《試し読み》『魂のサバイバルガイド』

ニュース

達成志向の世界で霊性を養う

スポンサーリンク

はじめに

 先ごろ、高校卒業三十周年の同窓会に出席するために、参加費を小切手で郵送しました。旧友との再会が楽しみな反面、心のどこかで不安も感じていました。みんなと比べて、自分が老けて見えたら嫌だなあ。仕事や結婚生活でも、私はうまくやっている方だろうか――。人と比べるべきではないとわかっていても、同窓会ではむずかしいものです。
 現代を生きる私たちには、昔の人が経験したことのないプレッシャーがあります。一般的な家系図を一八〇〇年代前半までさかのぼってみると、息子はすべて父親の仕事に就いていたことがわかります。あなたの家族の歴史を調べてみても、同じようなパターンを発見するでしょう。十九世紀の産業革命以前は、生まれついた社会環境で人生の選択肢はほぼ決まっていました。
 状況は変わりました。二百年前は不可能であった仕事や社会的地位の向上が、現在では可能になりました。一生懸命頑張れば、望みは叶えられると言われて私たちは育ちました。それは、パワフルで心躍るメッセージです。しかし、自分の夢を叶えられなかったら、どうしたらいいのでしょう。お金持ちにも、成功者にも、有名にもなれなかったら、どうなるでしょう。期待に応えられなかった、せっかくのチャンスを逃してしまったと感じるかもしれません。さらに悪いことに、自分のことを失敗者だと思うかもしれません。生まれついた家によって人生が決まっていた中世の人は、自分の力不足だったとか、自分は失敗者だと悩むことはありませんでした。

魂のサバイバルガイド―達成志向の世界で霊性を養う
ケン・シゲマツ 著、重松早基子 訳
達成のみを求めるストレス社会で、統合された自己、健全な自信、愛されているという魂のアイデンティティーを取り戻す。

