとしては,第2ヴァチカン公会議(1962—65年)が制定した16の公会議文書であろう.それらの告白的文書を通してカトリック教会は現代世界と大胆に取り組んだと言えよう.第2には,いわゆる告白教会運動の中から生れた信条である.代表的なものは,「ドイツ福音主義教会の今日的状態に対する神学的宣言」と題された,いわゆるバルメン宣言(1934年)であろう.人間の全領域における唯一の主であるイエス・キリストに向けての告白は,ナチス政権とその指導者に対する大胆なチャレンジであった.第3は,いわゆる「若い教会の信条」,すなわち宣教地の教会が独立を達成し,その使命に生きる中で作成する信条である.1919年に,南インドの幾つかの教派が合同して作った南インド合同教会の信条や,インドネシア・スマトラ島のバターク教会信条(1951年)などが代表的である.第4には,世界宣教とのかかわりで福音派諸教会が結集したローザンヌ世界伝道会議(1974年)で採択されたローザンヌ誓約があろう.宣教こそが,キリスト教が世界に対して行える最も力強い信仰告白であることを宣言したと言える.→信条・信条学,信仰.<復>〔参考文献〕『一致信条書』聖文舎,1982;『信條集』前篇,後篇(1955,1957);Schaff, P., The Creeds of Christendom, 3 Vols., 1877.(丸山忠孝)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社