《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第7話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

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第7話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

悪魔の罠

 ペンローズ船長の葬儀を終えた後、残された問題は、新しい船長の任命であった。船員全員の協議の結果、一等航海士ジョサイア・ブラントが船長としてペガサス号を受け継ぐことになった。彼はペンローズ船長の片腕として、長年にわたりその職務を補佐してきたので、これは当然のことであった。
 これを知ったニュートンは、目の前が真っ暗になるのを覚えた。自分が船長になりたかったからではなく、仲の悪いブラントが船長になれば、間違いなくこの船から追い出されるだろうと思ったのである。ひょっとして、また、「船員交換」でハリッジ号に戻されるかもしれない―と想像すると、ぞっとするほどの恐怖に襲われた。
 (あの地獄の艦船には二度と戻りはしないぞ。そんなことになる前に死んでやる)
そう、心に言い聞かせた。
 ペガサス号は、シエラレオネで荷物を積み終えると、西インド諸島に向かうために出航の準備を始めた。
 ちょうどこの時、一人の男が船に乗り込んできた。アモス・クロウというアラブ人の商人で、シエラレオネに大きな工場を持っているという。彼は船員たちには不愛想であったが、どういうわけかニュートンを見ると親しげに話しかけてきた。ニュートンもこの男に強く心引かれ、しばらくすると二人はすっかり意気投合し、いろいろな話をするようになった。
 「大きな工場を持っていらっしゃるそうですね。何の工場ですか?」
 「奴隷工場だよ」
 初めて耳にすることばであった。
 「奴隷貿易はね、あんた、一度やったらやめられないよ。まだ始めてそれほどたたないのに、お金がうなるほど入ってくるよ」
 ニュートンの心の中に羨望の思いがこみ上げてきた。彼は即座に言った。
 「あの、よかったら商売の仲間にしてくれませんか? 父親も貿易商人なので、海の仕事はわきまえています」
 「ほう。若いのに頼もしいな」
 話はすぐにまとまり、ニュートンは、このクロウという男と共同経営で貿易事業を始めることになった。ニュートンにしてみれば、この時、とにかく金をもうけて安定した生活を手に入れたいという焦りがあった。将来メアリーと結婚したいという望みも捨てていなかったからである。
 しかし、この男と出会ったことは、ニュートンを忌まわしい奴隷貿易の泥沼に引きずり込むきっかけとなり、その罪科のために彼は、生涯苦しまねばならなかったのである。まさに、このアモス・クロウという男の姿を借りて、悪魔が彼に罠を仕掛けたかのようであった。
 ニュートンをペガサス号から引き抜くために、クロウは新しい船長ジョサイア・ブラントと交渉してくれた。すると、ブラントは二つ返事で応じた。
 「いいようにしてください。われわれとしても、二度とこの男と関わりをもちたくありませんから」
 そして、そのまま船を出航させた。

「奴隷体験」

 クロウは、ブランティン島に豪壮な邸宅を建てて住んでいた。この島は周囲約3.2キロ、白い砂地で、島の大部分がヤシの木で覆われていた。クロウの邸宅のすぐ横に、ニュートンの家を造ることになったが、家が出来上がるまでクロウのところに身を寄せることにした。
 二人がこれからの事業について話し合っていると、ふとニュートンは、暗がりから光る2つの目が自分を見据えていることに気づいた。それは、クロウの妻である黒人女性で、名をぺピタといった。
 「わたしが今の事業に成功したのは、彼女のおかげなんだよ」
 クロウは言った。
 彼女はもともと、この土地の部族の女王であり、部族間の戦争で捕虜になっていたのを、クロウが交渉によって買い取ったのだが、非常に美しかったので自分の妻にした。すると、彼女は間もなく、彼に多大な恩恵をもたらしてくれたのである。
 「実はね、彼女の手引きで、わたしはたくさんの奴隷を得ることができたのだよ。あんたがたヨーロッパ人が血まなこになって追いかけている間、わたしはゆったりと自分の生活を楽しみ、その間にやすやすと獲物を得ることができるのさ」
 ニュートンは、この男との幸運な出会いを喜び、自分もその恩恵にあずかりたいと思った。
 3日めに、クロウはシエラレオネの奴隷工場を見回るために島を離れることになった。
 「帰ったらすぐ商売ができるように準備しておいてくれ」
 彼はニュートンにこう言い残して、小舟で出発していった。
 その時、ニュートンは底知れない恐怖を覚えた。何が怖いのかわからない。彼はそうした思いを振り払うように、クロウから渡された「奴隷貿易に関するマニュアル」を読み始めた。―と気がつくと、あの女が後ろに立っていた。彼女はヤシの実を絞って作った冷たい飲み物を差し出して言った。
 「お飲み」
 彼は、逆らうことのできない力を感じてその器を取り、飲み干した。とてもおいしかった。ところが、それから数分後に、彼は猛烈な腹痛と下痢に見舞われた。
 「何か薬をもらえませんか?」
 彼は激痛に床を転がり回りながら、彼女を呼んだが、彼女は来なかった。そのうち、意識がもうろうとしてきた。
 「何てこった。やっと運が向いてきたというのに」
 そうつぶやき、それっきり意識が途絶えた。
 目が覚めると、彼は板の上に広げられたむしろの上に寝かされていた。丸太が枕にされている。そこへ、ぺピタが入ってきた。
 「あたしは、あんたの看病なんかしている暇はないんだよ」
 憎々しげにこう言いつつも、彼女はぬれたタオルで全身を拭いてくれた。それから、豆のスープをさじですくって口に入れてくれたが、それはひどく塩辛いものだった。
 「水を下さい」
 ニュートンが言うと、彼女は怒ってスープの残りを彼の顔にぶっかけて叫んだ。
 「つべこべ言うんじゃない!」
 しばらくこんな状態が続いたが、ようやく下痢と腹痛も治まり、体力が回復してくると、今度はひどく空腹を覚えた。ぺピタは何か皿に入れて持ってきたが、それは彼女の食べ残しで、ごちゃごちゃになって皿に入っていた。
 それでも、空腹のあまり手を出してそれを受け取ったが、手が震えて床に落としてしまった。
 「ばか者!」
 彼女は、平手で彼の頭をたたくと、それきり食物をくれなかった。
 そのうち、どうにかニュートンの体力が回復してくると、彼女は彼に掃除や片づけものをさせるようになった。労働はきつく、彼は途中でへたり込んでしまうことがあった。すると彼女はムチでたたきながら怒鳴った。
 「この役立たず! 働くんだ! さあ、働け!」
 ニュートンは、体をこごめるようにして、よろよろと歩きながら、言われた用事をした。すると使用人たちは彼のまねをして、大声で笑い転げるのだった。
 「もう、かんべんしてください。まだ体力が十分じゃないんです」
 こう言った途端に、腐ったライムが投げつけられた。中には石を投げる者もいたが、ぺピタはやめさせなかった。

