《権力と境界線》だれがあなたを私のボスにしたの?

証し・メッセージ

権力と境界線

ニューライフフェローシップ教会 創立者 ピーター・スキャゼロ

三十五年間リーダーとして働いてきたなかで、私がもっとも苦しんで学んだことは、権力の使い方と境界線の適切な引き方です。権力の問題をどう扱うかは、人格とリーダーとしてのあり方の両方が問われます。だれかが権力を濫用したというスキャンダルが報じられれば、そのことについて話が弾むのですが、権力の行使がいかに危険と隣り合わせであるのかについては、クリスチャンの間ではめったに認識されていないばかりか、おおっぴらに話し合われることはありません。しかし、そのようなことについて沈黙を守っていけば、当然結果を刈り取ることになり、大きな害を被ります。それまでの人生の中で築いてきた良い働きを台無しにするだけでなく、その後の働きも実りのないものになってしまう可能性があります。しかし、リーダーとしてどんな段階にいても、私たちは権力をうまく扱う方法を学び、適切な境界線をどう引いていくか学ぶことができるのです。

だれがあなたを私のボスにしたの?

ニューライフ教会を始めたとき、教会員の多くが二、三十代の若い家族で、「使徒の働き」二章に見られる初代教会のようなコミュニティに生きるビジョンを持っていました。多くの人がわざわざ教会の近所に引っ越し、子どもたちは一緒に遊びました。生活をともにし、互いの家を解放し、経済的にも助け合いました。私は教会の主任牧師でしたが、自分のことをそのようには見ていませんでした。みんな友だち同士で、キリストの御国のためにともに働く同僚であり、神とともに胸躍る冒険に乗り出している気分でした。

最初の数年間は何の問題もありませんでしたが、少しずつ亀裂が生じてきました。その一つが、グループの中心的リーダーであったフェリペとの意見の衝突です。教会の将来の方向性やミニストリーの仕方について、彼と私はぶつかるようになったのです。フェリペには小さい家の教会というビジョンがあり、そこでメンバーは共同生活を通してキリストを証ししていくと言います。フェリペがその話をするたびに私も惹きつけられましたが、私にも別なビジョンがありました。スモールグループをベースに教会を建て上げようと考えていましたが、求道者や信者がともに安心して集える場を提供するために、日曜日の礼拝を宣教の中心にしたいと考えていました。フェリペと私は、御国を拡大するという同じ目標を持っていましたが、そのためのビジョンと方策においては全く違っていました。

あるスタッフミーティングで、フェリペは言いました。「ニューライフ教会の方向を決める権利を、きみはだれからもらったんだい? 自分たちはこのために人生を捧げてきたのに。」 私は面食らって何を言っていいのかわかりませんでした。

フェリペはさらに続けました。「私たちは皆、からだの一部で、一人一人の価値も貢献度も平等だ。私たちは家族だ。だれがきみに、勝手な選択をする権利を与えたんだい?」

「ぼくは主任牧師だからね。」 何となく、そうつぶやいてしまい、自分でも言いながら変な気がしました。

「信じられない! これまで一緒にやってきて、一度も権力を振りかざしてこなかったのに、今さら? へえぇ。それは、あんまりだよ。」 フェリペは私の顔を見ずに、床を見つめながら言いました。

言葉もありませんでした。フェリペの言うとおりでした。私のリーダーとしてのやり方は不明確で、混乱させるものでした。

結局、フェリペとは別れることになり、彼は活気のある家の教会を開拓していきました。ニューライフ教会は建物を買い、栄えていきました。しかし、私たち二人の傷が癒やされるのには何年もかかりました。私はこのことを、個人間の残念な意見の食い違いと考え、このことがもたらした神学的意味について、また、リーダーとしてのあり方の問題として考えることはありませんでした。

十年後、権力の問題がまた浮上し、私はふたたび岐路に立たされていました。ジェリと私は、教会のいくつかの家族と特に親しくしていました。映画を一緒に見たり、休暇中いっしょに出かけたりしていました。その家族の中の何人かは、教会でリーダーとして奉仕していました。そのほとんどがボランティアでしたが、二人は有給のスタッフでした。フェリペのように、彼らはニューライフの価値観や文化を体現してくれる敬虔な人たちでした。私は彼らを深く尊敬し、大切にしていました。

