《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第16話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第16話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

堅実に生きる日々

 ニュートンは、かくしてリヴァプールの税関職員として新しい生活の第一歩を踏みだすことになった。仕事の内容は、港の状態を調べる測量の仕事と、もう一つは入港する船の荷物を点検し、それにかかる税金を徴収することであった。収入も良く、ニュートンの下には部下が60人もいた。事務所は広々としており、暖を取るための火も、仕事をする手元を照らすろうそくもあった。また、個人的に使用することができる小舟も与えられ、それを操縦する舵取りと、6人のオール漕ぎがいた。
 ニュートンは公職に就くと、誠心誠意仕事に没頭した。彼は一切手抜きをしないで丁寧に測量の仕事をこなし、誠実な態度で入港してくる船の船長や船員たちと接し、荷物の点検を行った。それだけでなく、彼らの中に航海に未経験な者がいると、自分のかつての経験を生かし、航海に出る際に海上で遭遇する危険の避け方や、天候の見分け方などを助言してやるのだった。
 「あの人は若いのに、役人づらをすることもなく、とても親切にいろいろ教えてくれるよ」
 一人の船長がこう言ってニュートンのことを褒めちぎったので、港で働く者たちの間にこの新しい税関職員のうわさが広がった。また、その誠実な勤務態度を見て、部下たちは皆彼を尊敬し、立ててくれた。上司もニュートンの仕事ぶりを評価し、彼が仕事をしやすいように、あらゆる便宜を図ってくれるのだった。
 こうしてニュートンは、役所内のすべての人に信頼され、親しまれた。しかし、彼は少しも偉ぶったり、部下に対して横柄な態度を取ったりすることなく、心を込めて仕事をし、どんな人にも親切な態度で接することを忘れなかった。
 一方、日曜日になると、ニュートンは必ず教会に行って礼拝を守り、説教を聞いた。いつぞや、彼をあれほど感動させたメソジスト派の巡回伝道師ジョージ・ホイットフィールドがリヴァプールに来ると、その説教を聞きに出掛け、2週間に14回も彼のもとを訪れて個人的に教えを乞い、一緒に食事をすることもあった。
 彼がホイットフィールドに引きつけられたのは、それまで見てきた聖職者とまったく違う資質を感じ取ったからであった。この伝道師はただ壇上から人々に説教をするのではなく、社会の底辺にいる貧しい人や病人、寡婦、孤児のもとを訪問し、共に祈り、聖書の教えを語って慰めを与えた。時には、生活困窮者のために寄付を募り、食物や毛布などを持って訪れることもあった。
 その日も、ニュートンがホイットフィールドの集会に行くと、そこにはリヴァプールの町に住む手工業者や港で働く者たち、仕立てなどの内職をして生計を立てている主婦たちが詰めかけていた。

  「その聖なるすまいにおられる神は   みなしごの父、やもめの保護者である」          (詩篇68:5/口語訳)
 
 ホイットフィールドは聖書を読み上げてから、声高らかに語り始めた。
 「社会的弱者のためにこそ福音は語られなければなりません。なぜなら、イエス・キリストはこうおっしゃったからです。『最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』と。ですから、伝道と社会事業は、ちょうど車の両輪のように一緒に行われるべきです。わたしたちのなすべきことは、キリストがそうされたように、最も惨めな人々を訪ね、慰めを与えることなのです」
 彼の説教は、ニュートンの胸に慈雨のような温かさをもってしみ込んでいった。この伝道師が属するメソジスト派というのは、ジョン・ウェスレーによって作られた教団で、社会改良や社会事業を伴う巡回伝道に力を注いでいた。ホイットフィールドの説教を聞くうちに、ニュートンは次第に、伝道というものは弱者の痛みに触れなくては全うできないことを教えられたのである。

召命に応えて

 1750年代のリヴァプールは、ヨーロッパ最大の奴隷貿易の港だった。イギリス船だけでも100隻以上あった。奴隷も外国からの輸入品とみなされているので、これに関税がかかる。船長たちは、税関職員に規定の金を払うわけだが、それ以外にも「礼金」を渡す習慣があった。これは一種の賄賂であり、税関職員のポケットマネーになっていた。リヴァプールの町の人々はこれを問題にして、税関の赤レンガの建物の前を通るたびに職員の悪口を言っていた。
 ニュートンにとってもこの賄賂は、収入の半分を占める額になっており、家計をかなり潤していた。彼は金の魔力に引きずられそうになり、この金を賭博に使ってもっと増やそうか―などと考えたこともあったが、すぐにはっとして、これはもしかしたら悪魔の誘惑かもしれないと考えた。そんな時、彼はホイットフィールドの紹介で、メソジスト教団を作った巡回伝道師ジョン・ウェスレーと会った。ニュートンは、早速ウェスレーに賄賂のことを相談した。
 「それで先生、わたしはこの先ずっと規定以外のお金をもらい続けていいものでしょうか?」
 すると、ウェスレーは、悲しそうに微笑してから首を振った。
 「それはいけませんね、ニュートンさん。どう言い訳をしようとも、それは賄賂でしょう? あなたは決められた関税だけを徴収し、賄賂のお金はきっぱりと拒絶なさるがいい」
 ニュートンは、心から尊敬するウェスレーの忠告を受け入れ、誘惑に負けそうになった自分を反省した。そして、以後船長たちからもらう賄賂は一切受け取らないと宣言し、それを忠実に守った。
 「ばかだなあ、きみは。誰もがやっていることだから、拒絶することはないのに」
 「いい小遣いになるんだよ。黙ってもらっておけばいいんだよ」
 同僚は驚いてニュートンに忠告した。しかし、彼は決して誘惑に負けることはなかった。
 1756年。イギリスは、フランスやスペインを相手に「七年戦争」を始めた。こうした状況から、フランス海軍がリヴァプールの港に侵入したので港は閉鎖され、使用することができなくなった。そして、税関職員は仕事がほとんどなくなり暇になってしまった。彼らは本を読んだり、談笑したり、町に出掛けて暇をつぶしたりするしかなかった。そんな時、親しくしている同僚の一人が町の古本市で買ったと言って、1冊の本をニュートンに差し出した。
 「きみ、よかったらこれを読まないか? どうもわたしはラテン語が苦手でね。本の内容がさっぱりわからないんだ」
 それは、トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』という本だった。その時、ニュートンの頭にかつて見た光景が稲妻のように浮かび上がった。あの沈没を免れたグレイハウンド号の船室で、昼寝をするスウォニク船長の傍らに落ちていた本だ。彼はそれを拾ってぺらぺらとめくったきりで放り出してしまったのだが、あの本が今、目の前にあるではないか。
 ニュートンは、同僚からもらったこの本をむさぼるように読み始めた。そして、その間に涙が止めどもなく流れ落ちるのであった。
 (ああ、今こそわかった)
 彼は心のうちにつぶやいた。
 (わたしの人生は、罪深い者に注がれる驚くべき神の恩寵によって導かれていたのだ。そうであれば残る生涯は、この恩寵をすべての人に証しするために用いていただかなければならない)
 今や彼に残されているのは、一つの道しかなかった。それは、かつての自分のように希望を失い、罪の泥沼に沈むすべての人々に、この神の驚くべき恩寵を告げ知らせることである。それには、聖職者となるよりほかにすべがなかった。ニュートンはこの日、自らが聖職者として立つ決意をした。そして、英国国教会の牧師になるための勉強を始めたのである。

