《じっくり解説》日本の宗教とは?

日本の宗教とは?

日本の宗教…

1.概観.<復> 宗教の定義は数多く存在する.宗教を広く「超自然的なものと人間との関係」と定義した場合,その起源についての説は二つに大別できる.すなわちE・B・タイラー(1832—1917年)による,アニミズム(自然界の精霊崇拝)から多神教,そして一神教へ進化していったという説と,その逆の,W・シュミット(1868—1954年)による,一神教からアニミズムや多神教へと分解し伝播していったという説とである.また,宗教の担い手について言えば,個人と同時に集団が大きな役割を果しているが,E・デュルケーム(1858—1917年)らによって主張された「宗教の持つ集団的・社会的機能」についての認識が,20世紀になるとより深められていった.<復> 今,宗教の持つ機能的側面を社会の発展段階と関連して分類すれば,自然宗教(原始宗教),国家宗教(民族宗教),普遍宗教(世界宗教)のように類型化できるであろう.自然宗教とは,部族などの自然集団の中で,教祖も教理も持たず,集団を維持し統合するための儀礼行為として現れているものの総称である.人類史の採集狩猟時代(旧石器時代)の初期から(日本列島では,縄文時代が始まるとされる1万2千年前よりさらに以前から)出現したと推測され,現在も世界各地で,アニミズムやシャーマニズムのような土俗信仰として存在する.<復> 農耕の開始,金属器の登場などを背景に,中央集権的な古代王権社会が成立する頃から国家宗教と呼ばれるものが現れる(日本では弥生時代後期から古墳時代にかけて出現する).それは民族統合の象徴として機能した.国家宗教は,王朝による征服・統一を正当化する目的から,明確な創世神話を伴うのが普通であり,自然宗教をその内に包摂しつつ,神々が次第に最高神のもとに神々の体系(パンテオン)として統一されてくる.また専門の祭司階級も現れ,儀礼様式も整備される.メソポタミア,エジプト,中国,ギリシヤ,ローマなどの国家宗教は滅びてしまったが,インドのヒンズー教,日本の神道(記紀神話の祭祀)などは現在も形を変えつつ生き残っている.日本神話にも見られる天空神(イザナキ)と地母神(イザナミ)の結婚とその別離,世界巨人(イザナキ)の両眼から太陽(アマテラス),月(ツクヨミ)が誕生したという宇宙論は,広く世界の古代文明地帯とその影響圏に分布しているものである.<復> 普遍宗教は仏教,イスラム教など,創唱者のもとに平等の立場における個人の救済を中心とする明確な教理を持って登場し,特定の民族,国家を超えて伝播する普遍性を備えている.この宗教の担い手は組織化された教団を形成している.宗教学的にはキリスト教も,この普遍宗教に数えられる.<復> 以上のような宗教の社会的理解の中で日本宗教を位置付けた場合,その特徴は,呪術的な自然宗教の持つ原質の強靱さにあると言えよう.この原質は縄文時代の宗教にすでに存在していたと推測され,稲作の始まる弥生時代に農耕儀礼として発達し,やがて大和朝廷による全国統一とともに律令神道という国家宗教の中に包摂された.それは6世紀に伝来した普遍宗教である仏教によっても駆逐されなかったのみならず,逆にそれを″日本化″した元凶でもある.この原質とは一口で言えば,原始宗教に広く見られた「生→死→再生」の観念に基づく生産儀礼を中心とする生きとし生けるものの「霊魂の循環」思想である.日本各地の民俗宗教,特にアイヌ人や沖縄の宗教が今でもこの性格を強く残している.<復> 例えば民間の祭に「獅子舞い」のようなものがある.この祭は,イノシシを狩猟していた縄文時代の「猪(しし)送り」の名残と推測される.つまりアイヌの「熊送り」(イオマンテ)と同様,食糧となる獣を捕えた後にその霊魂を無事に天に送る,一種の宗教儀式ということである.その霊魂は再び地上に動物として戻って来ると信じられていた.<復> また,稲作農業を行った弥生時代の遺跡から数多くの銅鐸や銅剣,銅矛が見付かっているが,これらは近年の研究によると祭祀器具であったと言う.人々は毎年,稲がよく実るように祭を行った.銅鐸は,祭において穀霊を呼び起し,あるいは鎮めるために鳴らす聖なる鐘であり,銅剣は荒ぶる神を退散させるための呪具であると言う.このような農耕儀礼は形こそ変ったが,今も神社神道の祈年祭や新嘗祭として生き残っている.<復> 2.神観.