《連載小説》奴隷商人から神の僕に〔第10話〕

カルチャー

賛美歌「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートンの生涯

第10話

栗栖ひろみ・作

プロフィール 1942 年、東京生まれ。早稲田大学卒業。80 年頃より、主に伝記や評伝の執筆を続ける。著書に『少年少女信仰偉人伝・全8 巻』(教会新報社)、『信仰に生きた人たち・全8 巻』(ニューライフ出版社)他。2012 年、『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞受賞。15 年よりWEB で中高生向けの信仰偉人伝を連載。ICU(国際基督教大学)教会会員。

九死に一生を得る

 それは1748年3月10日、真夜中のことであった。甲板から、「船が沈んでいく!」という叫び声が上がり、ニュートンは眠りを破られた。船室から飛び出すと、船体は押し寄せる波の間で木の葉のように揺れていたが、突然、メリメリという音とともに、船の横腹に穴が開き、海水が流れ込んできた。船室に戻ると、どこもかしこも水浸しになっている。恐ろしい暴風雨が到来したのだ。
 ニュートンは、甲板に駆け上がろうとした。すると、「ナイフを持ってきてくれ」という船長の声がしたので、彼はナイフを取りに戻った。その時、別の船員が代わりに甲板に駆け上がっていったが、その瞬間、押し寄せた大波にさらわれてしまった。それは、ニュートンとしばしば殴り合いのけんかはしたが、ニューファウンドランド島で釣りをするうちに仲良くなった同年配の船員だった。
 (ああ、何ということだ。ナイフを取りに戻らなかったら、自分が死んでいた)
 ニュートンはぞっとした。偶然かもしれないが、どうして自分は助かったのか? なぜ、死んだのはこの自分でなくて彼だったのか? 何やら運命の力のようなものが感じとれた。
 その後、波は船べりの横木をもぎ取り、恐ろしい勢いで水が押し寄せてきた。ニュートンは、かつての経験から仲間を励ました。
 「さあ、みんなで水を汲み出すんだ」
 こう言って、彼はポンプのある場所に12人の船員を配置した。それから、残りの者と共に、自分もバケツや手おけを持ってきて、懸命に水を汲み出した。
 「やれるだけのことはやろうじゃないか」
 彼は、恐怖に身を震わせている仲間を叱咤激励した。しかし、いくら手を動かしても相変わらず船は海水でいっぱいの状態であった。この船は、蜜蝋や木材、染料といった軽い荷をたくさん積んでいたので、それが浮力を高め、沈没を免れていたが、それでも海水が流れ込む力はものすごいものだったので、このままでは沈むことがわかっていた。
 船員たちは、恐ろしいことが続いて起きたために恐慌状態に陥っていた。1人の男は、頭を抱えて「こんな海上で死ぬなんて、なんと不運なんだ」と叫んでいた。ニュートンは空元気を出して、わざと大声で笑って見せた。
 「大丈夫だよ。あと数日もすれば、こんな苦しみも、酒の席の話題になるさ」
 すると、その男はわっと子どものように泣きながら、ニュートンに抱きついてきた。
 「いや、もう手遅れだ。おれたち、一人残らずここで死ぬんだ! おれは、郷里に妻を置いてきたんだが、子どもが生まれるんだよ。だから、何とかして、死ぬ前にこの手で子どもを抱きたいんだ」
 そして、おいおい泣くのだった。
 その時、ニュートンの心の奥底から、今まで感じたことのない憐憫の気持ちがあふれ出してきた。彼は、自分でも何をしているのかわからないまま、いきなり両手を広げて天を仰ぎ、大声で叫んだ。
 「ああ、あわれみ深い神様! わたしたちはありったけの手を尽くしましたけど、船は沈みます。わたしはこれから、残されたたった一つの方法を試みますが、もしその方法がだめだったら、どうかあなたの御手で、この船と船員の命をお助けください」
 いつも神を冒瀆したり、罵ったりすることばしか口にしないニュートンが、突然こう祈ったので、一同はあっけにとられ、ポカンと口を開けて見守っていた。
 それから、ニュートンは1人で甲板に上り、その先端に取りつけてある大型ポンプのところに行った。波が打ち寄せて危険なので、誰も近寄らない場所であった。
 ―と、その時、ニュートンは誰かがそこに立っているのを感じた。目には見えないが、確かな臨在感をもってある者がそこにいることがわかったのである。やがて、今まで耳にしたことがないような、力強い、そして優しい声が伝わってきた。
 (恐れることはない。わたしの手は、すべての災いの中からあなたを助け出し、昼も夜もこれを守るだろう)
 その瞬間、不思議なことにニュートンの心から恐怖は跡形もなく消え去り、何とも言えない至福で身を包まれるのを感じた。
 やがて、われに返ったニュートンは、気が狂ったように両手でポンプをこぎ始めた。次の瞬間、大波が打ち寄せ、彼は海中に落下しそうになった。とっさの判断で、彼は流されないようにロープで自分の体をポンプに縛りつけた。そして、なおもポンプをこぎ続けた。海水と涙が一緒になって喉に流れ込んできたが、彼は気づかずにいた。
 (あれは、神様だ)
 彼はそう悟った。
 (ひょっとして、自分はとんでもない思い違いをしていたのではあるまいか? 神様は、人間を気まぐれに苦しめたり、迷わせたりしたあげくに地獄に投げ込んで面白がるペテン師などではなく、いつも自分を守ってくれていたのではないだろうか? だから、沈みかけた船にも来てくれたんだ)
 ニュートンは、心底から恐れおののいた。もしそれが真実なら、この自分はその前に赦されることなどあるはずがないと思った。

