《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第14話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第14話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

恐るべきは、神の愛

 1753年6月30日。ニュートンは今度はアフリカ号の船長として、奴隷貿易の航海に出た。シエラレオネのフレンチマンズ・ベイに着くと、港にはすでにイギリスの商船が3隻と、アメリカ、フランスの商船それぞれ1隻ずつが停泊していた。激しい奴隷貿易の競争の中で、奴隷を得るのが次第に難しくなってきたが、ニュートンは半年かけて少しずつ奴隷を買い集めたのだった。
 次にペンス島に着くと、そこに巨大な奴隷工場があるのが目についた。
 「こんな島に、これほど大きな奴隷工場があるなんて意外だな」
 ニュートンは、そこで知り合った自分と同じイギリスの奴隷商人に言うと、彼は片目をつぶって言った。
 「そりゃあんた、この島の奴隷には、イギリス議会の下院が金を出しているからな。なにせ、わが国の財政はこの貿易で潤っているんだ」
 「なるほど。それにしても、これほど多くの奴隷をいったいどこから調達してくるんだろうか?」
 なおもニュートンが尋ねると、彼は卑しい笑いを浮かべてささやいた。
 「土地の部族の首長から買いつけても限界がある。だから、たくさんの奴隷を集めるにはちょっとしたコツがあるんだよ」
 「そのコツとは?」
 「誘拐してくるのさ。とびきり上等の餌をつけてね。若い男はもうかる仕事があると誘えば飛びついてくるし、若い女には宝石や服をちらつかせて、いい男を紹介してやると言えば、家や子どもを捨ててやってくるさ」
 この航海の間にも、以前と同じ問題がもち上がった。奴隷の反乱である。今回は、5人の奴隷が中心となって反乱を起こそうとしているところを見つけて、素早く防ぐことができた。企てた男たちを甲板に引いてきて取り調べると、ナイフと石のみが見つかった。
 「こいつらは死刑ですね」
 一等航海士が言った。しかし、ニュートンはいかなる場合でも奴隷を殺すことは大きな損失であるから、拷問にとどめようと思った。そして、5人の男にまずムチ打ちを課した後、その親指を工具に挟み込んで締めつけ、ほぼ一日中これを繰り返すように部下に命じた。その年の8月。船はリヴァプールに戻った。

ジェームス・ミッチェルとの再会

 それから2か月後。ニュートンは同じアフリカ号で、今度はセント・クリストファー島に向かうことにした。この島にはまだ他国の奴隷商人たちが足を踏み入れていない場所があることを耳にしたからである。港で出航の準備をしていると、別の商船の船員らしき男がつかつかとやってきて、声を掛けた。
 「おまえさん、ジョン・ニュートンじゃないかね?」
 ニュートンも相手を見、飛び上がるほど驚いた。それは、あの軍艦ハリッジ号で同じ見習い士官をしていたジェームス・ミッチェルではないか。
 彼は驚くほど変わっていた。手入れしていないひげと髪はボサボサで、長年過酷な天候にさらされてきたと見える皮膚はひび割れ、痩せた体をこごめるようにして、引っきりなしに咳をしていた。どこを探しても、あの見習い士官の頃の堂々とした優美な面影を見いだすことはできなかった。
 「やあ、あの時は何かと世話になった」
 ニュートンが手を差し出すと、彼は震える手でそれを握った。出航まで間があるので、2人は並んで歩きだした。そのうち、浜の一角に廃船が打ち捨てられているのを見つけ、彼らは船べりに腰を下ろした。
 「飲むか?」
 ニュートンがポケットからラム酒の小瓶を出して勧めると、ミッチェルは引ったくるようにして飲み始めた。そして、赤く濁った目をギョロつかせてニュートンをじっと見つめた。
 「おまえさん、ずいぶん落ち着いてきたな。もっとも、あれから10年近くたつからな」
 「きみは、ずっと海軍の士官をしていたんだろ?」
 ニュートンが言うと、彼は首を振り、ペッと唾を吐いた。
 「海軍なんて聞こえはいいが、やり方は最低だぜ」
 ミッチェルは語った。見習い士官から士官に昇格した時、これを妬む同僚が艦長に告げ口をし、艦長はそれを信じてしまい、ある日突然、彼をポルトガル商船の船員と交換させたのだという。
 「それから、いいことはこれっぽちもなくてさ。金を稼ぐために奴隷貿易を始めた」
 ミッチェルは肩をそびやかし、ラム酒の瓶を空にしてしまった。そして再び咳き込み、血の混じった痰を吐き出した。
 「だがな、黒い真珠の呪いはそりゃもう凄まじいもんだぜ。おれはな、実を言うと悪魔に魅入られて、永久にやつらから呪われるような、最低のことをやっちまったんだ」
 そして、彼は喉が破れるかと思うほど咳き込み、血を吐きながら船べりに突っ伏した。
 「大丈夫か?」
 その背をさすってやると、彼は身を起こして言った。
 「ま、話を聞いてくれ。…5年前になるが、おれはある商船の船長として奴隷貿易に従事していた。あれは、アフリカ西海岸で百人ほどの奴隷を買って船に積み込み、西インド諸島に向かった時だった。うかつにも、十分な飲み水を確保しないまま出航したことに気づいた。戻るには遅すぎた。ちょうど乾期で日照りが続き、雨水を蓄えることもできない。船員たちは不安そうにしていた。
 『船長、これでは奴隷たちに与える水がないので、彼らは確実に死にますよ』
 一等航海士が近寄ってきてささやいた。その時だった、悪魔のような計略が頭にひらめいたのは。おれは、こっそりと彼に命じた。
 『奴隷が船内で死ねば、その損害は船主が補わなくちゃならないが、暴風雨のような自然災害で死んだことにすれば、保険会社から保険金がもらえるじゃないか』
 一等航海士は、すぐにその意味を理解し、船員たちに手伝わせて、奴隷全員を手枷足枷を付けたまま海に投げ込んじまった」
 ニュートンは、恐ろしい衝撃を受けた。
 「…確かに、保険会社は高額の保険金を払ってくれた。だが、このことがあってから、本当におれの人生は呪われて、掃き溜めを漁るようなあさましい生活しかできなくなっちまった。今は、船で雑役をさせてもらって食いつないでいるけどな。あげくの果てには不治の病まで背負い込んじまったよ。あと余命2か月さ」
 それから、立ち上がると、ニュートンの肩に手を掛け、じっと顔を見つめた。
 「あの軍艦で、何度おまえをかばってやったことか。…ずっとおまえが好きだったよ。ここで会ったのも天の配剤と思って、最後にひと言だけ言わせてくれ。ニュートン、今なら間に合う。奴隷貿易から手を引け。悪魔に内臓を食われちまうぞ」
 そして、再びポンと彼の肩をたたくと、咳き込みながら、ふらふらと立ち去った。

