《試し読み》新刊『放蕩の子どものための祈り』

信仰生活

挿画 よしだまさる

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《試し読み》新刊『放蕩の子どものための祈り』

ジェームス・バンクス 著、サンティラン前田登茂恵 訳

本文より[一部抜粋]

はじめに

「放蕩している子どもたちは、性別、人種、年齢、肌の色に限られません。彼らには、唯一、共通していることがあります。それは、彼らは家から出て行き、悲しみの中で帰りを待ち望まれているということです」(ルース・ベル・グラハム)
あなたに放蕩している子どもがいるとき、祈りがいつも簡単に出てくるわけではありません。祈らなくてはならないと分かっていても、どこから始めてよいのかわからないのです。ですから、この本が書かれました。
神は私に、二人の放蕩の子どもたちを与えて祝福してくださいました。私は「祝福」という言葉を用います。なぜなら、彼らは他の子どもたちと同様に、神からのギフトだからです。放蕩の子どもたちは、特に貴重なギフトです。それは、彼らは私たちに、忍耐、自分自身に必要な赦しの深さ、祈りによって常に神に頼ることなど、多くを学ばせてくれるからです。子どもたちが私たちをひざまずかせるとき、私たちは神が助けてくださるのに、一番良い場所にいるのです。
神の最高のレッスンは、時に、最もチャレンジングなものです。自分自身の力の限界に達するとき、私たちは神の力に拠り頼むことを学びます。祈りを通して、神は私たちの手を取り、そのチャレンジがなければ決して見ることのなかった新しい恵みの場へと導きます。
『放蕩の子どものための祈り』は、あなたが祈るように助け、子どもたちへの祈りに答えてくださる神の力を思い起こさせます。聖書のみことばに基づいた一週間毎日続ける九十日の祈りは、放蕩している子どもたちの両親が直面する多くの感情的、また実際的なチャレンジをカバーしています。各週ごとに、過去に神が放蕩している子どもたちの人生にどのように働いてくださったかという個人的な証しや実例を含み、さらに最も大切である、イエスの人生と約束からのインスピレーションを含む、短いメディテーションから始まります。ある祈りは息子のために、また、ある祈りは娘のために書かれています。しかし、あなたが祈るとき、その代名詞を変えれば、祈りはどちらにも当てはまります。
私は、この祈りが、あなた自身の祈りのスタート地点として用いられるようにと望んでいます。ですから、祈りの最後に「アーメン」と加えていません。あなた自身の思いを加え、放蕩している子どもたちの救いのために、イエスの御名によって祈り続けてほしいと願っています。あなたの子どものための特別な必要を神の御前に持って行くとき、その思いを書き込むことができるよう、それぞれの祈りの最後にスペースを取ってあります。
自分で祈るだけでなく、誰かとともに祈ることもお勧めします。子どものために祈る夫婦は、パワフルなチームとなります。ある親は、子どものために祈る特別な夜の時間を作り、自分たちがその時間に祈っていることを子どもに知らせます。ある親は、夫婦で断食する日を決め、またある親は、子どもの人生の特別な必要のために、他の人に日々ともにとりなしの祈りをするように求めます。ジム・サインバラがしたように、祈りの会で息子や娘のために祈ることは、 神が美しい方法で子どもの人生に働かれるよう、扉を開くことができます(第五週「信仰の担架」参照)。
祈りのさらなる励ましを、私のウェブサイト、Prayers For Prodigals.orgで見られるようになっています。もし、この本を通して祈った祈りに神が答え、神があなたの放蕩の子に働かれたという証しがあれば、ぜひ分かち合ってください。
神が、子どもの永遠の未来を変えるために、この本を用いてくださり、あなたの祈りを通して、あなたの息子や娘がイエスとの生きた関係を持つようになることが、私の心からの祈りです。この世にあっても、次に来る世にあっても、それ以上に大切なことはありません。

第二日  自分が親として失格者だと感じるとき

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方……。(ユダ二四)
父よ、私は親として、もっと何かできることがあったのではないかと感じるときが、なんと多くあることでしょう。
もし、私に、もっとあなたの愛と力、そして知恵があれば、たぶん私の娘はあなたの近くにいることを選んでいたであろうに。
もし、私が今知っていることを、あのとき知っていたならば、私はいくつかのことを変えていただろうに。
父よ、私をお赦しください。私があなたに罪を犯し、あなたの最善から堕落し不足していた部分を(ローマ三・二三)。
私にはすでに起こってしまったことを変えることができないので、あなたがなしてくださっている新しいことに私の心を開いてくださるようにと、私は祈ります。
そして、私が「昔のことに目を留めない」ように(イザヤ四三・一八)。
そうではなく、「キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走って」いられるように助けてください(ピリピ三・一四)。
あなたは、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました(第二コリント一二・九)。父よ、私があなたに頼らなければならないことを思い起こさせてくださって感謝します。そして、あなたは私を「傷のない者として、大きな喜びとともに」あなたの御前に立たせてくださることができますから、感謝します。
私がどのように生きるかよく「注意」し、「知恵のない者としてではなく、知恵のある者として」歩めるように助けてください。
私が継続的に真剣に、娘をあなたへと向けるために、「機会を十分に活かし」て用いることができるように助けてください(エペソ五・一五、一六)。
あなたは「へりくだった者には恵みを与え」てくださいます(箴言三・三四)。
ですから、あなたが私にしてくださったように、私がなすすべてのことにおいて、私が模範を示すことができるように助けてください(ヨハネ一三・一五)。
私が自分自身や自分の力に頼るのではなく、あなたにあって強く、あなたの「大能の力」にあって強くなることができるように(エペソ六・一〇)、「私の神、主よ。私の目をあなたに向けて」いることができますように、助けてください(詩篇一四一・八*訳注・NIVよりの日本語訳)。
父よ、私に見えないところを、「隠れている私の罪をお赦しください」(詩篇一九・一二*訳注・『聖書 新改訳』〔第三版〕)
私に「つまずきになるもの」がありませんように(ローマ一四・一三)。
主よ、娘が私の良い行いを見て、あなたをあがめるよう、私が娘の前で「光を輝かせ」ることができるように助けてください(マタイ五・一六)。
私の心をあなたの「愛とキリストの忍耐」へと導いてください(第二テサロニケ三・五)。
聖霊よ、私があなたに「満たされ」ますように(エペソ五・一八)、そうして、私の「心の奥底から、生ける水の川が流れ出」ますように(ヨハネ七・三八)、「永遠のいのちへの水が湧き出」ますように(ヨハネ四・一四)。
ただ私のためだけにではなく、私の愛する子どものためにも。『放蕩の子どものための祈り―わが子のために祈る90日』より)