《じっくり解説》キリスト論論争とは?

キリスト論論争とは?

キリスト論論争…

[英語]Christological Controversy.イエス・キリストを巡っての論争は,キリスト教会の歴史とともに古く,また,常に新しいものであるが,特に,カルケドン総会議(451年)において,キリストの神人二性一位格の教理が確立されるまでのキリスト論を巡っての論争を指す場合が多い.その争点は,キリストの神性と人性について,その両性の関係を巡ってのものであった.<復> 使徒たちの後を継いで,1世紀の終りから2世紀の中葉にかけて活躍した使徒教父たちは,キリストが神であることを当然のこととして告白した.キリストの無罪性も主張されており,彼は礼拝の対象としてふさわしいお方とされている.イグナティオスは,キリストを「わたしの神」と呼ぶ.クレーメンスの説教には,「イエス・キリストは,神として,生者と死者の審判者と考えられなければならない」と述べられている.神性と同時に,人性も認められており,イグナティオスは,イエスを「マリヤから生れたお方」と言い,クレーメンスの説教では,「われわれを救われた主キリストは,本来,霊であられたが,肉体をとられて,われわれを召された」と語る.このように使徒教父たちは,キリストの神性と人性をそれぞれ認めていたが,神性と人性の関係について,また,キリストの神性と御父との関係について,自覚的に考察することはしなかった.<復> このような教父のキリスト論に対して,ユダヤ教の強い感化を受けていたキリスト教と言うことのできるエビオン主義者は,唯一神教への強い関心から,キリストの神性を否定するようになった.彼らは,キリストの先在を否定し,彼がごく普通の人,ヨセフとマリヤの間に生れた子にすぎず,洗礼(バプテスマ)の際に,聖霊が降ってメシヤとされたのであると教えた.初代教会には,これと同じように考えたものの中にアロギ派がある.アロギ派は,新約全体の教えと一致しないという理由で,ロゴス論を受け入れることを拒む.従って,彼らは,ヨハネ文書の受容を拒んだ.この派は,イエスは普通の人間にすぎないのであって,奇蹟的に処女マリヤから生れたお方ではあるが,キリストは,バプテスマに際して彼の上に降り,超自然的な力を与えたのであると教えた.この考え方は,勢力論的モナルキア主義と呼ばれている.サモサタのパウロスによって唱道された立場と大筋において一致するものである.彼によれば,イエスは,処女マリヤから生れた普通の人であって,ロゴスが,彼の非人格的理性として,バプテスマの時に,キリストに内住されたと考える.だから,キリストは,その時に,メシヤとしての偉大な使命を果すのにふさわしいものとされたのであると言う.これは,キリストの神性の否定にほかならない.使徒後教父の後に活躍した護教家と呼ばれる教父たちは,キリストが神であることを弁証することを自らに課せられた使命として弁証活動に集中した.<復> 一方において,キリストの人性を守るために神性を犠牲にしてしまう者がいたが,他方には,キリストの神性を保持するために,その人性を犠牲にしてしまう者たちがいた.グノーシス主義者がそれであって,彼らは,ギリシヤ的霊肉二元論の立場に立ち,物質を霊に対立する本来的に悪であるものと考えた.だから,彼らにとって,受肉ということはあり得ないことであって,神が見える形で御自分を現したもうことはあり得ないことであった.グノーシス主義者の多くは,キリストを,御父と同質である霊と考えた.その中のある者は,神が,バプテスマの時に,人間イエスに降り,十字架につけられる前に,イエスから離れて上げられたと考える.また,ある者たちは,キリストは単なる幻(Phantasia)にすぎない肉体をまとっておられただけであると考えた.これは,キリスト仮現論(ドケティズム)と言われるものであり,このようにして,キリストの人性は否定されるに至ったのである.様態論的モナルキア主義者は,キリストの神性を犠牲にすることなく神の唯一性を保持するために,キリストの人間性を否定する立場をとるに至った.彼らは,キリストと神との間に人格的区別を認めない.同じ神が,モードを変えて子として現れるものとされる.この立場に立つ,スミルナのノエートスは,「父は生れない先から,父と呼ばれた.しかし,父が生れることとなり,生れて子となったが,父自らであり他のものからではない」.この立場を最も徹底し,様態論的モナルキア主義を代表する人物は,サベリウスである.従って,この立場は,彼の名を冠してサベリウス主義と呼ばれる.神は唯一であり,同一の神が三つの異なった様態において,御自身を現される.神は父として創造者,子として贖罪主,聖霊として聖める者を現す.これらは一つのペルソナによって演じられる三つの役割であるとされる.<復> こうした傾向に対して,反グノーシス教父と呼ばれるユスティノス,エイレーナイオス(イレナエウス),テルトゥリアーヌス,また,アレキサンドリア学派の教父たちは,キリストの神性を擁護した.