《特集》世界はどうなの? 憲法改正

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世界はどうなの? 憲法改正

 権利の保障と権力分立、これが自由主義・資本主義型憲法として成立した成文憲法の基本原理だ。ここに土台を置いた統制機構を持つ国々の憲法改正はどのようなものなのか。いくつかの例を見ながら、改憲について考えるヒントとしたい。

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アメリカの場合


 アメリカは「すべて人は、平等に造られ、創造主により、生命、自由及び幸福の追求を含む、奪うことのできない一定の権利を与えられている」という信念の下、1776年、イギリスからの独立を宣言した。その後1788年に批准された合衆国憲法は、人民主権、連邦主義(州憲法がある)、三権分立を基として、政教分離・信教及び表現の自由・請願の権利、武器の保有権、州及び人民が留保する権限等、10の修正を加えて発効された。
 合衆国憲法の特徴の一つは、改正の際、元の条文は削除されず、修正条項として憲法中に追加して書き込まれる様式をとっていることだ。今日までに修正(改正)が行われたのは27回。戦前までの修正で大きなものは1865年の奴隷制度廃止だが、連邦制をとるため、全州で廃止されたのは、100年後の1995年、ミシシッピ州憲法の承認による。
 また、憲法で禁酒を定めたというのも他国に類を見ない(1917年批准の禁酒法)。しかし禁酒法を強制することはほとんどなく、33年に廃止の修正を批准した。
 第二次世界大戦後、憲法が修正されたのは6回。大統領の3選禁止、合衆国政府の所在地であるコロンビア地区における大統領選挙人の選任、納税による選挙権の差別禁止、大統領職の承継・代理、18歳以上の市民による選挙権、議員報酬の改定に関する制度である。

ドイツの場合


 第二次大戦の敗戦によって東西に分裂したドイツは、その名残により、統一後も現在に至るまで「憲法」という名称は使われず、1949年に公布されたドイツ連邦共和国基本法(通称「ボン基本法」が憲法に当たる。
 かつて、倒閣のみを目的としたナチスと共産党の多数派形成で、中道左派のワイマール連合の政権運営を不可能にしたという苦い体験から、ボン基本法では連邦宰相の地位を強化。新政権の準備がある場合に限り内閣に不信任案を突きつけることを許す「建設的不信任決議」の制度を採用した。この体制擁護のための制度は、ナチズムの手痛い教訓から得たドイツならではのもので、他国に例を見ない。
 自由かつ民主的な基本秩序を強調した護憲的体制を敷くドイツだが、その基となる憲法の改正が多いのも特徴だ。ボン基本法は西ドイツ時代だけでも35回、2014年の「教育・研究に関する共同任務に関する規定の変更」まで、60回にわたる改正が行われている。この改正の多さは、ボン基本法が日本でいえば法律レベルに該当する内容をも規定していること、また連邦とラント(州にあたるもの)の権限を頻繁に見直していることなどにも由来する。
 西ドイツ時代、政治の大きな転換点となった改正として、他の条文で侵略戦争禁止をうたった上での1956年の再軍備のための改正がある。また緊急事態条項に、抵抗権など大幅な追加を加えた六八年の改正も大きなもの。この抵抗権とは、圧政への抵抗というより、東西冷戦下での反憲法的勢力への抵抗のための権利を意識したものだ。
 また、再統一にあたりドイツ全域へのボン基本法適用を宣言した90年改正、外国人労働者問題の深刻化に関連した93年の庇護権規定改正、環境保護規定の新設を含む九四年の大規模改正など、国際社会の変化を受けたものがある。

フランスの場合


 「権利の保障が確かでなく、権力分立も定められないような社会は、憲法を持つものではない」と1789年に規定したフランスの人権宣言16条は、近代的立憲主義の精神を表し、近代的憲法制定の礎となった。しかし、旧体制を倒した大革命後、共和制、帝政、王政復古、第2共和制、第2帝政と目まぐるしく体制が変わり、第3共和制に至るまで十数の成文憲法が生まれた。
 その第3共和制はナチスの侵略により崩壊し、戦後1946年に国民投票により新憲法草案が承認され、第4共和制が誕生。この憲法制定過程で、かつてのレジスタンスのリーダー、ド・ゴールは強い政府を擁立するための案を求めたが、憲法制定議会は議会優位の憲法案を採択。憲法前文に1789年の人権宣言と「共和制の法律が承認する基本原理」に触れることを修正案として加え、国民投票で承認され第四共和制憲法制定となった。
 しかし独立を求める植民地の問題に対処できず、再びド・ゴールにリードをゆだね、アルジェリア戦争の最中、1958年に第五共和制憲法が制定された。この憲法の大きな特徴は、大統領権限の強大化。フランス大統領に対し、国民議会は弾劾裁判権をもたないなど、それまでの議会優位から強い政府へと変換された。
 この第5共和制憲法は、24回の改正が行われ、現在に至っている。中でも2008年の改正は50以上の条項が改められた最大のもので、それまでの大統領中心主義の統治機構のあり方が、議会の役割を重視するものへと大きく変更された。また、欧州連合に関する条約批准のための改正や国際刑事裁判所創設に伴う改正など、主権の一部を欧州連合や他の国際機関へ移譲するための改正が多いことも、第5共和制憲法改正の特徴だ。

