《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第21話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第21話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

新しい赴任地

 1779年12月初め。ニュートンはセント・メアリー・ウルノス教会に赴任するために、妻メアリーと養女ベッツィーと共にロンドンの地を踏んだ。
 教会の牧師館は郵便局として使われていたので、彼は教会から1・5キロほど離れたチャールズ・スクエアに借家を見つけ、そこを住居とした。3階建てのこの家は、寝室が3つ、地下室も庭もある広い家屋だった。空気がきれいで静かなオウルニィと違って、ロンドンは常に霧に包まれており、騒音もひどかった。そのために着いた当初、ニュートン夫妻は体調不良に陥ったが、彼らの心は希望に満ちており、この新しい地での牧会にすべてをささげる思いだった。

 赴任して3日めに、ニュートンはトーマス・ホーイスの訪問を受けた。
 「住まいが近くなってうれしいですよ、ニュートンさん」
 ホーイスは手を差し伸べて言った。
 「あなたの書かれた『物語』(ニュートンの自伝)は、多くの人に読まれ、彼らの心の支えとなっています」
 そして彼は、ニュートンが作った賛美歌「アメイジング・グレイス」をすでに知っており、これを含む賛美歌集を出版したいと申し出たのである。昔変わらぬホーイスの好意に感謝しつつ、ニュートンは自作の賛美歌の原稿を、クーパーのそれと併せて彼の手にゆだねた。さらにホーイスは、メアリーの症状が悪いときにはいつでもロック・ホスピタルに受け入れの用意があることも保証してくれたのだった。

 12月19日。ニュートンはセント・メアリー・ウルノス教会で、「愛をもって真理を語る」と題する初めての説教を行った。
 「夜空の星をいくら数えても数え切れず、海の深さをいくら測ろうとしても不可能なように、イエス・キリストにおける神の恵みは無尽蔵であります。
 このうえなく無知で惨めな人間―人からは唾を吐きかけられ、汚物にまみれ、罪の泥沼をはい回っていた―このわたし自身が、世界で最も主要な都市、政治と文化の中心地であるロンドンの教会の牧師とされた事実は、実に不思議な、驚嘆すべき神の恩寵であります。いくら感謝してもし足りない思いで、この『驚くべき恩寵』をみなさんと分かち合いたいと思います」
 ニュートンが、今大評判のベストセラー『物語』の作者であることを知ると、大勢の人が説教を聞くために各地から集まってきた。しかし彼は、自分がそれに値する人間であるとはまったく考えようともせず、ひたすら牧会に身をささげたのである。
 日曜日の2度の礼拝、教区民のための聖書講座、子どもの聖書教育、そして訪問や貧しい人々にパンや衣類を届ける巡回、街頭給食など、すべてオウルニィの教会にいた時とまったく同じ日課をこなした。一つだけ、以前にはできなかったことも、このたびは行うことができた。すなわち、今度の住居は以前よりも広かったので、客間をまったく開放し、多くの人がいつでも自由に出入りできるようにしたのだった。

若き国会議員からの手紙

 1785年も終わろうとする頃、ロック・ホスピタルの担当医から連絡があった。メアリーの症状が思わしくなくて、病院におけるあらゆる治療も今は意味が無くなったので、自宅で療養しつつ最期を迎えさせてあげたほうがいいのではないかという、医師としての配慮だった。そして、それはメアリー本人の意思でもあったので、彼女は自宅に戻ってきた。
 絶え間なく襲う痛みを抑えるため、医師は、麻薬の一種であるアヘンが含まれる「アヘンチンキ」の使用を勧めたが、彼女は副作用を恐れてそれを拒絶した。妻のそばにいながら、その苦痛をやわらげるために、何一つなすこともできないニュートンは、自分も苦しみながらただ祈るだけだった。
 そんなある日のことであった。実に不思議なことが起きたのである。
 1人の男が教会を訪ねてくると、黙ってニュートンに手紙を差し出した。開いてみると、次のような走り書きがしてあった。

  わたしはあなたとぜひお話がしたいので今から30分後に、会っていただきたい。それが無理なら、会える日を書いたメモを使いの人に手渡してください。しかし、私があなたに相談をもちかけたことについては、誰にも話さないでいただきたい。近頃は、議会を見物に来る人が非常に多く、議員であるわたしの顔は知れわたっていますから。

 「ちょっと待ってください。この方はどなたですか? そして、あなたのお名前も教えてください」
 ニュートンがこう言うと、男は答えた。
 「それは申し上げられません。わたしはただ、この方から、30分後にお時間を取っていただけるかどうかを聞いてくるようにと頼まれただけですので」
 ニュートンは、30分後に自宅で面会することを承知した。

 この手紙を書いたのは、ウィリアム・ウィルバーフォースというイギリス議会の下院議員だった。彼は1759年にイギリス東部の港町ハルの裕福な商人の家に生まれた。9歳の時に父が亡くなり、その数か月後に母も熱病で急死した。彼は、ロンドン郊外ウィンブルドンに住む叔父夫妻に育てられることになった。ジョン・ソーントンの遠縁に当たる叔母のハンナは熱心なクリスチャンだったので、彼はよく叔父夫妻に連れられてオウルニィに行き、ニュートンと会ったことがあった。また、ニュートンも彼らの家で聖書講座を開くことがあったので、ウィルバーフォースの心にはそれが深い感銘となって刻まれていたのである。

 彼は17歳の時、ケンブリッジのセントジョンズ・カレッジに入学した。学生時代はあまり勉強はしなかったが、頭の回転が良く、ずば抜けて演説が上手だった。そして何よりも、人の心を捉えて離さない魅力が備わっていた。祖父の死後、彼はその莫大な遺産を受け継いだので金持ちになり、大学の寮の友人たちに食事を振る舞ったりしていたので、たいへんな人気者だった。

