《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第5話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第5話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

軍艦ハリッジ号に拉致されて

 ニュートンも18歳になった。父親は、今度こそ彼を一人前の船乗りにさせるか、貿易商人にするために修行を積ませようかと考えた。二度と再び海の仕事には就かせまいと思ったこともあったが、結局彼は生まれつき怠け者で何の仕事にも興味を示さないのだから、将来のためを思えば、やはり自分の跡を継がせるために、船で厳しく修行させるしかなかった。
 父は彼を、もう自分の船には乗せずに、また別の船長に頼んで船乗りにするために訓練してもらうことにした。その船長は父と懇意にしていたので快く承諾していろいろと準備をし、出航するばかりになったが、あろうことか、ニュートンは突然身を翻すようにして、ケント州チャタムに出かけてしまった。実は、あのメアリーに会いたくて、いてもたってもいられなくなったのである。
 キャットリット家の戸をたたくと、家族は少し驚いたようだったが、以前と同じように快く迎えてくれた。彼は、今度こそメアリーに心のうちを伝えたいと思ったが、いざ彼女と向き合うと何も言えなくなり、差し障りのない話ばかりしていた。そして、ぎこちない会話を続け、なすこともなく、ただぶらぶらと毎日を過ごすだけであった。
 チャタムの町にも何軒か居酒屋があったので、ニュートンはそのうちの一軒に入り浸るようになった。ここはロンドンのように心を奪われるものがなく、見世物小屋も賭博場もなかった。彼は居酒屋でジンやラム酒を飲んで客と話をするうちに、同年代の若者のグループと親しくなった。
 そんなある日のことであった。
 「おい、今日は港に船を見に行かないか?」
 一人が誘った。いい天気だったので、ニュートンは彼らと一緒に出掛けることにした。港にはイギリスの軍艦がたくさん停泊していた。
 「おっ、軍艦ハリッジ号も来てるじゃないか」
 友達の一人が言った。それは、父親の商船とは比べものにならないくらい巨大な姿であった。ニュートンは、すっかり見とれてしまった。
 「カッコいいじゃないか。何だかすっぽりと呑み込まれちまいそうだぜ」
 彼は、知らず知らずのうちに船着き場のほうへ歩いていった。友達の一人が呼び止める声がしたが、そのまま斜面を下った。と、その時である。いきなり4、5人の男たちが飛びだしてきて彼を囲むと、その体を拘束した。いずれも屈強な男たちである。
 「何をする! 放せ! 放せよう!」
 ニュートンは身をもがいて抵抗したが、男たちはそのまま彼を連行し、港に停泊している軍艦の補助船に無理やり乗せた。そして、海軍の兵士たちの手に引き渡すと、いくばくかの金をもらって姿を消した。その間に友人たちは柵を乗り越えて逃げてしまった。

父の後押しで見習士官に

 ニュートンは、わめいたり叫んだりしたが、助けにくる者はなかった。間もなく補助船は動きだし、軍艦もゆっくりと岸を離れた。何日かすると、ニュートンは補助船から軍艦に移された。
 このようなことは、当時頻繁に行われていたのだった。イギリス海軍は、体の丈夫そうな若者を見たら勝手に拉致してもいいことになっていた。海軍の仕事は厳しく、給料も安かったので、船員になる者の数が不足していた。そこで、「プレス・ギャング」と呼ばれる職業の者がいて、町の酒場や盛り場に身を潜めて、適当な若者を見ると、拉致して海軍に送り込んでいたのである。これは「強制徴募」と呼ばれていた。
 「海軍がおまえを必要としているんだ。上官の命令には従順に服し、不名誉なことは決してしないように」
 海軍兵士の一人が、厳しい口調で言った。その時になってようやくニュートンは、自分を拉致した者の正体を知ることができたのである。彼はうかつにも、港内の目につきやすい場所に立って軍艦を眺めていたので、あっという間に連れ去られたのだった。
 1744年、3月の出来事であった。その後、ニュートンは父親に手紙を出した。

  お父さん、わたしは港に船を見に行ったのに、イギリス海軍に拉致され、今、軍艦ハリッジ号に乗せられています。こ れから訓練が始まりますが、わたしは海軍などに入る気はありません。帰ってお父さんの船に乗りたいです。今度は誓ってまじめに働きますから、どうか、お父さんの力で海軍の上官にお願いをし、わたしを解放してください。
あなたの息子 ジョンより