 二十年ほど前、書店の自己啓発本コーナーには「あなたにはできる」、「すべてのことは可能だ」、あるいは「内に秘めた才能を目覚めさせる」といったメッセージを謳ったベストセラー本が並んでいました。それらの本は自分の人生を最大限に生かし、偉業を成し遂げるにはどうすればいいのかを教えていました。今日では、メッセージの内容が様変わりしています。今売れている自己啓発の本と言えば、自尊心の低さや恥、また人生で味わう挫折感にどう対処するかといった内容のものがほとんどです。スイス生まれの哲学者アラン・ド・ボトンは「何事も可能だと説く社会と自尊心の低さには、相関関係がある」と指摘しています。
 私は、常に競争を強いるグローバルな都市で育ちました。世界の中でも最も忙しく、仕事中心の街として知られる東京で生まれ、二歳のときに家族でイギリスのロンドンに引っ越しました。八歳になる少し前にカナダのバンクーバーに引っ越し、高校を卒業するまでそこで暮らしました。アメリカのシカゴ近郊の大学を卒業した後、私は再び東京に戻ってソニーで働きました。日本にいる間に早基子と出会い、後に結婚に導かれました。
 東京での結婚式の前夜、義理の父となる彼女の父親と一緒に夕食に行きました。早基子は生まれも育ちも日本でしたが、私たちは結婚後バンクーバーに住む予定でした。食事の席で、義理の父は私に一つの頼み事を持ちかけてきました。「時々、早基子が日本にいる私たち家族を訪問することは可能だろうか。」早基子が日本に帰ると私にとって不便が生じるため、帰らせてもらえないかもしれないと昔ながらの日本人男性である彼は心配していたようです。「もちろんですよ」と私は答えました。北米にとってのクリスマスのような意味合いがある日本のお正月の前後に里帰りをして、彼の要望に応えたいと私は心に決めました。
 そのため、私たちは妻の家族を訪問するため定期的に日本に帰ります。年末に日本に戻ると、時差のために夜中の二時頃によく目が覚めてしまいます。すると、もし子どもの頃私の家族が日本を離れなかったら、自分の人生はどうなっていただろうという思いが頭に浮かび始めます。もし、日本社会で育っていたなら、いい小学校、いい中学校、いい大学に入るために多大なプレッシャーがかけられていたことでしょう。最終的には、いい企業に就職し、忠実なサラリーマンになるプレッシャーが課せられたはずです。
 自分の人生の顛末を想像するにつけ「情け容赦のない競争社会にいなくて、良かった!」と安堵のため息をつきます。しかし、自分に正直になってみると、全くそのような状況から脱出したとも言えません。
 依然として私は、良い結果が求められるプレッシャーを感じています。学校を卒業してずいぶん経ちますが、学生の頃に戻り、準備なしにフランス語や数学の試験を受けなければいけないという悪夢もよく見ます。大事なバスケットボールの試合のときに感じたような、重要な局面で他の人たちの期待を背に感じながら、自分が何とかしなければいけないというプレッシャーをいまだに感じています。
 良い結果を出したり成功しなければいけないというプレッシャーは、私が東京のソニーで働いているときもありました。さらに、牧師として働くようになってからも感じます。牧師という職業は競争とは無縁で「霊的な」仕事だと思っている人もいるかもしれませんが、ビジネスの世界から教会へと移って来ても、自分の人生やミニストリーで何か特別なことをしなければいけないという思いから解放されませんでした。
 私の良き友人で、霊的判断の賜物を持つジェフがかつてこう言ってくれました。「これまでずっと、君は『できる男』でなければいけないと感じていた。学生のときはフットボール場で。働き始めた後は職場で。そして今は牧師として。」
 彼の言葉は、私の心に深く刺さりました。まさにその通りでした。まだ私には、何か大きなことを成し遂げたいという願望があります――何らかの形で、人より秀でたいという思いがあります。そのような思いを持つ人は、決して少なくないのではないでしょうか。
 成功したいという願望は、立派な動機から来ている場合もあります。例えば、この世を「より良い場所」にしたいというような動機です。しかし、平凡とか、あるいはもっとひどい「負け犬」といったレッテルを避けたいという恐れに煽られた動機もあります。
 完全に仕事に没頭していると、イキイキと充足感を感じるときがあります。その仕事をするために生まれて来たと思えるようなことをしているときは、特にそうです。しかし、没頭しすぎると、私たちにとって最も大切な関係を無視することもあります。私たちの魂を無視することにもつながります。魂こそが神と親しく交わる所であり、真の幸福感を見出す所でもあります。
 私自身の人生を見つめたり、上昇志向が強く成功を収めている人たちとの会話を通して、私は共通の問題点があることに気がつきました。私たちの多くは頭では神から愛されていると知りながらも、日々の生活の中では依然として自身の成功や外見、あるいは人が自分をどう見ているかに価値基準を置いています。
 私が本書を書いた理由は、そこにあります。この本の目的は、神の愛を深く探ることです。創造主から深く愛されていることを知ると、意味のある人生や永遠に残る功績、また――恐れや不安からではなく――神が示してくださった愛や恵みに対する深い感謝や喜びの泉から溢れるいのちを追い求めるようになります。
 二十年ほど前にバンクーバーのテンス教会に初めて来たとき、私の心は恐れでいっぱいでした。古い歴史を持ちながらも、教会員が千人から百人余りまでに減少した教会を牧会することに難しさと不安を感じていました。当時教会に来ていた人たちは主にヨーロッパ系のシニア世代で、過去二十年間で二十人、牧師(副牧師を含む)が入れ替わっていました。
 就任後間もなく、教会の事務担当者が私にこう言いました。「ケン、あなたがこの『船』の舵を取る最後の船長だから、今船が沈めば、みんなはあなたを責めるわよ。」私が頑張るように彼女は発破をかけたのだと思いますが、その言葉を聞いて私は落ち込みました。当時、私は教会が沈没しないかと常に心配していました。神の栄光のためではなく、恥ずかしい失敗を避けようとして懸命でした。人から失敗者と見られたくないと思いました。
 今日、当時のような焦りと不安はなくなりました。私たちの教会が巨大な滝に飲み込まれる心配がなくなったせいもありますが、もっと大きな理由は別にあります。最終的に私が成功しようが失敗しようが、常に神が私と共にいてくださることを知るようになったからです。自分の能力や結果に関わらず、最も大切な方から深く愛されているという事実を思い起こさせてくれる霊的習慣によって、心に平安が与えられました。神の愛は不必要な重荷から解放してくれるだけでなく、仕事に対してもエネルギーとインスピレーションを与えてくれます。
 このような本を書いたので、私は今では成功したいという思いから完全に解放されたと言いたいところです。しかし、自分の心に正直になってみると、神に忠実でありたいと思いながらも、成功したいとも思っています。神を愛したいと願いながらも、人からも好かれたいし、尊敬されたいとも思っています。イエスに忠実でありたいと願いながらも、何も秀でたところがない平凡な者になることも恐れています。自分の人生で満足のいく成功を収めているのか、このままの自分で大丈夫なのかという不安もあります。今でもこれらの課題と私自身が格闘しているので、この本は他の誰にでもなく自分自身に宛てて書かれた手紙でもあります。
 この後に続く章では、日々の生活の中で実際生きて働いておられる神を経験するための霊的習慣を紹介します。愛に溢れる神の御臨在に気づくようになると、より健全で安定したアイデンティティーを持ち、他者の人生にも永遠に意味のある違いをもたらすことができるようになると私自身感じています。キリストを日々の生活の中心に据えて生きるとき、私たちの想像をはるかに超えた力や深さを持ついのちがあることを発見します。
 私宛てに書いたこの手紙は、ある意味でサバイバルガイドのようなものです。上昇志向の強い人が持つマイナス面を乗り越えるため、また神の愛と受容で満ち足りることで成功願望を克服するためのガイドです。
 これは、魂がいのちを保ち続けるためのサバイバルガイドです。(本文より一部抜粋)

魂のサバイバルガイド―達成志向の世界で霊性を養う
ケン・シゲマツ 著、重松早基子 訳
達成のみを求めるストレス社会で、統合された自己、健全な自信、愛されているという魂のアイデンティティーを取り戻す。