《特集》聖書に学ぶ! 回復のプログラム⑨ ギャンブル依存症からの回復 

信仰生活

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聖書に発見!回復のプログラム⑨

依存症~生涯かけての回復の歩み

関東在住・教会信徒  Yさん

私は現在、「GA(ギャンブラーズ・アノニマス)」というギャンブル依存症のための自助グループで、5年ほど、ギャンブル依存からの回復を目指して取り組んでいます。GAに参加するまでは、約10年の間、ギャンブル、特にパチスロにのめり込む生活を送っていました。

パチスロをやるようになった当初は、ゲームセンターに行くのと同じような、あくまで自由な時間に「ちょっとやろうかな」といった軽い感覚でした。ところが割と早い段階で大当たりを出し、「たった30分で5万円も儲かるんだ!」という経験をしてしまった。こうしたビギナーズラックは誰にでもあることなのですが、それからは少しずつ、賭ける金額や入り浸る時間が増えていきました。今思えば仕事のストレスなどもあったと思いますが、どんどん歯止めが利かなくなり、仕事や家庭、教会生活よりも、自分の中でギャンブルが占める割合が大きくなっていったのです。

依存症には「渇望現象」と「強迫観念」という特徴があります。渇望現象は、「一度やり始めたら止まらない」ということで、最初は「今日は5,000円分だけやろう」と思っていても次々とつぎ込み、気がつけば五回もATMに行っていた、ということがよくありました。そして当然負けることのほうが多いのですが、「今日はたまたま負けただけだ。明日はきっと勝つだろう」と、自分に嘘を信じ込ませるわけです。私も、「もう絶対やらない!」と何度も思いました。でも仕事が終わる頃になると、「早く行かなきゃ」と思う自分がいる。これが強迫観念で、2つの特徴を繰り返しながら深みにはまっていきました。依存症というのは、個人の意志の強さに関係なく、誰もが陥る病気なのです。

私は妻にも仕事と嘘をつき、毎日のようにパチスロに入り浸っていました。しかし妻は気づいていて、教会の牧師などに相談していたようです。ある日、牧師に聞いたといって、GAに行くことを勧めてくれました。しかし私は、当時は自分が依存症であると認めておらず(依存症の別名は「否認の病」)、妻や牧師の顔を立てるために参加したようなものでしたが、内心「自分はこの人たちとは違う。自分の力で克服してみせる」と思っており、それきり行くのをやめてしまいました。

それから数か月は、なんとかギャンブルを我慢することができました。しかし何かの拍子に強迫観念に駆られ、またパチスロにのめり込むようになりました。症状は以前よりもひどく、過去2年分と同額の借金を、たった半年でつくってしまったのです。さすがに「自分はどこかおかしい。病気じゃないか」と気づき、再びGAに足を運ぶようになりました。

GAのミーティングでは、互いに本名は明かさず、自分の感じたこと、これまでしてきたことなどを分かち合います。その際、聞いている人は批判や意見、アドバイスすら一切言いません。家族にも言えなかった苦しいことを、同じ経験をしてきた仲間だから話せる。それだけでも救いですが、人の話を聞きながら、「ああ、自分もそうだったな」と気づきを得ていく。それが非常に大事です。

出発点は「自分はギャンブルに対して無力であり、自分で回復する力もない」と、まず認めること

依存症には完治がありません。一度病気になると「もうこれで大丈夫」ということはなく、生涯かけて、回復を目指して歩いていくのです。一生というと不安で押しつぶされそうになりますが、私たちは「今日1日だけはギャンブルをしない」という日を積み重ねるつもりで取り組んでいます。もちろん、またギャンブルに戻ってしまう人もいます。でもそれは当たり前のことで、「またいつでもミーティングに戻ってきていいんだよ」ということを確認し合っています。

そして私の所属するグループでは、教材をもとに、12のステップを通して段階的に回復に取り組んでいます。その出発点は、「自分はギャンブルに対して無力であり、自分で回復する力もない」と、まず認めることにあります。そして、「自分を回復に向かわせる力をもった大きな存在がいる」ことを信じ、「その力に自分をゆだねる」ことが最初の3段階です。これまで、自分が中心、自分が主人公という生き方をしてきて、そうした誤った考え方がギャンブル依存というかたちで出てしまった。だから、自分の無力を認めて、別の力に主人公になってもらう。それは、人が信仰に至るプロセスと同じだと思います。

この「力」は、仏教や神道など、人によって異なりますが、自分で決めたものでよいのです。クリスチャンである私にとって、その「力」は神様でした。「神様が回復させてくださる」と神を求めた時、気づいたのです。「神様はこれまでずっと私の中におられたんだ、私は、欲望や妄想、間違った考えを通して、自分自身で神様とのつながりを切ってしまっていたんだ」と。「クリスチャンであり、聖書の価値観を知っていることはギャンブル依存を防がなかったのですか」と疑問に思う人もいるかもしれません。でも、聖書の価値観が無力なのではなくて、私の方でそれをシャットダウンしてしまっていたのです。依存症になって、自助グループに参加することを通して、私は改めて神様と出会った。神様が、私にそういうプロセスを許してくださったのだと今は感じています。

(聞き書き=藤野多恵)

<「百万人の福音」2017年4月号より>

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