奴隷商人と正反対への道へ

 1758年12月20日。ニュートンは英国国教会牧師を志願し、リヴァプールの教会全体を管理しているヨークの大司教に「聖職叙任(聖職者として任命を受けること)」を申し込んだが、断られてしまった。その後も、いろいろな聖職者に会って推薦を願ったが、ことごとく断られたので、彼はすっかり自信をなくして落ち込んだ。
 彼が英国国教会の牧師として認められなかった理由は幾つかあった。1つめは、ニュートンが大学で教育を受けていなかったことである。当時、国教会の牧師になるには、ケンブリッジ大学かオックスフォード大学を出ていなくてはならなかった。2つめは、彼がメソジスト派やその他の宗派の牧師たちと親交があり、彼らの影響を受けていることだった。英国国教会は何よりも伝統を重んじ、極端を嫌い、正統的なものを受け入れる宗派だったのである。それゆえ、巡回伝道や路傍伝道に参加したことがあると言えば、それだけで排除される十分な理由となった。ましてや、刑務所や病院を訪問したり、生活困窮者を助けるための社会運動に参加するなどもってのほかであった。そのようなわけで、すべての窓口が閉ざされ、ニュートンは失意の日々を送っていた。

 それから数年後。彼の力になってくれる有力な人物が現れた。ロンドンのロック・ホスピタルという病院の、病院付き牧師であるトーマス・ホーイスという人であった。ちょうどその頃、ニュートンは何人かの友人にあてて、自分のそれまでの人生をつづった回想録を手紙に書いて送っていた。ホーイスもその一人だったのである。
 ホーイスはこの手紙を読んで深く感動し、自らニュートンを訪ね、手紙を多くの人に読ませたいので書き直すことを勧めた。そこでニュートンは、改めて14通の手紙に自分の回想をつづった。(注・この手紙は後に『物語』というタイトルで出版された)
 ホーイスは、その手紙の写しを有力者たちに配ったのだった。ダートマス伯爵もその一人だった。彼は位の高い貴族で、政界に大きな影響をもつ人物だった。また、イギリスの君主ジョージ3世の友人でもあり、イギリスの中南部バッキンガムシャーのほとんどの土地を所有する大地主でもあった。一方、こうした絶大な権力をもちながらも、彼は謙遜で信仰が篤く、貧しい人々への慈善活動でもよく知られ、人々から尊敬されていた。
 「…そのようなわけで、何とかあなたのお力でジョン・ニュートンを聖職者としてどこかの教会に推薦していただけないでしょうか? 彼は本気で牧師になりたいと願っているのです」
 ホーイスは、改めてダートマス伯爵にニュートンの意志を伝えた。(注・当時は貴族も聖職者の任命権をもっていたと言われる)
 「わかりました。何とか努力してみましょう。おお、そうだ! そういえば…」
 ダートマス伯爵の頭に、ふと良い考えが浮かんだ。彼の管理する土地にオウルニイという町があり、そこのセントピーター・アンド・セントポール教会の牧師が1764年初めに辞職して、それ以来、後任が決まっていなかったことを思い出したのである。
 「ニュートンさんをこの教会の牧師に推薦してあげましょう。会衆も、早く新しい牧師が来てくれないかと心待ちにしておりますので」
 ホーイスは、早速ニュートンにこの話をした。ニュートンは大喜びでこれを承諾し、その後、リンカーン主教のグリーン博士に会い、口頭試問を受けた。その結果合格となり、1764年6月29日、正式に英国国教会の牧師となったのである。
 ニュートンが税関職員の職を辞するために辞表を出すと、上司をはじめ同僚や部下たちは皆残念がり、引き止めた。彼自身もこの職場に執着はあったが、神の召命に応え、新しい道を歩む準備はすでにできていたので、一人一人と抱擁を交わし、祝福を祈った末、メアリーと共にオウルニイへと出発した。

【「百万人の福音」2018年4月号より】

< 第15話へ第17話へ >

百万人の福音をもっと読む