《じっくり解説》組織神学とは?

組織神学とは?

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組織神学…

[英語]Systematic Theology.<復> 1.定義.<復> 「組織神学」は,神学諸科の一科目であり,神のことばである聖書を唯一の源泉とし絶対的規準として,諸信条などの教会の歴史的遺産に導かれつつ,聖書において啓示された真理内容を体系的に提示し,教会形成と伝道の働きに奉仕することを目的とする.<復> 2.名称.<復> キリスト教信仰の内容の体系的叙述の試みは古くからなされてきた.それらの著作は様々な名称で呼ばれてきた.代表的な例を以下のように挙げることができよう.古代では『諸原理について』(オーリゲネース),『神聖な教理』(ラクタンティウス),『キリスト教要義(エンキリディオン)』(アウグスティーヌス),『正統信仰論』(ダマスコのヨーアンネース).中世では『命題集』(ペトルス・ロンバルドゥス),『神学大全』(トマス・アクィナス).宗教改革の時代では『真の宗教と偽りの宗教』(ツヴィングリ),『神学総覧』(メランヒトン),『キリスト教綱要』(カルヴァン)などである.宗教改革以降ではラインハルトによって『教義学概論』(1659)が著され,初めて「教義学」という名称がこの科目に用いられた.それ以来今日までこの名称は,『教義神学』(シェッド),『改革派教義学』(バーヴィンク),『キリスト教教義学』(カフタン),『教会教義学』(カール・バルト)など,幾らかの変化はあるが広く用いられてきた.また,シュライアマハーによって『キリスト教信仰』という表題の下でキリスト教信仰の体系的叙述がなされ,その強い影響下で「キリスト教信仰論」という名称も市民権を得るに至った.今日でもヘンドリクス・ベルクホッフやカール・ラーナーなどがこの名称を採用している.しかし,「信仰論」という名称自身からも明白であり,シュライアマハーの場合もそうであったように,キリスト教→信仰体験/・・・・←の体系的叙述として主観主義的色彩をこの名称は濃厚に帯びている.従って,自由主義神学に対峙する福音主義神学の立場からは,この名称はあまり用いられない.むしろ,福音主義神学にとってより一般的なのは,「教義学」という名称と並んで「組織神学」という名称である.「教義学」という名称が欧州大陸系の神学的伝統においてより多く用いられる傾向があるのに対して,「組織神学」という名称は英米系の神学的伝統においてより広範に用いられていると言えよう.「組織神学」という名称を採用した代表的神学者としてはストロング,チャールズ・ホッジ,ダブニ,ルイス・バーコフ,ヘンリ・シーセンなどのほかに,パウル・ティリヒのような自由主義神学者の名も挙げることができる.<復> 「組織神学」も「教義学」も,実質的内容においては同じであるが,名称からくる微妙なニュアンスの差を読み取ることも可能であろう.「組織神学」という場合には→聖書の啓示真理の組織的/・・・・・・・・・・・←,→体系的把握/・・・・・←という意味合いが強いであろうし,「教義学」という場合には→教会の教義を扱う学/・・・・・・・・・←という点に力点があり,この学問の→教会的性格/・・・・・←をより明瞭化していると言えよう.あくまで微妙なニュアンスの差ではあるが,組織神学という名称を用いる場合には,名称自身が必ずしもこの学問の教会的性格を反映していないので,教会的性格を十分に認識しつつ組織神学的作業をする必要があるであろう.<復> 3.組織神学の必要性.<復> 既述のようにキリスト教信仰の真理内容の体系化の試みが様々な名称をもってなされてきたが,では,なぜそのような体系化が必要とされてきたのであろうか.組織神学の必要性の問題である.第1に,覚えなければならないことは,→真理とその認識/・・・・・・・←がキリスト教信仰にとって決定的重要性を持っているという事実である.聖書は霊感された権威ある啓示の書であり,そこでは啓示的真理が提示されている.聖書における啓示真理の核心はイエス・キリストである(ヘブル1:1,2).それゆえに聖書はイエス・キリストをあかししているとも言われる(ヨハネ5:39).そのイエス・キリスト御自身がロゴスであり(ヨハネ1:1),〈真理〉そのものである(ヨハネ14:6).真理はそれ自身の固有の論理を持っており,イエス・キリストを核心とする啓示真理もまたそれ自身の固有の論理を持っている.この点に,聖書の啓示真理の論理的体系化を目指す組織神学の可能根拠がある.さらに,組織神学が可能であるばかりではなく必要でもあるのは,「神は,すべての人が救われて,真理を知るようになるのを望んでおられ」(Ⅰテモテ2:4)るからである.