《じっくり解説》ギリシヤ正教とは?

ギリシヤ正教とは?

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ギリシヤ正教…

ローマ帝国の東方世界で指導的地位にあったアレキサンドリア,アンテオケ,コンスタンティノポリス,エルサレムの総主教区を受け継ぐ東方教会であるが,同じく東方で展開したコプト教会,アルメニア教会,ヤコブ教会などのキリスト単性論派,ネストリオス派とは一線を画し,キリスト両性論を明記したカルケドン信条を受け入れている.教義的基準は最初の7回の公会議までの決定に求め,カトリックが認めるそれ以降の公会議は認めない.呼称は,古代ギリシヤの文化的伝統を背景にすること,「正しく(オルソス)」「神を賛美する(ドクサ)」ことを追求する態度に由来する.使徒時代の伝統の忠実な継承を自認する.ギリシヤの独立教会,キリスト単性論等の異端と区別する意味で「東方正教会」との呼称も適切である.カトリック教会と異なり統一的組織はなく,独立教会が交わりを保ちながら存在する.現在はギリシヤ,東欧諸国を中心に,中東にも分布している.南北アメリカ,フランスなどには離散派教会がある.日本にはロシアから宣教師ニコラーイが伝え,「ハリストス正教会」となっている.<復> 1.歴史.<復> キリスト教公認後,キリストの定義を巡って諸説が登場したため,解決を与えるべく公会議が開かれ,アリウス派,ネストリオス派,キリスト単性論,キリスト単意論派が退けられたが,東方の神学者が大いに活躍した.一方,ローマ帝国の分裂によりキリスト教にも東西で微妙な違いが生れ,神学,慣習,国家との関係,ローマの首位性などを巡り対立していく.イコン崇敬問題,聖霊発出論争を経て1054年分裂し(→本辞典「東西教会の分裂」の項),第4回十字軍遠征で決定的に決別した.東方教会はビザンツ帝国で発展し,周辺のスラヴ地域に宣教しロシアの改宗などの成果を得る反面,常にイスラム勢力に圧迫された.帝国が弱体化し,オスマン・トルコの脅威が迫った時,西方の援助を得ようとフェラーラ・フィレンツェ会議(1438—39年)で教会合同をはかった.しかし内部からの反対で実らないまま1453年帝国は滅亡し,正教会の中心はロシアに移った.他の地域も長くトルコの支配下に置かれた.16世紀の西方での宗教改革との関連では,コンスタンティノポリス総主教はプロテスタントと交渉を持ったが,改革の内容は認めなかった.17世紀にはイエズス会の宣教活動がロシア西部にまで及んだ時(この影響で,正教式の典礼は認められるがローマに帰属するという東方典礼帰一教会が生れた),正教防衛のためコンスタンティノポリス総主教キュリロス・ルーカリスはカルヴァン派に接近した.同じ頃カトリックの影響を受けていたウクライナのキエフ府主教ピョートル・モギーラはカトリック的な信仰告白書を作った.エルサレム総主教ドシテウスはこの両極端を排した正教防衛の信仰告白書を作成した.18世紀にはロシア正教もピョートル大帝の西欧型近代化政策によって力を失った.18世紀後半になってアトス山から正教修道精神の復興が起る.『フィロカリア』という正教聖師父の信仰を伝える書は19世紀のロシアの霊的再生にも寄与した.しかし20世紀に入りロシア正教は社会主義革命によって打撃を受け,その後他の東欧諸国も社会主義化したため,正教会は新たな苦難の道を歩むことになったが,厳しい条件下でも存続し,一定の存在力を示している.1964年コンスタンティノポリス総主教はローマ法皇と歴史的会見を行い,神学を含めてカトリックとの対話を徐々に拡大してきている.1961年には世界教会協議会(WCC)に加入した.<復> 2.神学.<復> 思弁的・哲学的で神秘性・形而上性に富む東方教会の特徴を受け継ぎ,神秘主義的傾向を持つ.正教においては「神秘」と「神学」の間に対立がない.