しかし,キリストの弁証を試みることにおいて,御子キリストを御父に従属するものとしてしまう誤りを完全に回避することに失敗しただけでなく,従属を示唆すること,あるいは,オーリゲネースのように,ロゴスを被造物,第二の神,神よりの永遠の生誕者と語ることによって,本質における御子の御父に対する従属を語ることを躊躇しない教父も見られたのである.<復> 御子従属主義はアリウスによって発展させられている.彼は,唯一神論の擁護のために,キリストを神の理性としてのロゴスから区別し,従って,神ではない存在,しかし,人間以上の存在と考えた.キリストは,超人間的な被造物として,あるいは,最初の被造物として表現されており,神ではないが,だからといって人間でもない存在とされた.アリウスは,サモサタのパウロスの影響を受けたし,オーリゲネースの思想を採用している.アリウスのキリスト論には,すでに,従属主義の中にその萌芽は存在していたのである.このアリウスの思想の危険性を見て取り,激しい論争を交したのがアタナシオスである.アタナシオスは,御子と御父の同質(ホモウシオス,homoousios)を主張,御子と御父の異質ahomoiosを主張するアリウス派を退けた.325年,ニカイア総会議において,アタナシオスの立場が公認された.会議において,半アリウス主義と呼ばれる御子の御父に対する類質(ホモイウシオス,homoiousios)を主張した者たちも退けられた.<復> このようにして,御子の全き神性が教会の教理として承認された時に,そこで問題となったのは,キリストの神性と人性の関係をどのように理解するかという問題であった.<復> アリウス主義を巡っての論争の間,イエスが,人間の霊魂を持っておられたかどうかの問題の意味はまだ認められていなかった.ある意味で,この問題におけるアリウス派とアタナシオス派との間にはある一致すら見られた.アリウス主義者は,受肉したロゴスにおける人間霊魂の存在を否定した.彼らによれば,ロゴスが霊魂の場を占めており,イエスの身体は,それ自体,霊魂を持たない身体であった.アタナシオスが問題にしたのは,人間霊魂の否定ということではなく,ロゴスが,人間霊魂の場を占めるならば,ロゴスは被造物であるという結論に対してであった.アタナシオスは,イエスの人間的霊魂の存在を否定しない.しかし,論争の初期の段階で,アタナシオスは,霊魂の存在の真の意味をとらえていたと言うことはできない.アタナシオスは,御子と御父との同質性を強調するあまり,イエス・キリストの全き人間性を犠牲にする危険を持っていた.彼の関心は,御子の全き神性だったのである.<復> イエスの人間的霊魂の問題性にすでに気付いていた者もいた.特にアンテオケのエウスタティオス(Eustathius)にそれを見ることができる.彼は,ロゴスは霊魂なき肉体だけをとったと主張したアリウス派に対して(ロゴス・肉体キリスト論),ロゴスは霊魂と肉体を持つ人間性をおとりになったと主張した(ロゴス・人間キリスト論).<復> このような理解が,イエス・キリストの,人間性の統一性を引き裂いてしまう二元論に陥る危険性を見て取ったのが,ラオデキヤのアポリナリオスであった.彼は,キリストの神性と人間性を割くことの危険性をいち早く認めた.彼は,5世紀のキリスト論の問題を鋭くとらえた人物である.彼が提起した解決は,ギリシヤ的三元的人間理解を受容した上で,ロゴスが人間の霊のかかわりに入ったと考えることであった.霊は,彼によれば,罪の座であった.彼の主たる関心は,キリストの神性を犠牲にすることなく,その人格的統一性を確保することであった.また,キリストの神性を擁護することであった.彼は,それを,キリストの人性を損なうことなく成し遂げようと試みたのである.その結果,彼の立場は,381年のコンスタンティノポリス総会議で誤りとされた.アポリナリオスが弁護しようと試みた一つのことは,キリストの人格の統一性であった.この統一性は,キリストの両性の区別を過度に強調したアンテオケ学派の見解において損なわれかねない危険性が存在していた.<復> モプスエスティアのテオドーロスとネストリオスは,キリストの完全な人間性を強調し,ロゴスの内住を単に道徳的内住にすぎないものとし,それは,程度の差はあるとしても,キリスト信徒たる者が共有し得るものであると考えた.この見解は,実質的には,受肉を人間イエスにおけるロゴスの道徳的内住としてしまうことにほかならない.テオドーロスは,この見解がもたらすキリストの中に二重の位格が存在するという帰結を下すことは差し控え,この結合が非常に密接であって,ちょうど夫と妻とが一体であると言えるように,両者を一つの位格として語ることができると言った.ネストリオス主義と呼ばれるこの考え方において,真の神性と真の人性は認められているが,それらが,真の統一を形成し,一つの位格を構成するとは考えられていない.二つの本性は二つの位格でもある.両性を並列的に置くネストリオス主義において,両性の間には,道徳的結合以上のものは存在しない.