恐るべきは、神の愛

 奴隷貿易の競争は激しさを増し、今回は200人の奴隷を買い込む予定が、セント・クリストファー島では87人しか集めることができなかった。予想外の結果にニュートンはぼう然とし、すっかり気落ちしてしまった。
 しかし、この島において思いがけない出会いが彼を待っていたのである。滞在中に、彼はロンドン出身のある商船の船長に会った。アレキサンダー・クルーニーという名前で、敬虔なクリスチャンだった。ニュートンは、その柔和で温かな人柄に引きつけられ、不思議に彼の前では悪態をついたり、けんかを売ったり…ということができなかった。そして、聖書に造詣の深い彼に、キリスト教のことをいろいろと教えてもらうのが楽しみになったのである。
 クルーニーのほうも、ニュートンに親しみをもち、その日以来、2人は1か月近く互いの船を行ったり来たりしながら親交をもったのであった。
 クルーニーは、ニュートンが読む聖書個所に丁寧に注釈をつけてくれた。そのために、ニュートンは驚くほど早く聖書のメッセージを理解することができたのであった。
 「旧約と新約を通して、聖書はたった一つのことしか言っていません。それは、人間が罪人であること。そして、その罪人である人間を愛するゆえに神は人となってこの世に来られ、十字架の上で罪を贖ってくださったということです」
 クルーニーのことばに、なぜかニュートンは過去のことを告白したくなった。
 「わたしは幼い時に母を亡くしました。母は口癖のように神は愛であると言っていたけど、自分にはその意味がわかりませんでした。あまりに早く母と引き離されたものだから、わたしはひねくれた性格をそっくり残したまま、年を重ねてきました。そして、船乗りになってからは荒くれた生活をし、酒を飲んでは人と争い、奴隷貿易で金をもうけては、それを快楽のために使ってきました。暴言を吐き散らし、妻を何度泣かせたことでしょう。こんな自分を神様は、何度も危険や死の淵から救い出してくださったのに、わたしは本心から感謝することがありませんでした。実にバチ当たりな人間です。こんな人間、地獄に落ちて火で焼かれて当然と思っています」
 すると、クルーニーは厳かに言った。
 「神様の裁きは愛の上に立ったものであることを知らないのですか? それは人間を滅ぼすためではなく、救うためにあるのですよ。『罪が増し加わるところに、恵みがいや増す』ということばが何度も聖書で語られています」
 ニュートンは、はっとした。あの亡き船医ロバート・アーサーも同じことを言っていたではないか。
 ニュートンは、しばらく考えていたが言った。
 「何となくわかったような気がします。では、その神様というのはどういう方であるか、実例で示していただけないでしょうか?」
 クルーニーは、微笑すると語りだした。
 「もう何年も前にロンドンで大火がありました。火元はある商家だったのですが、母親と幼い女の子が逃げ遅れ、駆けつけた人々が何とかして2人を救い出そうとしたのですが、すでに火の回りが早く、手の施しようもありませんでした。もうだめだと悟った母親は、自分の衣服を脱いで女の子にかぶせ、そして、両手でしっかりと抱きしめると、その上に身を伏せたのです。この時、家が崩れ落ちました。数時間後に、母親は焼死体で発見されました。しかし、その胸の中にしっかりと抱かれていた女の子は無事だったのです。神様の愛は、これに似ていると思われます。
 ニュートンさん、神様はわれわれ罪人の一人すらも滅びることを望まれません。焼かれようとする子どもの上に母親が身を伏せるように―ことばは肉となった。つまり、イエス・キリストがわたしたちの代わりに十字架で死に、罪を贖ってくださったのですよ」
 その時、ニュートンの心の中で稲妻のようにひらめいたものがあった。彼は、あの嵐の時に沈みゆく船のポンプの側に立っていた方こそ、イエス・キリストであることを知ったのである。
 「恐ろしい方ですね、神様は」
 ニュートンはつぶやいた。その恐れとは、地獄に投げ込まれる恐れではなく、海よりもなお深い愛に対する畏敬の念であった。彼は今、心の底から神が恐ろしくなった。

 1か月はあっという間に過ぎ、別れの日がやってきた。
 「また、どこかでお会いしましょう」
 「お元気で。聖書の話ありがとうございました」
 二人は手を握り合った。この時、ニュートンの心の中で何かが変わっていたのである。
【「百万人の福音」2018年2月号より】

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