神は,本質においては人間には近付き得ない,認識し得ない神であり,一方ではエネルゲイアにおいて自らを表す神という二律背反においてとらえられる.その中で神との交わりを得,神のいのちにあずかる者とされるという救いと聖化のプロセス「神化」が目標となる.こうして神学も「否定神学」という方法をとる.すべてを超越した神を知るためには,神と対比されるこの世のものを否定し続ける必要があるというもので,知性が恩寵により神に全くとらえられることを期待し,聖霊の光の中で体験を通して知っていく道をたどるのである.その点でキリストの「からだ」なる教会は重要な意味を持つ.正教神学の真髄は三位一体論,教会論とも密接に結び付いた聖霊論にある.フィリオクェ(及び子から)主義を否定し,唯一の源である父なる神から御子は「誕生」し,聖霊は「発出」する,そしてそれらは互いに均衡を保ち,相互に助け合うものとする.聖霊に満たされたキリストの霊的な「からだ」は聖霊が永遠に降臨するところで,洗礼(バプテスマ)を受けることでこの「からだ」と一体となり,傅膏(ふこう)の機密(カトリックの秘跡に相当する語)により聖霊の恩寵を受け,聖体にあずかることで聖霊の賜物を受ける.こうして教会での機密を通しキリストの霊的な「からだ」に触れるものは聖霊に満たされるのである.救いも信仰,戒律,祈り,礼典を通し結ばれる共同体としての教会を離れてはあり得ない.教会論はキリストの「からだ」という点で一つのまとまりを持ちながら,信徒一人一人が聖霊を受ける所という点では多様性を持つという,三位一体論(三つの位格は本質において一つとなるという絶対的統一と絶対的多様性との一致を示す)的なものとなる.創造論においては,人間は神のかたちを持つもの,人格的存在,自由な存在として造られながら,自由の主体性を誤って行使したため創造主から離れたが,御子の受肉により堕落前の状態に回復され,再び自由意志によって神に向かうものとされたととらえられる.そしてマリヤが人間を代表して受肉を受け入れたという「同意」にこそ自由意志のもたらした悲劇は解決されたとし,生神女(しょうしんじょ)マリヤの占める位置が大きくなる.人間論も三位一体論的にとらえられる.キリスト論はカルケドン主義に立つ.贖罪においてはキリストの死とともに,ことさら復活が強調される.<復> 真理を伝え,信仰を導くものを聖書と聖伝に求める.聖書も聖伝から離れてはあり得ない,聖書も聖伝も聖霊のあらわれであり,一つのものととらえる.聖書は書かれた聖伝,聖伝は生きた聖書なのである.聖伝は教会の伝統的な教理,典礼,図像学(イコン)にあらわれる.聖霊によって「ことば」をはらんだマリヤは聖伝の生きた原型となる.一方,儀式,信経,信仰上の象徴,記号など具体的なかたちにも伝統はあらわれる.ここから「かたち」が絶対的なものとなり硬直化したり,外面的なことを巡る分裂に通じることがある.<復> 信経はニカイア・コンスタンティノポリス信経を採用している.<復> カトリックと対比すれば,煉獄,免罪符,マリヤの無原罪懐胎はない.マリヤの就寝(被昇天),死者のための祈り,聖人崇敬,修道制はある.<復> ヨハネ,パウロの霊性を重視する.神学者としては聖大バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオス,表信者マクシモス,聖ヨーアンネース・クリュソストモス,ダマスコの聖ヨーアンネース,新神学者シメオン,モスクワの府主教フィラレート,信徒神学者ホミャコーフらがしばしば引用される.<復> 3.典礼.<復> 宗教儀式・礼拝は「奉神礼」と言う.その中心は聖体礼儀である.5種類あるが,聖ヨーアンネース・クリュソストモス聖体礼儀が最も一般的である.聖大バシレイオスのものは年10回,最も古い先備聖体礼儀は復活祭関連で行われる.