《試し読み》コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか

社会・国際

《試し読み》コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか

コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか
ジョン・レノックス著 山形優子フットマン訳、森島泰則監訳、770円税込、B6判
ジョン・レノックス博士は、オックスフォード大学名誉教授で、アポロジェティクス(弁証論)の中心的存在として、著作や講演などで世界的に活躍している。生物学者のリチャード・ドーキンス、哲学者のピーター・シンガーなど無神論者たちとの公開討論(ディベート)でも有名である。 レノックス博士は、数学者であり、科学哲学も専門とすることから、キリスト教と科学の関係を論じ、聖書的世界観、クリスチャン信仰を弁証する。

はじめに

私たちは今、いまだかつてなかったような時代を生きています。これまでの世界観、あるいは信じてきたものが何であれ、ついこの間まで確実と思われていたことのほとんどが消え去りました。読者のみなさんがクリスチャンであろうとなかろうと、新型コロナウイルスの世界的な大流行は、私たちに言いようのない不安を与えています。そんな中、どこから手をつけて考えを整理していったらよいのでしょうか。また今後、どう対応していくべきなのでしょうか。
本書は、実際に今、まさに体験していることを受けて得た自分の思いをまとめたものです。この本を書き始めてわずか一週間で、すでに事態は急変。そして、これからも目まぐるしく変化し続けるでしょう。前置きとして、ここで綴られた思いは、あくまでも私個人のものであり、私が関わっている大学や諸機関とは無関係であることをお断りしておきます。また、当然のことながら、本書がつたない出来で、不足な点が多いことをも、はじめにお詫び申し上げます。
読者のみなさん、本書を開くにあたり、次のような想定で読み進んでいただくことをお勧めします。今、あなたは私と一緒にカフェに座っています。(本当にそうできたらいいのですが!) そして、あなたは、この本の題名でもある「コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか」という質問を私に投げかけています。私はコーヒーカップをおもむろにテーブルに置き、襟を正して、その質問にできるだけ誠実に答えようとしています。慰めと励まし、そして希望を、何とかしてあなたに伝えたいと願いを込めつつ。さあ、ご一緒に続くページを開きましょう。……

破壊された大聖堂

「試練に関する本ならすでにたくさん出回っています。今さらなぜこの本が必要なのでしょうか?」と聞きたくなるのもわかります。その答えは、ほとんどの本が取り上げている試練は人の行為から引き起こされる「道徳悪」に特化していますが、この本は、自然による災禍、いわゆる「自然悪」を取り上げているからです。つまり、ここで主に取り上げるのはコロナウイルスについてですが、津波や地震、病気などの自然災害にも焦点を当てたいのです。
痛みと試練が引き起こされる原因は、明確に異なる二つの種類に分類できます。一つは、自然災害と病から来るもので、人間には(直接的な)責任がないもの。たとえば、地震、津波、癌やコロナウイルス。これらは痛みを伴うもので、いわゆる「自然悪」と言われるものです。自然悪という言葉には少々違和感はあります。というのも、「悪」という言葉自体に道徳的な含みがありますが、地震もウイルスも道徳とはまったく無関係だからです。
二つめは、人間の責任で起こる苦しみです。憎悪、恐怖、暴力、虐待、そして殺人など、これらは道徳悪が根源です。
ニュージーランドのクライストチャーチ大聖堂、イギリスのコヴェントリー大聖堂、ドイツのドレスデンにある聖母教会は、この二種類の原因を痛みとともに力強く物語っています。これら三つの破壊された教会堂は、二つのことを象徴します。破壊前の姿がどんなに美しく優美だったかを見る人に示しています。その一方で、災害の深い傷跡が残されています。クライストチャーチは地震の爪痕、コヴェントリーとドレスデンは戦時下の空爆です。つまり、三つの教会はそれぞれ、見る人に美と破壊の混合を示しているのです。
これらの大聖堂は、災害があらわにした根深い実存的な問いに、私たちが簡単に答えを出すことができないことを語りかけます。災害の渦中にいる人の現実は、悲惨で筆舌に尽くしがたいほどに生々しいものです。苦しむ当事者以外の者には、十分な配慮ができない場合も多々あります。
当然ながら、クライストチャーチとコヴェントリーの大聖堂は同じではありません。クライストチャーチの大聖堂は地殻変動が原因で崩れました。コヴェントリーとドレスデンは戦争が原因で破壊されました。クライストチャーチの地震は、その衝撃の大きさから、アメリカの九・一一と比べられることもありますが、この二つの事件には大きな違いがあります。ニューヨークのツインタワーの崩壊は自然災害ではなく、道徳悪が原因の人災でした。つまり、人間悪のなせるわざでした。地震は自然災害で人為的ではありません。
もちろん、道徳悪と自然悪がまったく無関係ではない場合もあります。状況は実際、複雑に絡み合っています。金欲からくる商業目的の大規模な森林破壊は、干ばつを助長します。一方、コロナウイルスの発生は純粋に自然悪のようです。(もっともその周辺には道徳悪も見え隠れします。たとえば、スーパーで自分のことしか考えない買い占めや、買いだめなどが良い例です。)一部の人たちを責めるべく、陰謀論が持ち上がるのも避けられないところです。ウイルス感染には、人間が一役買っているのですから。しかしながら、これは不可抗力であり、ウイルスが動物から人間に飛び火したというのが有力な説です。
危険な新型ウイルスの第一報を、中国当局が口止めしたという証拠はあります。二〇二〇年三月十一日のイギリスのガーディアン紙に、香港のリリー・クオが次のように報道しました。

