《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第18話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第18話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

病める詩人

 1765年11月、秋も深まる頃のこと。ケンブリッジシャーのハンティントンという町の、ある古風な家の庭先で、一人の若者がうつむき加減で本を読んでいた。
 「読書ができるようになったんだね。もう大丈夫だよ」
 そこへやって来たウィリアム・アンウィンという彼の友人が、声をかけた。
 「―で、きみをそんなに夢中にさせているその本は、いったい何だね?」
 「ジョン・ニュートンという牧師が書いた回想録だよ」
 若者は、憂鬱そうな顔をして、『物語』と題する書物を見せた。それは今評判になっているベストセラーだった。
 「ぼくはこの本と出合って、少しは人生に希望がもてるようになった。どんなにひどい人生を送った人も、きっと救われると書いてあるからね」
 この若者は、ウィリアム・クーパーという詩人で、重い鬱病を患っていた。彼の父親は牧師で、大学で役職にも就いていた。祖父は裁判官、そして曽祖父は大法官という家柄に育ち、彼の家系には法律家の血が流れていた。しかし、彼自身は子ども時代のつらい経験が原因で、以前から鬱症状に苦しめられていたのである。
 きょうだいは多かったが、3人の兄弟と2人の姉妹が相次いで亡くなり、残ったのは兄のジョンとクーパーだけであった。クーパーが6歳の時に母が亡くなり、父は彼を学校の寄宿舎に入れた。しかし、彼はここでひどい「いじめ」に遭い、人が信じられなくなって対人恐怖症に陥った。10歳になると「ウエストミンスター学校」に入り、卒業する頃にはラテン語が上達していた。
 卒業すると、ロンドンの法律事務所に見習いとして入り、2年間働いた。その間に、いとこのセオドラ・クーパーと恋に落ちて結婚の約束をするが、父親の反対に遭い、破棄されてしまう。絶望したクーパーは、ますます人が信じられなくなり、人生に希望がもてなくなった。
 見習い期間が終わると、彼は正式に弁護士の資格を与えられたが、どこにも就職口はなく、また、就職活動をする気力もなかった。しかし、彼はこの頃から詩を書き始め、それだけがわずかに慰めとなった。
 そのうち、イギリス議会の書記をしてみないかという誘いがあったので、面接に臨んだ時、思いもかけない障害が起きた。人前で口をきくのが苦痛で、ほとんどしゃべることができず、結局試験に落ちてしまったのだ。彼はその後自殺を図ったが未遂に終わり、この時から、子ども時代の恐ろしい体験も影響して、重い鬱病になってしまったのであった。
 1763年12月。クーパーは、兄のジョンに連れられてセント・オールバンズにある精神病院に入院した。幸いなことに、ここでナサナエル・コットンというクリスチャンの医師と巡り会い、ようやく人間に対する防御をわずかに緩めることができた。この医師は診療の合間にクーパーにイエス・キリストの救いを語り、また、好きな詩を書き続けるように励ましたので、彼は少しは精神の安定を取り戻したかに見えたのだった。
 退院すると、兄のジョンはケンブリッジシャーのハンティントンに家を借り、そこで兄弟一緒に生活することになった。クーパーは、寂しさをまぎらわすために近くの教会に通い始めたのだが、この教会の副牧師、モーリー・アンウィンの息子ウィリアムは、何やら事情のありそうなクーパーを見て親切にし、自宅に誘って何かといたわった。父のモーリー、母のメアリー、そしてウィリアムの妹も彼を家族同然に温かく迎えたので、クーパーは彼らに心を開き、始終遊びに行っていたのである。
 「きみがニュートン牧師の『物語』に出合ったのは幸いだったよ」
 ウィリアム・アンウィンは言った。
 「あの人のことばは、どんなに絶望した人をも立ち直らせる力があると言われているんだ」

運命の出会い

 それから2年後の夏のことであった。恐ろしい悲劇がアンウィン家を襲った。父のモーリー・アンウィンは集会に行くために馬を飛ばしていたところ、落馬して頭を強く打ち、絶命したのである。彼が家族と共に住んでいた家は教会が所有するものだったので、家族は間もなくこの家を出なくてはならなくなった。この頃にはクーパーもアンウィン家に下宿していたので、同じく家を失うことになった。いったいどこへ行けばいいのか? 彼らは悲嘆に暮れ、神に助けを祈っていた。
 モーリーの葬儀が済んだその晩。一同が、これからどうしようかと話し合っている時であった。まるで奇跡のようなことが起きた。
 突然の来客があったので出てみると、大柄でいかつい顔つきの男が戸口に立っていた。その名を聞くや、アンウィン家の者たちは仰天した。それは、一家が尊敬している『物語』の著者、ジョン・ニュートンその人ではないか。
 たまたまニュートンは、知人をアンウィン家の当主モーリーに引き合わせるために、紹介状を持ってはるばる訪れたのであった。彼の目に映ったのは、モーリーを亡くして嘆き悲しみ、途方に暮れる家族の姿であった。彼らが、すぐにでもこの家を立ち退かなくてはならないことを告げると、即座にニュートンは言った。
 「あなた方のために、何とかして借家を見つけてあげましょう。ですから、それまではオウルニイに来て、わたしと一緒に住まわれるといい」
 「それはご親切にありがとうございます」
 メアリー・アンウィンは、やつれた顔に微笑を浮かべて礼を言った。
 「でも、その親切に甘えるわけにはまいりません」
 「わたしは今、一人でガランとした牧師館におります。というのも、妻が市内の病院に入退院を繰り返しておりましてね。現在は入院中で、2か月ほどは帰れないでしょう。借家が見つかるまで、わたしの所にいらっしゃるといい。遠慮はいりません」
 どこまでも親切にニュートンが言うので、ようやくアンウィン家の人々はその好意を受け入れ、1767年9月、オウルニイに引っ越してきたのだった。そして、ニュートンを中心に本当の家族のように、教会の牧師館で暮らし始めた。
 「わたしは、あなたの書かれた『物語』を読んで勇気を与えられました」
 クーパーは、はにかみながらニュートンに言った。
 「そのぅ…自分はひどい鬱病にかかっていましてね。時々人生がはかなく思えて、自殺したいという願望に駆り立てられるのです」
 そして、自分の人生をポツリポツリと語るのだった。
 ニュートンは、なぜかこの若者がまるで自分の弟のように思えて、たちまち親近感を覚えた。それから、彼らは折にふれていろいろと語り合うようになったが、彼らの人生は驚くほど似ており、それぞれの人生を重ね合わせると、ピタリと合うほどだったのである。
 まず、2人とも6歳の時に母親を亡くしている。それから、学校生活が惨めだったことも同じだった。ニュートンはヒギンス教授にいじめ抜かれ、クーパーは級友たちの陰湿ないじめに遭い、成人してからもその恐ろしい体験の記憶に縛られ、人格をゆがめられてしまった。さらに彼らは、人生のどん底で神と出会った体験をもっていること。そして最後は、2人ともラテン語やギリシャ語といった語学の才能をもち、詩を書くことができるということであった。この2人の出会いには、実に不思議な神の導きがあったのである。

