《じっくり解説》聖書神学とは?

聖書神学とは?

聖書神学…

1.定義.<復> 聖書神学は,キリスト教神学研究の一分野である聖書学に属している.聖書神学は聖書を研究する学であり,聖書の本文を原語において読み,その意味を探究する釈義に基づいて,聖書において教えられているキリスト教神学思想を,幾つかの時代に区分し,また幾つかの主題に応じて,これを提示する学である.従って,一般的に言って,旧約聖書神学と新約聖書神学に区分され,またそれぞれが各時代に区分される.また主題別では,神,人間,救い,世界など種々の主題に区分される.このようにして得られた聖書神学の研究の成果は,聖書全体における教理を全体的にまとめて提示する組織神学あるいは教義学の素材として用いられる.<復> 2.研究の歴史.<復> (1) 18世紀前.中世においては,聖書に対する研究は教会の教義に従属すべきものとされていたので,真の聖書神学は育たなかった.宗教改革者たちは,中世における教会の教義が必ずしも聖書に立脚していない点を批判し,神学は聖書のみにその基盤を置くべきであると主張した.また聖書を原語で研究すべきことと,聖書は中世までのような寓喩的な解釈ではなく,歴史的,文法的に解釈すべきことを指摘した.こうして,近代的な意味における聖書神学への道が開かれていった.<復> (2) 18世紀.18世紀に入ると,啓蒙主義や合理主義が起り,その影響により,聖書も教会や教義の支配下から解放されて「客観的」に研究されるべきであるという主張が起った.この立場は,聖書は古代におけるユダヤ人の宗教的文書にしかすぎないから,他の歴史的文書と同様な前提に立って研究すべきであると主張した.J・P・ガーブラーは1787年に,聖書神学と教義学は明確に区別されるべきであると主張した.ここから真に近代的意味における聖書神学の研究が開始されたと言ってよいであろう.彼は,聖書神学とは「記述的」学問であり,「歴史的」でなければならないと主張した.つまり,聖書神学とは,歴史的性格を持ち,聖書記者たちが宗教的事柄に関して考えたことを,記述する学である,と言った.彼は「歴史的」であることをあまりにも強調したため,聖書神学が後に宗教史に解体されるきっかけをつくったとも言える.彼は聖書神学の著作を書かなかったが,彼の主張はその後約50年間影響を与え,聖書の宗教思想を理性の普遍的法則と合致させようとしたり,キリスト教と近代的合理主義の思想を調和させようとしたりする著作を生み出させた.<復> 19世紀に入ると,ガーブラーの思想は「歴史的・批評的」研究方法として具体化された.この方法はより客観的であり,宗教的偏見を避けることができると考えられた.その結果,聖書の歴史的局面のみが強調され,神学的局面は等閑視されるようになった.彼らの著作は聖書神学という名を冠しながらも,実質はイスラエル宗教史または初代教会史になってしまった.その上J・S・ゼムラーの正典に対する「自由な研究」に関する著作(1771—75)の影響を受けて,正典としての旧約聖書と新約聖書との統一性に対する疑問が起り,聖書神学は,旧約聖書神学と新約聖書神学とに分解することが一般的になっていった.こうして,聖書の「啓示」あるいは「神のことば」としての性格は否定され,他の人間による著作と同等に見なされるようになった.<復> (3) 19世紀.19世紀の聖書神学の特色として,ヘーゲルの「弁証法」の影響を見ることができる.これは,いわゆる正—反—合という論理的発展あるいは進化を主張するものである.旧約の分野では,ファトケが1835年に聖書神学に関する著作を発表し,イスラエルの歴史をヘーゲルの弁証法の論理を用いて解釈した.これは後にヴェルハウゼンによって発展させられることになる.新約の分野では,F・C・バウア(1792—1860年)が現れ,イエスの教えはまだ神学と呼ばれるものではなく,宗教意識を表明したものにすぎず,最初の神学者はパウロであると考えた.パウロはキリスト者は律法から解放されたという立場をとったが,これがヘーゲルの弁証法の「正」に相当すると,バウアは考えた.これに対し,ヤコブとペテロに代表されるユダヤ主義キリスト教は反対の立場をとり,律法は永遠であり,キリスト教にとって基本的なものであると考えた,と言う.これが「反」に相当し,最後にこの正と反を総合する「合」として,2世紀の「古カトリック教会」が,この両者をうまく調和させた,と主張した.