《じっくり解説》信教の自由とは?

信教の自由とは?

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信教の自由…

信教の自由について,日本国憲法(1946年11月3日公布,1947年5月3日施行)の第20条は,次のように規定している.「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する」(第1項前段),「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」(第2項).<復> 信教の自由は,次の三つの内容を含んでいる.第1は,信仰の自由である.すなわち,人は,内心において,どんな宗教を信仰することも自由である.また,どんな宗教を信じないのも自由である.従って,信仰を持っている人に対して,その信仰を強制的に告白させたり,信仰に反する行為を強制することは許されない.同じように信仰を持っていない人に対して,信仰を強制することも許されない.<復> 要するに,信仰の自由は,どんな宗教であっても信ずる自由,信じない自由が保障されており,無制約なものである.<復> 従って,国家が,特定の宗教を国民に対して信仰するように強制したり,勧めたりすることは許されない.国家が国教を樹立することを禁止されていることは,当然である.<復> 第2に,信教の自由は,宗教的行為の自由を保障している.すなわち,人は誰であっても,自分が信仰している信仰によって,自由に,礼拝,祈祷,宗教上の儀式や式典などを行うことはもちろん参加することができる.同時に,宗教上の行為,祝典,儀式,行事などに無理に参加を強制されることはない.<復> このことは,人は誰でも,自分の信仰を告白することができるし,自分の信仰を自由に布教・宣伝することが許されていることを意味する.<復> しかし,これらの行為は,内心の自由そのものと異なり,無制約ではない.すなわち,信教の自由は内心の自由の性質上,無制約に保障されているから,その信仰がたとい淫祠邪教に類するものであっても,信仰そのものは誰からも妨げられない.しかし,その行為が,何らかの法規に触れる場合,その責任を免れることはできない.例えば,加持祈祷によって,病人を死に至らしめたとすれば,その人は,刑罰法規によってさばかれることは当然である.<復> 第3に,信教の自由は,宗教上の結社の自由を保障している.すなわち,信仰を同じくする者が宗教団体を設立し,自由に活動することが保障されているのであって,憲法第21条の「結社」の自由の宗教的側面である.<復> 宗教法人法によって,宗教法人の設立を願っても,所轄庁から認証を受けられない場合がある.しかし,それは,当該宗教団体に法人格が与えられないことを意味するだけであって,宗教団体の設立そのものを何ら妨げるものではない.従って,宗教法人法の適用の可否は,宗教上の結社の自由とは無関係である.<復> なお宗教団体は特定の教義に基づいて設立されることから,宗教上の結社の自由は,当該宗教団体の教義を決定する自由を含むものであり,このことは,教派・宗派の自由の保障を裏付けるものである.<復> 以上のように,日本国憲法第20条において,信教の自由は,三つの面から保障されており,日本国憲法の大きな特色である基本的人権の中核的な部分を構成している.<復> 特に,第20条第1項前段に見られるように,「信教の自由は,→何人に対しても/・・・・・・・←」保障されているのであって,その対象は,日本人にとどまらず外国人にも適用される.これが,どんなに重要な規定であるかは後で述べる.<復> 日本国憲法が信教の自由を基本的人権の保持・確立のために不可避・不可欠の条項として規定した背景については,二つのことを述べる必要がある.その第1は,直接の契機となった敗戦(1945年8月15日)の出来事に伴う戦後処理にかかわる諸問題である.<復> 侵略戦争の末期にあって,わが国は,ポツダム宣言(1945年7月26日ポツダムで署名.連合軍による対日基本政策)を受諾することによって,戦後の再建の道を選択した.その第10項は,占領軍の宗教政策とともに,戦後日本の再建の根幹にかかわる最重要な歴史的内容を含んでおり,特筆に値する.<復> 「吾等は,日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも,吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし.日本国政府は,日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし.言論,宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は,確立せらるべし」.