《震災から10年》コロナ禍の3.11 「流浪の民」の今

証し・メッセージ

《震災から10年》コロナ禍の3.11 「流浪の民」の今

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福島第一聖書バプテスト教会 佐藤将司 牧師

 福島第一原子力発電所からいちばん近い教会、福島第一聖書バプテスト教会。あの日を境に信徒はばらばらとなり、佐藤彰、佐藤将司牧師家族と高齢者など避難所への避難が難しい信徒たちは、1年あまり都内のキャンプ場で共同生活をすることに。そして現在は、帰れぬ故郷を思いつつ、いわき市内の新会堂で礼拝をささげる。当時は副牧師で、現在主任牧師を務める佐藤将司さんに震災、そしてその後の避難生活を振り返り、語っていただいた。

先立って進まれる主にゆだねて

 「意志あれば道あり」ということばが、第99代内閣総理大臣の座右の銘とのこと。同じ秋田県の高校を母校にもつ私が、コロナ禍で東日本大震災から10年を迎えて心から告白したいことは、「神が道をつくられる」ので、私たちに必要なのはただ「神に従うという意志・決断」である、ということです。

 私たち人間の目には先のことは何もわからなくて、見える物事に心もとらわれてしまいやすいものですが、教会の歩みも、いつの間にか目に見えることに一喜一憂してしまうように思います。しかし、10年前に東日本大震災を経験し、多くを失ってみて、そしてまた、震災から10年目にはコロナ禍の中を歩まされることによって多くの制限を受け、教会にとって大切なことは何なのかを再確認しています。
 教会は他に何もできなくても、また、たとえ場所は違えども、愛する神の家族と心を合わせて、神様に礼拝をおささげすることができるならば、それが何よりもすばらしいことなのだと思わされています。

佐藤彰牧師から受け取ったバトン

 福島第一聖書バプテスト教会において、この10年の間に変わったことの一つは、2019年にリーダーシップのバトンタッチをしたということです。37年以上もの間、震災後の流浪の旅のさなかにあっても主任牧師として教会を導いてこられた佐藤彰牧師からバトンを受け取るのは、やはりその任の大きさに足がすくみ、重圧を感じたりもしました。神様が、モーセからバトンを受け取ったヨシュアに語られた励ましのことばに、私も励まされました。「主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない」(申命31・8)、主である神ご自身が私たちに先立って進んでくださっているならば、私たちが見るべきものは、ただ主の背中であり、主の御足の跡に従って、恐れないで、おののかないで、歩んでまいりたいと願っています。

震災2年後に「つばさの教会」として再建

 震災の2年後に、福島県いわき市に与えられた「泉のチャペル(通称つばさの教会)」の献堂式では恵泉キリスト教会の千田次郎牧師がメッセージを語ってくださり、その中で千田牧師は何度もおっしゃってくださいました。「あなたがたは、前よりももっとよくなる」と。あの頃の私たちは、目の前のことだけで精一杯で、ただガムシャラに走り続けることしかできなかったように思います。「前よりもよくなる」と言われても、私はなかなか先のことを考えられなかったのが正直なところでした。しかし今、コロナ禍でこの10年を振り返ってみるときに、確かに神ご自身が私たちに先立って進んでくださっていました。決して見放さず、見捨てることなく、先回りして道をつくり、さらに導き続けてくださり、もっとよくなるようにとみわざを成してくださっていました。

 震災後、東京の「奥多摩福音の家」は私たちに1年近く、礼拝をささげる場所と住まいを提供してくださいました。その場所から全国各地に散らされてしまった教会員のためにと、礼拝の同時中継を手探りで始めました。試行錯誤しながらだんだんとよいものへとなっていきました。そして図らずも、昨年のコロナ禍でチャペルに集まっての礼拝ができなくなった時にも、うろたえることなく同時中継を続けることができ、90代の教会員も含めて皆で礼拝をささげ続けることができました。これも私たちの思いを越えた神様のみわざです。

 コロナ禍で礼拝後の愛餐会(食事会)や平日の集会が、また、震災後に地域向けにスタートした「教会ちょっとカフェ」もお休みになり、なかなか一緒に集まって交わることができなくなってしまった時にも、神様が先回りして私たちの教会に食堂や交流スペース、小さな礼拝堂や宿泊施設などを含む「エリムの泉」の志を与えてくださっていたので、ちょうどよいタイミングで完成し、今も配慮された体制の中で、私たちの交わりは保たれ、祝され続けています。それは、まさにすばらしい旅の途中のオアシス(出エジプト15・27)のようです。
 その他にも、私たちの旅路において神様が見せてくださった、たくさんの不思議、たくさんの祝福を思い出し、数えていると、神が共におられるので、私たちは恐れなくてよいのだと改めて感じるのです。

福島県いわき市に建つ「泉のチャペル(通称:つばさの教会)」

被災地に立つ旧会堂 止まらなかった時間

 2020年11月に、大熊町にある「大野チャペル」の片づけに行ってきました。震災よりわずか3年前、2008年に建てたばかりでしたが、福島第一原子力発電所から5キロメートルのところにあり、震災以来使うことができないでいます。これまで一時帰宅する度に増えていくネズミの糞や、朽ちていく建物の状態に、毎回がっかりして、寂しさを感じ、妙に疲れてしまったものでした。雑草も伸び放題で猪が駆け回り、時が止まったまま、もしくはこの場所だけ時が逆行しているかのようにも思いました。

 しかし、いざ片づけをはじめ、荷物がなくなっていくと、少しずつ気持ちも整理されていくのか、神様のあの地への70年以上の思いを感じ、止まっていた時がまた動き始めたような感覚を覚えました。

 そして、隣接する私たち家族が住んでいた牧師館に入り、ふとトイレに置いてあった時計に目を留めてみると…驚きました。電池1本のみで動く時計ですのに、9年以上たっても、狂うことなく、止まることなく、まだしっかりと静かに時を刻み続けていたのでした。私は、その時計を見て、なんだか神様から励まされ、背中を押されたように感じました。「そうか、時は止まっていなかったんだ…」と。

 私たち人間の目には止まっているように見えても、それどころかどんどん朽ちていく状態にガッカリしていようとも、それでも時は決して止まらず、神様の御手の中でずっと何かが成されていたのだと気づかされました。そして、これからも続いていくのだと、先立って進まれる神様にゆだねて期待するべきであることを教えられました。

 10年前も、そして今のコロナ禍にあっても、私たちの目にはまだ明らかにされていないことがたくさんあります。しかし、明らかなのは神が私たちと共におられ、先立って進み、火の柱・雲の柱で導いてくださるということです。これからも肩ひじ張らずに、神様に期待して、安心して、一歩一歩従ってまいりたいと願っています。

〈「百万人の福音」2021年3月号〉

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