聖体礼儀は,聖パン(→図1「聖パン(プロスフォラ)」)とブドウ酒を用意する「奉献礼儀」,洗礼準備中の者(啓蒙者)のため内陣から聖書が持ち出され宝座に戻される(小聖入)キリストの宣教を記念する「御言葉の礼儀」,信者がパンとブドウ酒にあずかる「聖体機密の礼儀」の三つの部分から成る.奉献台から聖品がイコノスタス(聖障)の北門を通って持ち出され,聖所を巡って王門から宝座にもたらされることを「大聖入」と言う(主のエルサレム入城を記念する).その際,聖歌と祈りが唱され,「信経」を経て聖品は聖変化する.その後,信者はパンとともにブドウ酒にあずかる(両形色).機密は古くは二つであったが,13世紀以降カトリックにならい七つとなった.洗礼(浸礼式),傳膏(受洗後の聖油塗布),聖体,痛悔(懺悔),神品(聖職者叙聖),婚配,聖傳(病気全快の祈り)である.<復> 4.教会堂とイコン.<復> 教会堂は正面が東を向くようにして,船か十字架の形に建てられる(→図2「教会堂」).東はいのちを与える光なるキリストを意味する.クーポラ(丸屋根)は,火(聖霊)の形をとってネギ坊主型をしている.会堂内はイコンで飾られたイコノスタス(聖障)により奥の内陣(至聖所)と手前の聖所に分けられる(→図3「イコノスタス」).聖障には中央の「王門」,向かって左の「北門」,右の「南門」がある.内陣中央には最後の晩餐を記念する宝座があり,燭台,聖書,手持ちの十字架などが置かれている.左奥の奉献台ではパンとブドウ酒が用意される.十字架はロシア正教では「八つの端を持つ」十字架が一般的で,日本でもこれを採用している(→図4「ロシア式十字架」).上の横棒はイエスの罪状板,下の横棒はイエスの足台を意味し,傾斜は左右の罪人たちの態度の違いを示す.イコンは目で見る聖書として,儀式でも家庭でも重要な役割を演じる(→本辞典「イコン」の項).正教では総じて形や動きなど目に見えるもの一つ一つに意味付けがなされており,シンボリックである.<復> 5.暦.<復> キリストの生涯の出来事とマリヤを主題とする12大祭,洗礼者ヨハネのための二つの祭,ペテロ,パウロのための祭が教会暦の中心となる.マリヤに関する祭は福音祭(受胎告知)を除いて外典に依拠する(誕生祭,進堂祭,就寝祭).最大の祭はこれらとは別格の復活祭で,クリスマスより盛大に祝われる.祭には断食と祈りによって備える斎(ものいみ)が伴われる.大斎(おおものいみ)は復活祭前の40日を含め年4回ある.復活祭前の大斎には4週間の準備期間があり,順に肉,乳製品を断っていく.このほか年間を通じて,水・金曜日は斎の日とされる.暦はユリウス暦が使われ,ロシア正教では現在も正式にはこれによっている(20世紀ではグレゴリウス暦と13日のずれがある).<復> 6.日課.<復> 古代の伝統に立ち,一日は晩から始まるとし,8区分してそれぞれの時間帯に祈りをささげる.晩課,晩堂課,夜半課,早課,1時課,3時課,6時課,9時課で,通常3時課の後に聖体礼儀が行われる(現在は修道院を除くと全部行われることはない).日曜・祭日前夜には,晩課,早課,1時課をまとめて徹夜祷,として行う(晩祷).<復> 7.聖職者.<復> カトリックとほぼ対応する職階制を持つ.主教職には総主教,府主教,大主教,主教の序列がある.司祭職は妻帯者と独身者(掌院,典院,修道司祭)に分れる.機密執行を助ける輔祭職は首輔祭以下,幾つかの段階がある.西方教会と異なり,聖職者は修道士志願者を除き妻帯が認められ(ただし主教は徐々に独身の修道士から選ばれるようになった),現在も妻帯聖職者(ロシアでは白僧と言う)と独身聖職者(黒僧と言う)がいる.司祭の叙聖は主教職が行い,主教は主教区を持つ3人以上の主教により叙聖される.旧約時代・初代教会の伝統に立ち,ひげは必ずたくわえるものとされる.<復> 8.聖書.