<復> ポツダム宣言に記されているのと類似の内容は,「人権に関する世界宣言」(1948年12月10日第3回国際連合総会において採択された)の「前文」においても見られる.「人権の無視と軽べつとは,人類の良心をふみにじった野蛮な行為を招来したのであり,また,人間が言論及び信仰の自由と恐怖及び欠乏からの自由(解放)とを享有する世界の到来は,あらゆる人たちの最高の熱望として宣言されて来た」との文言は,悲惨な第2次世界大戦の人類の体験が深くにじみ出ている.同様な体験を経たわが国が,同種の宣言ないし憲法を自主的に発布あるいは制定できなかったのは,わが国の戦後の精神史に大きな負(マイナス)の歴史を残す結果となった.<復> ポツダム宣言の基本路線を継承すべきわが国,特に政府が,言論,宗教,思想の自由を初めとする基本的人権の尊重に意を用いることがなく,旧来の国体護持のために腐心していた時,連合軍最高司令官の命により,いわゆる「人権指令」(1945年10月4日)及び「神道指令」(1945年12月15日)が出され,日本政府・日本国民に大きな衝撃を与えた.<復> 「人権指令」は,「政治的,社会的,宗教的自由ニ対スル制限並ニ種族,国籍,宗教乃至政見ヲ理由トスル差別ヲ除去スル為」,日本政府が,「思想,宗教,集会及言論ノ自由ニ対スル制限ヲ設定シ又ハ之ヲ維持セントスルモノ天皇国体及日本帝国政府ニ関スル無制限ナル討議ヲ含ム」「一切ノ法律,勅令,命令,条令,規則ノ一切ノ条項ヲ廃止シ且直ニ其ノ適用ヲ停止スベシ」と厳命されたものであり,「宗教団体法」(1939年4月8日,法律第77条)も廃止の対象とされた.<復> 宗教団体法は,「神道教派,仏教宗派及基督教其ノ他ノ宗教ノ教団竝ニ寺院及教会」を宗教団体の対象とし,神社神道を含まず,神社神道を除くすべての宗教を監督し,国策宗教の役割を担わせるために施行された.<復> 「神道指令」は「宗教ヲ国家ヨリ分離スル」ことを「目的」として出されたが,「宗教ヲ政治的目的ニ誤用スルコトヲ防止シ正確ニ同ジ機会ト保護ヲ与ヘラレル権利ヲ有スルアラユル宗教,信仰,信条ヲ正確ニ同ジ法的根拠ノ上ニ立タシメル」ことをも「目的」として出された.<復> さらに,銘記すべきことは,「神道指令」の「目的」は,「啻(ただ)ニ[神社]神道ニ対シテノミナラズアラユル宗教,信仰,宗派,信条乃至哲学ノ信奉者ニ対シテモ政府ト特殊ノ関係ヲ持ツコトヲ禁ジ,マタ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的『イデオロギー』ノ宣伝,弘布ヲ禁ズルモノ」であった.<復> 「神道指令」が,民間宗教の「神道」(ここでは,神社神道のこと)を弾圧の対象とした「指令」のように誤解されがちであるが,「指令」の正式名称は,「国家神並,神社神道に対する政府の保証,支援,保全,監督並に弘布の廃止に関する件」であり,神社神道が国家神道として,政府(内務省)の一方的な行政解釈によって,「神社は宗教ではない」とされ,事実上,民間の一宗教である神社神道を国家神道として,政府の「保証,支援,保全,監督,弘布」の対象とされていたことから自由にするための「指令」であった.<復> 上記が歴史的に事実であることは,神社神道自身が,『神道指令の解説』(神社新報社編,1948)において,次のような評価を「神道指令」に与え,戦前・戦中の国家神道体制に対する自戒の一文をとどめていることから裏付けられる.<復> 「この指令は一時的なものではなく,将来にわたつて国民が履行しなければならないものであつて,指令の徹底が今後も充分に行はれなければならない…」(「序」より).「神社神道が,宗教であると云ふ性格を明らかにして再発足した今日,それは,必然,一般の宗教と同じ地位に立つことになる.即ち,他の宗教が,国家と直接の関係を持たない様に,神社神道も国家を(ママ)分離することが必然となったのである.かくて,すべての宗教が国家の権力から離れ,国民自身のものとなることによつて,信教の自由は確立するのである」(pp.29—30).<復> しかも,特筆すべきことだが,「神道指令」の根本精神として,「世界平和の建設」,「信教自由の確立」,「国家と宗教の分離」の3点を挙げ,3点について,現代社会にあって,何人も異存をさしはさまないであろうと力説している(p.23).<復> 日本国憲法第20条「信教の自由」の条項は,敗戦を契機として,以上に述べたような歴史的諸事実を背景として設けられた.ポツダム宣言,人権宣言,神道指令などを直接の精神的系譜として,日本国憲法の信教の自由の条項は,世界史的流れの中で誕生したと言えよう.「信教の自由は,ヨーロッパの諸国民が,数世紀にわたる苦闘の結果,獲得した近代精神の金字塔であり,いわゆる自由権の中で,先駆的役割りを果したものであって,それは,すべての人権宣言および近代的憲法において,精神生活における基本原則として定められている」(田中二郎『日本における信教の自由—国家と宗教との関係—』p.2,国際宗教研究所,1959)と言われている通りである.