《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第9話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第9話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

打算が招く泥沼

 ところで、クロウの船に奴隷のようにつながれていたとき、ニュートンが隙を見て出した父親宛ての手紙は、無事届いていた。またしても父親は彼のことを心配し、心を痛めた。そして、再び友人のジョセフ・マネスティに相談するためにリヴァプールに赴いた。

 「お恥ずかしい次第ですが、あのばか息子を何とか助ける手立てがあったら教えてください。あいつはシエラレオネの奴隷商人に捕まって、まるで奴隷のように鎖で船につながれているというのです」

 すると、マネスティは快く相談に応じ、自分の商船グレイハウンド号がアフリカのシエラレオネを通過する予定になっているので、その船長スウォニクに彼を救出してもらうように頼んでくれたのだった。
 ここでまた奇跡のようなことが起きた。普通ならニュートンは、奴隷工場か宿舎にいるはずだったが、この時に限って奴隷と交換するための商品が足りなくなってしまったので、通過する船を呼び止めようと港に出てきたのである。そこへちょうどグレイハウンド号がやってきた。ニュートンとラルフは、たき火をして合図した。すると船が止まったので、まずラルフが小舟で近づき、商談をもちかけた。すると船員から、ニュートンという人を知らないかと尋ねられた。
 「へえ、彼はわたしの仲間でさ。そこにいますよ」
すると、グレイハウンド号の船長スウォニクは、用件を伝えるためにラルフの小舟に一緒に乗ってやって来た。
 「ニュートンさんですね? あなたのお父さんから頼まれて迎えにきました」
 スウォニク船長は説明をした。
 「お父さんは、あなたのことをとても心配されて、今の境遇から何とかして救い出してほしいとわたしに依頼されたのです」
 しかし、ニュートンは今ではもう彼らと一緒にイギリスに戻る気をなくしていた。初めて奴隷貿易に手を染め、多少の嫌悪感と後ろめたさを感じているとはいえ、生きた人間を売買することで金がうなるように舞い込むので、すっかりその魅力に取りつかれ、もう他の仕事などはばからしくてできないと思われたからである。
 「そのう、ありがたい話ですけど、わたしはこのままアフリカに永住しようと思っているんです。もうかる仕事にありついたもんですから。それに、気楽でいいし」
 「でも、お父さんは、あなたにどうしてもイギリスに帰ってほしいようですよ」
 しかし、ニュートンの気持ちは変わらなかった。そこで、スウォニク船長は、何が何でも息子をイギリスに連れ戻してほしいと懇願する父親のニュートン氏の顔を思い浮かべ、思わず口から出まかせのうそをついてしまった。
 「実はですね、ニュートンさん。親戚の方があなたに遺産を残されたそうですよ。毎年400ポンド以上のお金が銀行からもらえるそうです」
 すると、ニュートンはたちまち心を動かされ、頭の中で計算をした。
 (働かないで一年に四百ポンドとは悪くないな。奴隷貿易より収入が安定しているし、こんないい話、断ることはないじゃないか。それに、この金を持参すればメアリー・キャットリットと結婚できるかもしれないぞ)
 そこで、ニュートンは、スウォニク船長の話を承諾した。それから、雇い主のアフマドの所に行き、わけを話して仕事を辞めたいと言った。
 「…そうか。あんたのように腕のいい男を失うのは残念だが、まあ、そんなにいい話があるなら仕方ないな」
 アフマドは、あくまで鷹揚に彼の幸運を祝福してくれたうえ、餞別まで持たせてくれた。ラルフとも別れがたかったが、話をすると彼は、残念そうに手を差し伸べて握手をした。
 「短い間だったが楽しかったぜ。ま、そっちでいい話があったら呼んでくれや」

奴隷貿易の闇

 こうして、ニュートンはグレイハウンド号に乗船した。この船は、金・銀・象牙・染物の原料・蜜蝋などの商品をアフリカで買い入れ、しばらくはアフリカ西海岸を航海する予定になっていた。ニュートンは働かなくてもいいので暇をもてあまし、またしても以前の悪い癖が出た。彼は、キッタムでもうけた金がしこたまあったので、連日酒宴を設け、船員たちに酒を振る舞い、自分も酒に浸って大声で自慢話をするのだった。
 「それにしても、金がもうかるからやっていたけど、奴隷貿易には厄介なことが多いな」
 「ほう。たとえば、どんなことだ?」
 ニュートンはキッタムの奴隷工場の話をした。
 「あの臭気はものすごいものだぜ。扉を開けた途端に引っくり返りそうになった。窓のない穴倉みたいな所に、奴隷がすし詰めになっていてさ、やつらの汗や体臭、それから押し潰されそうになって失禁してしまった者もいて、その臭気たるや、思い出しても胸がむかつくよ」
 仲間たちは肩をすくめた。ニュートンは続けた。
 「それから、夜中に子どもが母親を呼んで泣きやまなくてさ、まいったよ。おれのパートナーの男は、子どもなんてぶっ殺してしまえと言ったが、奴隷は何といっても商品だから、さすがにそれはしなかった」
 「そんな話を聞くと、酒がまずくなるぜ」
 船員の1人が顔をしかめた。
 「香料とか食料品ならまだしも、生きた奴隷を船に乗せて何か月も、何年も船旅を続けたり、倉庫に閉じ込めて管理しなくちゃならないんだから、奴隷商人も大変だな。気持ちも荒んできて、手荒なこともしたくなるだろう」
 「このグレイハウンド号は、奴隷貿易はしていないけどよ」