教会はゆっくり確実に成長していました。役員会、 スタッフチーム、人事委員会ができ、初期の家族のような密なコミュニティから、教会は新しい構造へと変わっていきました。影響力を持つ重要なポジションに立つ人が他に出てきました。そのことで、これらの友人たちとの会話の内容が変わってきました。個人的な集まりや、日曜の午後のバーベキュー、ともに休暇を過ごすときなどには、教会運営に関わる情報を含む微妙な話題は差し控えるようになりました。

友人たちは、私が一歩引いて付き合っていることに気づくようになり、私がどんどん距離を取り、控えめになっていくように見えるにつれ、互いの間に徐々に緊張感が生まれるようになりました。あるとき、人事委員会で、教会での長期スタッフの配置について話をしていたとき、これは困ったことになったと思いました。有給のスタッフである友人たちとの関係が、あらゆる領域において複雑に絡み合っていたので、彼らの能力やスキルを客観視できなくなっていたし、スタッフとしてふさわしいかどうかも見定めることができなくなっていたからです。委員会の他のメンバーも、これはとても繊細な問題だとわかっていて、発言を控えていました。私は何といってよいかわからないくらい混乱し、にっちもさっちもいかない状態でした。

私は、彼らの上司であると同時に友人であることに耐え切れず、辞任することも考えました。私たちの間では、友人であり、有給のスタッフであるなら一生涯そのポジションは保証されている、という暗黙のルールがあったのです。もちろん、不道徳や倫理的な問題がないかぎりですが。同時に、私は教会の主任牧師として、理事会に対して、与えられているものを上手に使う責任があり、その中には、与えられた役割をちゃんと果たすことのできるスタッフを雇うことも含まれています。

結局、眠れない夜を何度も過ごした後、私は暗黙のルールを破って難しい決断をし、友だちをスタッフから下ろすことにしました。きっとこのことも良きに転じるだろうと思っていましたが、やり方がまずかったのです。私は混乱し、不安に陥りました。振り返ってみると、そのやり方を恥じるばかりです。権力が人間関係にどう影響を与えるかも、境界線を適切に引くことが必要だということも、まったくわかっていませんでした。良き友であり良き「上司」であろうとしましたが、そのどちらにもなれませんでした。

教会は信頼を失いました。仕事を失った職員からだけでなく、親しかった友人たちからもです。私は大切にしていた関係も失い、取り戻すのに何年もかかりました。今日に至るまで、このことはニューライフ教会での、二十六年間の牧会における最大の失敗だと思っています。しかしこのことを通して、神は私に、教会やコミュニティの性質、権力の行使の仕方、適切な境界線を築くことの重要性など、想像以上のことを教えてくださいました。

このような失敗は、私だけでないでしょう。どんな教会、非営利団体、クリスチャンのコミュニティでも、権力を上手に使えず、境界線をうまく引けなかったために深い傷跡を残しています。教会は壊れやすく、複雑で、混乱しやすいものです。教会はコミュニティであり、家族であり、非営利の働きです。しかし、そこには「ビジネス」の側面があり、与えられているものをうまく管理しなければなりません(人を雇い、解雇し、法に準拠し、予算をやり繰りし、何をもって成功とするかを決めるかという意味においてです)。以下に、リーダーにとっての権力の問題について書きましたが、すべてを網羅しているとは言いがたいものです。あなたが出くわすかもしれないシナリオは、ここにはないかもしれません。しかし、私が事前に知っていたらよかったと思っていた、自分の経験から得た少しばかりの洞察を提供できればと思います。さらなる注意深さと誠実さをもって、この地雷原を進もうとするとき、これから記すようなことをよく思いめぐらしていただきたいと心から願います。それはあなた自身のためだけではなく、家族、友人、ミニストリー、そして、世界におけるキリストの栄光のためでもあるのです。

では、クリスチャンの権力とはどのようなものかを定義することから始めましょう。……(『情緒的に健康なリーダー・信徒をめざして』第8章より一部抜粋)

情緒的に健康なリーダー・信徒をめざして 内面の成長が、家族を、教会を、世界を変える
ピーター・スキャゼロ [著] 鈴木茂・鈴木敦子 [訳]
576頁 定価2,800円+税