バウアの立場はテュービンゲン学派と呼ばれる.<復> このような傾向に対して,保守派の学者は反対した.E・W・ヘングステンベルクは『旧約におけるキリスト論』(英訳1829—35)において,啓示の進展性を認めず,旧約と新約の区別もほとんどせず,預言者たちを歴史的関連においてよりも,むしろ霊的に解釈した.J・C・Kホーフマンは『約束と成就』(1841)において,歴史的方法により聖書の権威と霊感を擁護しようとした.彼は聖書の記述の中に神の救いの歴史の発展段階があることを認め,「救いの歴史」(ハイルスゲシヒテ)の神学を展開した.彼は聖書の各書をこの救いの歴史の中に位置付けた.そして,聖書は神が救いの歴史の中で何をなさったかについてのあかしであると見た.これはエアランゲン学派と呼ばれ,J・A・ベンゲル,J・T・ベックなども含まれている.<復> (4) 自由主義.バウアの方法は歴史的相対主義に陥り,絶対的真理の存在を考えることができなくなった.さらにリッチュルの倫理主義的神学の影響を受けて,キリスト教の本質は精神的・倫理的なものにあると考えた.その結果,イエスの生涯と使命も倫理的なものであり,神の国は最高善の実現するところであるとした.そして,キリスト教の本質は人間に対する父なる神の愛を説くところにあると考えた.このような自由主義神学は,福音書の最古の資料の中から,あらゆる神学的解釈から解放された真の歴史的イエス(「史的イエス」)を発見したと考えた.このような自由主義を代表するのが,H・J・ホルツマンの『新約神学教本』(1896—97),A・ハルナックの『キリスト教の本質』(1900)である.<復> (5) 宗教史学派.これと並行して「宗教史学派」が起った.旧約ではJ・ヴェルハウゼンが『イスラエル史序説』(1878)を発表した.彼はファトケの路線を受け継ぎ,旧約聖書は啓示ではなく,イスラエル宗教の物語であり,進化の原理によって解釈されるべきであると主張した.また,彼は「文書資料説」を広めた.彼は,イスラエル宗教は族長からではなく,モーセから始まったと考え,ユダヤ人社会の基本的律法は捕囚後の時代に属すると主張した.そして,預言者たちの倫理的唯一神論がイスラエル宗教を形成する基本的要素であり,終末論は捕囚後に発展したものであると考えた.こうして,旧約神学はイスラエル宗教史に取って代られることになった.宗教史学派の特色の一つは,聖書における宗教の歴史を,イスラエルの周囲の国々の宗教的環境によって解釈することであった.W・ヴレーデは『いわゆる新約神学の課題と方法について』(1897)において,新約神学の使命は初代キリスト教の宗教経験を,宗教的環境によって理解し,表現することである,と主張した.このような観点から,J・ヴァイスやA・シュヴァイツァーは,イエスをユダヤ教的黙示文学によって解釈し,イエスを黙示文学的終末論の説教者であるとした.<復> 20世紀に入ると,ブセットは『キュリオス・クリストス』(1913)において,イエスをユダヤ教的黙示文学における超越的人の子であるとするパレスチナの初代教会の信仰と,イエスをヘレニズム的宗教における「主」のような神的人物と考えたパウロのヘレニズム的教会の信仰とを鋭く区別した.A・シュヴァイツァーが『ライマールスからヴレーデまで』(1906)において行った史的イエスの探究は,結局失望に終り,それに続く様式史的研究方法がさらに追討ちをかけ,キリスト教信仰の中心であるべきイエスの実像もほとんど知り得ないという絶望的状態に陥り,キリスト教信仰は混沌としたやみに包まれるに至った.<復> (6) 聖書神学の回復.1920年代に,聖書神学に対する見直しをすべきであるという意見が起ってきた.このような新しい傾向をもたらした要素としては,第1次世界大戦により19世紀的楽天的進化論に対する信仰が失われたこと,純粋な歴史主義こそ客観的事実に到達する唯一の道であるという信仰が疑問視されたこと,K・バルトの出現により聖書の啓示としての性格が再び回復されたこと,などが挙げられよう.1921年にR・キッテルは,歴史的・批評的方法の欠点を認め,神学としての旧約研究を回復すべきであると主張した.1922年にE・ケーニヒは,ヴェルハウゼンに反対し,イスラエル史に対する進化的方法論を用いることを否定した.1926年にはO・アイスフェルトが,旧約研究においては歴史的方法と神学的方法が併存しなければならないと主張した.1930年代に入ると,W・アイヒロットが『旧約神学』(1933—39)を著し,あらゆる科学には主観的要素があり,それゆえすべての歴史研究には主観的要素が含まれていると主張し,歴史研究は純粋に客観的であるという,これまでの歴史的方法論を批判した.