編集者Sの渾身のオススメ!
若者は朝露のように――思春期の子どもとともに成長する
ユージーン・H・ピーターソン
『若者は朝露のように――思春期の子どもとともに成長する』を読みました。内容は書名の副題のとおりです。思春期の子どもを持つ親は、子どもの急激な変化にどのように対応すればいいのか戸惑うと思います。私も藁にもすがる思いで本書を手にしました。
この本には、「こうすればうまくいく」というようなハウツーは書かれていません。事はそんなに簡単ではないからです。けれども、「こういうことに留意しましょう」という有益な示唆がふんだんに盛り込まれています。
いつもながら私流に、いくつか紹介します。
大人が中年になり、倦怠期にも入るころ、子供は思春期という激動の時期に突入します。これは親たちにとって、もう一度真剣に自分の生き方を見直す絶好の機会にもなります。この時を自分も成長する機会として、前向きに捉えましょう。
思春期の子供を親の思い通りに強制することはできません。かといって子供を放任することもいけません。ちょうどエリがサムエルを神さまに向かわせたように、親は子供を神さまにゆだねることを学ばなければなりません。
「もう教会に行かない!」と子供に言われたら、クリスチャンの親は本当に慌てるでしょう。しかしこれは、子供が親の言いなりで教会に行くのではなく、自分の意思で教会に行くようになるための第一歩です。「イェス」と言うための「ノー」だと思いましょう。親には子供と率直に話すことが求められます。
親と子供では、どうしても世代間のギャプがあります。完全に理解し合うことはできなくても、お互いに理解し合おうとする努力は大切です。
子供が成長するに従って、親はだんだんと子供を信頼していかなければなりません。親が神さまを信頼しているように、子供も神さまを信頼しているならば、お互いの間にも信頼関係が生まれるでしょう。
最初、親は子供を「親の愛」で愛していたでしょう。しかしその愛は、対等な関係の愛である「友情」を経て、「神の愛(アガペー)」にまで成長しなければなりません。
思春期の子供は鋭く親を批判してきます。その純粋な批判の中には、当たっているものもあります。親は謙虚な耳を持つ必要もあります。
思春期は、自分がどうしらいいのかわからなくなる時期でもあります。人生の先輩として親は適切な助言をしたいものです。
子供を支配してはいけない。けれども放任してもいけない。真の自立を促さなければなりません。
ときどき子供がドラッグやセックスにおぼれるという危機があります。けれどもこれは子供が目に見えるものを超越したスピリチュアルなものを求めている証拠でもあります。子供の霊的な必要、霊性の成長を敏感に感じ取りたいです。
子供が失敗したときにはどうするのか。非難するのではなく、目をつぶるのでもなく、赦すことによって愛を伝えたいものです。
繰り返しになりますが、思春期の子供にはこう接すればいい、という教科書の解答のような答えはないでしょう。ピーターソン先生も共に悩み、共に考えるという姿勢で本書を書いておられます。その姿勢がまた真摯で心に響きます。
北米では、ピーターソン先生はフーストン先生と双璧をなす霊性の神学の泰斗です。日本でも、もっと読まれてもいいと思います。