<復> 日本人の神観念の特徴は,本居宣長(1730—1801年)の次の定義によく表されている.「何にまれ,尋常(よのつね)ならず,すぐれたる徳のありて,可畏(かしこ)きものをカミとは云ふ也」(『古事記伝』巻三).彼によれば,雷・竜・樹霊・狐・そして山も海も神になる.これらの神々は,記紀神話に登場する人格化された神々とともに,各地の氏神や産土神と呼ばれる大小の神社で,祭神として普通に祭られているものである(→本辞典「神道とキリスト教」の項).<復> このようなアニミズム的多神教観と並んで,さらに,神と人との間の強い連続性(神人合一)という特徴を付け加えることができる.それが憑依(ひょうい)・脱魂状態に陥って託宣を下すシャーマニズム(東北のイタコ,沖縄のユタ,新宗教成立時の教祖の神がかりなど)や,死霊を祭る祖先崇拝となって現れている.以下,アニミズムと神人合一の神観が,祖先崇拝,仏教,儒教,新宗教にどのように影響しているかを見る.<復> 3.祖先崇拝.<復> 1983年実施のNHKの「日本人の宗教意識」世論調査によると,「祖先の人たちと深い心のつながりを感じるか」という質問に対して,「そう思う」と答えた人が59%にも上っている.墓参りについては89%の人が習慣として実行している.また家に仏壇があって「仏壇を拝む」という習慣を持っている人が57%に上る.同じ調査で,「なんらかの宗教を信仰している」と答えた人は全体の33%にすぎないから,広い意味での祖先崇拝の感情こそが,宗旨を問わず,日本的宗教心の基調をなしていると見てよいだろう(NHK放送世論調査所編『日本人の宗教意識』日本放送出版協会,1984).<復> 仏壇・神棚・墓参り・盆・彼岸などに象徴される習俗化した祖先崇拝ではあるが,実はその前提となる霊魂観がある.つまり,人間は魂(タマ)を持っていて,死ぬとそれは死霊(シリョウ)と呼ばれるものになる.子孫が繰り返し(多くの場合は仏教式に)供養を行うことによって死霊は格を上げていくと信じられ,最後の弔上げで個性を失った祖霊(カミ)になる.祖霊は故郷の近くにいて盆や正月に戻って来る.またこれは「先祖」とも呼ばれて,そのイエに豊饒や幸福をもたらしてくれる.そして再び人間(仏教の六道の中でも特に人間)として生れ変ってくる,という思想である(「霊魂の循環」思想).<復> 祖先崇拝は前述のように,実際には仏教伝来以前からの日本人の土俗的霊魂観によるのであるが,現在のような仏教式の中陰(7日—49日),百か日,1周忌,3年忌,7年忌,13年忌,17年忌,25年忌,33年忌,50年忌の法要の型は,中国で「盂蘭盆経」に基づいて成立した習俗を中世において日本のイエ制度の中で定着させたものと言われる.<復> 以上のような内容を持つ祖先祭祀は,「死霊を拝む」といった,キリスト教から見て偶像崇拝的な要素以外にも,祭祀を営む行為者の,父母を初めとする祖先への尊敬と愛慕,さらには社会的に親族糾合の機能や世代関係安定の機能をも合せ持っていると考えられる.従ってキリスト教宣教という観点からは,十戒の第5戒「あなたの父と母を敬え.あなたの神,主が与えようとしておられる地で,あなたの齢が長くなるためである」に表れた倫理観に照らして,十分に対抗し得るキリスト教的代案を提起していくことが求められている.<復> また祖先崇拝の宗教感情は,イエ(各世代を貫く一種の自己同一性の観念をもって,過去から不断に連続してきた直系の系譜体)の祭祀にとどまらず,ムラの祭祀(地蔵盆,護国神社),クニの祭祀(靖国神社,天皇の祭祀)の中にも包摂されていることに注意しなければならない.そして護国神社・靖国神社の英霊(戦没者の死霊を英雄視した呼び名)信仰の場合は,平安時代以後に発達した御霊信仰(怨霊の鎮魂)の系譜と近代の国家宗教とが混交した性格を帯びている.<復> 近代の国家宗教としての国家神道は,「皇室を宗家とし奉る…一大家族国家」(文部省『国体の本義』1937)という表現に端的に見られるように,日本人の習俗となっているイエの祖先崇拝を巧みに利用して,イエから直接にクニへ拡大し,天皇及び皇室の祖先神とされる天照大神への礼拝を強制したものである(→本辞典「天皇制とキリスト者」の項).<復> アニミズムと神人合一の素朴な宗教心だけからは,国家の絶対化を回避できるほどの権威を生み出すことは不可能である.