彼はまた,歴史的方法と神学的方法を統一することは可能であり,旧約神学の使命は旧約における宗教の本質に迫り,その神学体系の内的構造に光を投げかけることである,と言った.彼は旧約の中からその中心として「契約」という概念を取り出し,それによって旧約のすべての神学が理解できると考えた.このような一連の動きの中から,聖書神学復興のきざしが見えてきた.W・フィッシャーは『キリストに対する旧約聖書の証言』(1934)において,神学的方法をより具体的に示した.H・W・ロビンスン編『記録と啓示』(1938)において,ロビンスンは啓示に対する救済史的アプローチを強調した.<復> 新約においても,M・ケーラーが『いわゆる史的イエスと実存史的・聖書的キリスト』(1898)において,自由主義の歴史的・批評的方法によって再建された「史的イエス」は,歴史の中に実在したのではなく,学問的想像の世界の中にのみ存在したのであると主張して,歴史的・批評的方法の限界を指摘した.福音書は科学的意味における史的文献ではなく,キリストに対する証言である.従って,それは歴史ではなくケリュグマ(宣教)である.われわれが知り得るのは史的イエスではなく,聖書があかししているこのケリュグマにおけるキリストである,と述べた.W・ヴレーデは『福音書におけるメシヤの秘密』(1901)において,イエスは単なる預言者ではなくメシヤ的人物であるとマルコは述べていると言って,自由主義による史的イエスの人物像を否定した.C・H・ドッドは『使徒的宣教とその展開』(1936)を発表して,イエスの人格と使命において,新しい時代が来たというケリュグマ(宣教)によって新約聖書は統一されていると主張した.彼は新約におけるケリュグマの重要性と同時に,自由主義において新約神学が,パウロの神学,ペテロの神学,ヨハネの神学などに分解してしまったのを再び統一する努力をした.このような努力は,F・V・フィルスンの『ひとりの主,ひとつの信仰』(1943),A・M・ハンターの『新約聖書の統一性』(1944)にも見られる.<復> (7)「聖書神学運動」の出現.第2次世界大戦後になると,多くの聖書神学に関する著作が現れた.ドイツのG・フォン・ラート,R・ブルトマン,J・イェレミーアス,E・ケーゼマン,スイスのO・クルマン,英国のH・H・ロウリ,A・リチャードスン,アメリカのG・E・ライト,J・ブライト等が,その代表として挙げられる.この一連の動きは「聖書神学運動」と呼ばれている.B・S・チャイルズは,この運動の強調点として,次の五つの点を挙げている.(a)神学的局面の再発見.(b)聖書全体の統一性.(c)歴史における神の啓示.(d)聖書におけるヘブル思想の特異性.(e)聖書と周囲の環境の対比.しかし,これらの多様な神学者の思想を一つの「運動」と見ることには多くの異論がある.上述のすべての者に共通なのは,神学的局面の再発見という点だけであろう.<復> (8) 福音主義.この間の福音主義の学者の著作としては,G・ヴォス『聖書神学』(1948),E・ヤング『今日における旧約神学の研究』(1958),J・B・ペイン『旧約聖書神学』(1962),G・E・ラッド『新約聖書神学』(1974)などが挙げられる.これらの著作は,聖書は神の啓示であるという立場に立ち,歴史的・批評的立場の学者と一線を画している.ヤングは,聖書の完全な信頼性を受け入れない神学は,神によって教えられたものではなく,神を教えるものでもなく,神へ導くものでもない,と主張した.<復> 3.現状と課題.<復> (1) 中心主題.聖書神学において,旧新約を通じてその中心主題を何と見るかについて,次のような幾つかの立場を挙げることができる.<復> a.契約.この立場はアイヒロットやリデルボスによって代表される.契約は神と人間を結び付ける概念としては適切であるが,旧新約を通じて,中心的概念であると言うには問題が残る.むしろ「選び」とか「約束」の概念のほうがそれにふさわしいと言える.<復> b.神とキリスト.これはG・ヘーゼルの立場である.