つまり,真理の認識は,キリスト教信仰にとって本質的に必要なことであり,求められていることなのである.その際,「真理を知るように」なるには,真理は論理的に把握され,提示され,認識へともたらされなければならない.この点に,組織神学の必要性の根本的理由がある.<復> 第2に,教会の働きの面から組織神学の必要性が考えられねばならないであろう.教会は聖書のみを土台として立つと宣言する.しかし,聖書を土台として立つとは,聖書の真理を,しかも聖書の偏った真理ではなく聖書の真理全体(使徒20:27)を土台として立つことを意味する.従って,聖書を土台として立つためには,具体的には聖書の真理全体を認識し,公に告白し,土台としての立脚点を明らかにする必要がある.この立脚点の明確化によって,教会は「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致」(エペソ4:13)への奉仕を行うことができる.このために,教会は教義を形成し,諸信仰告白を生み出してきたのであり,それとの関連で組織神学の営みも必要となってきたのである.聖書の啓示真理全体の秩序立った体系化が,教会の教理的一致をもたらし,説教と教育の堅固な基盤を提供し,信徒の聖書理解の指針を与えることになったのである.<復> 第3に,教会とキリスト者が絶えず直面する外的脅威との対決が必然的に組織神学的努力を要請することになる.対異端との関係において,教会は正統的信仰の内容を規準として提示する必要があった.また,対異教的外部思想との関係においても,福音の真理性の弁証のためにキリスト教信仰の内容の論理的,体系的提示が求められたのである.ここにも組織神学の営みが成立してくる「生活の座」がある.<復> 4.組織神学とは何か.<復> 本項目1.において組織神学の定義を与えておいたが,以下のように説明することによって「組織神学とは何か」をより詳細に明らかにしておくことにする.<復> (1) 組織神学は「神学諸科の一科目である」こと.神学には「聖書学」,「歴史神学」,「組織神学」,「実践神学」などの各部門がある.「組織神学」は組織神学部門に属する一学科である(→本項目5.).<復> (2) 組織神学は「神のことばである聖書を唯一の源泉とし絶対的規準とする」こと.組織神学の学的作業の源泉は「聖書と伝統」や単なる「宗教的,信仰的体験」ではなく,→ただ聖書のみ/・・・・・・←である.組織神学は,聖書のみを源泉として聖書の啓示真理の統一的,体系的提示を課題とする.しかし,組織神学が,どれほど最善になされたとしても,地上における人間の歴史的作業である限り決して完全ではあり得ない.地上のすべての神学がそうであるように,組織神学も例外なく「旅人の神学」であり続ける.組織神学は体系性を重んずる学であるために,自らの体系が絶対的であるかのように錯覚する危険がある.聖書のみが絶対であり,→聖書の絶対的規準の下で/・・・・・・・・・・・←,組織神学の体系は絶えず相対化され,批判と検証にさらされ,啓示真理のより聖書的な体系的把握が倦むことなく追求されねばならない.この点で,組織神学は聖書学の成果に常に十分な注意を払うべきであろう.聖書学は,組織神学の→根拠/・・←に関係しているからである.<復> (3) 組織神学は「諸信条などの教会の歴史的遺産に導かれつつ」営まれなければならないこと.教会は,歴史の中で聖書の啓示真理を認識し,告白し,諸教義や諸信条を生産してきたのである.それらは聖書それ自体の権威と同一視してはならない.しかし,神の民に働く聖霊の歴史的導きを信ずる者として,それらの歴史的遺産を十分に尊重しなければならない.組織神学に従事する者は,聖徒の交わりの中で,とりわけ歴史の中で生きた聖徒たちとの交わりの中で聖徒たちの声に謙遜に耳を傾けつつ,〈今〉というこの時代において聖書の啓示真理のより正しく,よりふさわしい体系的表明に努めなければならないのである.この点で,歴史神学の成果に注意深く耳を傾けることが組織神学に求められているであろう.歴史神学は,歴史的パースペクティブの中で組織神学に洞察と知恵を与え,歩むべき確かな→方向/・・←を指示してくれるからである.<復> (4) 組織神学は「教会形成と伝道の働きに奉仕することを目的とする」こと.組織神学は実践神学ではない.しかし,理論のための理論ではなく,極めて→実践的/・・・←である.本項目3.ですでに明らかにしたように,宣教と教会形成のわざにおいて聖書の啓示真理の体系的理解は生命的重要性を持つ.その理解が聖書的であればあるほど,真理の柱としての教会の自己形成のわざも伝道も健全なものとなる.組織神学は教会形成と伝道への責任と奉仕を絶えず自覚しなければならない.この点で,組織神学は,実践神学の課題を視野におき続けなければならないであろう.実践神学は組織神学の実際的→目的/..