<復> 信教の自由とは,まさに,一人一人の「精神生活における基本原則として定められている」のであって,この原則が国家によって保障されていることが,現代国家の要件である.<復> この要件が国家によって剥奪される時,人間の精神生活の基本原則は無視され,個の尊厳は蹂躪される.<復> 1942年6月26日早朝,ホーリネス教団弾圧事件が起り,車田秋次ら多くの教職者が逮捕された.検事の尋問に対して,車田は,殉教を覚悟で「聖書の律法と国の法律と矛盾する場合があったとすれば,その時には,国の法律以上に神の律法に従わなければならないのでありまして,結局,→殉教する外ない/・・・・・・・←のであります」と答えている.1943年4月8日,「第6部解散」の悲運に直面した際,留守を守っていた同じ信仰の人,車田敏子夫人は,次のような「日記」をしたためた.「4月11日(日) 日曜日であるのに礼拝が持てぬとは!わが群が今日まで40何年続いたのに遂に解散になった.あゝ感慨無量!わが生涯に忘れ得ぬ日よ!」(千代崎秀雄編『御霊の人 車田秋次』pp.144, 91,車田記念出版会,1989).<復> 信教の自由が蹂躪された典型的事例である.車田秋次の場合は,再臨信仰が治安維持法に問われ,信仰の自由が蹂躪された事例であり,同夫人は,礼拝の自由(結社の自由の宗教的側面)が奪われた事例と言えよう.<復> なお信教の自由が宗教団体の教義の決定の自由を含むことは先に触れたが,ホーリネス弾圧事件で,逮捕され,殉教された菅野(すげの)鋭牧師の予審調書の中に,教義を決定する自由の重要性を再確認させる発言が見られるので,補足しておきたい.<復> 係官 …信条の根拠旧新約聖書を読むと,凡べての人間は罪人だと書いてあるがそれに相違ないか.<復> 菅野 それに相違ありません.<復> 係官 では聞くが天皇陛下も罪人なのか.<復> 菅野 国民として天皇陛下のことを云々することは畏れ多いことですが,御質問にこたえます.天皇陛下が人間であられる限り,罪人であることを免れません.<復> 係官 そうすると聖書の中には罪人はイエス・キリストによる十字架の贖罪なしには救われないと書いてあるが,天皇陛下が罪人なら天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か.<復> 菅野 畏れ多い話でありますが,先ほど申し上げましたとおり,天皇陛下が人間であられる限り,救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます.(「ホーリネス教会事件」小池健治/西川重則/村上重良編『宗教弾圧を語る』pp.173—4,岩波書店,第4刷,1989).以上の教義は,ホーリネス教団に限らないが,イエス・キリストの贖罪による救いの教理が,天皇に適用されることが,国家権力によって否定され,菅野牧師の殉教をもたらしたことの事例と言えよう.<復> 戦後の法体系にあって,宗教団体であるかどうかは,その団体の本質的性格によって決められるべきものであり,宗教法人法が適用されるかどうかによって決定されるべきものではない.従って,宗教法人法の法人格を取得していない多くの宗教団体が存在することは当然である.戦中の法体系にあって,宗教団体法が適用されても,同法自体が,第16条に見られるように,「宗教団体又ハ教師ノ行フ宗教ノ教義ノ宣布若ハ儀式ノ執行又ハ宗教上の行事ガ安寧秩序ヲ妨ゲ又ハ臣民タルノ義務ニ背クトキハ主務大臣ハ之ヲ制限シ若ハ禁止シ,教師ノ業務ヲ停止シ又ハ宗教団体ノ設立ノ認可ヲ取消スコトヲ得」とされていた.<復> 以上は,日本国内における,しかも限られた時代の,ごくわずかの事例にすぎない.<復> 私たちは,旧植民地にあって,どんなに過酷な圧政の下で,人権が剥奪され,信教の自由が奪われたかを,今なお十分には知らされていない.<復> 例えば,最も近い国でありながら,最も遠い国として,日本が差別し続けた韓国・朝鮮(民族の分断・二つの名称も日本の植民地支配と無関係ではない)における歴史は七奪の罪として今なお記憶に新しい.「光武国王夫妻の殺戮,李皇太子の人質,国土の収奪,田畑の収奪,言語の収奪,姓名の収奪,生命の収奪は七奪の罪と呼ばれています.それらを,日本は,徹底した武断政治と差別政策によって強行しました.そして独立国の物心両面を収奪し尽くした日本帝国主義は,最後に,人間であることのぎりぎりの要件である思想・信条の自由を収奪したのです」(西川重則『天皇の神社靖国』p.152,梨の木舎,1988).