《特集》戦前・戦中の教会を再考する②

信仰生活

〝いのち〟を失っていた教会

星出卓也 牧師

プロフィール1966年、埼玉県生まれ。東京基督神学校を卒業後、2001年より日本長老教会西武柳沢キリスト教会牧師。「政教分離の会」事務局長、日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会委員、日本長老教会社会委員会委員長

国家神道が国民統合のための「装置」に

 戦前・戦中の教会が、国家神道体制にのみ込まれていった経緯については、その背景を明治初期にまで遡る必要があります。明治維新後、欧州を視察した政治指導者たちは、諸外国の国民統合の求心力として、キリスト教信仰が存在していることに気づきます。そして、欧州のキリスト教に代わる〝宗教〟を、日本では皇室とする、と定めました。すなわち、皇室祭祀や神社と結びつけた特定の神道を、国民統合のための〝宗教〟とする。これが、国家神道(皇室神道)体制の始まりです。
 当初明治政府は、緒宗教を排除し、国家神道を唯一の宗教として国民に強制しようとしました。しかし、国内外からの猛反発を受けて方針を転換します。それが、「神社(神道)は宗教に非ず」とする考え方でした。つまり、「宗教は私事にすぎない。神社は緒宗教を超えた公の〝祭祀を司る国家機関〟である」とするものです。そして国家神道は、皇室祭祀に基づく祝祭日や行事、「教育勅語」などを通して国民の生活に入り込み、天皇崇敬を中心とする神道的な儀礼・思想が、最高の道徳として広く国民の間に浸透していきました。
 このような中でキリスト者も、〝道徳〟が自身の信仰に抵触したとしても、それはあくまで私的なこととして、公の抵抗が困難になっていました。ですが、天皇を主とする国家神道と、唯一の神のみを主とするキリスト教信仰は、絶対にぶつからざるを得ない性質をもっていたのです。

国家に忖度「イエス〝も〟主である」

 「内村鑑三不敬事件」は、それが初めて顕著になった出来事でした。当時はまだ、内村を支持する教会がありました。しかし、この事件を通して日本の教会は、「国家が求めるのは、天皇を主とすることに抵触しないキリスト教である」、そして「それに反すればどんな目に遭うか」を、はっきり突きつけられることになるのです。教会は葛藤したことでしょう。そんな時、「神社は宗教に非ず。国民の道徳である」という既出の概念は、とても魅力的な〝折り合い〟でした。そして多くの教会が、この概念に乗っかっていくことになるのです。また一方で、明治初期まで迫害されてきたキリスト教が、(国家神道に抵触しない限り)国の承認を得たことは、とても喜ばしいことでした。そのため教会は、「国のためのキリスト教」的立場にますます傾倒していくのです。
 1929年の「美濃ミッション事件」の頃には、教会のほとんどが神社参拝容認に傾いていました。この頃の教会は、「イエスは主である」という信仰の根幹を、「イエスも主である」に変容させていたと言えるでしょう。教会(組織)を守ったつもりで、実はいのちを失っていたのです。

日本基督教団が1943年、軍に献納した軍用機と同形の99式艦上爆撃機

 そして1942年、「ホーリネス弾圧事件」が起こります。日本基督教団結成後、国に忠実だったはずの教会が弾圧に遭ったことは、官憲による見せしめ的要素を含んでいました。逮捕者たちも、なぜ弾圧を受けるのかわからなかったことでしょう。私は、これはある種、主の憐れみだったのだと思います。イエスがなおも教会を見捨てず、ご自身の苦しみを共に担う者を召されたのではないかと。そして、迫害を受けて教団からも切り捨てられた人々が、真理に目覚めていくのです。
 戦後、日本の教会は新日本建設の流れの中で教勢拡大へと邁進し、戦中の過ちをすぐに自覚したわけではありませんでした。1967年、日本基督教団が「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を採択しますが、そこに至らしめたのは、アジア諸国の教会との交わりです。
 今、世が再び戦前と同じ方向に傾きつつあります。主は、私たちが一度失敗しても再びチャンスを与えてくださるお方。おそらく、教会は同じ試練を〝再履修〟することになるでしょう。ですが、主は必ず少数の「残りの民」(Ⅰ列王記19:18)を与えてくださり、たとえ死を伴ったとしても、聖霊によって勝利させてくださる(黙示録12:11)。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに」(創世記18:32)と言われた主に信頼して、霊的な闘いに備えていくことが大切ではないでしょうか。

「百万人の福音」2018年5月号より】

「戦前・戦中の教会を再考する①」はコチラ

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