嵐の後の漂流

 ニュートンが、腕のしびれるほどポンプをこぎ続けて苦闘している間に、船長と船員仲間たちは、自分たちの寝具や毛布、服などを持ち寄り、船体の大きく穴の開いた部分に詰め込み、上から板を打ちつけた。心なしか、わずかに水が引いたように思われた。
 それから数時間後に、ようやく暴風雨は収まった。しかし、ニュートンは次の日も朝の三時から昼頃までポンプで水を汲み出し続けていたが、やがて体力の限界がきてそれ以上できず、ベッドに倒れこんだ。仲間たちは総出で互いに助け合ってポンプを動かし、手おけやバケツで水を汲み続けた。
 夕方6時になった時、船から水が完全に引いたという声を耳にした。ニュートンは涙があふれ出してきて止まらなくなった。思わずその場に膝をつき、ことばにならない祈りをつぶやいた。そして、はっきり自覚したのである。この世の中に、自分ほどの罪人はいないのだ―ということを。
 船は少しずつ前進を始めた。残った食料はどのくらいあるだろうと調べてみると、食料の入った樽だけでなく、羊、牛、豚、にわとりといった生き物も、かわいそうに残らず流されてしまっていた。流されずにすんだのは、ニューファウンドランド島で釣ったたらと、豚の餌にしていた豆だけであった。帆もほとんど風で吹きちぎられてしまったので、船はゆっくりしか進むことができなかった。
 こんな状態で、4、5日たったある朝のこと。見張りが、「陸が見える」と叫んだ。ニュートンたちは甲板に駆け上がった。確かにくっきりと近くの町の影が浮き上がって見える。ところが、それは30分もすると消えてしまった。蜃気楼だったのである。
 追い風がやむと、逆方向の風が吹き始め、それが3週間続いた。この風により、船はアイルランドの北ルーイス島まで流されてしまった。食料も尽きて着る物もなく、寒さをしのぐ強い酒もなくなってしまった。
 そうした中、飢えと寒さで、船員の1人が死んでしまった。一同は悲しみ嘆きつつ、ていねいに水葬に付して別れを告げた。この時、ふとニュートンは不安を覚えた。それは、いつぞや船員たちが自分のことを「海上のヨナ」(災いをもたらす人)と呼んでいたことを思い出したのである。もしかしたら船員たちは、自分がこの船に乗り込んだからすべての災いがもたらされたと考えているかもしれない。そうしたら、この身もヨナのように海に投げ込まれるかもしれないと思ったのである。
 (でもいい。それならそれで仕方がないじゃないか。これは今までの自分の行いに対する神罰であるかもしれないのだから)
 彼はこのように考えて、ひたすら祈り続けた。しかしながら、グレイハウンド号の船員たちは誰一人そんなことを考える者がなく、命がけでポンプを動かしてくれた彼に対して感謝の念を向けるのみであった。
 やがて逆風がやみ、風は追い風に変わった。そのうち、見張りの者が、「陸が見える!」と叫んだ。今度は幻ではなかった。トーリー島が目の前にはっきり見えたのである。ニュートンは、声もなく甲板に立ち尽くしていた。

