《じっくり解説》エキュメニカル運動とは?

エキュメニカル運動とは?

エキュメニカル運動…

[英語]Ecumenical Movement.世界教会一致運動.今日のプロテスタント教会は様々な事情から教派的な形態の中で活動することを余儀なくされている.しかし,キリスト者のある人たちは,教会は本来,キリストにあって一つであるとの信仰に立ち,教会の一致を目指して活動を展開している.このような運動をエキュメニカル運動(教会の一致のための運動)と言う.<復> 1.エキュメニカルという言葉について.<復> エキュメニカルという言葉はギリシヤ語のoikoumene~という語に由来する.この言葉はもともと「人が住んでいる世界」を意味し,地理的概念の強い言葉であった.<復> 古典ギリシヤ語になると「ギリシヤ人は未開人とは異なって,訓練された優雅な人である」という思想を背景にして,この言葉は文化的な意味合いの強いニュアンスになった.<復> 新約聖書にはこの語は15回出てくるが,いずれも「全世界」あるいは「世界中」という地理的な意味において用いられている(マタイ24:14,ルカ2:1,使徒11:28等).<復> その後,この言葉は東方教会,ラテン教会,さらに歴代の教会において用いられるが,次第に「一致」とか「普遍」というニュアンスで使われるようになった.<復> 特に,現代のプロテスタント教会では,様々の教派・伝道団体に分裂した状態にあるので,本来あるべき教会の一致を目指す運動が盛んに行われている.それらの活動がエキュメニカル運動と呼ばれるようになった.<復> 2.一致のための歴史的背景.<復> 使徒時代以来,キリスト者たちは教会が一つであることを確信して教会を形成してきた.と言っても,新約聖書に見られる初代教会においてさえ,分裂,分派,対立,そして一致を疎外するような問題がなかったわけではない.ある教会ではユダヤ人と異邦人の対立はかなり深刻なものであったし,ある教会では,指導者を中心にした分派活動が見られた.それぞれの地域に建てられた教会は,地理的な隔たりや文化的な背景の相違から相互の交わりに亀裂が生じる危険性を常に持っていた.しかし,その場合でも,教会は常にキリストにあって一つのからだに属するという信仰は疑われることはなかった(ガラテヤ3:28).使徒パウロは教会が直面するこのような問題に対処し,地域教会の間においても真の一致が守られるよう労している.<復> 教父時代においてもキリスト者たちは,教会の一致を確信していた.使徒信条は「我は…聖なる公同の教会,聖徒の交わり…を信ず」と宣言する.ニカイア信条もまた,教会は全世界を通して使徒たち以来唯一のものであると告白している.東西教会分裂以前にも,異端的運動が起ったり,分裂騒ぎも生じたが,それは一つなる教会の中における紛争にすぎなかった.実際,教会は主教区を設け,主教のいる所に教会を建設した.そこでは,同一の地域に二つ以上の教会が並存することはあり得なかった.<復> 第2回ニカイア総会議(787年,第7回総会議)以降,教会は東西に分裂した.しかし,その場合でも東西両教会それぞれは,世界教会としての自覚を持っていた.すなわち,東方正教会ではコンスタンティノポリスの総主教を[英語]Ecumenical Patriarch〈世界総主教〉と呼んでいたし,西方ローマ教会では,全世界の司教が集まる会議を[英語]Ecumenical Council〈公会議〉と呼んでいた.<復> 1054年にギリシヤ正教会が形成されたこと,及び16世紀に始まるプロテスタント教会の出現は教会の一致という観点からは深刻な問題を提供することになった.特に宗教改革者たちは,新約聖書に叙述されているような教会の姿を回復しなければならないと主張し,それぞれの神学的な確信に基づく教会形成を模索した.もっとも彼らは,教会を初代教会の姿に戻そうとしたのであって,教会の分裂を意図したわけではない.ルターが95箇条の提題をヴィッテンベルク教会の扉に掲示した時,免罪符の悪用を批判したにすぎないのであって,ローマ・カトリック教会からの分離独立を叫んだわけではなかった.聖書の正確な解釈を追求するプロテスタント教会は,結果として数多くの教派をもたらした.といっても,その原因は純粋な神学的理由に求めるだけでは不十分である.宗教改革に先立つ数世紀の間に内包されていた政治的,経済的な要因を見落すわけにはいかない.このことは教会の分裂が単に神学的なものであっただけではなく,民族的,階級的,文化的なものでもあったことを想起させる.<復> 3.教会一致のための様々の運動.<復> 教会の一致を目指す運動は様々の形で試みられてきた.それは大きく分けて,(1)教派間の協力,(2)組織の再合同,(3)共通の聖霊体験を中心にした交わりの集いを通して,(4)超教派的組織を結成しての協力,の四つに分けることができよう.