 別の1人が、荒い息を吐きながら言った。
 「おれが以前に働いていた船は、奴隷貿易だけをやる船だった。今でも覚えているが、船長というのがめっぽう気の荒い男でな。奴隷が高価な商品であることは十分承知していたが、かっとすると、それこそ奴隷を半殺しにするほど痛めつけるんだ。ある時、船に積んだ奴隷の中に子連れの女が混じっていた。その小さな女の子がよ、夜中になるとおびえて泣き始め、どうしても泣きやまない。
 『うるさい! 黙らないか。これ以上泣くと海に放り込むぞ』
 船長がそうどなると、いったんその子は唇をヒクヒクさせて黙るんだが、すぐにまた大声で、引きつけを起こしたように泣くんだ。
 そうすると船長は起き上がり、その女の子をつないである鎖をボルトから外し、なんと、そのまま海に投げ込んじまったんだ。これで静かに眠れる―と思いきや、今度はその子の母親が夜通し泣き叫んでいるので、結局みんな一睡もできなかったというわけさ。船長は、さすがに母親のほうは海に投げ込むにはあまりに高価な値がつけられていることを知っているので、手が出せなかったんだ」

 ニュートンは、その時ぞっとして酒の酔いも醒めてしまった。それと同時に、まるで泥の中をはい回るようにして生きている人間そのものに対して強い嫌悪感を覚え、自分も含めて人間の存在が呪われたものであることを思わずにはいられなかった。
 「おいっ! そっちのラム酒のびんをよこせよ」
 ニュートンは、心の動揺を仲間に見られまいとして、突然大声でどなった。そして、引ったくるようにしてびんを受け取ると、一気に喉に流し込んでわめいた。
 「人間なんて、実に厄介なものさ。大人も子どもも、男も女も、みんな生まれてこないほうがよかったんだ。奴隷貿易が呪われていると言った人がいたが、今、その意味がよくわかるよ。おれはな、最初のうちは奴隷を見ても何の感情も湧かなかった。でも、子連れを見ちまったらなあ。子どもの、あの黒水晶みたいにキラキラ光る目を見た時、この商売はやっぱり呪われていると思わずにいられなかったのさ」
 「だが、そこまで考えることはないぜ」
 髪に少し白いものが混じった年配の船員が言った。
 「黒人なんてのは、売ったり買ったりされるために生きているようなもんでさ。頭も足りないし、感覚も鈍い。何といってもイギリス政府が公認する貿易だからな。国の予算の不足分を補う重要な収入源だから、議会も暗黙のうちに認めているんだ。強要はしないがこの貿易を大いに歓迎している。だから、個人が良心の呵責うんぬんを問わなくていいんだぜ」
 いきなりニュートンは立ち上がり、空にしたばかりのラム酒のびんを床にたたきつけた。
 「ああ、そうだろうともさ。政府が公然と認めるから、われわれ市民には責任はない。そりゃ道理が通っている。だがな、それ以前にそもそも神様のばかやろうが、人間なんてものを造ったのがいけないんだ。だから、この神様にすべての責任をとってもらおうぜ。

  おおい、神様やあい!
   うそつき、ペテン師、くずやろう
  いるならここに出てこいよ!
   この鉄拳でぶちのめし、
  ごみくずみたいにしてやるぜ。
   おまえが本当にいるならば」

 「もう、いい加減でやめとけよ」
ニュートンと同年配に見える別の船員がこう言って諌めた。
 「神様を冒瀆するのはやめたほうがいいぜ。それでないと船長に嫌われちまうからな。うちの船長は妙に信心深いところがあるんだ」
 「船長が何だ! スウォニクがどうした!」
 ニュートンはわめき続けた。そして、その腕を取って別の場所に連れていこうとした船員を足蹴にし、その場に打ち倒した。
その時、後ろからその手をしっかり押さえつけた者がいた。スウォニク船長だった。
 「いい加減にしないか。わたしのことは何と言ってもいい。だが、神様をそんなに冒瀆すると、あんたはこの先いいことがないぞ」
 一同はすっかり気まずくなり、酒宴の片づけもそこそこに、それぞれの持ち場に戻っていった。
 「何てこった」
 スウォニク船長はつぶやいた。
 「あいつの親父さんから頼まれたし、マネスティさんとは旧知の仲だから引き受けたんだが、初めからいやな予感がしていたんだ。よりによってああいう厄介な人間を船に乗せちまうとはな」
 「まさに、海上のヨナですね」(注/旧約聖書で、ヨナが災いの原因とみなされて海に放り出されたことから、仲間に災いをもたらす人間という意味で、特に欧米で使われるようになった)
 その場に残っていた船員の一人が苦笑しながら言った。

運命を変える書物との最初の出合い

 グレイハウンド号は、ロペス岬で予定していた商品の買い付けを終えた後、アフリカ西海岸のアイボン島に数日間立ち寄り、食料を買い込むことになった。この時、スウォニク船長の命令で、水の入った樽数個と、食糧にするための生きた羊、牛、豚、にわとりなども買い入れたのであった。
 その後船は、南米のブラジルを通過し、ニューファウンドランド島に到着した。この島は、たらが豊富に捕れるので、船員一同で半日たらを釣って過ごした。のんびり和気あいあいと釣りをするうちに、ニュートンは仲間とつかみ合いのけんかをしたことなど忘れてしまった。そして、釣りに飽きて船に戻ってくると、スウォニク船長一人が昼寝をしていた。ふと床に目をやると、そこに一冊の本が落ちている。拾い上げてみると、トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』という書物だった。彼は肩をすくめ、その本を床に放りだした。
 しかし後になって、彼は再びこの本と運命の出合いをするのである。
【「百万人の福音」2017年9月号より】

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