←に関係しているからである.<復> 5.神学諸科における組織神学の位置.<復> 神学の全体は,アーブラハーム・カイパーの基本的分類に従えば,四つの部門に大別できる.「聖書学」(聖書それ自体を取り扱う諸科目),「歴史神学」(教会史),「実践神学」(教会の実践に関係する諸科目)そして「組織神学」の各部門である.「組織神学」部門はさらに三つの分野に分けられる.三つの分野とは,「歴史的分野」(教理史,信条史),「構成的分野」(教義学,倫理学),「弁証的分野」(対哲学思想,対異教,対異端)である.この分類に従えば,広義の「組織神学」には,これら三つの分野の諸科目が含まれることになる.狭義の「組織神学」は,広義の「組織神学」部門の「構成的分野」の一科目である「教義学」を意味する.本項目の「組織神学」は狭義のそれが理解されて論述されている.狭義の組織神学が取り扱う内容は,一般的に言って,組織神学序論,神論,人間論,キリスト論,救済論,教会論,終末論である.福音主義神学陣営においては,「弁証的分野」を独立した部門とし,神学の全体を「聖書学」,「歴史神学」,「組織神学」,「弁証学」,「実践神学」の五つの部門に分類する場合も多い.<復> 組織神学と他の各部門との関係については,本項目4.の「組織神学とは何か」の論述においてすでに言及した.ここでは,「組織神学」部門内部における,(1)組織神学とキリスト教倫理学との関係,(2)組織神学と弁証学との関係について取り上げることにする.<復> (1) 組織神学とキリスト教倫理学との関係.組織神学とキリスト教倫理学との関係は,信仰と行為との関係からもわかるように,区別されるが,分離不可能な一体的関係にある.従って,古来多くの組織神学者たちが,倫理的課題を十戒論の展開という形で組織神学そのものの中でか,あるいは信仰の内容論の叙述の後で第2部として取り扱ったのである.しかし,次第に両者は分離の道を歩むようになり,それによってキリスト教倫理学は→キリスト教/・・・・・←倫理としての性格を喪失し,組織神学もまた一種の抽象化に陥ることになった.そのような神学的状況の中で両者の一体的関係を強硬に主張し,組織神学自体の中にキリスト教倫理学を織り込む動きも出てきた(典型的な例としてはカール・バルト).両者の一体的関係の主張は正当であるが,そのことはただちに組織神学の中でキリスト教倫理学も必ず扱わなければならないということを意味しない.倫理的真理は教理的真理と異なった側面があり,それ自身に特有の諸問題がある.今日では,特に倫理的課題は広範囲に及び,組織神学者が倫理的課題をすべて網羅して取り扱うのは技術的にも困難である.この意味で,組織神学と区別されたキリスト教倫理学が別個に存在し得るであろう.大切なことは,両者は区別されても分離されてはならないということである.従って,組織神学は倫理的課題を絶えず視野に置き,キリスト教倫理学は組織神学的基礎付けに常に留意しつつ,相互の学的営みをなさなければならないのである.<復> (2) 組織神学と弁証学との関係.組織神学と弁証学との関係について次のような立場がある.(a)弁証学を組織神学の→前に/・・←位置付け,組織神学の真理体系の前提的土台を論証的に基礎付ける点に弁証学の課題を見る立場.(b)弁証学を組織神学の→後に/・・←位置付け,組織神学の真理体系を弁証する点に弁証学の課題を見る立場.(c)組織神学と弁証学の関係を→相互浸透的/・・・・・←,→相互依存的関係/・・・・・・・←と見る立場.(c)の立場によれば,組織神学の真理体系は誤謬との弁証的対決を通してよりよく認識され確立され,同時に組織神学の真理体系がよりよく認識され確立されるところでより有効に弁証的課題が果される.この意味で相互浸透的,相互依存的と言われる.両者の関係のダイナミズムに最もよく即応した見解は(c)の立場であろう.<復> 現代神学ではエーミール・ブルンナーが一種の弁証的神学の必要性を主張したが,カール・バルトはこれを否定し,弁証学の存在を認めなかった.バルトの場合には,自然的理性による合理的論証の中に潜む自然神学への警戒心が明確に存在する.確かに自然神学的論証による弁証学は極めて危険である.しかし,組織神学は弁証的課題を避けることはできず,自然神学に陥らないで弁証的課題を果す道を求めねばならない.特に日本のような異教的精神風土においては,弁証的課題は重要性を持つ.組織神学との密接な関連性の中で,日本の宗教と思想を見据え,伝道的課題を自覚した正当な意味での〈弁証的神学〉が求められているであろう.<復> 6.組織神学の方法.<復> 組織神学の体系的叙述の方法については以下のような主要類型を挙げることができる.<復> (1) 三位一体論的方法.