<復> (1) 教派間の協力.通常,各教派はそれぞれの教派内で活動を展開しているが,一教派を超えるような問題に対しては教派が互いに協力し合って働きを展開することがよくある.これは同じような信仰や歴史的背景を持っている教派においてより多く見られる.<復> イギリスの諸教会は協力して,1804年に英国内外聖書協会を,アメリカの諸教会は1816年に米国聖書協会を創立させた.これらの設立は,種々の教派が協力する絶好の機会となった.また英国YMCA同盟が1844年に創立されるが,1851年にはそれがアメリカに渡来するに及んで,多くの教派がYMCAの事業において協力するようになった.1881年に創立されたキリスト教共励会は,種々の教派の青年を礼拝と奉仕の共同体験において一致させるのに貢献した.伝道者D・L・ムーディは1886年に学生たちに伝道への奉仕を呼びかけ,学生志願兵運動を起したが,それは全教派の学生の思想と行動を一つにするのに貢献した.また,多くの教派は海外へ宣教師を派遣するに当って互いに協力し合い,宣教師派遣団体を組織した.福音的外国伝道協会連合(Evangelical Foreign Missions Association)あるいは超教派外国伝道協会連合(Interdenominational Foreign Missions Association)等は,福音的で超教派的な宣教師派遣団体で,世界の各地に1万3千人以上の宣教師を派遣している.また,世界中に散らばるバプテストの信徒たちは,5年に1度バプテスト世界大会を開き,宣教や教会の成長,社会的な問題の解決に協力し合っている.<復> (2) 組織の再合同.以上のような諸教派間の協力だけでなく,もともと別々の教派であったものが合同するという形態によって教会一致運動は進められた.このことは神学と祭式において類似性を持つ教派において起りやすいことは当然である.そのような例として,1958年にアメリカで起った北米合同長老教会が,米国長老教会と合同して米国合同長老教会となったことを挙げることができよう.しかし,このような同じ傾向に基づく神学を有する教派間においてだけではなく,時には,異なる教派間の合同も行われた.カナダにある大多数の長老派,メソジスト派,会衆派に属する教会は1925年,カナダ合同教会を結成した.戦時下において,日本政府の圧力によって多くの教派が統合されてでき上がった日本基督教団のケースは,純粋な教会一致運動と見なすわけにはいかないが,教会一致運動の流れの中で,摂理的なものと考える人たちもいる.<復> (3) 共通の聖霊体験を中心とした交わりを通して.20世紀初頭から,あるキリスト者たちには異言やいやしという聖霊の賜物が注がれたとして,ペンテコステ運動と言われるものが誕生した.この人たちは,次第に,同じ経験を持つ人たちの群れとして独自の教派を形成する方向をたどった.第2次世界大戦以降になると,そのような賜物を与えられたキリスト者たちは,それぞれが所属する教派にとどまるよう励まされ,それぞれの教派にとどまりつつ,同じ体験を持つ兄弟姉妹の交わりを深めていく運動を展開するようになった.彼らの共通体験は教派を超えた交わりと宣教を生み出すことになり,教会の一致運動の大きな一つと見ることもできよう.<復> (4) 組織体を形成しての協力.20世紀の初頭,プロテスタントの諸教派は,宣教及び奉仕において協力を推進するためには,国家レベルあるいは国際レベルでの連合体を組織することが最善の道であると認識するようになった.1905年には,フランスにおいて「フランス・プロテスタント連盟」が結成された.スイスにおいては,第1次世界大戦の直後に「スイス教会連盟」が創設された.<復> アメリカにおいては,1908年に30教派の代表が集まり,「アメリカ連邦キリスト教協議会」を成立させた.その後,国際宗教教育会議,北米外国伝道会議等,それまで別々に活動していた多くの超教派的な働きがこの組織に新たに加わり,発展することになった.<復> しかし,連邦協議会の指導者の多くが神学的に自由主義の立場に立つところから,保守派のグループは独自の組織を結成しようと目ろんだ.カール・マッキンタイアーを中心とした根本主義者たちは,連邦協議会がアメリカの全プロテスタント教会を代弁するという言い分に反発,1941年「アメリカ・キリスト教教会会議(ACCC)」という新たな組織を結成した.彼らの神学は保守色が極めて強く,自由主義,近代主義との戦いを鮮明にし,連邦協議会に公然と反対した.<復> 神学的には同じように保守派でありながら,歴史的キリスト教信仰に忠実なより穏健なグループは,1943年シカゴで「米国福音同盟」(National Association of Evangelicals.NAE)を結成した.