賛美歌「暗闇に輝く光」の完成

 ところで、ジョン・ニュートンが牧師就任以来始めた「子どものための聖書教育」は、今ではオウルニイの町で知らない者がいないほど評判になり、人々は自分の息子や娘を教会に送り込んできた。初めは100人足らずの子どもから開始したのに、近頃は総勢2000人を越えるほどになっていた。教会堂に入りきらなくなったので牧師館や庭を使い、時間も少しずつずらして何とか続けてきたが、最近ではそれも難しく思われた。
 そのとき、ニュートンの援助者であるあのダートマス伯爵が、再び力を貸してくれ、町はずれにある「グレート・ハウス」と称する彼所有の建物を提供してくれたのだった。ニュートンはたいそう喜び、この建物を子どもたちだけではなく、大人の集会にも使いたいと考えた。
 (この建物を、常に祈りと賛美の声が響きわたるような場所にしたいものだ)
 彼は心の内につぶやいた。

 開所式は1769年4月17日と決まり、ダートマス伯爵をはじめ、世話になった財界の人々をも招いて礼拝が行われることになった。ニュートンは少し前から少年少女による聖歌隊を作り、これを育てていたので、この礼拝の折に彼らの歌を披露しようと考えた。
 そうした準備に明け暮れしていたある日。聖歌隊の練習風景を見ていた彼はふと思った。
 (この賛美歌は、少しテーマと曲が暗すぎるな。子どもも大人も、もっと彼らのことばで賛美できるような歌があったらいいのだが)
 その日の夕方。ニュートンはいつものように、クーパーと一緒に川沿いの道を散歩しながら語り合っていた。この頃には、クーパーとアンウィン家の家族は、ニュートンが見つけた借家に移り住んでいた。そこは教会のすぐ近くだったので、クーパーは毎日のようにニュートンと会っていた。
 「クーパーさん。今日はぜひあなたの力を借りたいのです」
 突然、ニュートンはこう切りだした。
 「実は、今度の開所式に聖歌隊に歌わせる曲目を考えているんですが、どうも良いものがありません。それで、みんなが一つとなって歌えるような新しい賛美歌を作りたいのです。わたしも少しは詩が書けますが、あなたのように魂の底に届くようなことばを考えることができない。それで、あなたが主体となって2人で賛美歌を作りませんか?」
 クーパーは驚いたようにニュートンを見つめていたが、首を横に振り、頭を抱えた。
 「このわたしには、神様を賛美する歌なんかできません。わたしはもう、鬱病から回復する見込みはほとんどないことを自分で知っています。歌が作れるのは、神様の祝福に輝いている人だけです」
 「いいえ、それは違う」
 ニュートンは、彼の肩に手を掛けた。そして、自分はとても人前で語ることができないほど罪深い生活をしてきた人間であること、それにもかかわらず神は罪人であるこの自分に、驚くべき恵みを注いでくださったことを切々と語った。
 「あなたには負けました、ニュートンさん。やってみることにしましょう」
 ようやくクーパーは承諾したのだった。
 二人はまず、賛美歌の主題を決めるためにいろいろと話し合った。クーパーは、ニュートンの手から聖書を受け取ると、あちこちめくっていたが、やがてイザヤ書に目を留めた。
 「こういう主題はどうでしょう?」

 「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる 光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の 上に光が照った」(イザヤ9章2節/口語訳)

 クーパーの感性にニュートンは驚いた。
 「すばらしい! これでいきましょう。この記念すべき『グレート・ハウス』開所式にふさわしいテーマです。すべての人の心に希望の火がともされますように」
 新しくできた賛美歌「暗やみに輝く光」は、当日、聖歌隊によって披露され、多くの人に感動を与えた。この時から実に1772年まで、ニュートンとクーパーは、共同で賛美歌を作る仕事に奉仕し、それは後に『オウルニイ賛美歌集』として出版されたのである。

【「百万人の福音」2018年6号より】

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