《試し読み》喜びの知らせ 説教による教理入門

いのちのことば

《試し読み》喜びの知らせ 説教による教理入門

喜びの知らせ 説教による教理入門
朝岡勝 1700円 B6判 264頁

神を愛するために神を知る

聖書が語る救いの教えを「教理」と言います。教えの理。救いの道理。救いがもたらす喜びの筋道。「喜びの知らせ」としての福音とはどういうものなのかを表すもの。それが「教理」です。
教会は歴史の中で、教理を大切にしてきました。救いがもたらす喜びは、感情と結びつくものであるとともに知性にも結びつくものであること、そして何よりも、もっと深く根源的な、魂と結びつくものであることを体得してきました。それゆえに、教会は教理を学ぶことを大切にしてきました。それは、この「喜び」に生きるためにどうしても必要なことだったからです。
「信じること」と「知ること」は切り離すことができません。信仰の世界においては、ただ「信じる心」が大事というわけではなく、「何を」信じているかが肝心です。より正確には「誰を」信じているかということでしょう。なぜなら、そこで向き合っているのは「生ける神」だからです。どんな神さまなのかさっぱりわからないけれども、拝んでいるとありがたい気持ちがするからこの神さまを信じておこう、というのではなく、その神さまはどういう方なのか、私たちに何をしてくださる方なのかを知る。これはとても大事なことです。
中世の時代、教会を教え導いた偉大な神学者に、カンタベリーのアンセルムスという人物がいます。彼がその著書『プロスロギオン』に記したことばに、「知らんがために、われ信ず」というものがあります。神を知るということは、知識を積み上げることによって得られる客観的な真理の認識ではなく、生けるまことの神を信じるための認識であり、この生けるまことの神を信じるときに、ますますこの神を知るようになっていく。そのような意味で、「神を知るために私は神を信じる」と言っているのです。信じることへと向かう心をもって神を知っていく。これが、私たちのスタート地点であることをアンセルムスは示したのでした。こうして私たちが礼拝に集い、そこで賛美をささげ、祈りをささげ、みことばに聞くことは、まさにそのスタートなのです。
初めて教会に来られた方がやがて礼拝に続けて集うようになると、頃合いを見て信仰入門の学び会にお誘いします。週に一度教会に来てもらい、信仰入門のテキストを用いて、「聖書とは」「神とは」「人間とは」「罪とは」「キリストとは」「救いとは」「教会とは」ということ、つまり基本的な教理を学んでいくのです。ある方とは三か月、ある方とは半年、ある方とは一年以上かけて学んでいきます。その中でいろいろな質問が出され、一緒に考える。最初から求道心をもって学びに臨まれる方もあれば、聖書やキリスト教に対する知的な関心から学び始める方もあり、積極的な方、消極的な方などさまざまです。
しかし、毎週ともに学び続けて行くうちにやがて転機が訪れる。「知識」を目指して始まった歩みが、ある段階から「知識から信仰へ」と開かれ、さらに「信仰からさらなる知識へ」と導かれていくようになる。理屈で納得できなければ信じられないと言っておられた方が、ある時期、そこから抜け出していくということがあります。「信じさせてください」と祈り始めたときから、知識や理屈を超えて神の御手に導かれていく姿を目の当たりにすることもあります。
こうして信仰を与えられ、救われて、それでゴールインではありません。そこからさらに「知らんがために、われ信ず」という営みは進んで行きます。信仰の歩みを続けていく中で繰り返し教理を学ぶことで、私たちは、私たちを愛してやまない御子イエス・キリストの父なる神をますます深く知り、愛し、従う者となっていくことができるのです。
宗教改革者カルヴァンが、自分が奉仕していたジュネーヴの教会の子どもたちや信徒のために書いた『ジュネーヴ教会信仰問答』の中で、私たちの生きる目的が「神を崇める目的で神を知ること」と言いました。神を礼拝する者となっていくために、私たちは生かされている。カルヴァンはこの信仰問答を、フランス語とラテン語の二種類の言語で書き記しました。民衆のことばであったフランス語と、知識層のことばであるラテン語です。フランス語訳では、カルヴァンはこの問答の答えを「神を愛する目的で神を知ること」と書いています。“神を崇める”ことと“神を愛する”こと。ことばは違いますが、意味するところは同じです。
私たちが、聖書を通して教理を学ぶのは何のためでしょうか。
「キリスト教」という宗教についての知識をたくさん蓄えて物知りになるためではなく、それによって生けるまことの神であるイエス・キリストが、私たちをどれほどに愛し、尊び、喜んでおられるかを知り、そのように愛され、尊ばれ、喜ばれていることを知る喜びの中で、この生けるまことの神であるイエス・キリストを心からあがめ、愛する者となっていくためなのです。この道筋を進んで行くために、聖書のことばに聞いていきたいと思います。(本文「1 福音のはじめ」より一部抜粋)

喜びの知らせ 説教による教理入門
朝岡勝 1700円 B6判 264頁