この組織は,アメリカ・キリスト教教会会議に比較すれば,連邦協議会に対して寛容であった.<復> 国家レベルで誕生したこのようなプロテスタント教会の連合組織体は,次第に他の国々の組織と協力し合い,世界的なレベルでの交わりを拡大するようになり,20世紀後半のエキュメニカル運動にはずみをつけることになる.<復> 4.今日のエキュメニカル運動.<復> 1900年,世界中のあらゆるプロテスタントの諸教派の代表者たち2500人がニューヨークに集まった.彼らは,世界中のプロテスタント教会が一致のために最大の努力を払う必要があることを確認した.この会議において「エキュメニカル」という言葉が,この会議の性格を表すものとして初めて用いられた.この時集まった人たちは,1910年,エディンバラにおいて世界宣教会議を開催することを決定した.<復> エディンバラにおける会議には,160の伝道事業に携わる各団体からの代表者1200名が集まった.そこでは,(1)異教世界への福音,(2)宣教地の教会形成,(3)宣教と教育,(4)宣教との他宗教の関係,(5)宣教師の養成,(6)宣教の基盤としての教会,(7)宣教と政治との関係,(8)宣教の一致と協力という八つの主題が取り扱われた.この会議を契機として,「キリスト教協議会」が誕生し,継続委員会が設置されて教会の協力・一致を推進する体勢が整えられた.この会議はその後の「世界教会会議」の礎石となり,20世紀における世界教会運動の出発点と言われるようになる.<復> しかし,第1次世界大戦の勃発は,世界教会運動の進展に一時的な障害をもたらした.すなわち,この教会一致運動は,その後三つの流れの中で並行して展開されることになる.すなわち,「生活と実践」(Life and Work),「信仰と職制」(Faith and Order),そして「国際宣教協議会(IMC)」を通してである.1935年,「生活と実践」と「信仰と職制」の二つのグループの実務委員たちが集まり,「国際宣教協議会」及び「世界同盟」(World Alliance),YMCA,YWCAなどの代表者たちを招き「世界教会協議会」(World Council of Churches.WCC)結成の相談をした.この提案は1937年に開催された「生活と実践」及び「信仰と職制」のそれぞれの世界大会において承認され,「国際宣教協議会」も翌年の大会でそれを承認した.これらの決議に基づき,1939年に「第1回世界キリスト者青年大会」が開かれ,「世界教会協議会(WCC)」の結成は目前のこととなった.<復> しかし,1940年に第2次世界大戦が勃発,再びこの運動は頓挫した.第2次世界大戦から3年後の1948年,世界中の44か国からおよそ150の教派を代表する350名以上の指導者たちがアムステルダムで会議を開き,「世界教会協議会」を成立させた.「世界教会協議会」はその設立の目的として7項目を掲げている.(1)生活と実践の委員会及び信仰と職制の委員会の事業を継承すること,(2)諸教会の共同活動の便宜を図ること,(3)共同の研究を推進すること,(4)諸教会間にエキュメニカル意識の拡充強化を図ること,(5)世界連盟を持つ諸教会と世界機構を持つキリスト教諸団体との友好関係を保つこと,(6)必要に応じ問題あるごとに各種の世界会議を開いて教会の意向を表明すること,(7)各教会の福音宣教を援助支持すること,である.<復> 「世界教会協議会」には6名の議長が置かれ,120名の教会の代表者たちから成る中央委員会が年に1度開かれる.その最高決議機関は6年ごとに開催される大会にある.その本部はジュネーブに置かれ,ニューヨークに支局がある.中央委員会のもとに総務局があり,総幹事のもとに通常の活動を展開している.なお,中央委員会のもとに「信仰とあかし」,「正義と奉仕」,「教育と革新」の各部局が設置され,各国の「国内教会協議会」(National Council of Churches.NCC)と連絡を取りつつ,教会,宣教,社会の諸問題に対処すべく世界的活動を展開している.1948年のアムステルダムにおける創立大会の後,第2回大会はアメリカのエヴァンストンで(1954年),第3回はインドのニューデリーで(1961年),第4回はスウェーデンのウプサラで(1968年),第5回はケニアのナイロビで(1975年),第6回はカナダのバンクーバーで(1983年)開催されてきた.次の第7回はオーストラリアのキャンベラで1991年に開催される予定である.<復> 日本では,日本キリスト教協議会(National Christian Council in Japan.NCC‐J)が結成され,現在,35の教団,教会,団体が加盟している.