《特集》サタン基礎講座ー関野祐二牧師 Q&A

宣教・神学・教育

サタン基礎講座 関野祐二牧師 Q&A

関野祐二 牧師

1959年生まれ。1990年に東京基督神学校(現、東京基督教大学)を卒業し、牧師に。現在、鶴見聖契キリスト教会牧師、聖契神学校校長

Q1 サタンって本当にいるの?

実際、サタンは本当にいるのでしょうか?
います! 宇宙全体を考えたときに、神の領域と、人間を含めた被造物の領域の2つが、まずあります。問題は、その両者の間に3番めの中間領域があることです。神がお造りになったけれども、人間には見えない霊的領域です。聖書では、そこにいる存在を「天使」「御使い」と呼んでいます。
 サタンはもともと御使いで、神の御用をするために造られました。しかし、どの段階でかわかりませんが、御使いの一部が神から離れた、というのが定説になっています。
 しかし、多くのプロテスタント教会では、天使論(組織神学ではサタンも「天使論」に分類される)を強調しません。これはブルトマン(20世紀ドイツの代表的な新約学者)という神学者の影響があるかもしれません。彼は「天使とか悪魔は古い時代の遺物であり、現代のクリスチャンには意味がない」と言ったのです。

たしかに、一部の教派を除いて、クリスチャンの会話に天使とか悪魔はほとんど出てきませんね。
 「御使い」も含めて、身近なものとして位置づけてはいないようですが、聖書にはたくさん出てきますし、いまも実際にいるのです。
 アメリカの古いテレビドラマ「大草原の小さな家」で、御使いをテーマにした回がありました。年配の男性が、御使い役として登場しています。私は神学校の組織神学の授業でそれを教材として使ったことがあります。
 日本の福音派教会では、あまりそういうことを言わないので、抜け落ちていますね。この問題は神学の領域だけでなく、日常生活の中でどう扱うかが教会にとって大事なテーマになります。

ウィリアム・ブレイク作「大いなる赤き竜と日をまとう女」

Q2 神がサタンの存在を許すのはなぜ?

サタンは世界をどうしたいと考えているのでしょうか?
 サタンは「この世の君」です。神の支配の下で、一時的に一定の権威をもつことを許されている。だから自分を王として、配下に人間を集めたいのでしょう。人を神から引き離すのが、彼らの仕事ですから。

神は、そうした状況をあえてそのままにしているのですね。
 神は、サタンがいない、善だけの、罪もない、すべてが神の思いにかなった世界を造ることもできたでしょう。でも、人間にも御使いにも自由意思を与えました。だからこそ愛の関係がもてるし、神の下に行く選択も生まれる。その時、神と人と御使いが協力しながら、この世界を神の意思に沿って統治していくのです。
 自由意思を認めるということは、堕落も生まれます。その一つがサタンであり、人間の罪なのです。それでも、神は愛を育む自由意志を取り上げはしなかった。

堕落によって生まれた苦しみが、よき試練となって、人が神を理解する機会となるとも言えるでしょうか。
 試練は神から来ますが、誘惑は神から来ません。神は人を誘惑することはないとヤコブ書にあります(ヤコブ1章13節)。試練の目的は、人が神との関係を強固にすることです。アブラハムがイサクを捧げた出来事は、神からの試練でした(創世記22章)。
 イエス様が荒野でサタンからささやかれたのは誘惑です(マタイ4章)。サタンが、イエス様を神から引き離し、救いのみわざを妨害しようとしたわけですから。

ウィリアム・ブレイク作「巨大な赤い龍と海から上がってきた獣」

Q3 教会があまりサタンを語らない理由は?

クリスチャンがサタンを意識しなくなったのはなぜでしょう?
 霊的戦いが軽視されてきたのは、贖罪論(十字架の理解)の捉え方にあると思います。イエス様の十字架は何のためだったかについては、大きく2つあります。1つは、「代償的贖罪論」といって、私たちの罪の身代わりの代価として、イエス様が十字架にかかって死んでくださったということ。もう1つは「悪魔に対するキリストの勝利」(勝利者キリスト)です。
 実は中世の教会では、後者が強調されていました。それが、近代に近づくにしたがって、前者を強調するようになった。罪が私たちを汚染していたが、それをイエス様が身代わりに背負ってくださったから、私はきれいになって天の御国に入れると。
 しかし、十字架による罪の赦しは大切だとしても、罪赦された私たちが、その後の人生でどうやって罪と戦うかという課題が確かにあるのです。その時、悪魔との戦いを意識しないわけにはいかない。よみがえりのイエス様だけが、罪の結果である死に勝利して、悪魔の力に打ち勝ったという事実は、私たちの復活の根拠であり、闘いの支えになるのです。

そう考えると、サタンとの戦いは避けて通れない話ですね。
 福音派の教会は、かつて悪霊の働きを強調した問題で教会が傷んだり、分裂したことがありました。それで、この点に触れたくない人が大勢生まれた。その結果、悪霊の存在や活動を軽視する人と、それを強調する人の二極化に陥ってしまった。悪霊も含めて、霊というものが神の救いの中で、どういう意味があるのか、また、聖書が霊について何を言っているかを、バランスよく身に着けることが大切ではないでしょうか。

ミケランジェロ・ブオナローティ作「聖アントニウスの誘惑」

Q4 「悪霊追い出し」は今もあるの?

聖書にある「悪霊追い出し」は、今もあるのでしょうか?
 最初に確認しておきますが、聖書の中で、「サタン(悪魔)」は単数形です。一方「悪霊」は複数形です。つまりサタンという親玉が1人いて、その下に多くの悪霊がいるという構図に間違いないでしょう。
 そうした悪霊が活発に活動した時期が歴史の中にあります。イエス様が人として地上を歩んだ時代がその1つでしょう。例えばガダラ(ゲラサ)人の地でイエス様と男が向かい合った時、その男に取りついていた悪霊がこう言います。
 「まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか」(マタイ8章29節)
 悪霊はサタンの手下として自由にのさばっていたのに、神の国の王(イエス)が来たら、従わないといけなくなるのです。悪霊が暴れるのは当然ですね。この場面では、自分たちの身が危ないと感じた悪霊が、豚に入ることを願いました。
 福音書の各所で、イエス様の正体を正確に言い表しているのは悪霊です。「神の聖者」とも指摘しています。イエス様はさまざまな奇跡を行いましたが、その多くは悪霊を追放することでした。
 ちなみにカトリック教会では、カテキズム(教理の解説書)で、悪霊払いの儀式について触れています(No.1237)。そこには、精神疾患と区別するようにという注意書きも付いています。
 現在も、2000年前ほど激しくないかもしれませんが、悪霊の働きは確かにあります。宣教師が遣わされた宣教地で悪霊の働きに直面し、戸惑う実例や報告が多くなされています。しかし、興味本位や、知識のないまま人が不用意に関わるのは危険です。


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「百万人の福音」2019年10月号より】

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