<復> 1935年11月14日,平安南道の公私立中学校の校長会議に出席していた平安南道知事が,会議開催前に平壌神社に参拝を提案した時,マキューン博士もスヌーク女史も,クリスチャンとしてきっぱり神社参拝を拒否し,その後,校長の身分を剥奪された.1938年には,長老教会に所属する多くの中学校や初等学校が神社参拝を拒否する自由・廃校の道を選んだ.キリスト教の本質的部分が奪われることからの厳しい選択であった.<復> こうした状況下にあって,朝鮮耶蘇教長老会総会(1938年9月9—10日)は,朝鮮総督府の暴力の介入によって,ついに神社参拝の可決を見るに至り,屈辱の総会となった.まさに天皇の直隷機関であった朝鮮総督府の圧政の象徴的事例の一つであった.<復> なお,「暗き試練の日々」に,どのような状態が続いていたかを記せば,次の通りである.<復> 「すべての自由はなくなり,教会に対する弾圧は日常的となり,神社参拝に反対する者は例外なく獄中経験を余儀なくされました.廃止された教会200,投獄されたキリスト者2000余名,獄死した者50余名という数字を忘れることはできません」.<復> 「目につく弾圧の事実を挙げてみますと,キリスト教の聖典である聖書のなかの,モーセ五書,ヨハネ黙示録の抹殺とか,しかも後には,旧約聖書は全廃,新約聖書も四福音書のみとし,その他は全部抹殺.さらにひどい状態となり,聖書の解釈も自由にできず,御用解釈だけが許されるのみとなりました.そして,聖潔教とか安息教などの諸教会は解散閉鎖され,一方,日本と同じ教団に統合される諸教派も少なからずあり,長老教会,メソジスト教会,救世軍などが,教派合同準備委員会を組織せざるをえなくなっております」.<復> 「戦争も末期になり,主の日の午後,夜,水曜日の集会はいっさい禁止され,教会青年会,聖書研究会,日曜学校も禁止の状態となりました.そして,讃美歌も,日本讃美歌の162番・163番・286番,その他たくさんの讃美歌が抹消されました」.<復> 「教会そのものも,宣教の自由は奪われ,国策宗教を意味する標語(キリスト教を通して皇道宣揚,銃後報国)を強制的に表示させられました」(「Ⅵ 植民地下朝鮮のキリスト教」『宗教弾圧を語る』李仁夏牧師の証言による,pp.212—20).神社参拝の象徴だった朝鮮神宮は,民衆による焼打ちを恐れてか,異例の措置として,敗戦と同時に,日本側がいちはやく御霊代(みたましろ,神鏡)を飛行機で奉還,自ら炎上という報告がなされている(中濃教篤『天皇制国家と植民地伝道』p.291,国書刊行会,1976).神社参拝強制の過酷さを裏付ける典型的な事例である.<復> 戦後日本にあって,今なお信教の自由が十分に社会に定着しない要因の一つは,以上のようなアジアに対する—この場合は韓国だけを,しかも限られた範囲にとどめた—加害の事実を学ぶことが少ないことにある.「許しても忘れない」被害者の思いを心に刻むことの少ない加害者の側の意識を変革することが強く求められていよう.<復> 特に国家権力の一方的な行政解釈,例えば「神社は宗教ではない」という恣意的な解釈によって,すべての国民,植民地の人々に神社参拝を強要した事実を深刻に反省することなく,再び同じ過ちを繰り返し,今日に至っている政府・国家為政者・国会議員,公務員などの責任は大きい.靖国神社法案提出を初め,靖国神社・護国神社公式参拝の定着化の現状,あるいは,岩手靖国,箕面・長崎忠魂碑,大阪・播磨・九州各靖国神社公式参拝違憲訴訟,あるいは大阪地蔵像違憲訴訟などに見られるように,日本の現状は,政府を初め,司法の世界も,信教の自由の本質・少数者の人権尊重の思想が極めて弱く,誤った社会通念,宗教的寛容の押し付けが抜け切らないでいる.否,「伊勢神宮や靖国神社のように超個人的な国家性と不可分なものは,一般の宗教と同じようにかんがえることはできない」といった発言が,戦後も堂々と発売されている現状である(大石義雄『日本国憲法入門』pp.104—5,有信堂,1964).従って,「(1)公に天皇が靖国神社に参拝できるようにする.(2)公に国が戦没者を靖国神社に祭るようにする.(3)公に国が靖国神社にお金を出すようにする」(1973年5月9日「靖国法必成大会」)という思想的基盤が依然根強く存在しているのは,むしろ当然であろう(西川重則『靖国法案の5年』p.175,すぐ書房,1974).<復> それゆえに,私たちキリスト者は,「多数者の寛容が少数者の信仰を抑圧する可能性を日本の精神風土は含んでいるのである.したがって,信教の自由の課題は,宗教的少数者の人権としてこれを徹底的に尊重することから始まると言えるのである」(久田栄正他『憲法・人権論』p.71,法律文化社,1984)との示唆を自戒として受け入れ,信教の自由の具体的展開のために,努力することが強く求められていると言えよう.→政教分離,神道とキリスト教,日本の宗教,国家と教会.(西川重則)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社