人であるキリストは,神ではなく,正確に言うと,神を担う者(theophoros)であり,キリストが礼拝されるのは,彼が神であるからではなく,彼の中に神が存在するからなのである.ネストリオスは,マリヤはキリストの母にすぎないとし,神の母(Theotokos)と呼ぶことに反対した.彼によれば,人間の母は,ロゴスに神性を与えることはできないのであって,キリストの神性はマリヤによるものではない.ネストリオスは,キリストの人間性を正しく評価する点で評価されなければならないが,そのことによって,位格の統一性を損なう誤りを回避できなかった.<復> ネストリオスの考え方に対して,アレキサンドリアのキュリロスは,キリストにおける位格の統一性を強調した.しかし,位格の統一性を強調するあまり,属性の交流による両性の一致を強調する表現を用いており,後の単性論者の主張に論拠を与えた.<復> キュリロスは,受肉以前には,理論的にのみ両性は存在したが,受肉後は,ただ一つの神,人性,神のロゴスのただ一つの本性が存在すると言う.だから神は人となられたということができるし,神が受苦されたとも言える.神受苦説(Theopaschitism)と言われるものである.だから,マリヤをTheotokos(神の母)と呼ぶことは全く正しいと主張した.<復> 431年のエペソ総会議では,一方において,Theotokosという言葉をマリヤに用いることができると認めたが,他方において,キリストの両性の教理を擁護した.これは,ネストリオスを,一つのキリストを二つのペルソナに分割したという理由で断罪したのであるが,ネストリオスとともに,キュリロスも免職させられることにより,両者の妥協を図ったということができる.<復> 従って,この決定は,キュリロスの同調者にとっては満足できるものではなかった.コンスタンティノポリスでアレキサンドリア学派の主張を支持していた高齢の修道士エウテュケースは,人性の神性への吸収,人性と神性の融合を主張した.彼によれば,キリストにおいて,人間的属性は,神的属性に同化され,従って,キリストの身体は,私たちの身体とは同質のものではないとされた.エウテュケースは,448年コンスタンティノポリスの地方会議で断罪され追放された.彼はローマ教皇レオ1世に訴えた.レオはコンスタンティノポリスの司教フラウィアノスからの報告を受け,449年,レオ書簡として知られるTomeを彼に宛てて書き送り,キリストにおける両性一人格の教理を主張した.この書簡は,カルケドン総会議に大きな影響を与えることとなった.その中で,レオは,キリストには永久に変ることのない二つの本性があること,これら二つの本性は,一つの位格において結合し,それぞれが受肉した生において固有の機能を果すこと,位格の統一性から属性の交流が生じること,救いのわざは,人間的にして神的であり,可死的にして不可死的な仲保者を要求する.受肉は,神の側からは,謙卑の行為であるが,受肉において,神は,神であることをやめてしまわれたのでない.キリストの人性も永久的なものであって,それを否定することは,キリストの受苦の現実性を仮現的なものとして否定することになる.これらの主張の中に,西方教会のキリスト論の要約を見ることができると言ってよい.449年8月,テオドシウス2世はエペソに会議を招集したが,議事を司ったディオスコロスは,レオの書簡を無視して強圧的に会議を運び,両性論を断罪した.レオはこの会議を糾弾し,強盗会議(Latrocinium)と呼んだ.450年,皇帝の没後,レオに好意を持つマルキアノスが帝位につき,451年カルケドン総会議が招集され,強盗会議の決定は廃棄され,ディオスコロスは免職された.レオ書簡は,エウテュケス主義を論駁するものとして採用され,キュリロスの会議宛ての書簡が,ネストリオス主義を論駁するものとして採用された.この会議において,キュリロスの正統性が宣告され,レオ書簡に基づいて,その後,東西教会,及びプロテスタント教会において正統的なものとして受け入れられてきたキリスト論(キリスト両性論)が形成された.これがカルケドン信条であり,その内容は次の通りである.<復> 「この故に,われらは,聖なる教父らに従い,すべての者が心を一つにして,ただひとりのこの御子われらの主イエス・キリストが,完全に神性をとり完全に人性をとりたもうことを,告白するように教える.主は,真に神であり,真に理性的霊魂と肉体とからなる人である.神性によれば御父と同質,人性によれば主はわれらと同質,罪をほかにしてすべてにおいてわれらと等しくありたまい,神性によれば,すべての時代の前に御父より生れ,人性によれば,この終りの時代に,われらのためにまたわれらの救いのために,神の母である処女マリヤより生れたもうた.この唯一のキリスト,御子,主,ひとり子は,二つの本性において混合されず,変ることなく,分割されず,分離されずにあるものとして認められなければならない.