《連載》どうせなら楽しく身軽に

信仰生活

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第7回 どうせなら楽しく身軽に

人生という旅、執着心が重荷に

となみ野聖書教会 牧師 横山幹雄

 「次のテーマは『どうせなら楽しく身軽に』だよ」

 「え、どう身軽なの?」

 妻の目が私の突き出した腹に注がれている(ように感じる)。赤ちゃんがいないのに身重な体型と生き方をしています。身軽に生きようと努力しているのですが…。その証拠に、これまでに幾度もダイエットに挑戦しました。

 旅行を楽しくする秘訣の一つは、いかに荷物を軽くするかですが、それが難しい。

 先日、3泊4日の小旅行に出かけました。帰ってから、カバンの中をチェックしました。使わなかった物は、4枚のうち3枚のワイシャツ、4枚のうち2枚のアンダーシャツ、4枚のうち2枚のパンツ、4足のうち2足の靴下、セーター、レインコート、折りたたみ傘、タオル2枚、読むだろうと持っていった本3冊のうち2冊、携帯用ウォシュレット、5本のボールペンのうち4本…ああ、切りがありません。半分以上のものが不必要でした。あれも、これも必要になるかもと詰め込んだものばかりです。

 旅については、「備えあれば憂いなし」は間違っているようです。今の時代は、「備えなくてもコンビニあり」が正しく、必要になれば旅先で買えばいいのです。

 人生という旅においても、いかに身軽に生きるかが問われます。ある年代を過ぎると、それまで着重ねてきたものを、一枚一枚脱ぎ捨てることが求められます。

 これ以上なく重くなっていた仕事を、きっぱりと脱ぎ捨てて、後継者に譲りました。新しい地に移ったのを契機に、生活のリズムを一新。さまざまな責任をおろしてすっきり身軽になりました。スケジュールがぎっしりで黒くなっていた手帳が、病院の予約ばかりが目立つ白いページに変わりました。すると、これまで聞こえていなかったものが聞こえ、見えていなかったものが見えてきました。私にとってそれは野鳥たちのさえずり、その愛らしい姿でした。

 引っ越しの際に、いちばんの荷物になっていた蔵書を思いっきり処分して、3分の1だけを残しました。その分だけで移った家は満杯になってしまいました。「死ぬ前にこの本を処分しておいてね。残る身にもなってよ」と、妻はすでに残る気持ちでいるようですが、反論できません。牧師として現役である間は、「牧師に雑学なし」で、身の回りに本を置いておく必要があります(という理屈で、本が増えます)。

 先日、書斎の模様替えをしました。無駄にスペースを取っていたテーブルを取り去りました。するとそれだけで部屋の雰囲気が変わり、快適な空間になりました。家の中でいちばん大切なものは、テレビでも冷蔵庫でもソファでもなく、空間だということが理解できました。

管理者であり、所有者であるという認識

 身軽になろうとする思いを妨げるものは執着心でしょう。この地上の人生、いのちがすべてと思っている間は、この執着心を捨てることができません。

 「私は裸で母の胎を出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」(ヨブ1章21節)と言い切るためには、帰るべき「かしこ」が明確になっていなければなりません。地上の歩みは、永遠の住まいへの玄関口に過ぎないことを知っている必要があります。

 しかし、この地上の歩みには、さまざまな楽しみ、喜びがあります。執着させるに十分な魅力があります。愛する家族の存在、自然の美しさ、食べ物のおいしさ…。それに勝る魅力を永遠の住まいに見いだせなければ、執着心を断ち切ることはできません。価値観が逆転して、神様を知る喜び、イエス様に会う楽しみが最も価値あることになる必要があります。宝を地上に積む生き方ではなく、天に積む生き方を身につける必要があります。宝のあるところに心もあるからです。

 執着心は、すべてのものは自分のものだという思いから生まれます。この家も、車も、家族も、財産も、蔵書も、この命も、私のものだと握りしめているから執着心が湧くのです。

 ところが、そのすべての所有者は創造主である神様であり、私はしばらくの間、それを管理するように託されている使用者だと認めるとどうでしょうか。力を込めて握りしめていたこぶしの緊張が解け、ホッと肩の力が抜けて、気持ちが軽くなりました。

 1828年に新潟県三条を中心に大地震が起きました。マグニチュード7、死者1600人と推定されます。被災した友人に良寛は見舞い状を送り、こう書きました。

 「災難に遭ふ時節には、災難に遭ふがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」

 見事な生き方です。「幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」と言ったヨブの信仰に通じています。私の命すら、神様が握っておられて、そのみこころのままにこの地上で用いられ、永遠の住まいで必要になったら、「主がお入用です」と移される。

 「生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリピ1章21節)と告白したパウロも、軽やかに生き、軽やかに死んでゆきました。

 星野富弘さんの詩を思い出します。

 いのちが/一番大切だと思っていたころ
 生きるのが苦しかった
 いのちより/大切なものが
 あると知った日
 生きているのが/嬉しかった
「いのち」(『いのちより大切なもの』)より

〈「百万人の福音」2016年7月号〉

よこやま・みきお
1943年高知県生まれ。石川県の内灘聖書教会で37年間牧会の後、富山県に移り、砺波市での開拓伝道に挑戦中。となみ野聖書教会牧師。内灘聖書教会名誉牧師。趣味はバードウォッチング。

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