<復> 旧約聖書は入典書(正典39巻)以外に不入典書(外典)が含まれる.「ソロモンの知恵」「ベン・シラの知恵」「トビト書」「ユデト書」「エレミヤの手紙」「バルク書」「エスドラス書(第2,第3)」「マカベア書(第1—第3)」である.新約は27巻である.経典(けいてん)(祈祷書)は聖書関連(「福音経」,行伝と書簡の「使徒経」,詩篇の「聖詠経」),変動のない祈祷式用のもの,変動する教会暦に合せたものの3種ある.<復> 9.聖歌.<復> 肉声こそ精神性にまさるというビザンツの伝統に立ち,楽器なしの肉声で歌われる.主流はビザンツ聖歌であるが,ロシアで発展し,16世紀にはポリフォニー(多声楽)が用いられるようになる.19世紀になると多声楽聖歌集が完成した.「聖詠」という詩篇と聖師父が聖書をもとに作ったものを歌うが,公会議で決定した教義も含まれる.<復> 10.現状.<復> 古代東方の総主教座を含め九つの総主教座がある.コンスタンティノポリス(トルコ,ギリシヤの一部,アトス山他),アレキサンドリア(全アフリカ.約10万人),アンテオケ(シリア,レバノン,イラク,イラン他.約40万人),エルサレム(イスラエル,ヨルダン,アラビア.約6万人),モスクワ(ソ連,北米・ヨーロッパの離散派),セルビア(ユーゴスラビア他.約800万人),ルーマニア(ルーマニア.約1500万人),グルジア(グルジア他.約200万人),ブルガリア(ブルガリア他.約600万人)である.このほかに自治独立教会としてキプロス教会,ギリシヤ教会,アルバニア教会,ポーランド教会,チェコスロバキア教会,フィンランド教会,シナイ山教会がある.古代の教会は現在は小規模になっており,大半は東欧の社会主義体制に置かれてきた.離散派教会の活動としてニューヨークの聖ヴラジーミル神学校とパリの聖セールギイ神学校は現代正教神学をリードしている.これらはロシア宗教哲学の結実でもある.中国,日本,アフリカ等にミッション系の教会がある.信徒数はロシア正教会が最大で,正確にはつかめないが,教会に通う信徒が3000—4000万人(洗礼を受けた者は約1億人)であると言われる.なお,キリスト単性論派の教会は約1500万の信徒を数えると言う.<復> 11.ロシア正教会.<復> ロシアは建国後1世紀を経た頃大公ヴラジーミル1世の受洗(988年または989年)を経て,ビザンツのキリスト教(正教)を国教として受け入れた.コンスタンティノポリス総主教の管轄下でキエフを中心に正教国として発展する.中世には約250年モンゴル人の支配を受けたが,支配から脱する過程で力をつけたモスクワに教会の中心も移る(1328年).コンスタンティノポリス滅亡(1453年)後はモスクワが正教世界の中心となり,モスクワはローマ,コンスタンティノポリスに次ぐ第3のローマであり,永遠に滅びることのないキリスト教の盟主であるとの理論も登場した.1589年モスクワは総主教座となる.17世紀半ばに総主教ニーコンの教会改革(教会文書,儀式の慣習の修正)により教会が分裂する.改革以前の伝統に依拠する古儀式派は分離させられ,今日に至る.18世紀のピョートル大帝の改革の結果,教会は国家権力に従属させられ,総主教は廃止される.19世紀半ばに修道院の復興,一般信徒神学者の活躍によって霊性を取り戻したのもつかの間,ロシア革命(1917年)により壊滅的打撃を受ける.しかし,総主教を復活させ,国家の厳しい管理下に置かれながらも存続し,1988年受容千年祭を祝った.非公認の地下教会もある.ロシアの霊性については,正教の特徴の一つ「静寂主義」が追求され,うっそうたる森で修道生活が営まれた.キエフのペチェルスキイ修道院,モスクワ近郊の聖トロイツェ・セールギイ修道院(最近まで本山であった),19世紀に多くの文人・哲学者に影響を与えたオープチナ修道院,近代ロシア最大の霊的師父聖セラフィームのサーロフ修道院などが有名である.