合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく,かえって,おのおのの本性の特質は保持され,一つの位格一つの実体において一致しており,二つの位格に分かたれ,あるいは分割されることなく,同一の御子,ひとり子,言なる神,主イエス・キリストである.これは,初めから,預言者たちが,御子について語り,また,主イエス・キリスト御自身がわれらに教え,教父らの信条がわれらに伝えた通りである」.<復> この信条における重要な内容は,(1)両性の特質,固有性をそれぞれ一つの位格に帰することができる.(2)神性は苦難を受けたもうことはないが,神—人の苦難は,真に無限なものである.(3)キリストの位格の根源と土台を構成するものは,神性であって人性ではない.(4)ロゴスはひとりの個人としての人間と合体したのではなく,人間性と合体した.初めに個人が存在し,その個人と神の第二位格が結合したというものではない.この合体は,処女の胎の中で人間性をとりたもうことによってもたらされた.<復> カルケドン総会議後キュリロスとエウテュケースを支持する者たちは単性論者(Monophysites)と呼ばれた.彼らは,キリストの二性が一つの合成的本性を持つことは認めたが,二つの異なる本性を持つことは否定した.単性論者の中にも対立があり,神御自身の受苦を強調した神受苦主義者,キリストの人性が,私たちの人性と同様に苦難を受けるものであることを強調した,朽ちゆくべきものを礼拝する者(Phthartolatrists).また,全く逆に,キリストの人性は,私たちの人性とは同質のものではなく,神的属性を与えられていたので,罪なきものであり,不滅,不朽のものであることを強調した者(Aphthartodocetists)がいた.単性論論争の結果,キリストの意志は,位格に属するか,本性に属するかという問題が提起され,単性論者の中に,単意論者(Monotheletists)と呼ばれる分派が生じた.彼らは,位格の統一性から出発して,キリストにはただ一つの意志のみが存在すると主張した.これに対して,本性の二重性の立場に立つ者は,当然,キリストの中には二つの意志が存在すると主張した.彼らは,両意論者(Dyotheletists)と呼ばれた.680年に開かれた第3回コンスタンティノポリス総会議において,二つの意志と二つの活力の教理を正統的なものとして採用したが,同時に,人間の意志は神的意志に常に従属するものとして考えられなければならないことを決定した.<復> カルケドン後のキリスト論論争において,ダマスコのヨーアンネースの果した役割は大きい.彼によれば,ロゴスが人性をとったのであって,人間イエスがロゴスをとったのではない.このことは,ロゴスが支配する者であることを示し,両性の統一性を確保しているものなのである.キリストの人性は,それ自身で独立した人格性を持ってはいないが,ロゴスの中に,ロゴスを通して,人格的存在を持つものなのである.<復> ヨーアンネースは,キリストにおける神性と人性の交流の理念を加え,神性の人性への交流を考える.だから,人性は神化され,神が肉において苦難を受けたもうたということができると言う.人性は,このように,全く受容的であり,全き人間性をも含めて,神の御子は,教会にとって礼拝の対象なのである.彼のキリスト論には,イエスの人間性を単なる手段としてしまう傾向があるが,両性の協力があり,一つの位格がそれぞれの本性において行為すること,意志することが認められている.意志は本性に属するものと見なされているが,キリストにおいては,人間的意志が,受肉した神の意志となったと主張されている.東方教会のキリスト論は,ダマスコのヨーアンネースにおいて最も発展し,一応の終止符が打たれた.西方教会においては,東方教会に見られた論理的,思弁的論争に影響されることはなかったが,7,8世紀にスペインで,ウルゲラの主教フェーリクスが,養子論を唱えた.彼は,キリストは,神性に関しては,神のひとり子なる御子であるが,人間性の面では,養子によって御子とされていると考えた.この考えの中には,本来的な子の身分と,養子とされることによる子の身分が区別され,前者はキリストの神性について,後者はその人性について語られているものとする.これに対して,後に,カール大帝時代を代表する神学者アルクイヌスは,フェーリクスの説を,キリストを二人の子に分割する立場であると激しく非難して争った.フェーリクスの養子論は,794年のフランクフルト会議で異端とされた.→キリスト論,三位一体・三位一体論争.<復>〔参考文献〕O・W・ハイク『キリスト教思想史』聖文舎,1969;L・ベルコフ『キリスト教教理史』日本基督教団出版局,1989;園部不二夫『ニカィア・キリスト論史』明治学院大学,1976;H・R・ボーア『初代教会史』教文館,1977.(橋本龍三)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社