「中国政府の世界保健機構(WHO)への公式報告書によると、(コロナウイルスの)最初の診断ケースは十二月八日となっている。十二月末に、この新しい病に最初に警鐘を鳴らそうとした医師とその同僚たちは懲戒処分となった。当局は、人から人への感染があることを、一月二十一日になるまで公には認めなかった。」

二〇一九年十二月、政府に対してコロナウイルスへの警鐘を鳴らし、英雄として賞賛された武漢の眼科の李文亮医師は、悲しいことにウイルスに感染し、二か月後に死亡しました。
今後、各国のコロナウイルス感染への対応に関し、非難の応酬が起こることでしょう。しかしそれは、危機に直面する折には何の助けにもならないうえに、一人一人がどのように対処すればよいかを知るうえでは何の役にも立ちません。
結局、私たちは個々人の立場から物事を判断することしかできません。コロナウイルスがどう見えるかは、集中治療室で生死をさまよう高齢の女性患者と、それを治療する医師、見舞いに行くこともできない家族、彼女が集ってきた教会の牧師とでは、当然異なります。私たちの、もう一つの身近な重大問題は、自分が感染したかどうか、あるいは免疫があるかどうか、他の人にうつす可能性があるか、またはすでにうつしてしまったか、などです。
私たちはまず、知性、感情、霊という異なる三つの側面に、コロナウイルスがどんな影響を及ぼすのかを理解する必要があります。これら三つはそれぞれ大切な側面で、いずれも難しい問いを投げかけてきます。
私たちは知性をもって、自分たちの身に降りかかった出来事を把握したいと思います。したがって、多くの人々がニュース番組を片っぱしから見たり、インターネットを駆使して情報収集に奔走したりしています。しかし、これら知性による理解は、涙にくれる日が到来した際、役立つとは限りません。取り返しがつかないことが起きてしまったとき、人はどのように事態を理解し、受け入れるでしょうか。希望はあるのでしょうか。この深い問いかけは、果てしない流れのように心の中に入り込み、この本を読み進むうちに急流となり、あなたを悩ますかもしれません。なぜ、このことが自分に起きてしまったか。あるいは、友人や家族に起きてしまったか。なぜ、彼らは感染して死んだのか。そして、自分は助かってしまったのか。どうしたら精神的、身体的苦痛が減らせるのだろうか―いったい希望は、あるのでしょうか。(本文より一部抜粋)

コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか
ジョン・レノックス著 山形優子フットマン訳、森島泰則監訳、770円税込、B6判