特に福音宣教,社会に共同の証詞を立てること,アジアや世界の教会との交流を深めるという面で大きな活動を展開している.この働きのために,総務部,宣教奉仕部,教育部,文書事業部,キリスト教アジア資料センター及び宗教研究所が設けられている.<復> 5.福音派の教会一致運動.<復> 「世界教会協議会」が組織化された時,神学的には自由主義の傾向が強いアメリカの「連邦キリスト教協議会」の指導者たちが中心的役割を占めた.このため,神学的に保守的なグループは独自の組織を結成した.「アメリカ・キリスト教教会会議(ACCC)」のグループは,1948年「世界教会協議会」の設立総会が開かれる2週間前に,同じアムステルダムで設立総会を開催し,「国際キリスト教教会会議(ICCC)」を創設した.<復> 一方「米国福音同盟(NAE)」のグループも,「福音における交わり」,「福音の保持と確認」,「福音の拡大」の三つを目標に掲げ,1951年「世界福音同盟」(World Evangelical Fellowship.WEF)をオランダにて結成した.以降スイスのクラレンス(1953年),アメリカのバーリントン(1956年),香港(1962年),スイスのローザンヌ(1968年),スイスのシャトー・デー(1974年),ホデスダデン(1980年),シンガポール(1986年)等で総会を開催しながら,世界中の福音主義に立つ教会の交わりに貢献した.「世界福音同盟」は,総会の下に実行委員会を置き,そのもとに五つの専門委員会(教会刷新のための委員会,コミュニケーション委員会,宣教委員会,神学委員会,婦人委員会)を設けて活動している.<復> この世界福音同盟とは信仰的には同じ立場に立ちつつも,世界宣教にフォーカスを当ててより広範な教派から志を同じくする人々が展開した運動として「ローザンヌ運動」を挙げることができる.この運動は「世界福音同盟」に比べ,教派の代表者たちの集りというより,個人的な色彩の強いものではあるが,福音派全体の一致・協力に大きな貢献を果している.このグループによる第1回の世界伝道会議は1974年にローザンヌで開催された.以降,様々の地道な研究会議を重ねて,全体の第2回世界伝道会議を1989年マニラで開催した.今日,教会を基礎とした各国の福音同盟結成の動きが活発に進められており,アジア,アフリカ,ヨーロッパなどを単位としての地域の福音同盟の誕生を次々と見ている.アジア福音同盟は1985年に発足している.<復> 6.日本の福音派の教会一致運動.<復> 戦後の日本の福音派諸教会の教派間の協力は1950年の「日本新教連盟」の発足に始まる.1951年には「世界福音同盟(WEF)」からの呼びかけもあり,日本基督教団を離脱したきよめ派の群れを中心に「日本福音連盟」(Japan Evangelical Fellowship.JEF)が発足した.<復> 同年,神学的に根本主義の立場をとる宣教師と日本人教師たちは,自由主義神学と偶像礼拝に妥協しない厳しい立場を掲げ,「日本聖書キリスト者会議」(Japan Bible Christian Council.JBCC)を誕生させた.<復> 1959年には,プロテスタント信仰が日本に宣教されて100周年を迎えた記念集会が聖書信仰を標榜する人たちを中心に開催された.翌1960年には,そのグループを中心に「日本プロテスタント聖書信仰同盟」(Japan Protestant Conference.JPC)が誕生した.このグループは最初,聖書信仰の重要性を訴える個人的な運動として展開されたが,次第に福音派の交わりの組織体として活動するようになる.<復> やがて,福音派諸教会の交わりを進めていた三つのグループ,「日本プロテスタント聖書信仰同盟」,「日本福音連盟」,「在日宣教師協力組織」(Japan Evangelical Missionary Association.JEMA)の指導者はこれらの交わりを包含する組織体が必要であることを痛感し,1968年「日本福音同盟」(Japan Evangelical Association.JEA)を結成した.この組織は,先の三つの組織を通してのみ会員になれるという「チャーター制」をとりつつ,日本伝道会議などを開催しながら,福音派の諸教会の交わりを促進させた.<復> 1987年には「日本福音同盟」は,それまでのチャーター制を廃止し,教会・教派を中心にした組織の再編成を行った.そして,「世界福音同盟(WEF)」及び「アジア福音同盟(EFA)」への加盟を正式に決議し,アジア及び世界的な交わりの中で責任を果している.1990年現在,加盟教派数は45教派,各種の伝道団体は40に及んでいる.(中沢啓介)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社