キリストを慕う旅<1>
巡礼について考える
「百万人の福音」2018年6月号特集
いま、日本で「聖地巡礼」といえば、アニメやドラマの舞台となった場所を訪ねること、と答える人が若い世代を中心に多いかもしれない。2016年の流行語大賞ベスト10でも、この意味でランクインしている。
しかし、巡礼の王道は、宗教ゆかりの地に行くことだ。キリスト教の世界で見た場合、狭義の意味としては、旧約時代にエルサレムの神殿で礼拝することを巡礼と考え、新約聖書の時代となった今では、どこででもイエスの名によって神を礼拝できるようになったから、巡礼の意味はなくなった、という解釈もある。
しかし、一般的には、「諸方の聖地を参拝してまわること」(岩波書店「国語辞典」)とあるので、ここでは「聖地をまわる」という意味での巡礼について考えてみたい。同様に以降の「聖地」は「聖書関連の地」という意味としてご理解いただきたい。
世界的に、キリスト教の三大聖地と言われている場所がある。エルサレムを中心としたイスラエルと、キリスト教史の中核地の一つであるバチカンは、すぐに思い浮かぶ。しかし、あと一つを即答できる日本人は少ないはずだ。
正解は、スペイン北西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ教会。これは、十二弟子の一人、ヤコブの墓があるという伝承によって作られた教会だ。
この教会に向けた巡礼路は、中世から開拓され、フランス南部の町を起点に、約800キロを二か月ほどかけて歩く。何回かに分けたり、自転車で回る人もいる。この巡礼路自体が世界遺産にも登録されている。
現在、年間20万人が世界中から訪れ、美しい風景の中の道をたどっている。ただし、その半数は、宗教的な目的ではなく、自分探しの場として、また一風変わった旅として歩いている。
2015年に、この道の一部を6日間かけて歩いた南雲恭子さん(キリスト教朝顔教会)は、会社の制度で長めのリフレッシュ休暇を取る必要があり、同僚に誘われて行くことにした。
歩いたのは、ラストの約120キロ。一日約20キロを、6日間連続で歩くのは、現代人には厳しい。しかも、宿泊は見知らぬ外国人が集まる巡礼宿「アルベルゲ」で、二段ベッドが並ぶ大部屋で寝ることが多い。
「行く前は、神様との時間がたっぷり取れて、それまでのいろいろなことを振り返りながら、霊的に充実した旅になると期待していましたが、体力がまったくついていかず、とにかく歩くので精いっぱいでした」
その中にあって巡礼路を支える地元の人々の配慮が心に残ったと南雲さんは言う。
「長い年月を通して、巡礼者のためにささげられてきた歴史に感動と感謝をしました。道標の黄色い矢印は途絶えることがなく、山の中でポツンと開かれているバル(食堂)とか古い水飲み場、小さな町の教会…。巡礼者が無事に着くようにと心を砕き、惜しみなく労してくださっている方々がいるのです。そういった奉仕者を通して、神様の守りを感じました。自分は与えられ、守られ、招かれているということを感じ、しみじみとした喜びが湧いてきました」
この巡礼路を舞台にした映画や小説は欧米でヒットし、人気を呼んでいる。「星の旅人たち」という映画では、沿道の美しい風景や、どんな宿があるかも垣間見ることができる。
国内外のキリスト教関連地への旅を扱う旅行代理店、テマサトラベルで、最近の巡礼状況を聞いてみた。ここでは、イスラエルへのツアーを中心に、国内でも長崎や東北にあるキリシタンゆかりの地へのツアーを主催している。
同社の加藤淳也さんは、「イスラエルには年間20本ほどのツアーを企画しています。長崎のツアーは、映画『沈黙』の影響で、一昨年と昨年は参加される方が多かったですね」
テマサトラベルのツアーに参加する90%は、プロテスタント系のクリスチャンだ。イスラエルツアーで人気の場所は、ガリラヤ湖周辺だという。
「比較的、自然が豊かに残っていますから、聖書の時代を連想しやすいのだと思います」
イスラエルというと紛争のイメージがあるが、最近の治安状況はどうなのだろう。
「いろいろな問題を含んではいますが、イスラエルがパレスチナ自治区との境界線に築いている壁が、治安を安定させるには大きな効果を発揮しています。今では、爆弾テロは起
きなくなっています」
また、観光業に携わるパレスチナ系住民も多く、観光客が減る行為はしたくないというのが本音のようだ。
現地に行くことの意味については、「聖書が立体的に読めるようになること」と語る。加藤さんは三代目クリスチャンで、この働きに就く前に、イスラエルに語学留学をしていた。そのため、イエスが語った聖書のことばを、ツアー中にヘブライ語で朗読することもあるという。その音の響きは、昔とは異なるにしても、2000年前、そこに立って語ったメシア(救世主)の息吹を彷彿とさせることだろう。
「現地に立つことで、聖書の世界を五感で感じられると思います。以前、イスラエルに興味のある未信者の方が多く参加するツアーがありましたが、帰国後、そのうちのお一人が、聖書を購入されたことがありました。それは生涯の思い出です」
聖地旅行は、聖書ゆかりの遺跡巡りというだけでなく、今も生きて働くキリストのいのちをリアルに感じやすくする効果があるのかもしれない。