《眠れぬ夜の詩篇》孤独を味わい、友となる

信仰生活

カバー・本文イラスト 近藤圭恵

詩篇68篇
主はみことばを賜る。
良いおとずれを告げる女たちは
大きな群れをなしている。(11節)

孤独を愛する

聖書は「人がひとりでいるのは良くない」というメッセージにあふれています。神は天地を創造し、最も尊い存在として人間を造り、土地や生き物の管理を任せたとあります。最初の人間は、一組の男と女、夫婦という最小単位での始まりでした。キリストの弟子が神の働きをする際には、必ず二人一組でと勧められています。パートナーを求める思いは、人間が持つ自然な感情、神からの贈り物です。
前作『こころのごはん』の最終章で、「人は孤立してはいけません。孤独になってはいけません」と書きました。あの後にまた経験を重ね、考えに変化が生まれました。確かに「孤立」はよくないと今でも考えています。ただ、「孤独」は自己洞察を深めるチャンスであり、悪くはない。むしろ、神との関係を築いていく上で必要なものになり得るはず。
こんなことばに出会いました。
「孤独を愛しなさい。だが、孤立することを忌み嫌いなさい」
これは、テゼ共同体の創始者ブラザー・ロジェのことばです。
テゼ共同体は、プロテスタントとカトリック出身の男子の修道会です。キリスト教の教派を超えたコミュニティとして、年間十万人にも及ぶ若者を迎えながら、祈りと労働の生活を分かち合っています。神と我。この関係に、人生すべてを捧げる選択をした修道士たちもまた、一人ではなく祈りの仲間と共に生きる人たちです。

徐々に失いながら

このロジェのことばは、作家・須賀敦子の全集を読み返していたとき、目に留まりました。
須賀さんは、大学を卒業後、フランス、そして一九五八年にイタリアへ再留学しました。十三年間暮らしたイタリアで拠点としたのは、コルシア・デイ・セルヴィ書店。サン・カルロ教会の物置を改造した小さな書店です。そこは書店であると同時に、「聖と俗の垣根をとりはらおうとするあたらしい神学」の流れを受け継ぐ、カトリックのキリスト教を源流とする共同体でもありました。
書店を切り盛りしていたペッピーノと須賀さんは結婚し、六年後に夫が急逝します。当時、まだ名もなく、翻訳の仕事を頼りに、一人異国で暮らす日本人となった須賀さんは、周りの人たちに支えられながら、新しい人生を立て直していったようです。
書店は、次第に求心力を失い、時の流れの中で形を変え、須賀さんも距離を置きます。ミラノで一人暮らしを続けていた四十代の彼女は、こう書いています。
「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」と(須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』白水Uブックス)。

一人孤独に置かれるとき

私が仕えることになった小さな教会は、牧師のいない状態を経験し、内外ともに傷ついていました。新婚の私たちを気の毒に思い、愛と行動にあふれたキリスト者の友人知人が、次々と助けに来てくれました。思い切って物を捨て、床を磨き、壁のペンキを塗る。よく働く手を持ったベテランの主婦たちにとりわけ励まされ、祈られ、山積みの課題を、目の前から少しずつ片付けることを教えられました。
そういった支援の波が引いたとき、私は牧師の妻という立場が、思った以上に孤独だと知りました。
聖書には、その人に与えられた使命を完全に受け取るまで、たった一人にされる人がたくさん登場します。使命と言えば特別に聞こえますが、聖書のことばに誠実に生きようと選択していく歩みの中で、誰にでも起こり得ることです。
そして、これはイエス・キリストの経験でもありました。クリスマス、それは神であるキリストが、人となって生まれた出来事です。その夜、宿屋に場所はなく、寒く暗い馬小屋、しかも飼い葉桶の中に幼子キリストは寝かされました。さらに、キリストが成人し、神としての働きを始める前には、「荒野」という寂しい場所に向かい、四十日間何も食さずに過ごします。
それは父なる神の声に聴き、働きのため整えられるのに必要な時間だったと想像しますが、その後、キリストを惑わす声がささやきます。もっと楽な道があるよ、本当にそれでいいのかと、使命を揺さぶる声です。
この手の声は、私たちの性格や、執着しているもの、いわゆる弱点を熟知し、そこに狙いを定めてきます。このずる賢い声にキリストはどのように立ち向かったのか。聖書は明確に記録して私たちに教えます。それは単純な方法でした。甘い誘惑に対して、キリストは聖書のことばをまっすぐに投げ返します。悪い声に耳を傾けず、ただ「こころのごはん」を宣言し、相手を制していく。

自分に失望する日々で

もし私たちが荒野に一人置かれたならば、何にしがみつくでしょうか。お金、仕事、家族、子ども、異性、あるいは自分の計画や経験でしょうか。
私は牧師の妻という立場の孤独を知ってから、人に対する期待の強さや甘えを思い知らされました。結婚して夫と二人になったつもりでしたが、その前に、まず私と神との関係をまっすぐに結び、自立した信仰を持つ必要がありました。同時に、自分さえ頑張れば、なんとかすべてうまくいくといった発想を捨てられずにいることもわかってきました。
キリスト者となり、案外いい人になったつもりの私でしたが、徹底して自分に失望する日が続きました。自己弁護や自己憐憫の声に浸る日々も過ごしました。この二つは、いかにももっともらしい顔をして迫ってきます。「こんなにかわいそうな自分」という思いは、辛い現実と向き合わずにすむ言い訳として、特別な魅力があります。
手放すことと諦めることは違います。スポーツでも音楽でも、何かを習得するときに、余分な力を抜くことは大切ですが、信仰でもそれは同じです。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3章11節)。洗礼と結婚時に、信仰の先輩からいただいたカードに書いてあった聖書のことばです。
神の時は、自分が思うよりもゆっくりなのは、私たちの力みを抜くためかもしれません。神に背負ってもらい、人生を軽やかに歩んでいけばいいものを、重い重いと言いながら、自分が神を背負って進もうとしてしまう。
実際には、神に背負ってもらったり、傍らに寄り添ってもらっていることを、しっかり意識したいと思います。……(【2018年7月上旬発売】『こころのよるごはん 眠れぬ夜の詩篇』「第11章 孤独を味わい、友となる」より)

宮葉子(みや・ようこ)
文筆家。立教大学文学部卒業。「向島こひつじ書房」の名で、読書会、子どもの本のワークショップ等を行う。近年では、児童文学や聖書をテーマにした講演が好評を得ている。墨田聖書教会の石川良男牧師と結婚後、聖契神学校で学び、夫とともに牧会に携わる。2008年より女性の心の再建を支援する「pray&hopeプロジェクト」を主宰。著書に、『「料理研究家」たち』(日本放送出版協会)、『料理を作る仕事につきたい』(同文書院)、『こころのごはん』『アンが愛した聖書のことば』『憲法に「愛」を読む』(いのちのことば社)がある。
ブログ「牧師館のお茶会」https://annestea.exblog.jp
「大人のための子どもの本の読書会」http://booksheepbook.hatenablog.com

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