《特集》さあ賛美しよう!③賛美を語る:塩谷達也 vs 中山信児

信仰生活

対談:塩谷達也 vs 中山信児

昨今、様々なスタイルで賛美をささげる教会が増えてますが、そもそも賛美とは何か?考える人は少ないのではないでしょうか?そこでゴスペル界の明日を担うシンガーソングライター塩谷達也さん『教会福音讃美歌』の編集に携わり、賛美歌の翻訳も手がけた中山信児さんに賛美について語っていただいた。

塩谷達也:シンガー、ソングライター、プロデューサー。カルチャーセンターでのクワイヤーディレクターも務める。ソロアルバム『琴音』妻の美和さんとのアルバム『主の祈り』『You set me free』などをリリース。2016年『ゴスペルのチカラ』を上梓。

中山信児:日本福音キリスト教会連合菅生キリスト教会牧師。『教会福音讃美歌』の編集に携わり、賛美歌の翻訳も手がけた。日本の賛美の素地を高めていくため、賛美歌を作るノウハウを共有していきたいと願っている。

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礼拝の中で私たちは賛美をしますが、それが形式的なものになっていないか、そもそも賛美とは何かについて考えたいと思います。

中山さん写真
前は強いリーダーシップをもった指導者がそれぞれの形を大切にしながら日本の礼拝賛美を牽引してきたけど、今はいろんな意味で壁が低くなった。
塩谷さん 写真
以前は、ゴスペルが同じフレーズを何度も歌っていると批判されたこともありました。
中山さん写真
自己陶酔やマインドコントロールを警戒したのかな。
塩谷さん 写真
黒人教会では聖霊に満たされて整えられるまでやめないというのがスタンダード。日本の多くの教会では、プログラムどおり、会衆の心がざわざわしていようが何だろうが2節なら2節で終わるじゃないですか。黒人教会はみことばに備え、心開くまで続ける。日々の生活で乱れた心がまだみことばを受け取るまでに整っていないなら、いくらでも必要だと思う。
中山さん写真
心と体を大事にする黒人教会のような考えは、リタージカルな教会にもあって、彼らも頭だけでなく、体を使う。ひざまずいて祈るとか、実際にパンを裂くとか。
塩谷さん 写真
身体性、大事ですよね。黒人たちは、元奴隷だから。リタージカル、儀式とかではなく、必要にせまられ、とにかく神を求め、賛美する。
中山さん写真
日本の最初期のプロテスタント礼拝では、日本語の賛美歌がなかったので賛美ができなかった。しばらくして宣教師が英語で賛美歌を教えて、みんな英語で歌うようになった。
塩谷さん 写真
今のゴスペルと同じじゃないですか。
中山さん写真
そう。その後、賛美歌も日本語に訳されていくけど、多くの教会では、礼拝や賛美の枠組みは、今でも明治期からあまり変わらなかった。『讃美歌』は昭和の時代に2回改訂されているのに、戦前と戦後で内容に大きな変化がない。不適切なものを除いて新しくしたけれど、戦後復興が大変な時期でもあったので、本格的な改訂はできなかったと思う。だから、礼拝賛美のことを言うなら、日本の教会には、今も戦前からそれほど変わっていないところがある。欧米では時代の変化をもっと敏感に捉えている。キリスト教の勢いが衰えていることも深刻な変化。ヨーロッパでは大きな教会が閉じてイスラム教のモスクやディスコになっているところもある。
塩谷さん 写真
オランダに行った時も、有名な大きな教会がイスラム教の展示スペースになっていて。会衆がこないから礼拝も止めちゃうって。
中山さん写真
一方で生き生きした礼拝や賛美を献げている所もある。
塩谷さん 写真
そう。イギリスに行った時も、ローチャーチといわれているホテルの会議室や体育館なんかを借りて礼拝をする教会もあった。すっごく熱くて、僕が行った教会は移民のジャマイカ人とかいて生き生きしていた。

賛美の勢いと教会の勢い、連動していますか?

塩谷さん 写真
もちろんそうだろうね。
中山さん写真
イギリスでは『教会福音讃美歌』にも入っているスチュアート・タウネンドやキース・ゲティなんかが、内容豊かで力強い賛美歌を作って、世代を超えた共感を得ている。神学でも福音のメッセージをもう一度捉え直そうという動きがある。

