《連載》どうせなら楽しく今日を

信仰生活

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第2回 どうせなら楽しく今日を

となみ野聖書教会 牧師

横山幹雄

 ある朝、鏡をのぞいて驚きました。そこに見知らぬ70過ぎのおじいさんがいたからです。頭は薄くなり、腹が突き出し、少々くたびれた老人です。ほっそりした、髪黒々の好青年はどこに行った?

 竜宮城での興奮の日々を過ごしている間に、4、50年が経ってしまったようです。浦島太郎のお話は、実話でした。

 遊びほうけた子どもが、8月の終わりになって慌てて夏休みの宿題に取りかかるように、自分に残された日々がわずかであることを知らされて慌てています。1日1日が貴重で、愛おしくなりました。

 「人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちはそれをペラペラめくってゆくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことができないことを知っているから」(ドイツの作家ジャン・パウルのことば)

 私はまさにそのばか者でした。今からでも、賢い人間として、1日1日を念入りに読むことを始めましょう。

 「きょうこそ、主がお造りになった日です。さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。」(詩篇118:24 リビングバイブル)

人生に楽しみを見いだす

 親たちは、子どもが夢中になって遊び、笑いさざめく光景を目を細めて見ています。私たちの創造主なる神様も、私たちがその日々を喜び、楽しむことを願っておられます。その楽しみの材料を、その日々に、周りの自然に、出来事に、人生にちりばめてくださっています。

 しかし、それは「念入りに読む賢い人」だけが見いだせるように隠されています。ディズニーランドには、さまざまなキャラクターが巧みに隠されています。それを探して、見いだすことも、ディズニーランドの楽しみの一つです。創造主の世界にも、数多くの御手のわざが隠されていて、それを楽しむことが期待されているのです。その御手のわざは、それを見つけよう、知ろうと願わなければ、見いだせないようにセットされています。

 私は自然豊かな地方にずっと住んできました。春になると、頭上からヒバリのさえずりがいつも降り注いでいました。チョウゲンボウという鷹が、ホバリングしながら獲物を狙っていました。夏になると、いつも通る川沿いの芦原からにぎやかなオオヨシキリの大合唱が聞こえていました。目の前の樹々の間に見え隠れして可憐なエナガがせわしなく飛び回っていました。しかし、70年間、それらは私の耳に入ることはなく、目に映ることもありませんでした。見いだそうとしなかったからです。知りたいと願わなかったからです。

 野鳥を見たい、出会いたいと願うようになり、期待をもって探し始めると、次々と新たな出会いが与えられました。こんなにも豊かな自然が、自分を取り巻いていることに驚き、感動させられます。

 こうした楽しみを味わいながら、これは初めての経験ではないぞ、どこかで味わったことがあるぞと、懐かしさを覚えます。それはデジャブ(既視感)ではなく、子ども時代の経験です。日が暮れるまでトンボを追いかけ、どぶ川でフナやザリガニを捕まえ、森の中でメジロを鳥もちで捕えていた頃の味わいでした。しかし、それを10代の初めに、置き忘れてしまったようです。受験勉強に没頭し、成人してからは仕事に没頭している間に、あのワクワク感を忘れてしまったようなのです。いや、そんな子どもじみた楽しみは置いてこなければいけないと、自分で捨ててきた感受性でした。

感受性をよみがえらせる

 今頃になって、「さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう」と声をかけられて戸惑っています。茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」の最後の一節が、どこかから聞こえてきます。「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」。ドキッとさせられ、さびついた感受性にヤスリをかけ、水やりをしてよみがえらそうと努めています。

 「人間は、その能力の50パーセントくらいを開発しているだけだ。あとの半分は置きっぱなしにしている」と心理学者のユングは言っています。「私は今まで自分の潜在能力の10パーセント以上を使っている人間に会ったことがない」と心理学者のウイリアム・ジェームズは言い、他の学者は、「6パーセントだ」「5パーセントだ」と主張しています。(アルフォンス・デーケン著『心を癒やす言葉の花束』集英社新書)

 この数字は大きな勇気を与えてくれました。私はもうだめだ! 限界だ! これ以上は可能性がないと言えば、それでストップします。私の能力の95パーセントは、眠ったままなのだ。さあ、それを揺り起こそう! まだまだこれから開発すべき能力がいっぱい残っているのだと確信すると、急に全身の細胞が目覚め、若返ってくるような気になってきました。

 作家、吉川英治は、色紙にサインを求められると、しばしば次の文章を書いたそうです。

 「晴れた日は晴れを愛し、

  雨の日は雨を愛す。

  楽しみあるところに楽しみ、

  楽しみなきところに楽しむ

「百万人の福音」2016年2月号〉

よこやま・みきお

1943年高知県生まれ。石川県の内灘聖書教会で37年間牧会の後、富山県に移り、砺波市での開拓伝道に挑戦中。となみ野聖書教会牧師。内灘聖書教会名誉牧師。趣味はバードウォッチング。

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