《連載》どうせなら冬を

証し・メッセージ

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最終回 どうせなら楽しく冬を

「冬」は「春」への序章

となみ野聖書教会 牧師 横山幹雄

 論語のことばがいつも思い出されます。
これを知る者は これを好む者に如かず
これを好む者は これを楽しむ者に如かず
 ただ知識だけの者よりも、それを好きな者の方が上。それを好きな者よりも、それを楽しんでいる者が上ということでしょう。「それを楽しんでいるか?」と常に問われます。
 南国土佐で生まれ育ち、温暖な高松で青春時代を過ごした私にとって、うだるような暑さと、抜けるような青空は、身体が覚えている快適さの感覚です。理想郷は常夏のハワイでした。そんな私が北陸に住み始めてすでに半世紀。人生はわからないものです。
 初めての冬を迎えた時の印象を忘れることができません。黒い雲に覆われて日中でも暗い毎日に、気持ちまで沈みます。雪起こしと呼ばれるすさまじい雷におびえました。真夜中に、ドスン、ドスンという地響きで目を覚まされます。屋根雪が落ちる音です。軒下を歩くのは危険です。軒に槍先のようにとがったつららが並び、屋根雪とともにいつ襲ってくるかわからないからです。雪かきは重労働です。雪道や凍結した道路での運転は細心の注意が必要です。12月と3月のタイヤの交換は、今は業者に頼んでいますが安くありません。ふところまで寒くなります。冬の厳しさは、温暖な地域の方々には想像ができないでしょう。
 ですから、「冬を楽しんでいるか?」と問われると、「そんなの無理だよ! ひたすら耐えているよ!」という答えしかないように思われるでしょう。しかし、やせ我慢ではなく、心から「冬を楽しんでいるよ」と答えられるようになりました。

南国人が見いだした「冬」の楽しみ

 冬だからこその楽しみが満載です。一夜にして銀世界に変えられた朝の、息をのむ美しさには圧倒されます。冬こそ野鳥観察には最高の季節です。夏だと葉が茂り、声はすれども姿が見えずだったのが、冬枯れの樹々に止まる鳥たちの姿をはっきりと確認できます。多くの渡り鳥たちが北の国から、越冬のために訪れてくれます。白鳥や鴨たちは、冬の恋人のように胸をわくわくさせてくれます。食いしん坊の私には、冬こそおいしいご馳走の季節です。鍋料理は冬だからこそです。寒ブリはこの季節だからこそのご馳走です(なかなか高値で口には入りませんが…)。温泉の楽しみも寒い冬だからこそです。楽しいクリスマスとお正月も冬にやってきます。澄み渡った夜空に星々が最も美しいのは冬です。スキーが好きな人には、1時間以内で行けるスキー場が多くあります。おいしいお米の生産地はほとんどが豪雪地帯です。ミネラルを豊富に含んだ雪解け水が水田を潤し、おいしいお米を育てるからです。

 仏教詩人の坂村真民(しんみん)さんの「冬がきたら」は、雪国に住む私たちへの応援歌のように聞こえます。
 冬がきたら/冬のことだけ思おう
 冬を遠ざけようとしたりしないで
 むしろすすんで/冬のたましいにふれ
 冬のいのちにふれよう
 冬がきたら/冬だけが持つ
 深さときびしさと/静けさを知ろう
 ……
 ここでの冬は、季節の冬だけではなく、人生で経験する陰鬱で寒々しい状況、境遇も指しているようです。多くの冬を通らされました。失望し、落ち込んでしまったことは数え切れません。壁にぶち当たり、自分の愚かさ、無力さに打ちのめされることばかりでした。誤解され、非難され、理解されず、眠れない悶々の夜をどれだけ過ごしたでしょうか。愛する家族や、親友、教会の方々の死に直面して、その不在の寂しさにどれだけ泣かされたことでしょう。
 しかし、こうした冬の出来事のもつ深さと厳しさと静けさが、その後の芽生えと結実のためには必要だったのだと、今だからわかります。すべてが順風満帆、思い通りに進んでいたら、どんな自分になっていたでしょう。悔い改めること、自分を捨てること、謝ること、へりくだること、自己主張をやめること、待つこと、他の人のことばに耳を傾けること、敗者となることを許すこと…そうしたレッスンを冬の出来事の中で受けることができました。

「人生の冬」の楽しみとは

 そして今は、人生の冬と呼ばれる高齢者の仲間入りをしています。この冬には、季節の冬と同じく、楽しくはない現実がさまざまつきまといます。身体のあちこちにガタがきて、予定表には病院の予約だけが目立ちます。先日も、ちょっとした水たまりを避けて石伝いに渡ろうとした時、石がぐらっときて水の中へ尻もちをついてしまいました。「気分はまだ40代なのに…」と、老人の自分を思い知らされました。
 しかし、イエス・キリストを信じて永遠のいのちを与えられた者の冬には希望があります。人生の冬の先に墓場しか待っていなかったら悲惨です。しかし、主にあって死を迎えると、永遠の御国で春の目覚めが待っています。そこには、救い主イエス・キリストとの顔と顔とを合わせての最高の喜びが約束されています。

 敬愛するダビデ・マーチン宣教師が召された時、そのご遺体を前に奥様が力強く語られたことばが、耳の底に響き続けています。
 「今日は、デイビッドの生涯で最高の日です」
〈「百万人の福音」2016年12月号〉

よこやま・みきお
1943年高知県生まれ。石川県の内灘聖書教会で37年間牧会の後、富山県に移り、砺波市での開拓伝道に挑戦中。となみ野聖書教会牧師。内灘聖書教会名誉牧師。趣味はバードウォッチング。

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