サンデークリスチャンに陥らないために賛美は大事な要素かと。頭だけでなく、身体的になることで行動と考えが一致していくのですかね。

塩谷さん 写真
黒人教会の礼拝は、礼拝に来た人がどんなに落ち込んでいようとも、無理やり立たせて何度も繰り返し歌わせる。彼らは奴隷の歴史があるから、死にそうなほど疲れていても、叫ぶように賛美する。そして賛美の中にぐっと引き込まれ、歌ううちにその神様の祝福や恵みを受け、元気になっていく。
日本は疲れている人、落ち込んでいる人を無理やり立たせてハグして、というような文化はない。ほっといてあげようね、そっと、とか。礼拝、賛美も日本文化を映し、「いろんな人がいるから」と配慮する。でも礼拝に導く、その心が神に向かうという意味では、思いやりだけでは引き上げられないんじゃないかって思う。賛美は、高速でしかも2車線、3車線で神様につながる車の役割、神様とのパイプを太くするツールのような気がする。神様が祝福を、恵みをたくさん与えようとしているのに、もったいないよね。ゴスペルが日本に映画を通して入ってきたのは、神様の恵みだったんじゃないかと思う。
中山さん写真
その辺りで、日本の賛美も大きく変わった感じがするね。ただ、賛美にはいろんなファンクション(目的・役目)があって、アクセル全開みたいな賛美ばかりじゃない。テゼ共同体の賛美とか。
塩谷さん 写真
僕は、あれにも「高速」感じますけどね。
中山さん写真
もちろん根底では、すべての賛美はつながっていると思うけど、やっぱり違うところもあるよね。テゼの賛美は、繰り返して賛美しながら、ずっと静かに深まっていく感じ。
もう一つの賛美のファンクションは教育的なもの。マルティン・ルターやウェスレー兄弟なんかが取り入れたもの。
塩谷さん 写真
バランスですよね。教育的な面もすごく大事だと思う。ただ教育的な面ばかりに偏ってしまうのは残念。
中山さん写真
その点では『聖歌』は力強いね。賛美歌が作られた背景にもいろいろあって、アメリカ西部の荒くれ者たちに伝道するために作られたストレートな賛美歌もあれば、イギリスのウェスレー兄弟のように、産業革命で人々が集まるところに、路傍などで伝道しながら、説教的な要素の入った長い賛美歌を作った人たちもいる。全節を歌うと一時間かかる賛美歌もある。
塩谷さん 写真
ルターも世俗の音楽に詞を乗せたんですよね? チャレンジングですよねえ。
中山さん写真
日本でも、最近メード・イン・ジャパンの賛美歌が作られるようになってきたね。

教会福音讃美歌も新しい曲がたくさん入っていますよね。

中山さん写真
その中で僕たちが意識したのは、これまでの伝統と今の必要ということ。今の日本の教会が必要としているメッセージがあるし、賛美のファンクションもある。
塩谷さん 写真
賛美は、今までの歴史のすばらしい遺産もあり、新しく作るものもある。どちらも大事だと思う。神様からの、聖霊からのメッセージを受け取ることが大切で、その音楽のスタイルは二次的なものかなと。
僕が最近必要性を感じるのが「賛美リーダー」の存在。日本にはあまりいない。司会者と奏楽者がいて、賛美を導く人はいなくて、司会と奏楽者の合図によってある意味自動的に賛美する。でも、アメリカなどには特別に訓練された音楽ミニスターがいる。賛美の役割とは何かを学び、形式ではなく聖霊に満たされ、導いていく。それは重要なことではないかと。
中山さん写真
リタージカルな教会に行くと、司祭が歌う。会衆との応答唱があり、いわばコールアンドレスポンスだよね。それがあって、礼拝が高められていく。日本の教会は信徒を積極的に用いようということがあって、上手でなくていいんだよ、と励まして奉仕をしてもらう。それはいい伝統でもある。
塩谷さん 写真
それはいいことだし、僕が言いたいことと矛盾しないんだけど…。僕は音楽の奉仕でいろんな教会に行くのだけど、多くの教会は礼拝前は一曲、または二曲。それでみことばを聞く準備できてる? ブレーキかかってない? と思う。
中山さん写真
礼拝での司式者の役割は、ブレーキを踏み込むことより、信号や標識を見ながらスピードを加減して良い流れを作りだすことだと思っている。

賛美って歌と思えば、絶対必要なものではないはずなのに、なぜ神様は賛美を与え、賛美せよと仰るのでしょう?