この方法は使徒信条の形式に倣い,創造者としての父なる神,贖い主としての子なる神,完成者としての聖霊なる神のように三位一体論的に構成して組織神学を叙述する方法である.カルヴァンは,それらの分類に教会論(教会と礼典)を加えて彼の『キリスト教綱要』を論述した.<復> (2) キリスト論的方法.この方法は,キリスト教神学はキリスト中心的であらねばならないという確信から出発する.この確信から,キリストあるいはキリストの贖いのわざを組織神学の構成原理とすることになる.例えば,H・B・スミスは,組織神学を「贖いに先行するもの」,「贖いそれ自体」,「贖いの結果」に分類して論述する.<復> (3) 分析的方法.分析的方法は,「目的」から出発し,「主体」の認識,そして目的達成の「手段」または「方法」の確保へと進むのである.例えば,ゲオルク・カリクストゥスは,「目的」=幸福,「主体」=神,御使い,人間,罪,「手段」=予定,受肉,キリスト,義認,聖書,礼典などを数え,分類して組織神学を論述する.<復> (4) 総合的方法.総合的方法は,「対象」の確定から出発し,それを「原因」として生ずる「作用」を順次追って進んでいくのである.例えば,神あるいは神の聖定が出発点として置かれる.すべてはそれとの関係において論理的に順序正しく論じられる.その場合,どの真理も先行する真理との関係の中で見られねばならない.具体的には,神論が第一義的根本教理として提示され,以後の諸教理はこの根本教理の光の中で見られ,しかも論理的に人間論→キリスト論→救済論等々と続くのである.これは,組織神学の叙述の方法として最も多用される手法である.これらの方法的諸類型のほかに,ヨハネス・コクツェーユスによる契約概念から組織神学の叙述の構成原理を導き出す「契約論的方法」,アルブレヒト・リッチュルによる神の国概念から叙述の構成原理を引き出す「神の国論的方法」などもある.<復> 7.組織神学と信仰—組織神学を学ぶための心得.<復> 組織神学は,すでに論及してきたように聖書の啓示真理の体系的把握を課題とする.しかし,聖書の啓示真理はどのように認識されるのであろうか.人間の全的堕落を告白するプロテスタント神学は啓示真理に対する認識の徹底的無能力性を承認する.啓示真理の認識は,聖霊によって,聖霊による信仰を通してだけ可能となることを告白する.つまり,啓示真理の認識は,聖霊によって,信仰を通してのみ成立し,存続し得る認識なのである.すでに指摘したように,確かに,組織神学は単なる〈主観的な信仰体験〉の体系的表明ではない.しかし,組織神学が聖書における啓示真理の→聖霊による/・・・・・←,→信仰を通して/・・・・・・←の認識であり体系的把握である限り,組織神学の知識は〈信仰の知識〉,〈信仰の論〉であって,その意味では〈信仰論〉とも表現し得る本質を持っている.組織神学は終始一貫〈信仰〉の学びである.この意味において,組織神学を学び,研究しようとする者は〈信仰〉の問題を絶えず死活の問題として自覚しなければならない.もちろん,〈信仰〉の問題は他の神学諸学科についても共通の本質的問題である.しかし,組織神学が,特に論理と体系を重んずる理論的な学であるだけに思弁化しやすく,この点を忘却しがちなのである.これは組織神学の誘惑である.組織神学を学び,研究しようとする者は,自ら聖書に深く親しみ,聖徒の交わりとしての教会の交わりと奉仕に生き,とりわけ祈りの生活を重んじなければならない.組織神学は,そのような信仰生活の座の上においてのみ生命を持ち得る学だからである.→神学諸科解題.<復>〔参考文献〕熊野義孝「神学諸科解題」『神学概論』(熊野義孝全集第4巻)新教出版社,1982;Bavinck, H., Gereformeerde Dogmatiek, Ⅰ, J. H. Kok, 1976 ; Barth, K., Die Kirchliche Dogmatik, I/1, EVZ‐Verlag, 1964 ; Berkhof, H., Inleiding tot de studie van de dogmatiek, J. H. Kok, 1982 ; Berkhof, L., Introduction to Systematic Theology, Baker, 1979 ; Kuyper, A., Encyclopaedie der Heilige Godgeleerdheid, 3Vols, J. H. Kok, 1908—09 ; Van Til, C., An Introduction to Systematic Theology(Syllabus), Westminster Theological Seminary, 1966.(牧田吉和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社