キリスト者の超越的創造主への信仰とそれに裏打ちされた行動は,無条件の信教の自由の保障された現代において,日本人に歴史上初めて,国家の権威をもしのぐ超越の思想を知らしめる機会ともなっている.<復> 4.仏教.<復> 仏教は六道輪廻の業(ごう)を断ち,そこから解脱(げだつ)して浄土に至る道を教える普遍宗教である.原則的には無神論の宗教であるが,現世肯定的な日本人に,初めて現世否定の思想と救済の教義を与えた.<復> 『日本書紀』によると,552年(『上宮聖徳法王帝説』では538年)に百済の聖明王から欽明天皇に仏像と経論若干が送られたことをもって仏教公伝としているが,その目的は個人の救済よりも呪術的な国家鎮護にあった.ただし,その中でも聖徳太子(574—622年)は,勝鬘・維摩・法華の『三経義疏』を自ら書いたと言われるほどに仏教を個人救済の問題として深く理解した.<復> 奈良仏教は,隋・唐の諸教理を直接受容した南都六宗(三輪,法相,成実,倶舎,律,華厳)によって特徴付けられるが,聖武天皇(在位724—748年)の東大寺・国分寺の建立にも見られるように,国家との癒着が依然として強い.平安仏教は一旦,国家から分離され,最澄(767—822年)の天台宗,空海(774—835年)の真言宗によって新風を吹き込まれたものの,再び貴族の加持祈祷的な仏教になっていった.平安末期に末法思想が流行し(1052年が末法初年と考えられた),危機感が高まって,ついに仏教上の宗教改革とも言われる鎌倉仏教の誕生を見た.浄土宗(法然),浄土真宗(親鸞),時宗(一遍),日蓮宗(日蓮),臨済宗(栄西),曹洞宗(道元)などを開いた鎌倉仏教の宗祖の多くは,天台宗の影響のもとに出発した.その中でも,輪廻転生にからむ現世の不安から,口称念仏のみによって極楽浄土に生れ変って救われると説いた親鸞(1173—1262年)の浄土真宗は,絶対他力の強調,悪人正機の説,神祇不拝,追善供養の不要などを説く点で,しばしばキリスト教とも比較される.真宗門徒は室町時代に一向一揆を起すなどしたが,その阿弥陀仏への絶対帰依の信仰態度が,一時的ではあっても現世の政治権力をも凌(しの)ぐ超越的な権威を信者に与えたという意味で,日本宗教の中では特筆に値する.<復> しかし一般に日本仏教は,神道が穢(けがれ)の最たるものとして死を不浄視し敬遠したこととも相まって,特に江戸時代のキリシタン根絶のための宗門改めと檀家制度以後は,専ら葬式と年忌法要などの死者儀礼のみを受け持つようになった.つまり祖先崇拝の手段として使われたのである.さらに,アニミズムと神人合一の宗教意識に沿ったものとして呪術的な密教が民衆に一番歓迎されたことも,その特徴であろう.<復> 例えば,「本尊われに入り,われ本尊に入る」という即身成仏説が神人合一の宗教意識に極めて近いことから,真言密教は神社信仰とも積極的に習合し,神道を理論化するのに使われた(大日如来が本地〔ほんじ〕,諸神・諸菩薩はその垂迹〔すいじゃく〕であるとする本地垂迹説).密教化は天台宗にも影響し,日本仏教は「草木国土悉皆成仏」が合言葉となり森羅万象すべての成仏を説き,アニミズム的な心性と融合するところとなった.<復> 絶対他力を説いた親鸞でさえも往相回向(阿弥陀仏が自己の善を差し向けて,生きとし生けるものが浄土に往生して仏になる)だけでなく,さらに還相(げんそう)回向(往生した者が再び現世に帰って利他教化の働きをする)を説く思想的背景には,日本主義の「霊魂の循環」思想に極めて近い宗教意識が認められる.<復> 密教,浄土教と並んで日本の民衆に深く浸透した仏教思想は,滅罪招福や女人悪人の成仏を説く唯一の経典である法華経の信仰である.現代の新宗教の大教団の多くは法華系である.<復> 5.儒教.<復> 儒教は,宗教と言うよりも道徳・政治についての教えであるが,道教,陰陽道などとともに,5世紀半ばに中国から日本に渡来したと言われている(『古事記』によれば,応神天皇16年〔285年〕に百済王より『論語』10巻と『千字文』1巻が贈呈された).それ以後,日本人の精神生活に,特に古代の律令国家と近代封建社会の形成期に,多大な影響を及ぼした.古代律令国家は中国の国家儒教の制度を模倣して官人登用の国家試験の制度を設けた.また,大宝令の「学令」には唐の制度を参考に大学寮などが設置された.そこでの教育内容も儒教経典の学であって,目指すところは天皇の官僚にふさわしい人材を養成することであった.