塩谷さん 写真
賛美なしでぱっと説教が始まってもいいはずなのに、賛美があるのは、やっぱり日々の生活の中で半分魂が寝ていて、賛美している間に魂が震え、目覚めるためじゃないかな。
中山さん写真
神様が人間を頭だけでなく、心も口も手も全部造ってくださった。だから礼拝するときに全部使いましょう。神様の造ってくださった存在全体で。
塩谷さん 写真
こういうことを課題に思うことは悪いことじゃないと思う。偉人たちは歴史上、あれこれ考え、行動してきたわけで、より豊かになっていくために、いろんな立場のいろんな賜物をもらった人たちが出てくればいいと思う。
中山さん写真
2000年、沖縄での日本伝道会議はテーマが「和解の福音」。その時「21世紀における教会音楽への期待~聖書的裏付けと実践」という分科会があって、立場の異なる音楽家たちが一同に会して発題をしたのは画期的だった。2016年、神戸の日本伝道会議はテーマが「再生へのReVISION」。賛美の面でも少しずつ壁が低くなって、壁を越えていく人たちが現れてきた。これからは、教会音楽家もゴスペルシンガーも、牧師も信徒も神学者たちも、みんなで心を合わせて、日本の教会と福音宣教のために仕えていくことが必要だと思う。
塩谷さん 写真
必要ですね。そうじゃないとただバラバラになってしまう。それでは力が弱い。
中山さん写真
今の時代はいい時代だと思う。『教会福音讃美歌』のCDを作ろうとなったとき、クラシックの方もいれば、塩谷さんみたいな新しい賛美を作っている人もいた。ワクワクしたね。
塩谷さん 写真
いい時代なんだね。それにはゴスペルの登場もあったけど、実は僕は初めブームには懐疑的だった。もちろん、僕はゴスペルは大好きだったのだけど、映画を見て趣味でやってくるOLたちに対して。僕は黒人研究もして、それから歌っているのに、って(笑)。僕はシンガーソングライターだけど、ゴスペルブームと同時に僕の所にもゴスペルディレクターの依頼がきた。しかもその頃僕はクリスチャンになりたて。でもゴスペル、賛美を歌いながら、僕も変わっていったし、彼女たちが救われていった。カルチャーセンターだから基本的には伝道禁止なんだけど、賛美の中で聖霊に触れられて、僕のことば、背中を見て、神様に親しみ、教会や伝道集会、バイブルスタディなどで救いを確信していった。
中山さん写真
まさに『ゴスペルのチカラ』だね。僕はこの塩谷さんの本を読んで、これって音楽としての「ゴスペル」じゃなくて本来の意味のゴスペル、福音の力のことじゃん、って思ったよ。
塩谷さん 写真
そう。僕は教会ではないところでも賛美して、みんなはクリスチャンでもないのに賛美している。でもこの賛美が神の御国の接点で、神の御顔が見える瞬間があるんじゃないかと思う。
中山さん写真
僕がアメリカの音楽シーンで羨ましいと思うのは、大変なことが起こったときに、賛美が生まれること。その時だけじゃなくて、ずっと歌い継がれるような。日本でもこんな動きがあればいいなと思う。
塩谷さん 写真
ソングライターの原点ってまさにそこ。何か苦しいことが起こったときや、その反対に喜びの出来事があったときに作る。その先に神への求めがあると思う。多くのミュージシャンは神を求めていることに気づかずにいるのだけど。賛美に出合った時に、ああ、自分たちの求めていたものは神だったのだと気づく。
あと、アメリカなんかはハイレベルな音楽が教会で生まれる。黒人教会はミュージシャンたちのゆりかごみたいになっている。今のアメリカの音楽シーンをリードしている人たちは、教会で育った人たちが多い。
中山さん写真
現代日本では大人が毎週毎週歌っているなんて教会くらいしかないよね。教会の中でいっぱい歌って、教会の中での賛美の文化が豊かになっていくことが、よい賛美歌を生み出す必須条件だと思う。
塩谷さん 写真
ゴスペルが広まったのも、無くなってしまったファミリー感を感じたくって、というのもあると思う。現代人は飢え渇いているんじゃないかな。
中山さん写真
レフ・トルストイの芸術論は、芸術が芸術のための芸術になっていることを批判している。昔は需要があっての芸術。礼拝であったり、祭りであったり、絵にしても美術館に飾られるためでなく、実用的な目的があった。

最近の歌や芸術に力を感じないのはそのせい?

中山さん写真
教会でやっていることのすべては建築でも絵でも音楽でも、神を賛美するためのものだし、いちばん尊い目的のためにある。だから力がある。だから、もっともっと大切にしなきゃいけないよね。
塩谷さん 写真
僕は日々のディボーションの中で、一人で賛美する。賛美奉仕者として、舞台に立つものとして、慣れや形式的になってしまうのではという恐れもあり、聖霊とつながっていたいと、自然に体が求めた。
中山さん写真
僕の母は台所仕事をしながら、よく賛美していた。あまり上手じゃなかったけど、でも喜びにあふれていたし、そこから力を得ていたと思う。神様は私たちを救い、賛美を授けてくださった。これは本当に感謝なこと。日本の教会が、神様を心から賛美し、そこから力を得、神様をまだ知らない人たちに恵みがあふれていくように祈っていこう。

ありがとうございました。

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