《震災から10年》コロナ禍の3.11 被災者と共に生きる

証し・メッセージ

《震災から10年》コロナ禍の3.11 被災者と共に生きる

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ラーメン店を営む 熊田真介さん

3.11直後、被災地支援で仙台に入る

 2011年3月下旬、宮城県東松島市の東名・野蒜地区に着いた熊田真介さんが目の当たりにしたのは、瓦れきの山と、泥びたしの家々だった。仙台市にある日本キリスト改革派東仙台教会の立石彰牧師から、ボランティアに来てほしいとの願いに応え、仙台へ来たのだ。
 立石牧師とは同じ改革派の教会で育った幼なじみ。震災当時、熊田さんは、hi-b.a.(高校生聖書伝道協会)時代の3年先輩の上原雄平さんと1年後輩の井ノ川晴樹さんが経営する東京・八王子市の「らーめん楓」で働いていた。上原さんも井ノ川さんも立石牧師とは旧知の仲であり、熊田さんの仙台行きを励まし、快く送り出してくれた。

 ボランティア先は仙台市から車で4、50分の東松島市東名・野蒜地区。ここに住む教会員と連絡がとれず、立石牧師が捜しに来たのがきっかけだ。その方とは避難所で再会できたが、この地区にはボランティアが入っておらず、助けが必要だったからだ。すぐに教会にボランティアセンターが立ち上がり、熊田さんも教会から毎日東名・野蒜地区へ通い、家の泥出しや片付けなどをし、滞在は1か月ほどになった。一旦八王子に戻ったが、また6月に東名・野蒜地区での活動に参加。そしてついに翌年の2012年4月に仙台へ移住。熊田さんはボランティアセンターの常勤スタッフとなった。

「サクラハウス」での交流

 東名・野蒜地区での働きの拠点は「サクラハウス」と名付けられた家。被災した家の持ち主が、近隣家屋の泥出し作業の拠点として無償で家を貸してくれたのが始まりで、その後、放課後行き場のない小学生たちがここに来て遊んだり、宿題をしたり、震災でダメージを受けた子どもたちの心に寄り添う交わりが続いている。夏、冬、春には山形、秋田、岩手などでの2泊3日のキャンプを開催。キャンプの参加者はサクラハウスに集う子どもたちや東仙台教会の子どもたち、スタッフを入れて総勢5、60人にもなる。
 そんな活動を続けて数年たった頃、「サクラハウス」が改築されることに。その一角に熊田さんは「らーめん楓」をオープンする。2015年4月のことだ。

らーめん楓

 「3、4年働いてきて、この地区の人たちとよい交わりができ、この関係を続けていきたいと願って」と熊田さん。開店するにあたって八王子の「楓」から厨房器具や器などをもらい受けた。「楓」の名が入ったどんぶりがそのまま送られてきたので、店名はおのずと「楓」に。ラーメンのスープも「楓」仕込み、必要はすべて与えられ、感謝しかないと熊田さんは振り返る。

 「らーめん楓」の営業は木曜、金曜、土曜のみ。月曜日は小学校へ出向き、放課後子どもたちの宿題をみたり、遊んだりする。火曜日は子どもたちがここで遊んだり宿題をしに来る。水曜日は「サクラカフェ」。教会役員のシェフがランチを作り、立石牧師がコーヒー豆をひく。日曜日は教会の礼拝へ。だから週3日の営業。
 コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出された昨年の四月五月。近所だけの出前を始めようということになり、配達のためにアルバイトを頼んだ大学生たちは、「サクラハウス」で共に過ごしたかつての小学生だった。
 「何よりうれしいのは、彼らの成長を共に見てこられたこと。そういうつながりがあることが、いちばんうれしい」。これが地域に仕え、隣人に仕えることの恵みなのだと、あれから10年たった今、熊田さんは実感する。

〈「百万人の福音」2021年3月号〉

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