旧約を神を中心とした観点から,新約をキリストを中心とした観点から見ることは,近年強調されていることであり,神かキリスト一方に絞ってしまうよりはよいと思われるが,この中には神の民の共同体という概念が含まれていないので,その点で何となく物足りない感じがする.<復> c.実存的なリアリティーあるいは神との交わり.これはブルトマンなどの立場である.彼らはこれが聖書の真に意味するところであると言う.そして,これこそ他の種々の主題を結び付ける絆であり,神とその民の関係をダイナミックに表現するものであると主張する.しかし,神と人間との交わりは確かに重要なモチーフではあるが,それと同様に重要な聖書の信仰告白的内容が,実存的リアリティーということによって,あまりにも簡単に無視されてしまうのは,大きな問題である.<復> d.終末論的希望.これはカイザーの立場で,約束と希望の概念を強調する.この立場の利点は,歴史における神の働きが,終末において最高潮に達するという点において,旧新約を統一的に理解できるという点である.この立場の弱点は,上述の概念が,知恵文書やヨハネ書簡においてはあまり強調されていないという点である.<復> e.救済史.これはフォン・ラートやクルマンの立場である.これは現在と未来における,神とキリストの贖いのわざを強調するもので,上述したいずれの立場をも包括する点において優れている.しかし,救済史という概念は人為的なものであって,旧新約のいずれにおいてもこのことを直接的には語っていないこと,また新約のルカ—「使徒の働き」においてはこの概念を認めることができるが,ヨハネ文書には認めることが困難であるという点から,批判する者もいる.<復> 以上が現状であるが,いずれも一長一短であり,統一的中心主題を一点に絞ることは困難であると言えよう.<復> (2) 聖書神学の前提.聖書神学の歴史が示しているように,18世紀以降,学問は客観的であることを重んじ,聖書神学も教会の神学的前提から解放されることを求めた.しかし,このような客観性は単なる幻想にすぎないことが,次第に明らかにされた.彼らは歴史的・批評的方法が,客観的事実に到達する正しい道であると信じたが,そこには知らぬ間に,近代的合理主義という前提が入り込んでいた.彼らは聖書が示す超自然的出来事は,人間の理性や経験と合致しないという理由から,すべて排除した.その結果,聖書神学は宗教史に還元されてしまった.聖書神学を回復しようという運動も,結局はこの前提を離れることができなかったため,真の成功を収めることはできなかった.聖書神学は,聖書が神のことばであり,人間はこの聖書のことばに聞くべきであるという前提に立たない限り,成立し得ないことを,再認識すべき時点に立たされていると言えよう.<復> (3) 聖書神学の方法論.近代における聖書神学は歴史的・批評的方法を方法論としてとってきたが,聖書神学の歴史は,この方法論によって聖書神学が解体されてしまったことを示している.この窮地から聖書神学を救い出すためには,もう一度宗教改革時代の歴史的・文法的方法に立ち返るとともに,もう一つこれに神学的方法を加味しなければならないであろう.この場合における「歴史的」というのは,聖書の本文が書かれた当時の歴史的文脈の中でその本文を解釈するという意味であって,近代的批評学における歴史学的という意味とは異なることに注目しなければならない.文法的というのは,聖書本文をその置かれた文法的文脈において,統語論(シンタックス),文体論,意味論,構造論などの観点から解釈するのである.しかしこれだけでは釈義とあまり変化がない.聖書神学が成立するためには,これらの方法によって釈義された素材を,神学的観点に立って配列することが必要である.この場合,通時的視点に立って配列するか,共時的視点に立って配列するかは,選択の余地が残されていると言えよう.→聖書,聖書学,旧約神学,新約神学,神学研究の歴史.<復>〔参考文献〕G・マイアー『歴史的=批評的研究方法の終焉』いのちのことば社,1978 ; Hasel, G., Old Testament Theology : Basic Issues in the Current Debate, Eerdmans, 1972 ; Ladd, G. E., A Theology of the New Testament, Eerdmans, 1974.(山口 昇)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社