 父親は、息子からの思いがけない手紙を見て驚愕した。しかしながら、この時、フランスとの間に戦争が始まってしまったので、息子が海軍に入ったのは名誉なことだと考えた。そこで父は、知人である海軍の上官に息子のことをよろしく取り計らってもらうよう頼みこんだ。ハリッジ号の艦長はこれを聞いて承知し、ニュートンを普通の船員ではなく、見習い士官の一人として扱うようになった。
 こうしてニュートンは、士官の地位に就いたが、そのうち、この待遇はまんざらでもないと考えるようになった。そして、何だか急に自分が偉くなったような気がして、自分より地位の低い船員に対して威張り散らし、あれこれと命令するようになった。そして、経験の浅い者や未熟な者を見るとイライラして怒鳴りつけた。
 「おいっ! 何をグズグズしているのだ。海軍の仕事は、すべて迅速かつ完璧に行えと軍律にあるだろうが!」
 そして、いきなり平手打ちをくらわせた。そのとき相手に反抗的な態度が見られると、さらに2発殴打し、相手を床に打ち倒すのが常だった。
 仲良くなった同じ見習い士官のジェームス・ミッチェルという若者は、ニュートンのこうした行動を目にすると、それとなく注意してくれた。
 「船の生活は何といっても人間関係が重要だからね。あんまり人から憎まれるような種はまかないほうがいいよ」「たとえ気に入らない部下でも、根気よく指導してやりたまえ。そうすれば、それはいつか、きみのためになるよ」
 ニュートンは、この友人のことばをもっともだと思ったが、相変わらず部下の中で気にくわない者や虫の好かない者がいると、人前でもかまわず怒鳴りつけたり、ときには殴りつけることをやめなかった。そのために、部下たちからひどく嫌われるようになってしまったが、少しもそれを気にかけなかった。
 その年の12月。軍艦ハリッジ号はダウンズに停泊した。この港からキャットリット家のあるチャタムまではほんのわずかであることを知ると、ニュートンの胸は躍った。
 (ああ、メアリーは今どうしているだろう。あの時、自分はなぜひとこと彼女にこの胸のうちを伝えなかったのか)
 彼は突然、メアリーの真心のこもったまなざしと、太陽のように晴れやかな微笑を思い出し、何としてももう一度彼女に会い、ことばを交わしたいという願いを抑えきれなくなった。
 「艦長、お願いがあります」
 ついに彼は、館長のところに行って頭を下げた。
 「1日でいいから、外出許可を下さい」
 艦長は、厳しい顔をして、この新しい見習い士官を見つめた。
 「きみはまだ入隊したばかりだから、外出許可はやれんぞ」
 「はい。でもお願いです。1日だけでいいから、外出させてください」
 とうとう艦長は折れた。そして、若いからたまには陸に上がって自由に行動したくもなるのだろう…と、理解を示し、「1日だけだぞ」と言って外出を許可した。

怠惰ゆえの失敗と逆恨み

ニュートンは、飛ぶようにしてチャタムのキャットリット家を訪ねた。
 「まあ、ジョン。あなた海軍に入ったの? 立派な制服を着て。よく来てくれましたね」
 エリザベス・キャットリットは目を見張り、それから誇らしげに彼を中に入れた。メアリーは、まぶしそうに軍服姿の彼を眺めながら、「ようこそ」と手を差し出した。それだけで、彼は幸せな思いになったのであった。
 一家は以前のように温かくもてなしてくれた。彼はまたメアリーと共に散歩をしたり、菜園を見て回ったりして過ごした。その間に、彼は何とかして彼女に心のうちを告げたいと焦ったが、依然として適切なことばが出てこなかった。外出許可は1日だけなので、何が何でも夕方までには軍艦に戻らなくてはならない。
 「ところで、ジョン。休みはどのくらいもらえたの?」
 この時、エリザベスが尋ねた。ニュートンは、とっさに2、3日とうそをついた。実は外出許可をもらいに行った時から、彼は艦長との約束を破るつもりだった。メアリーと共に過ごし、彼女に愛を打ち明けるには、とても1日では足りるわけはないからである。
 3日たち、4日たったが、彼はいとまを告げるようすはなかった。エリザベスは、何も言わなかった。とうとう1週間が過ぎてしまった。ようやく、彼は頃合いを見てメアリーにこう言うことができた。
 「実はメアリー。初めて会った時から、きみに対して特別な思いをもっているんだ。つまり―好意を感じている。きみがとても美しいからだよ」
 メアリーは目を見開き、じっと彼を見つめたが、当惑したような微笑を浮かべ、それからあっさりと言った。
 「そう。うれしいわ。ありがとう」
 そして、会話はそのままぷっつりと切れてしまった。
 「なんてこった」
 ニュートンは激しい失望を覚えた。
 (彼女は、この自分の気持ちなど少しもわかってはくれないんだ)
 そのまま、再びだらだらと日が過ぎて、ついに12月末日となった。さすがにニュートンはその翌日、船に戻るからと言って、いとまを告げずにいられなかった。そして、重い鎖を引きずるようにして支度をし、軍艦が停泊しているダウンズの港に向かった。

 「軍律により処罰する。ムチ打ちの刑だ! そして、ただちに降格する!」
 彼が船に戻ると、艦長は怒り狂って大声を出した。いつもは冷静で鷹揚な彼が、こんなに激しい感情をむき出しにするのは珍しいことだった。
 「ムチ打ち50回だ。すぐに執行しろ!」
 彼は、口から泡を飛ばして部下に命じた。
 「あの、艦長」
 その時、友人の見習い士官ジェームス・ミッチェルがニュートンをかばって言った。
 「彼は新参者です。右も左もわからないうちに、彼の意志ではなく強制的に海軍に入れられ、訓練を受けています。どうか、ここのところは艦長の寛大なお心で許してやってください。もう二度と軍律を破ることがないように、わたしも気をつけて監督いたしますから」
 そして、彼は身を屈め、深々と頭を下げた。艦長はミッチェルを特別に信頼していたので、ようやく怒りを収めた。
 「ありがとう。助かったよ」
 ニュートンは、ミッチェルに礼を言った。
 「海軍に入ったら、つらいこともあるだろうけれど、早くここの仕事に慣れて、このように不名誉な行動は起こさないことだね」
 ミッチェルは、彼の肩をたたいた。
 このときからニュートンは、艦長の信頼を失ってしまった。それを見て、同僚や部下たちも彼を尊敬しなくなった。しかし、彼は自分の不誠実さを反省するどころか、この軍艦の艦長に対して恨みを抱くようになったのである。
【「百万人の福音」2017年5月号より】

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