《連載》どうせなら楽しく名を

証し・メッセージ

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第11回 どうせなら楽しく名を

神と名前を呼び合う親密な関係

となみ野聖書教会 牧師 横山幹雄

 能登半島の先の輪島で、魚料理の店に入りました。カウンター席の横に大きな水槽があって、10匹ほどの見事なカワハギが泳いでいます。時々、こちらをつぶらな瞳で見つめています。思わず、「こんにちは、カワちゃん!」「かわいいね、ハギくん!」と名前をつけて声をかけてしまいました。
 「お客さん、何にしましょう。そのカワハギ、今朝、海で獲ってきたばかりだよ。肝といっしょに食べるとうまいよ! さばきましょうか?」
 「けっこうです! 他のにします」
 ほんのしばらく名前で呼びかけ、目が合っただけですが、もう彼らと個人的な関係ができてしまった気分で、とても食べることなんかできません。
 名を知ったり、名をつけたりすることで、その存在は私にとって意味をもち、つながりができるようです。
 ずっと以前、外国からのゲストと3日間を過ごし、空港で見送りました。心にむなしさと寂しさが残されました。それは、そのゲストがずっと私を「パスタ—(牧師)」と呼ぶだけで、名前を尋ねてくれなかったことからくるものでした。

嫌いだった自分の名前が…

 私は自分の名前がとても嫌いでした。私の周りの男性たちはみな1文字の名前です。父は隆、叔父は弘、拓、兄は匡。1文字はかっこいいなあ。幹雄…甘ったるくって、しまりのない嫌な名前だなと思っていました。
 ある日、父が教えてくれました。「幹雄の名前は吉田松陰の松下村塾に掲げられていたことばから取ったんだよ。『松下はろう村なるといえども誓って神国の幹とならん』(松本村のような寂しい村にある塾だが、必ず日本を支える太い幹となってみせる)ということばだよ」。確かに、長州山口の田舎の小さな塾から、数多くの維新の指導者たちが輩出されました。
 昭和18年生まれの私ですから、戦争時代の高揚した雰囲気が感じられます。しかし、クリスチャンになってから、幹は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」(ヨハネ15章5節)のみことばにあるように、イエス・キリストご自身であることを知りました。
 「そうか。イエス様という幹にしっかりとどまって、雄々しく生きよという名前なんだな」と自分なりに理解するようになって、この名前が好きになりました。するとイエス様の「幹ちゃん、わたしは君のことを知り、愛しているよ」という呼びかけもすなおに信じられるようになりました。

名前の呼びかけは関心の証し

 クリスチャンになって、知らされたことがあります。小学4年生だった私は、田舎の祖父母の家に預けられていました。両親の離婚によって、家族がバラバラになってしまったのです。私の心はすさんでいました。両親に捨てられた、私なんか生まれなかったほうがよかったのだ、誰も私のことなんか愛してくれていない。ねじれてしまった子どもの心で、両親への復讐を考えていました。その答えは自殺することでした。私が死んだら、さすがに両親も驚くだろうと考えたのです。どうやって死ぬかを考えていました。そんな私のもとに、1枚の絵はがきが届きました。少年サムエルが祈っている絵です。兄弟そろってずっと通っていた日曜学校の先生からでした。こう書いてありました。
 「幹ちゃん、お元気ですか? さびしくありませんか? 先生は、毎日イエス様に、幹ちゃんのことをお祈りしていますよ」
 親にも捨てられたと思っている私にとって、この絵はがきは宝物になりました。「世界中でただ一人、この先生だけはボクのことを愛してくれている」。この思いが、私を自殺から守ってくれました。そして、ついには、この先生の「幹ちゃん」の呼びかけが、イエス様の「幹ちゃん」につながったのだと知りました。
 「わたしはあなたの名を呼んだ」(イザヤ43章1節)。この大宇宙を創造された、大いなる神様が、この私の名を呼んでいると知った時の驚きと感激を忘れることができません。一羽の雀さえ目に留められる神様です。「わたしは、山の鳥も残らず知っている」(詩篇50篇11節)。そんな鳥よりも、もっとすぐれた存在の私たちを見過ごしにされる神様ではありません。
 「神が私のことを知り、その名を呼んでいる? そんな馬鹿な! 神はそれほど暇ではないはずだ! 私のことなんかに構っていられるはずがない!」と疑い、拒んでしまうのは悲しいことです。それを大胆に、すなおに、子どものように信じることが信仰です。

 神様が私の名を呼ばれるのは、①私を知っているから、②私と語り合いたいから、③私を愛しているから、④私だけにしてほしい仕事があるからです。
 そして、私も神様のお名前を知ることが求められています。聖書は、神様がご自分のお名前を私たちに紹介してくださっている本です。数え切れないほどの神の名前が紹介されています。それを知り、そのお名前に示されているご性質が真実であることを経験することほど、胸おどる経験はありません。
 一例を挙げると、「エル・シャダイ=全能の神」(創世記17章1節)、「アドナイ・イルエ=主は与える」(創世記22章14節)、「アドナイ・シャマ=主はここにおられる」(エゼキエル48章35節)。
 鳥の名前を知ることは、私の日々を彩ってくれる楽しい経験です。神様の名前を知ることは、私の永遠を豊かにしてくれる最高の楽しみです。
「百万人の福音」2016年11月号〉

よこやま・みきお
1943年高知県生まれ。石川県の内灘聖書教会で37年間牧会の後、富山県に移り、砺波市での開拓伝道に挑戦中。となみ野聖書教会牧師。内灘聖書教会名誉牧師。趣味はバードウォッチング。
 

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