修道院の土地所有に反対し,所有を認めるヨシフ・ヴォーロツキイに敗れたニル・ソールスキイはロシア静寂主義の流れにいる.『フィロカリア』を通して紹介された〈イイススのみ名の祈り〉は霊性復興に寄与した.「主イイスス・フリストース神の子や,我罪人を憐れみたまえ」との祈りを呼吸,心臓の動きに合せて繰り返し祈るものである.神学者としてはモスクワの府主教フィラレート,教義神学を著した府主教マカーリイ,教会を精神共同体としてとらえ直した信徒神学者ホミャコーフ,神秘主義的であるが優れた哲学者ソロヴィヨーフなどが注目される.ドストエーフスキイ,トルストーイ,ゴーゴリらの作家もある意味での神学者であった.亡命した哲学者ベルジャーエフ,神知学のブルガーコフ,新教父神学のフロローフスキイ,教義学のV・ロースキイらは現代の優れた神学者である.<復> 12.日本の正教会.<復> 日本への宣教は,後に亜使徒の称号を与えられたニコラーイ(1836—1912年)によって始められた.ニコラーイは1861年函館のロシア領事館付き聖職者として来日し,日本語の修得に努めつつ情熱を注いで伝道し,今日の日本ハリストス正教会の礎を築いた(ハリストスの名は,ロシア語のキリストを意味する「フリストース」がなまったもの).典礼書の翻訳,学校経営,牧会,巡回を通して50年ほど伝道した.一時は4万人ほどの信徒を得たが,日露戦争,ロシア革命により打撃を受け,宣教活動は低迷した.しかし,近年は徐々に積極的な活動を始めている.ニコラーイの宣教観については,本国に提出した報告論文「キリスト教宣教団の観点から見た日本」(邦訳『ニコライの見た幕末日本』)などに見られる.ロシア革命でロシアとの関係が断絶し,第2次世界大戦後在米ロシア正教会と連携したことを巡り,二派に分れた.現在は両派ともロシア正教会とつながり,相互に親睦を深めている.東京神田のニコライ堂に本部を置く日本ハリストス正教会(神聖正統使徒伝承東方教会,1970年より自治独立)とロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドウォーリエである.<復> ニコラーイの導きで信仰を持ちロシアに留学した神学生はロシア文学の紹介に寄与した.同じくロシアに渡りイコン画法を学んだ画家に山下りんがいる.<復> 13.その他の東方教会.<復> ネストリオス派とキリスト単性論派がある.単性論派にはコプト教会,アルメニア教会,ヤコブ派教会,トマス派教会などがある.アルメニアは301年世界最初のキリスト教国家となったが,6世紀以来単性論に立ち,極めて民族主義的な教会として他の単性論派からも距離を置いてきた.首長はカトリコス(教長)と呼ばれ,現在はエチミアジンとキリキアに大司教座がある.6世紀にヤコブ・バラダイオスが始めたというヤコブ派はシリアで展開した.他宗教・他教派の圧迫を受ける中で何度もカトリックが働きかけ合同をはかったが成らなかった.インド南部マラバール地方に古くから伝わったキリスト教は使徒トマスによるとされ(「トマス行伝」),トマス派と称される.4世紀ネストリオス派と結び付いたが,イエズス会の攻撃を受けカトリックとの合同教会が生れ,反対派と分裂した.17世紀には一転してヤコブ派の単性論派となった.再びカトリックから合同の働きかけがなされてきたが,成功していない.→東西教会の分裂,イコン.<復>〔参考文献〕高橋保行『ギリシャ正教』講談社,1980;森安達也『キリスト教史Ⅲ』山川出版社,1978;V・ロッスキィ『キリスト教東方の神秘思想』勁草書房,1986;Ware, T.,The Orthodox Church, Penguin Books, 1963.(安村仁志)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社