《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第13話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第13話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

罪が増すところに恵みの光が差す

 1750年8月11日。ニュートンはアーガイル号の船長としてリヴァプールを出航した。この船は140トンの2本マストの商船だった。ゆったりとした間取りに作ってある気持ちのよい船室で、彼は暇を見ては、メアリーと約束したとおり聖書を読んでいた。
 (何とも退屈な読み物だなあ。しかし、メアリーの頼みだから終わりまで読むか)
 彼は、難しいところは飛ばしながら、少しずつ読み進めていった。
 航海に出て10日後、次の港コーンウォールに着いた時のことであった。ニュートンは驚くべき知らせを受け取った。父親のジョン・ニュートンが事故で死亡したというのである。彼は、ハドソン川で水泳をしている最中に溺死したのであった。
 ニュートンは打ちのめされて、立ち上がることができなかった。やっと父親のことが理解できたというのに、二度と会うことのないまま永遠の別れをしなくてはならないのか。彼はいつものように冗談口をたたくことも、流行歌を口ずさむこともしなくなり、一人でボンヤリと甲板に立ちつくすことが多くなった。
 その日も、彼が聖書を読む気力もなく、ポケットに入れてあるオランダ・ジンの小瓶を傾け、酒をしたたか喉に流し込んで、テーブルに身をもたせかけていると、誰かの手がその肩に掛けられた。振り向くと、それはこの船に一緒に乗り込んだロバート・アーサーという医師だった。
 「お酒は時には体にいいこともあるが、多くの場合、害になりますよ」
 彼は優しい口調で言うと、小瓶を取り上げた。
 「どうなってもいいですよ」
 ニュートンは、テーブルに突っ伏した。
 「わたしは親不孝者で、父親を困らせてばかりいました。それだけでなく、父がわたしのためにしてくれることをすべて曲げて受け取り、父を悪しざまに言ってばかりいた。そうして、やっとこの頃になって父と心が通じ合い、わかり合えるようになったと思ったら、再び会うことのないまま、父は亡くなりました。一言、『ありがとう』と言いたかったのに。結局、わたしは人を困らせたり、苦しめたりすることしかできない人間なんです」
 すると、アーサー医師は、そっと彼の肩を抱いて言った。
 「わたしたちは皆、心や人生に傷を負った者ばかりです。完全な人間などいませんよ」
 そして彼は、テーブルの上に広げられた聖書に目を止めた。
 「おや? 聖書を読んでおられるんですね」
 そして、聖書をめくっていたが、突然、「放蕩息子」について書かれた箇所(ルカの福音書15:11~24)を読み始めた。
 「この父親は、自分に背いても、罪を重ねても、なおわたしたちの魂を追い求め、救おうと手を差し伸べる神様の姿を表していると言われています」
 「しかし、あきれるほどばかな父親だな」
 ニュートンは吐き捨てるように言った。
 「そんなドラ息子、もし帰ってきても、どなりつけて中に入れないのが普通でしょう?」
 「出来の悪い子ほどかわいいということばがあるでしょう? 世の中の親でさえそうなのだから、まして神様は罪の深い人ほど、これをあわれみ、救おうとなさるんですよ」
 その時、ニュートンは強い衝撃を受け、心の根底まで揺り動かされた。
 「…ところで、医者が貿易船に乗っているなんて珍しいですね。誰に雇われたんですか?」
 ニュートンは、動揺を隠すために、いきなり話題を変えた。
 「船主のジョセフ・マネスティさんですよ。あの方は、経済の許す限りご自分の船全部に医者を置きたいとおっしゃっています。そのわけは、航海中に病気やけがをする船員が必ずいるし、特に奴隷を積んだ船では、奴隷が過酷に扱われているから、病気や過労で死ぬ者が多く出る。それではせっかく高い値で奴隷を買っても損失になるのではないか―と、そう考えられたのです」
 「ふうん、そうですか。たかが奴隷のために医者を乗せるなんて、物好きだな」
 ニュートンは、なぜか無性に腹が立ってきた。
 「奴隷なんて、人間として扱うのが間違っている。やつらは劣等で、ムチを使わないと働かない怠け者なんですよ。わたしは長いこと奴隷を扱ってきたからよくわかる。やつらは、我々白人と違って感覚が鈍いんです。だから、少しくらい痛めつけても、めったに音を上げない」
 その時、アーサーは正面からニュートンを見つめた。心の底まで見通すようなまなざしだった。
 「それは違いますよ、ニュートンさん」
 彼は穏やかではあるが、きっぱりと言った。
 「彼らもわたしたちと同じように神様によって造られた子たちです。反応が白人より鈍いなどということは絶対にありません。彼らは白人に従うように強要されてきたから、声を上げないのです」
 このロバート・アーサーは熱心なクリスチャンだったので、日曜日には船員たちを集めて甲板で礼拝を行っていた。ある時、ニュートンは彼に請われて司会と聖書朗読をすることになり、アーサーが短い話をした。そのうち、こともあろうにアーサーは、船で働かせている奴隷たちにも聖書の話を聞かせてやろうと言いだした。
 「奴隷たちに? なぜそんな必要があるんです?」
 ニュートンはむっとして、彼に抗議した。しかし、アーサーは言った。
 「彼らにも心があります。そして、それは飢え渇いているのです」
 アーサーは、甲板で行われる礼拝が彼らに聞こえるように、倉庫の入口を大きく開け放った。ことばは理解できないであろうが、彼らの間にさっと厳粛な空気が流れるのがわかった。そして、2、3人の奴隷が感謝に満ちた目で天を仰ぎ、そのうちの一人の頬を涙が伝うのをニュートンは見たのである。