神の手に導かれて

 風は望んでいた方向に吹き始め、船の破損部分にいちばん負担をかけずに、また、数少ない残りの帆が耐えられる程度に吹いたのである。まるで神がそっと船を手の上に乗せ、優しく故郷に向かって運んでくれているような気がした。
 「ああ、神様!」
 幼い日に、母親と一緒に祈りのことばを口にしたときのように、思わずすなおな感謝のことばがニュートンの口から流れ出した。
 「あわれみ深い神様! ありがとうございます」
 その時、誰かのがっしりとした手が彼の肩に乗せられた。スウォニク船長がすぐ後ろに立っていた。2人は肩を抱き合った。この時、ニュートンは泣いていた。
 その後、2日間の航海の後、グレイハウンド号はそのずたずたの姿のまま、スウィニー島に錨を降ろした。1748年4月8日のことであった。

 アイルランドの北部、ロック・スウィニーで船の修理をしてもらうことになり、その間、船の仲間たちはそれぞれ自由行動をとることになった。ニュートンは、ロンドンデリーの落ち着いた町並みが気に入ったので、ここでしばらく過ごすことにした。ロンドンデリーの町の人々は、おっとりとした優しい心根の人ばかりで、彼らは沈没を免れたグレイハウンド号の船員たちを心からいたわり、ねぎらいのことばをかけたり、自分たちの家に招いて食事をふるまったりしたのであった。
 ニュートンは、オリバー・ジョンソンという裕福な毛織物商人の家に招かれ、しばらくの間ここに泊めてもらうことになった。ジョンソン一家は、心を込めて、この九死に一生を得た若者をいたわり、親切にもてなしたので、彼の痩せ細った体は次第に回復し、希望と絶望の間を行き来してボロボロになった心も少しずつ癒やされ、元気を取り戻していった。
 この一家は熱心なクリスチャンだったので、日曜日になると家族そろって近くの教会に出掛けた。ニュートンも誘われ、船での経験があったにもかかわらず、気が進まないままに彼らと共に礼拝に出席した。それは古めかしい小さな教会で、その日は名も知れぬ巡回伝道師が説教に来ていた。
 (何だ、やけに質素な教会だな)
 ニュートンは、貧相な巡回伝道師の顔を見て、心の中で笑いをこらえてつぶやいた。彼が子どもの頃母親に連れられて出かけたあのテームズ川沿いの教会とは比べものにならないほどこぢんまりした建物で、集まってきた信徒もごく少数だった。
 やがて、「人となった神」という題で巡回伝道師が説教を始めた。神はその栄光を捨てて、罪人である人間の所に来られたのだ―というメッセージを彼はとつとつと語った。ニュートンは退屈でたまらず、思わず大きなあくびをすると居眠りを始めた。
 しかし、あることばが彼の意識の底に届いた時、彼は雷に打たれたように飛び起きた。
 「…だから、みなさん、あなたがいかに罪を重ねようとも、堕落しようとも、御名を呼び求めたならば、この方はあなたを救うために地獄の底まで降りて来られるのですよ」
 ニュートンの心に、あの暴風雨の中、ポンプの傍らに立っていた方のことがよみがえった。
 「やっぱり、あれは神様だった」
 彼はつぶやいた。

 それから間もなく、船の修理が終わったので、各地に散っていたグレイハウンド号の船員たちも戻ってきて、やがてリヴァプールに向けて出航した。
【「百万人の福音」2017年10月号より】

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