韓国の場合


 日本の植民地支配からの解放、南北分断を経て、1948年に第二次大戦後初の憲法である第1共和国憲法が公布された。韓国はこれまで、政治体制が大きく変わるたびに憲法改正を行っているため、憲法を6つに区分することが一般的。現行の憲法は、48年憲法の第九次改正の形式をとる第6共和国憲法である。
 今までの改正の中で特徴的なものを挙げると、60年の第3次改正(第2共和国憲法)で、韓国憲法史上初めて議員内閣制を導入、大統領制から議院内閣制への変更、基本的人権の保障の強化、憲法裁判所の設置などが導入された。また同年第4次改正を経て62年に行われた第5次改正(第3共和国憲法)は、クーデターにより成立した軍事政府による憲法改正。大統領制及び一院制への変更、憲法裁判所の廃止など第2共和国憲法の決めた改正手続きを踏むことなく、国民投票により承認された。69年の第6次改正を経て、72年の第7次改正(第4共和国憲法)では、人権条項に法的根拠を加えたこと、統一主体国民会議の設置、同会議による大統領の選出、大統領権限の強化などの改正が、非常戒厳令下に所定の手続きなしに行われた。この憲法は、大統領暗殺とさらなる軍事クーデターを背景に、80年に第8次改正で全面改正され、第五共和国憲法が成立。改正内容は、統一主体国民会議の廃止、選挙人団による大統領の間接選挙、基本的人権の不可侵を強調、などだが、過去2回の改正同様、正規の手続きを経ずになされた。
 その後、民主化運動の賜物として87年に行われた第9次改正は、基本的人権の拡充、大統領の直接選挙制、憲法裁判所の復活など、正規の手続きにより全面改正され、第6次共和国憲法として制定された。また韓国憲法史上初めて与野党の妥協と国民的協議により行われた憲法改正でもある。

イタリアの場合


 現行憲法は、1947年に制定されたイタリア共和国憲法。思想の自由、政党の自由などを認めている憲法だが、ドイツ、日本同様、第二次大戦の敗戦国であり、戦時中のムッソリーニ政権によるファシズム体制をとっていたことへの教訓から、ファシスト党の再結成だけは禁じている。また、48年までイタリアの王家だったサヴォイア家を、憲法によって2002年まで国外追放した。
 イタリア共和国憲法は、現在に至るまで15回の改正をしているが、統治制度に関するものが多いことと、基本的に小規模な改正がほとんどで、大規模な憲法改正について、議論はなされているが実行に移されたことはいまだない。

まとめ


 ほんの一部の国々の、しかもピックアップしての改憲を見ただけでも、時代の流れと規範、国の必要に応じて憲法改正があることがわかる。 
 日本国憲法は、1947年の施行から70年以上改正されず、現行憲法の中では最も長く続く憲法だ。その理由として、9条のように考え方が分かれる政治状況が続いていることもある。が、それだけではない。改正が多くなされてきた他国の憲法と違い、大原則だけを定め、具体的な内容については「法律で定める」として個々の法律で決める構造となっているため、憲法自体を改正する必要がないことも大きい。
 ではこのまま改正しなくてよいのか?日本国憲法では、例えば国会議員を選ぶ方法を「法律で定める」として国会議員自身にルールを任せているのは問題、これは改正すべき、という識者もいる。
 改憲を論じるのに大切なのは回数ではなく内容。そして改憲するか否かが問題なのではなく、改憲を必要とする意図がどこにあるのか。そこにその国が大事にしているものが見え、その国の憲法の存在理由がある。ましてや罪の中からキリストのいのちをもって買い取られたキリスト者は、自分の善し悪しの判断を超え、聖書に記されている御旨に照らし、改憲を考えていくことに幸いがある。
 まずは日本国憲法をじっくり読んでみてはどうだろうか。103条という短さだ。この短さも、日本国憲法の特徴の一つである。

【参考文献】高橋和之編『新版 世界憲法集』(岩波文庫) 国立国会図書館編「諸外国における戦後の憲法改正 第5版」 K.M.マッケルウェイン「世界中の憲法との比較で見えた日本国憲法の特徴」(ウェブロンザ朝日新聞社)ほか

「百万人の福音」2018年5月号より】

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