相次ぐトラブル

 こうして航海は続き、2か月ほどかかってアフリカ西海岸に着いた。そこで100人以上の奴隷を買い入れることができた。

 ところでこの航海は、どういうわけかニュートンの思惑に反して最初から幾つかのトラブルを抱えていた。まず、船員の中にたちの悪い男たちが3人混じっており、彼らは若い船長のニュートンをばかにして、命令を聞かなかった。そして、船がシエラレオネに停泊している間に、他の船のフランス人の船員にけんかを吹っかけ、刃傷沙汰を起こしたのである。そして、フランス人たちは仕返しにアーガイル号の船体に幾つも傷をつけたので、船は大きな損害を被ったのであった。
 「規則により、彼らを処罰するしかない」
 ニュートンは、彼らに30回のムチ打ちの罰を課したが、3人は少しも態度を改めることがなかった。そればかりか、ニュートンを逆恨みして、他の船員たちをたきつけて商売の妨害を始めたので、ニュートンはイギリスの軍艦サプライズ号と交渉し、「船員交換」をすることでようやく決着をつけた。
 2つめのトラブルは、新たに買い入れた20人の奴隷たちが、船に備えつけてある工具をこっそり盗み出して、自分たちの体を縛っていた鉄の鎖をほどいてしまったのである。ニュートンは船員たちと一緒に格闘した末、彼らを取り押さえた。この反乱の首謀者は六人で、仲間と共謀して船を乗っ取り、白人を殺す計画を立てていたことがわかった。ニュートンの心の奥底から激しい憤りと憎悪の感情が燃え上がった。
 (こいつら、死刑にしてもいいくらいだが、拷問で済ませよう)
 ニュートンは顔をしかめると、部下の船員に命じて道具を持ってこさせた。そして、彼らに手伝わせて6人の奴隷を拷問した。それは、特殊な道具を使って親指を締めつけるやり方で、当時一般的に行われているものであった。力まかせに締めつけるうちに、ニュートンは加虐的な快楽にも似たものを感じ始めた。彼らの悲鳴や嘆願、泣き声にも少しも心が動かなかった。ようやく一時間近くたって、彼らの親指を工具から引き抜いた時には、指はまさに折れる寸前だった。
 「これ以上やったら使いものにならなくなる。こいつらは重要な収入源だからな」
 ニュートンは、彼らに更なるムチ打ちを加えてから、今度は手足だけでなく首にも枷をはめ、丈夫な鎖でしっかりと固定した。
 こうするうちにも、アーガイル号の船室は、次々と買い入れた奴隷でいっぱいになってしまった。しかし、よどんだ空気と不衛生な環境の中で病気が発生し、3分の1の奴隷が死んでしまったのである。

心の友の死

 1751年7月3日。船は西インド諸島のアンティグア島に着いた。この時、二百数十人余りの奴隷のうち、174人が生きながらえていたので、かなり高い値段で売り払うことができたのであった。しかしこの時、またしてもニュートンを打ちのめすようなことが起きた。彼が唯一心を開いて語り合える医師のロバート・アーサーが突然重い病気にかかり、助かる見込みがないことがわかったのである。
 「まさに、医者の不養生の良い見本ですね」
 ニュートンが駆けつけて手を握ると、アーサーは握り返して微笑した。
 「もうこの命もあとわずかでしょう。すべては、なるようにしかならないのです」
 「あんなやつらのために!」と、ニュートンは叫んだ。
 「あなたは何の価値もない奴隷たちのために、捨て身で診療を行った。結局、やつらも大勢死んでしまい、あなたも自分の命を犠牲にするはめになった」
 彼の頬を涙が伝った。しかし、アーサーは心が別のところにあるようだった。
 「あなたが聖書を読んでおられるのを見た時には、とてもうれしかった。…聖書のことばには人を救う力があるからです。ニュートンさん、あなたに会えてよかった」
 「あなたは死んではいけない。医者でしょう? 医者であるなら、何とか自分の命を助ける手立てをお考えなさい」
 ニュートンは気が狂ったように彼に取りすがった。しかし、この時容体が急変した。アーサーは目を見開き、息をしようともがき始めた。
 「発作を抑える薬はどこにあるんです?」
 ニュートンはうろたえ、彼のカバンの中を探った。しかし、アーサーは首を振り、その手を押し留めた。
 「これだけは…どうか覚えておいてください。…罪が増すところに、恵みの光が差すということを…。祈ってますよ」
 激しいけいれんがその肢体を襲った。そして、それが終わった時、すでに彼の魂はその肉体を離れていた。

 その年の11月。船はリヴァプールに戻った。チャタムの家に帰ったニュートンを出迎えた妻のメアリーは、夫の憔悴ぶりと、以前にも増して荒々しい態度を取る彼の姿に驚いた。彼の父親の事故をメアリーも知っていたので、心を尽くして温かく彼をいたわった。しかし、ニュートンはポツンとこう言っただけだった。
 「ずいぶん金がもうかったよ。174人の奴隷に良い値がついたからな。おまえにも何か買ってやるぜ」
 メアリーは首を振ると、彼に抱きついた。
 「ジョン、お願い。今度こそ奴隷貿易をやめて。収入が減ってもいいじゃないの。あなたが変わってしまうようで怖いの」
 「たまに帰ってきたというのに、おまえは人をイライラさせることしか言えないんだな。貿易商人の妻になったんだから、もっと計算のできる女になれ」
 そして彼は、金をわしづかみにすると、町の酒場で思いきり酒を飲もうと、飛び出していった。メアリーは泣いていた。
【「百万人の福音」2018年1月号より】

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