 1780年。ウィルバーフォースは21歳の若さでイギリス議会の議員となった。彼の親友であるウィリアム・ピットは、後に首相になるが、2人は協力し合って議会を盛り上げ、後々までその親交は続いたのである。
 そんなある時、彼が政治家として大きく成長する機会が訪れた。ピットが24歳の若さで、イギリスの首相になるベく出馬すると、国民はその若さゆえに不安を感じていた。そんな時、ヨーク州で政治集会が行われた。この時演説するのは12人。あいにくの悪天候で、ひどい寒さと強風、そして雨の中で、人々はじっと演説に耳を傾けた。ウィルバーフォースの番が来た時、彼は小柄だったので、誰もがこの雨と強風の中では声は聞こえないだろうと思った。ところが、彼は講壇に立つや、まるで音楽が流れるように、なめらかにピット政権を支持する演説を行ったのである。人々は稲妻に打たれたような衝撃を覚え、やがてその声に酔いしれ、くぎ付けになったままその演説を聴いていた。演説が終わる頃には、会場のあちこちから「今回の選挙にはこの人を選ぼう」という声が響いた。ピットはこの選挙で勝って首相となり、ウィルバーフォースもヨーク州から国会議員として選出された。

 しかしながら、ウィルバーフォースは国会議員となってからも、「自分はどのような目的を抱いて政治家になったのか? 自分がやるべきことは何なのか?」と、その回答を出せずに悩んでいた。
 1784年秋。彼は家族と一緒にフランス、イタリアを旅行した。この時、彼の学生時代の恩師アイザック・ミルナーも同行したのだが、ウィルバーフォースはクリスチャンのミルナーから強い影響を受け、帰ると真剣に聖書を勉強し始めた。それと共に自分がこのまま政治家でいることに大きな疑問を感じたのである。
 (そうだ。自分は政治家をやめて牧師になろう)
 彼は即座にそう決心した。そして、かつて話を聞いて感銘を受けたジョン・ニュートン牧師のことを思い出し、相談してみようと思い立ったのであった。

奴隷貿易廃止協会

 手紙を渡してから30分後、ウィルバーフォースはニュートンの自宅を訪ねた。ニュートンは、自分の息子くらいの年頃のこの若者を、温かく迎え入れた。
 ウィルバーフォースは自己紹介をしてから、さっそく相談をした。
 「先生、わたしは自分がいかなる目的をもって議員の生活を全うすればよいか、わからなくなりました。政治家失格かもしれません。それで、自分は政治家をやめて牧師になろうと思うのですが、どう思われますか?」
 するとニュートンはしばらく目を閉じて考えていたが、彼のほうを向くときっぱりと言った。
 「あなたは政治家のままでいらっしゃい。クリスチャンの政治家として神様に仕えなさるがいい。それがみこころです」
 ウィルバーフォースは、少しばかりがっかりしたが、それを神の声と受け止めた。
 「よくわかりました。神様と人に喜んでいただけるように、政治家の世界で頑張ることにします。ありがとうございました」
 彼はこう言ってニュートンのもとを辞した。それから、ある人のことを思い出し、そのもとへと出向いた。ニュートンをさまざまな方法で援助している、あの大富豪ジョン・ソーントンである。
 ソーントンはこの頃、クラパム派と呼ばれるグループに属していて、種々の社会問題を解決し、社会改良を行うためにさまざまな運動を行っていた。彼は64歳になっており、しばしば体の不調に見舞われていたので、おもな活動は息子のヘンリーが行っていた。
 ウィルバーフォースはソーントン親子と親しく語り合った後、彼らは力を合わせて、いちばん深刻な社会問題と感じている「奴隷貿易」の廃止を目指して闘う決意をした。奴隷貿易を廃止するために以前から運動していたのは、クエーカー教徒たちだった。そこで、ウィルバーフォースは彼らに協力を求め、資料を提供してもらうことにした。

 1787年。「奴隷貿易廃止協会」が発足すると、イギリス国内は賛否両論が渦を巻いた。ウィルバーフォースとクラパム派の人々は、運動を始めてみると。国内にはこの問題に無関心な人ばかりでなく、奴隷貿易廃止に対して異議を唱える人がたくさんいることに気づいた。奴隷貿易に深くかかわり、利益を得ていたリヴァプールの商人たちや議員たちは、この法案が通れば自分たちの利益がなくなるので、強く反対を唱えたのだった。この人たちの目を開かせるためには、奴隷貿易がすべての人にとって害であることを具体的な資料を通して示す必要があった。
 「そうです。実際の資料がものを言うのですよ」
 ヘンリー・ソーントンが強調した。
 「そして、それを議会に提出し、法律の力によって実現させるのです」
 「しかし、いったい誰がそんな資料を作成できるでしょう?」
 そう言いかけて、ウィルバーフォースは口をつぐんだ。実際にそんな人はいるわけがない。人道的な立場から反対を唱える人はいるだろう。しかし、いかに情熱を傾けて「奴隷貿易はいけない。それは罪だ」と訴えても、具体的な例を示さなければ、それは単なる感傷であり、空論に終わるだろう。また、その害を具体的に述べて一つ一つ立証したとしても、彼自身が実際にそれを経験していなければ説得力はなく、なぜそれが害となるのかを人々に伝えることはできないのだ。
 「その資料を作れるのは、奴隷貿易が不正なことであり、罪悪だという強い確信をもっており、なおかつ過去において実際に奴隷貿易に携わった経験をもつ人でなければならない」
 ジョン・ソーントンは言った。
 「それは―あの人です」

【「百万人の福音」2018年9号より】

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