<復> 近世には徳川封建体制を支える指導理念として,朱子学や陽明学が栄えた.特に国学や神道と結合しつつ,明治期の国家神道につながる治国平天下の政治思想を準備した.中国王朝の政治支配の正統性は,孟子以来「天命受託」「易姓革命」という考え方に基礎を持っていた.そしてこの場合の「天」は超越的性格を帯びている.ところが,イタリア人宣教師G・B・シドッティを尋問し,創造主を否定した新井白石(1657—1752年)などは,「天命受託」を,徳川幕府が「天子」である「天皇」の命を受けて王道政治を行うことといった具合に,儒教の持つ超越性を抜きにして意味付けた.また,垂加神道を唱えた山崎闇斎(1618—82年)は,「天」の超越性を保ったものの,今度はそれを日本の天照大神の神勅や天孫降臨の古代神話と結び付け,やはり「天」を具体的な天皇に置き換える混同を行っている.そこでは徳治主義よりも血統主義が前面に出てきて,易姓革命の思想は背後に押しやられている.<復> 幕末期には闇斎の影響を受けた水戸学の流れから,尊皇攘夷論や「国体」思想が生れてくる.儒教の忠孝の徳目を内包するこの国体思想は,明治期に「帝国憲法」と「教育勅語」によって成文化されるところとなり,近代日本人の精神形成に大きな影響を及ぼした.<復> 6.新宗教.<復> 新宗教は,近代に入って起った創唱宗教である.仏教と同様に救いの教理を持ち,教団を形成している.新宗教は決して新しいものではなく,その中味は日本古来のシャーマニズムと祖先崇拝の宗教意識である,と言っても過言ではない.新宗教成立を,歴史的に三つの時期に区分するのが便利であろう.<復> 第1次宗教ブームは幕末から明治維新期にかけて起り,黒住教,天理教,金光教,大本教など,主として神道系の教団が誕生した.この時代は封建社会が崩れ,鎖国から開国への激動期で,民衆が世直し的な新しい価値観を求めていたその時流に乗ったものである.神がかった教祖が説く単一神論的な最高神による個人の救済と,理想世界の到来を約束する教えを合せ持っていた.天皇崇拝を強要する当時の「国体」の価値観と合わず,激しい宗教弾圧を被った教団も多い.<復> 第2次宗教ブームは,太平洋戦争敗戦の前後の価値の激動期で,「神々のラッシュアワー」と呼ばれたように神道系の教団も生れたが,仏教系ことに法華系の霊友会,立正佼成会,創価学会などが大きく伸びて宗教運動の主流となった.創価学会は現在,公称信者数1600万人と言われている.第3次宗教ブームは,1973年のオイルショック前後に始まり,様々な小教団が出てきて現在に至っている.<復> 新宗教団体は,社会における市民権の確立と相互の協力連携を目指し,1951年に新日本宗教団体連合会(新宗連)を結成した.新宗連は,1969年に靖国法案が国会に提出されると,キリスト教団体や既成仏教団体とともに,これに反対する抗議声明を発表している.<復> 最後に,キリスト教の側から日本宗教をどう評価したらよいかについて,一言付け加えたい.諸宗教は,そもそもが創造主なる神によって人間に植え付けられた「宗教の種子」(J・カルヴァン)の開花したものである.そうではあるが,多くの場合それは偶像崇拝に導かれるのであり,イエス・キリストを通して啓示された真の宗教につながっていくことはない.しかし神はキリスト教の宣教がなされる以前にも「ご自身のことをあかししないでおられたのではない」(使徒14:17)し,実際に,諸宗教を使って罪の中にある人間の「罪を抑制する」方向に働かれることもあった(一般恩恵).日本宗教の中の鎌倉仏教や,国家神道に対抗した新宗教の中には,そのような面も認められる.キリスト教と諸宗教とは本来全く異質であるが,ただ諸宗教が人間の「罪を抑制する」方向に働いている時のみ,キリスト教から見て評価できるのである.→宗教(神)学,神道とキリスト教,儒教とキリスト教,仏教・ヒンズー教とキリスト教,冠婚葬祭とキリスト者,日本の祭とキリスト者,祖先崇拝とキリスト者,政教分離.<復>〔参考文献 〕堀一郎編『日本の宗教』大明堂,1985;森岡清美『家の変貌と先祖の祭』日本基督教団出版局,1984;クリスチャン新聞編『神々の精神風土』いのちのことば社,1988.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社