また父に泣きつく

 ようやくクロウが出張から戻ってきた。彼は、ニュートンの憔悴ぶりを見て驚くが、ぺピタは、自分が作った料理をニュートンがまずいと言って食べなかったとうそをついた。そこでニュートンはクロウの前で、彼女が留守中に行った仕打ちを洗いざらい述べてから言った。
 「そういうわけで、彼女の虐待があまりにひどかったので、わたしは二週間も床に就いていたんですよ」
 しかし、クロウは笑って取り合わなかった。
 「信じてください。彼女はひどいことをしたんですよ」
 なおも強調すると、クロウはむっとしたように言った。
 「信じられんね。ぺピタはそんなことをする女じゃない」
 そして、ぺピタに、そんなことを実際にやったのかと尋ねた。すると彼女は、わっと泣きだして、そんなことはしない、ニュートンがうそをついているのだと言った。
 「ねえ、思い出してくれないか?」
 ニュートンは、彼女の腕をつかんで言った。
 「あんた、自分の食べ残しをわたしに押しつけ、皿を落としてしまったら、それっきり食物をくれなかったじゃないか。それから病人のわたしをムチで追い立てて働かせ、使用人をけしかけて、腐ったライムをぶつけさせたね」
 すると、ぺピタはいっそう激しく泣きながら、奥へ引っ込んでしまった。
 「そういう作り事はもうたくさんだ。これ以上信用しないぞ」
 クロウは青筋を立てて怒ると、ニュートンの両手に枷をはめ、別の部屋に監禁した。
 彼はその後、小舟で出かけることになったが、ニュートンも一緒に連れていった。そして、一つの島で用を足すときには、まるで犯罪人のように鎖で縛り、甲板につないだままにしておくのだった。完全にこれは奴隷としての扱いである。
 雨期なので、土砂降りの雨や強い日差しにさらされっぱなしであったが、船室に入ることは許されなかった。クロウが帰ってこないと、たまらない空腹に苦しめられた。あるときなど、手枷をした不自由な姿で糸を海に垂らし、ようやく1匹の魚を釣り上げ、生のままムシャムシャと食べたこともあった。
 (なぜ、こんなひどいことが次々に起こるのだろうか?)
 ニュートンは男泣きに泣いた。そして思った。これは、自分が今まで神を冒瀆するようなことばを吐き散らし、悪いことばかりしてきたから天罰が下ったんだ…と。
 ニュートンは、はたと思い立って、また父親に手紙を書いた。

  お父さん。またしても、あなたのドラ息子は失敗をやらかしました。今、ひどい人に雇われ、奴隷のように手枷をはめられ、船につながれています。主人は、アモス・クロウというアラブ人の貿易商 人で、ブランティン島に住み、シエラレオネとの間を行き来しています。どうか、この泥沼からわたしを救い出してください。  あなたの息子 ジョンより

 彼はこの手紙を、船にやってきた商人にこっそり渡し、届けてもらったのだった。

 「ところで、お前は奴隷を扱った経験はあるか?」
 ある日突然、クロウはこう言った。
 「いいえ、ありません」
 「わたしの友人で、豪商のアフマドという男がキッタムに大きな奴隷工場を持っているんだ。商売は大繁盛で、このところ、また新しい奴隷を五十人ほど買い入れたと言っている。しかし、奴隷が反乱を起こしたり、逃亡するということはままあるものでな。そこでアフマドは、奴隷をしっかり管理できる若い男をほしがっている。それでおまえ、しばらく彼のところで働いてみる気はないか?」
 クロウのところを逃げだす、またとないチャンスなので、ニュートンはこの話を喜んで受けた。しかし、クロウはただで彼を派遣するわけはなく、アフマドから相当の金をもらっているはずだった。つまり、ニュートンは悪魔の手先として、高額で売られたのである。

【「百万人の福音」2017年7月号より】

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